第1章 異世界転移
この世には、混ぜてよいものとわるいものがある。
よいものといえば、コーヒーに砂糖、ケチャップにマヨネーズ、花とミツバチ、ヤドカリとイソギンチャク、秋葉原とヲタク、渋谷とパリピなどである。
わるいものといえば、塩素系の洗剤と酸性の洗剤を混ぜると有毒ガスが発生するし、牛乳にオレンジジュースを混ぜると牛乳のタンパク質が凝固してしまうし、チャラ男の中にヲタクを混ぜても、ヲタクには居場所がなくて最悪、人間不信になってしまうなどがある。
しかしながら、これらの良し悪しを瞬時に判断するのは難しいものである。
特に難しい分野が、科学技術と戦争を混ぜることである。
例としては、化学と戦争を混ぜた結果が核兵器や毒ガスであるし、通信と戦争を混ぜた結果がインターネットである。
核兵器開発の発端が必ずしも“悪”だったとも言えないし、インターネット開発の発端が必ずしも“善”だったとも言えない。
これらを見極めるのも難しいものである。
現在の自分はまさに技術開発の発端いるといっても過言ではなかった。
俺は地方のとある科学博物館に勤務し、地元の技術史の研究と地元企業の研究開発支援を担当していた。
研究開発支援は、様々な分野に使用する機械を開発するため、俺は工業大学の出身だったが医療や農業などの多様な知識を収集せざるを得ない仕事だった。
そんなんだから、連日の残業につぐ残業でボロボロだった。
この仕事は嫌いでは無かったし、何より様々な知識を調べては習得することが楽しくてしょうがなかった。
おかげで多くの人から信頼を得られたと思っている。
とは言え、この時は2週間休日返上で仕事をして限界だった。
時刻は深夜1時、曜日も金曜から土曜に代わり、警備員さんがそろそろ見回りに来る時間だった。
オフィスには俺一人でキーボード叩く音だけがさみしく響いていた。
「コンコン・・・。失礼します。あ、湯城さん。また残ってたんですか?」
もはや、顔見知りとなってしまった警備員さんが優しく声をかけてくれる。
「かれこれ1週間以上、毎日残ってませんか?」
「お疲れ様です。キリがいいところだったんで、そろそろ帰ろうと思ってましたよ。」
ぐぅ〜っと、伸びをしながら答えた。身体のあちこちから、パキパキと悲鳴がなった。
「早く帰った方がいいですよ。山の方が雪が積もってるみたいですよ。」
「え〜・・・。家は、まさにその山の方なんですよ。」
「なら、早く帰った方がいいですよ。戸締り確認しときますんで、照明だけお願いしますね。」
了解で〜す。と返事しながら、作っていた書類を保存しパソコンをシャットダウンさせる。
この博物館は市街地から山側に外れたところにあり、俺の家はさらに山側の車で30分の所だった。
この辺りは東北でも温暖な方ではあるが、山間部となれば雪も積もるし夜間は凍結してしまう。気を付けて運転するに越したことはない。
俺の自慢の愛車はフルタイム4WDの軽自動車。中古で50万で買いました・・・(誰に言ってんだ・・・)。
「ああ〜・・・。フロントガラス、凍ってる・・・。溶けるまで帰れねぇ・・・。」
夏だったら、職場と自宅の中間に唯一のコンビニでコーヒー買って一服するのに。
コーヒーとタバコの組み合わせが、一番の至福タイムなのに。
なんて、頭で愚痴りながら愛車に乗り、エンジンをかけ、ヒーター全開でフロントガラスを温めて、車内でタバコに火をつける。
少し窓を開けて、背もたれを一杯まで倒す。
深夜1時過ぎ、他に誰もいない駐車場で、一人軽自動車の車内でタバコをふかす32のオジサン。
俺って、なにしてんだろ?なんて、つい思ってしまう。
同級生の8割は結婚して、子供もいて、小学生になったなんてはしゃいでるやつもいた。
俺はといえば、生まれてこの方彼女なんていたこともない。恋したこともないわけではないが、成就したことなんてない。
相談されたことはあるが、したことはない。
ふてくされている間に、吸い終わったタバコを灰皿に捨てる。フロントガラスは溶け始めているが、動き出すにはまだあぶない。
すこしこのままの体制で目を閉じる。今日は土曜日だが、昼頃には出勤して書類を作って、あの試作機のあの部分の部品、自作するか・・・。
考えていると、意識がすぅーっと沈んでいく感覚。少し、心地よさを感じた・・・。
・・・。
・・・。
っ!?
