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黒犬の悪魔

ええ、お越しいただいてありがとうございます。私皆様と一緒にお話を見守る煙羅煙羅という者でございます。他の名前も、あるにはあるのですが……おっと失礼、なにぶん扇がひらりと返ればかき消える程度のひ弱なものでございまして、見守る以外のことはできません。皆様は皆様で、ごゆるりとするなり宴席とするなり……おや、そろそろ始まるようだ。

異国の鵺


鵺鳴山にはお化けが出るぞ。そんな話は村の爺様連中が子供にする話だった。そもそもがこの山は鵺鳴山などという名前ではなく、子供が入ると蜂に刺されて危ない、という理由から子供だけで入れば命はない、という出鱈目とも言いづらい由来があり、大人になるにつれてそれだけのことかとどこかで知る。他の者どもより遅くまで寝小便を垂れていた俺だって、もう腰の物を携えて奉行所に出入りする身分なのだから流石にわかっている。鵺が鳴く、など蜂の羽音や鳶の声、熊の唸りを言っただけ。だから、目の前にいる面妖な化け物に驚いた。言い伝えそっくりだ。唯一違うのは、鳴いているのではない。泣いている。


俺は、いつも通り振りもしないなまくら刀を腰に下げて奉行所へと向かった。宮仕の身であれば、銘がないどころか威厳も切れ味もない刀でも爺様の形見だからと持って歩くのが心得。奉行所の屋根裏に入った鼬を追い払うために屋根に登るのが宮仕と言えるかどうかはさておき、奉行所の仕事だ。お上などと言っても外様であれば金はなく、どーでもいい下級藩士を呼びつけてこれを運んでおけだこれも担いでいけだ、身分相応のどーでもいい仕事を与えられる。もっとも金に困っているのはお上だけではない。俺もだ。貧乏長屋におっかさんと二人暮らし、たまに金が入ると飯に菜葉がつくと喜んでいる身分。他の連中より遅くまで寝小便の始末をしてもらっていた手前おっかさんには頭が上がらず、食う分くらいは親孝行しておかねば、近所の奴らに小便と一緒に糞まで漏らした日のことを知られてしまう。誰だって下痢便くらいするだろう!と言ったところで周りの連中は薄情なので「……………いや」とすっとぼけるに決まっている。誰だって漏らすだろう、と今は漏らしていないのに自分で言うほど馬鹿ではなく、今日も奉行所に言って鼬相手に大立ち回り、静かにやれい!と怒られて帰ってきた。日が暮れる前に鵺鳴山の麓を通らねば、熊だ猿だ蜂だと襲われれば今だってちびるような危ないことが起きかねない。だから夕暮れ近い鵺鳴山の麓を、急いで帰っていた。案の定人通りはなく、とっとと抜けてしまえばいい、と思っていたら、誰か倒れている。誰だ?いや、獣だ。……いや、人か?人か獣かと立ち止まって考え、獣であればここから踵を返して遠ざからないとここで喰われて死んでしまう。死ぬのはごめんと戻っても宿の当てはないのに戻ろうとしたら、泣き声。鳴き声ではない。人なのだろうか。屍のように倒れていたそいつが、首をもたげて「助けてくれえ!!」。哀れを誘う声で泣いたが、まだ何かがわからない。確かなことは、人でも獣でもない、ということだけだった。


腰の物に手をかけて恐る恐る近寄る。お前は誰だ?何者だ?しゃべれる以上は話ができるのであろうと一応話しかけていたが、じりと間合いを詰めると飛びかかってきた。わあっと思わず腰の物から手が離れてしゃがみ込むが、何も起きない。人でも獣でもない何かは、俺の身体に触れる遥か手前で力尽きてへたり込んでいた。絶対に殺されると思ったがそうではないのだろうか。すると人でも獣でもない何かは、「もっとこっちに来ないから届かなかった」と人のせいにしてきた。鞘に収まったままの刀でつんつんとつついたが、これ以上何かをする様子がない。改めて見ると、本当に妙な生き物だった。全身に毛の生えた姿は猿とか猩々の類かと思えば、顔は猿のそれではなく鼻と顎の突き出した、黒犬のそれだった。背中には大きな翼、それこそ鳶のように真っ黒で大きい。ただ鳶のような力強さはあるわけがなく、へたりと地に堕ちてぼろ切れと変わらない。鵺鳴山に本当に鵺がいるとは知らなんだ、食わせるものはないから自分でなんとかしてくれと立ち去ろうとしたら足にしがみつかれたのでさすがにもうダメだと思ったが、「頼む!」と泣かれたのでかわいそうになった。だがこんなのを相手にしていたらそのうちに痛い目を見るのが世の常、何をしろというのか知らんが離さねば斬って捨てるぞ、と初めて言ってみた。俺の刀は障子紙も押さえてもらわねば斬れないと評判だが、さすがにこれなら斬れるだろう。あるいは、抜き身を見せれば驚いて逃げていくかもしれない。そんな感じするしな。そう思ってパチンと鯉口を切り刀を抜いた。そしたら、何かわからないその生き物はびしりと背筋を伸ばして力強く立ち上がった。驚きはしたが顔色が悪いのは明白、力強く立ったが相当に無理をしている。黒犬の顔であれば黒い毛で覆われているのに絶対に顔色が悪い。その生き物は、「忠誠と服従を誓います!」と宣ったがそんなことはいいから山に帰れ。にべもなく突き返したのに微動だにしない。顔色だけが悪くなっていくから、ついてこい、と山を抜けたところまで歩かせた。だいぶつらそうだが、自分で歩かねば仕方がないのだからそいつも歩いていた。俺は少し先の団子屋に先に行って串団子を二本買い、戻ってきた。取り残されたと思った黒犬はその場でへたばっていたが、串から外した団子を一個放り投げると飛びついてがっついた。このなりでこの食い方だから、こう見えて飼い犬だったのであろう。野生を微塵も感じられなかった。