「寝たらあかん!?死んでまう!?」
なぜか関西弁になってしまった。
上半身を起こし、下に手をついた。
ん?手から伝わる草のような手触り?
尻から伝わる、お買い得車の貧乏シートと違った、ゴツゴツとした感覚?
周りに見えるのは、50台は停められる駐車場ではない、森の中?
「どこだ?ここは??」
状況を整理しよう!!俺は、深夜1時過ぎの職場の駐車場で車に乗って休んでいたはず。
でも、明らかに周りは未開拓の森だし、下の草だし、明らかに車の中じゃねぇ。
これは夢か??試しに、頬でも叩いてみるか?
両手で強めに両頬を叩いてみると、バチン!!と音がする。
うむ、程よく痛い。痛いが、32歳にしては乾燥しながらも程よく水気のあるお肌。
まだまだ、若さは残っているな♪ってそうじゃねぇ!!
夢じゃない!?
パニック!パニック!!
とにかく!周りに何か!?何か!?
必死で左右を探しても何もなく。振り返った後ろに、愛用のリュックが落ちていた。
やった!もしもに備えた万が一セットがあった!!
普段使っているこの通勤用リュックには、万が一に備えた最低限の物が入っていた。
博物館職員の万が一とは何か?普段は、オフィスのデスクワークが主であるが、支援先企業に訪問したり、協力農家に訪問したりと外に出るとこも少なくない。これで万が一と言ったら、移動中に交通事故に遭う程度である。
だが、一番危険なのは林業の現場に赴く時である。
林業の現場の多くは、舗装された道路を外れ、平気で30分近く走った挙句、見失いそうな目印の道を歩く所もあったりする。
万が一に自分一人でそのような道を歩き、遭難したりしたら生存は厳しいだろう。
そうならないための、サバイバルツールを仕込んだリュックである。
とりあえず、これがあるだけでも助かった。
まずは暗いから懐中電灯と、方角を知りたいからコンパスを出して・・・。
リュックからコンパスを出して、方角を確認しているその時だった。
キャーーーーーーーー!!
っと、女の子の叫び声が聞こえた。
方角は西南の方、声の大きさからして距離はおそらく200mか300mか。近いな。
自分も遭難しかかっていたから、人を探さなきゃいけなかった。
しかしこれは、運がいいのか悪いのか・・・。
ライトの照らす先しか見えない森の中を、全力で走った。
200mも行かないところで、やめてください!!と女の子が聞こえ、慌ててライトを消すとオレンジ色に明るく照らされた木が見えた。
嫌な気がして、体制を低くして草陰に隠れながら、見えるとこまで移動した。
松明を持った男の両脇に、背の高い男と背の低いデブ男がこちらを背にしている。
奴らは、一本の木に向かって並んでいるが、肝心の女の子が確認できない。
男たちの隙間から、何とかして向こうが見えないかと揺れていると、
「お、お願いです・・・。た、助けてください・・・。」
と、同じ主の声が聞こえた。
続けて男たちから、ぐへへと気色悪い笑いをしていることから、あの先にいることは間違いないだろう。
女の子を確認しようしている間に、松明を持った男がサバイバルナイフのような刃物と、大男が大ナタのような刃物と、デブ男が方手持ちの斧を持っているのを確認した。
普通なら武装した男が3人で、すぐに助けを呼べるところであれば、即座に逃げて助けを呼ぶだろう。
しかし今は、逃げる先もわからないし、呼べる助けもあるかもわからないし、逃げた先で同じような奴らと出くわさないともわからない。
普通の一般人ならお手上げだ。そう、“普通”の一般人ならだ。
残念ながら、俺は“普通”の一般人ではなかった。
現状は真っ暗な森の中。男たちは完全に目の前の獲物に夢中になっている。正直、これは運がいい。
敵に悟られず、先手を打つのは戦術の基本だ。
まず、狙うは大男。その背後の草陰まで移動し、反対の草むらに枝を投げる。
ガサッ!という音と同時に、男たちの意識が一斉にそっちに向く。そうなったのを見計らって、手のひらサイズの石を持って大男の右耳辺りを思いきり殴る。
死ぬかもしれないが、この程度なら意識が飛ぶくらいでしばらくは起き上がれない。
次は、松明を持った男。音に気付いてこっちに振り向いたのを確認して、鼻頭と口の間の人中に踵を当てるように、右足で空手の上段蹴りを叩き込む。
こいつも脳震とう、鼻骨骨折と激痛でしばらくは動けない。
最後はデブ男だが、こいつの動きは見定める必要がある。想定される相手の行動は、こっちに切りかかるか、女の子を人質にするかだ。
デブ男を確認すると、斧を振り上げて向かってきていた。ならば、右手で奴の右手首を掴んで受け流しながら、左掌底を奴の顎を砕くつもりで思いきり叩き込む。
こうなると、完全な脳震とうで意識が飛んでしまう。
こうして、ものの数秒で大の男3人をノックアウトした。やっぱり俺は“普通”の一般人ではないな。
実は俺は、大学在学中に総合格闘サークルに所属して、軍隊式CQC/CQBについて独自に研究しトレーニングしていた。
そのため、刃物で武装した凶悪犯3人の無力化も当然想定した上で、対応できるようトレーニングして万全にしていた。
まさか、本当に自分がこんな場面に出くわすとは、夢にも思っていなかったが・・・。
自衛官になっていた方が、充実した人生だったんじゃないか?て、そんな気がする・・・。
こうして、3人が伸びているのを確認して、初めて被害者の女の子を見た。すごく小柄で、大きすぎるメガネが今にもずり落ちてしまいそうな、あどけない少女だった。
ともかく、俺はへたり込んでいる彼女の手を取って、
「今のうちに逃げるぞ!」
と、強く引けば折れてしまいそうな華奢な腕を引いた。
彼女は、はいと弱々しく返事をし素直に従ってくれた。
悪党3人は確実に無力化したが、殺したわけではないからいずれは起き上がってくる。
その前に少しでも遠くまで逃げなければ。
こういった逃走する場合のセオリーは、はじめは全力の7割程度の速度で走るのだが、俺は彼女のペースに合わせて5割程度で走った。
しばらく走って後ろを確認しても、追っては来ていないようだった。
「大丈夫みたいだけど、止まらないで、歩きながら息を整えようか。」
彼女に告げた。彼女は肩で息をしながら、はいと答えた。
かという俺も、軽く息が上がっている。くっ、学生時代ならこの程度で息が乱れることもなかったのに。老いたな、俺・・・。
そこからまたしばらくは、後方を確認しながら歩き続けた。追ってくる気配は全くなかった。
彼女の息づかいも落ち着いたようで、俺は足を止めた。
「ここまでくれば大丈夫だろう。君は?ケガとかないか?」
「い、いえ。大丈夫です。た、助けていただきありがとうございます。た、ただ・・・。その・・・。えっと・・・。」
彼女は顔を赤らめてモジモジしている。
なんだ?と疑問に思いつつ、俺の右手がなんだか柔らかいものを握っていることに気づく。
そう、ずっと年端も行かない若い女の子の手を、30過ぎのオッサンがずっと握ったまま、森の中を歩いていたのだ。
誰かに見つかれば、即座に通報ものだ。
「だぁああああ!!ご!ごめん!!痛かったよね!?俺みたいな気持ち悪いオジサンに握られて嫌だったよね!?ほんっとに!ごめん!!」
即座に手を放し、彼女から5歩分くらいの距離をとる。
「い!いえ!!大丈夫です!男の人に手を握られるなんて、は、はじめてだったもので...。」
「あ・・・。あぁ〜、そうなんだ・・・。あ、あはははは・・・。」
しかし、よくよく見るとすごくかわいい子だな。身長が160?もないだろう小柄な体格に、さらに小さな顔。
ちょっとオーバーサイズのローブのような服を着て、恥ずかしそうにモジモジしながら、口元に手をやる仕草とかを見てると、可愛らしい小動物のようだ。
母性本能というか、父性本能が刺激される!守ってあげたい衝動に駆られてしまう!!