あんまりたくさん食わせて今度こそ飛びかかられるとまずいので、小分けにして与えていく。お前は何者だ、鵺か?と聞けば、そんな得体の知れないものと一緒にするな、と多少元気になって怒っていた。お前の方がよほど得体が知れない、と言い切ってやると、仕方なく名乗った。自分は南蛮渡来の妖魔。遥か海の向こうでは少しは名の知れた、「アクマ」なのだという。黒犬の顔、猿の身体、鳶の翼。ある者はマルコキアスと呼び、ある者は……また力尽き始めたのでもう一個外して投げると、飛びついて喰らいついた。おい、丸腰、とさっき名乗っていたのを言ってやるとマルコキアスだと怒るので丸越と言い直した。また間違っているのはわかっているがそれを言い返す余裕はないようで、こいつの呼び方は丸越と決まった。


丸越のような者は南蛮では珍しくないらしく、たまに海を越えて島国に渡るものがいて、一攫千金とかその手の物を狙っているが聞いていたほどの黄金はないので田舎妖怪に成り下がるものがほとんど、とのことなので丸越もそうなのかと思ったら違うらしい。ならなんだと団子をもう一個投げてやると、拾って食らいつきオレの狙いは、と簡単にしゃべり始めた。きっと世渡りが下手なのだろう。俺が思うのだからよっぽどだ。


南蛮ではたまに流行り病が出る。皆困るものであればそれを治せば喜ばれる。その結果、ウハウハ。普段なら割と簡単に治るくらいのものがほとんどなので大したことにはならないのだが、こないだ流行り始めた病を治してみせましょう!と啖呵を切ったのにどこがどう違うのか治せない。みんなで押し付け合ってこんがらがり、誰か治し方を見つけてこい!と悪魔の総大将からヒラたちに伝令が回った。丸越は半端に得意なことがあるものだから「何かあったか?」といつも問い詰められてそういうのを探さざるを得ず、海の向こうの島国なら何かあるかもしれない、と口走ったら丸越含む何人かがこのあたりに送り出された。後ろ指をさされた丸越だが言い出した手前自分はやらざるを得ず、一番端っこの国に飛び込んだら、あまりにも異様な文化に目を回し人里も近いのに遭難状態、鵺鳴山の麓で行き倒れたという。もっとも腹が減って動けなかったのであれば多少食えば少し元気になったらしい。そうか、ともう一本の団子を一気に平らげると丸越は悲鳴を上げた。二本とももらえると思っていたらしい。とりあえず動けるようだから後は山で何か見つければいいだろう、犬だし。そう言って山に帰らせようとした。丸越も、もうそれでいいと思っていたようなのだが、何かがおかしい。山に向かって歩いていったはずの丸越は、びよーんとこっちに引っ張られるように戻ってきた。ふざけているのかと聞けば、真剣に帰ろうとしていると怒る。何の冗談だとさっきびっくりしていたのと同じように脅かすつもりで刀を抜いた。すると丸越は、ビシリと立ち上がる。不自然なくらい力強く、忠誠と服従を……いいから、と遮って話を進めた。


こいつがふざけてついてくるつもりなら本気でぶったぎらないと食われてしまう。もっともどんな理屈を並べたところで信用できるものは一つもなく、適当にごまかして襲い掛かるつもりかもしれない。そういう風に疑いの目を妥当なほど向けていたのだが、お前がさせてるんだろう!と丸越は怒った。そんな業物をちらつかせて何のつもりだ!と怒っていたので何のことかと思った。俺の刀らしい。爺様の代からなまくらと有名な俺の刀が何だというのか。丸越は、刀の柄に何か仕込んでいるだろう、とわめいていた。……手入れをするときにだけ、柄の中に根付に似たものが仕込まれているのを見る。どこの刀もそうなのだと思っていたら、この刀だけらしい。それを知ったのは、割と最近のことなのだが……貴様の手妻など興味はない、そういうのは見世物小屋でしろ!と怒っても水掛け論、まさか言い合いが三日も続くとは思わなかった。話は平行線、鼬ごっこもいいところ。ふだん鼬とやりあっているが、こいつはきっと鼬より鼬なのだろう。


失礼、書き始めたのは少しばかり前のことでして、多少話が紛らわしいかもしれませんが読めるように読んでください。

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