っていや待て!変な行動をすれば通報される!!冷静に対処して、彼女に俺は無害だとアピールしなければ!世間的に死ぬ!!
ひとまず、話題を変えて安全なところまで案内してもらおう。
「あ、ああ。君はこの辺の子かな?」
「あっ。はい、そうです。」
「そうか。よかった。オジサン、この辺の土地勘がなくてね。近くの町まで案内してもらえないかな?」
「はい!いいですよ。すぐそこが、私の村なのでご案内します。」
彼女は快く案内を引き受けてくれた。
俺は不審者扱いされないよう、めっちゃ気を使って彼女についていった。
夜中の暗い森の中を、胡散臭い32のオッサンと、小動物チックで可愛らしい少女が並んで歩く。
うん。どう見えても、俺が怪しい。暴漢から少女を助けたとは言え、明らかに今暴漢に間違われるのは俺だ。
「あの!め、珍しい道具をお持ちなんですね?」
彼女が、俺の手にしているLEDライトを見て言う。
「小型で持ちやすいのに、松明より明るく、暑くもない・・・。ふむふむ・・・。どういった魔道具なんですか?」
「マドウグ?これは、LEDライトだよ。」
「え、エルイーディーライト?初めて聞きました。光の魔道具ではないのですか?どういう構造なのです?」
「えっと・・・。話すと長くなるけど、知りたい・・・?」
はい!と答えた彼女の眼は、目新しいおもちゃをみつけた子供のようだった。
よく博物館に遠足で来ていた小学生たちを思い出すよ。
「簡単に説明すると、これは半導体っていう電気を流す効率が50%くらいの素材に電気を流すことで、素材自体が発光しているんだ。
その光を、円錐上の反射板、鏡を筒にしたみたいなのに反射させて照らしているんだ。電気も、この中に乾電池と言って電気を溜めて放出できる筒があるんだ。
光が弱くなったり光らなくなっても、その乾電池を交換すること長く使える道具なんだ。」
そう説明を終えて、彼女を見ると可愛らしく小首をまげて、頭上にクエスチョンマークが10個くらい並んでいた。
大丈夫か?考えすぎて、頭から煙が上がったりしないよな?
その可愛い頭を撫でたい衝動に駆られるが、我慢せねば。
「と、ところで、君の村までもうすぐかな?」
「あ、はい!もうすぐです。」
そう答えた彼女から、あどけない笑顔が垣間見える。
LEDライトの辺りから、ちょくちょく彼女は笑顔になってくれていた。
あんなことの後なのに、見かけによらず強い子だ。
「あ!着きました。あそこが、私の家です。私の家は、村の外れにあるので。」
まだ、森を抜けきってはいないが、彼女が言うからにはそうなのだろう。
特に疑問も抱かずに、案内されるがまま彼女について行った。
家の中は真っ暗だったが、深夜なのだから当然家の人も寝ているのだろう。
ここまでくれば、さっきの連中が来ても大丈夫だろうから、一服するか。
「今、灯を付けますので、入って休んでください。」
「うん。ありがとう。悪いけど、入る前に外でタバコを吸わせてもらっていいかな?」
「はい、どうぞ。灰皿、出しておきますね。」
そうして俺は、ゆっくりタバコを吸い始めた。
ようやく、気持ちに余裕が出てきたところで、今の現状について考え始めた。
現状では、自分がどこにいるのか全く見当がつかない。さっきの暴漢連中も、格好からはどこの民族衣装らしきものはなかったし、
持っていた刃物もありふれたモノばかりだった。
彼女の使っている言葉も、どこかの方言が混じるわけでもないし、格好はまぁ中二病でも拗らせた感じかな。
家のデザインも、古いデザインのログハウスという感じで、場所を把握する手掛かりはなさそうだ。
ただ気になるのは、ここが俺の職場の近くと仮定した場合、どうして真冬から春先のような気温になってる?今着ている防寒着が暑くて暑くてたまらない。
それにさっきの暴漢たちもおかしい。ただ、女の子を襲うにしてもあんな刃物を持ち出す必要はないはずだ。
それに今時、松明一つで森に来るのもおかしい。俺だって、夜の森に入るならライトの2、3個は持ってくる。
う〜ん・・・。いまいちわからん・・・。
ふぅ・・・。タバコ、うまぁ〜・・・。
現実逃避してしまった・・・。
「あ、あの!お茶が入りましたので、飲んでいってください!」
「お、おう。あがりとう。頂くよ。」
タバコの火を消して、携帯灰皿に捨てる。
この時、もう少し思考を巡らせていればよっかたと、後悔している。
それは、彼女の家に上がり、ダイニングのテーブルに座り、お茶を一口飲むまでの光景を見て気が付いた。
「あ、あの〜。つかぬことを聞きたいのですが・・・?」
はい?と彼女は俺の方を向いて、小首をかしげた。
すごく可愛かった♪ってそうじゃない!
「あの、ご家族はいらっしゃらないのかな?」
空気が凍った。彼女は、あまり聞かれたくなかったことのようだ。
だって!仕方ないじゃないか!?こんな夜更けに、こんなオッサンが、年頃の女の子の一人暮らしの家に上がり込むなんて。
これが、世間様に知られれば、俺は社会的に死ぬ!
嫌な汗がこめかみから、顎先へすぅっと伝っていった。
しばしの沈黙の後に、彼女の口が開いた。
「わ、私。孤児なんです!!」
・・・。
・・・。
「・・・はい?」
「わ、私。小さい時から、両親が居なくて。こ、ここに住んでいたお師匠様に拾われたんです。そのお師匠様も、2年前に亡くなりまして。
今は、私一人で暮らしているんです・・・。」
思っていなかった、彼女からのまさかの告白だった。
とてつもなくヘビィーな内容に言葉に詰まる。さらに付け加えて、親族もなく、保護者との死別した女の子の一人暮らしの家に上がり込んだ俺って。
さらに危険度上がってません!?
とにかく!今は、まさかのこのくそ重たい空気をどうにかしないと!出ていくに出て行けん!!
「あ〜。そうだったんだ。ごめんね。いきなり、変なことを聞いて・・・。」
彼女はずっとうつむいて、ただでさえ小柄な体がさらに小さくなっている。
「い!いや!!そういう意味で聞いたんじゃないんだ!!ただね!その〜・・・。君みたいなかわいい子の一人暮らしの家に、俺みたいなオッサンが上がるなんて、
申し訳なくてさ・・・。」
めちゃくちゃ苦しい言い訳だ。
だが、それまでうつむいていた彼女の顔が、ゆっくりと俺の方を向いた。
「え・・・?かわいい・・・。ですか・・・?」
そう問いかけてきた彼女の顔は、まさに“可愛い”を体現したものだった。
少女のあどけなさが残る丸みをおびた小顔に、大きくて丸い上目遣いの瞳に、明らかに大きすぎて今にも落ちてしまうそうなメガネ。
それこそ世のロリコンどもが悶絶する絶対正義的可愛さだ。
その顔を見た俺の顔も、年甲斐もなくときめいてしまったのを自覚した。
「お、おう・・・。すごく・・・。可愛い・・・。」
・・・。
そしてまた、しばしの沈黙。
するといきなり、ボンッ!っと彼女の顔から煙が上がった。
「そそそそそそ、そんな!か、可愛いだなんて!!そんな、こと・・・。」
彼女は顔が真っ赤になりながら、百面相していた。
俺は、年甲斐もなくときめいてしまった気恥ずかしさと、重い空気が去った安ど感で変な感じだった。
とにかく話を進めないと、こんなところでアオハルしてる場合じゃない。
「そ、そういえば。まだ名前言ってなかったね。俺は湯城勇気。よろしく。」
「あ、はい。私は、マリー・エルファンクといいます。」
日本では全くなじみのない響きに戸惑ってしまう。
「えっと、エルファ・・・?」
「エルファンクです。気軽にマリーで結構ですよ。」
「ごめん、マリー。俺のことも勇気でって、どっちも同じ響きなんだけど。」
「ふふっ。はい。ユーキさん。」
かなり遅くなってしまったが、自己紹介を済ませることはできた。
さっきの空気と違って、明るい雰囲気でできてよかった。
「早速で申し訳ないんだけど、マリー。さっきも言ったように、君一人でいる家に俺みたいなのがお邪魔するのは、世間体的にどうか思う。
この村に、他に泊まれるところはないのかな?」
「そ、そうは言われましても。この村に宿屋はありませんし、こんな遅くでは誰も泊めてはくれませんし。
そ、それに。私は、ユーキさんに先ほど助けていただいた恩を返したいですし。」
マリーは何か思いついたようで、顔をはっ!として手をたたいた。
「そうだ!お師匠様の部屋がまだそのままだった!今日のところは、お師匠様の部屋でお休みください。」
「いや!でも、さすがに・・・。」
「大丈夫です♪私と部屋は別ですし、お師匠様の部屋も定期的にお掃除してましたから♪」
「でもな〜。う〜ん・・・。」
俺はめちゃくちゃ悩んだ。村に宿は無い。他に泊まる当てもない。マリーと部屋は別でも、同じ屋根の下。
犯罪を犯す気はこれっぽちもないが、なにか間違いがあったら・・・。
などと悩んでいると、マリーがまた上目遣いで聞いてきた。
「だ、だめですか・・・?」
ぐっ!その反則級の可愛さの上目遣いに、潤んだ瞳の合わせ技は卑怯だ!!
俺は、少し顔を背けた先の窓を見た。外は真っ暗で、あれからの時間もだいぶ経っているはず。
じきに空も白んでくるだろう。
これを考慮すれば、マリーも寝た方がいい。ここは俺が折れるしかなかった。
「・・・はぁ。それじゃあ、悪いけどお願いするよ。」
「はい♪すぐにお部屋を用意しますね♪」
マリーはすごい笑顔で、二階に上がっていった。
その姿を見送った俺は、俺が社会的に抹殺されないことを強く願った。
そして、ものの数分で部屋を用意したマリーに勧められ、お師匠様の使っていた部屋を今晩の宿とさせてもらった。
ベットに入り、目を閉じるとものの数秒で深い眠りへと落ちていった。
そりゃそうだ。1週間毎日残業して、大の大人3人と格闘して、500m以上ランニングしたのだ。
30過ぎのオッサンには堪えるわ。
これは、明日の朝は起きられそうにないな・・・。
・・・。
ピピピッ!ピピピッ!と、電子音が鳴っている。
耳元に置いたスマホのアラームが鳴っていた。
今日は土曜日か。昨日、あの案件のデータはまとめたから、あっちの案件の資料まとめないと。
ああ、気が重い・・・。
休日出勤を覚悟して、重い瞼を開けた。
見知らぬ天井・・・(〇ヴァかっ)。うむ、自分でツッコむ余裕はあったようだ。
「・・・はぁ。起きるか。」
仕事に行く必要もなくなったなら、昨日酷使した体を昼まで休めても問題はないが、このまま寝てるのもなんとも歯がゆい。
それに、いろいろ確かめたいことが山積み過ぎてゆっくり寝てられなかった。
貴重品だけポケットに突っ込み、下へと降りて行った。
階段をゆっくり下ると、コンソメスープのようないい香りが漂っていた。
降りてきた俺に気づいた少女の声が、心地よく響いてきた。
「あ!お、おはようございます!ユーキさん。」
昨夜の疲れは残っていないのだろうか?健気な少女が朝食を作っていた。
「おはよう、マリー。悪いな、手伝いもしないで。」
「いいえ。久しぶりに誰かの分も作れて、うれしいです!」
満面の笑みで答えてくる少女に、俺まで元気が湧いてくる。
丁度できたところで一緒に食べようと促され、テーブルに向かい合って座る。
「いただきます。」
手を合わせて言った俺を、彼女は不思議そうに見ていた。
「ああ。これは俺の故郷の習慣だよ。食前の祈りみたいなものだ。」
「へぇ〜。珍しいお祈りですね。」
少女の仕草は、キリスト教の祈りのように見える。
それも簡単に済ませ、俺たちは食事を始めた。
「ん!このスープうまいな!」
「良かったです!そういってもらえて。」
お世辞でもない、俺の率直な感想にマリーは嬉しそうに笑ってくれた。
こんなゆっくり朝食を食べるなんていつぶりだろうか。ずっと、仕事に負われて朝食を食べないで向かう毎日だった。
むしろ、涙がでそうだ。
朝食を食べ終え、洗い物もそこそこにした彼女が、お茶を持ってきてくれた。
同じテーブルに向き合って座り、一息ついたところでマリーから話し出した。
「改めまして、ユーキさん。さ、昨晩は危ないところを助けていただいて、ありがとうございました。」
といって、頭を下げた。
「いや、いいよ。こっちこそ、こんな知らないオジサンを泊めてくれて、ありがとう。」
「いえ。このくらいでは恩を返せたと思ってません。ところでユーキさんは、これからどうされるのですか?」
どうされる?どうしよう・・・。正直まだ考えがまとまっていない。
まだ、混乱のさなかだけど簡単な問題から解決するしかない。
「どうしよう?取り合ず、マリー。変な質問かもしれないけど、答えてもらえるかな?」
はてなマークを浮かべながら、はいと答えてくれた彼女に質問した。
「まず、ここがどこかわかないんだ。どこの国のなんていう場所なのか教えてほしい。」
「そこからですか?ここは、フェルクード王国セルベイン騎士爵領のノルン村といいます。」
・・・。
完全に思考が固まった。
どこだそこ!?そんな国聞いたことないし!!キシシャクってなんだよ!?
完全に頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまった。
「ど、どうしました!?大丈夫ですか!?」
マリーは完全に戸惑っている。俺はテーブルに突っ伏して頭を抱えたまま、顔だけマリーに向け続けて質問した。
「す、すまない。取り乱した。ちなみに、今は何年の何月だ?」
「え?えっと。降臨暦802年の若葉の月です。」
さらに斜め上の答えが返ってきた!!降臨暦なんだよ!?誰が降臨したんだよ!?恐怖の大王かよ!?
頭を抱えるどころか、そのままテーブルに突っ伏してしまう。
「えっと!えっと!!だ、大丈夫ですか!?!?」
さらに戸惑うマリー。
もうこれは、一番訊きたくなかった質問をした方がいいと、覚悟した。
「あ、あの〜。マリーさんや。つかぬことをお聞きしますが。」
「は、はい。何でしょうか?」
「日本って国は知りませんか?」
「ニホン?ですか?えっと〜・・・。う〜ん・・・。」
しばらく考えて、返ってきた答えは絶望的なものだった。
「すいません。そのような国は聞いたことがないです。」
「・・・そっか。」
詰んだ。
完全に詰んだ。
現在地の把握もできず、救助を求めることもできず、自力で帰還することもできない所に迷い込んでしまった。
マリーの情報が嘘である可能性もあるが、彼女が嘘をつくような娘には見えない。
自分が意外とナイーブなメンタルだったことに驚いた。
俺は、心配そうに声をかけるマリーに、少しあの部屋で考えさせてほしいと頼み、そのまま部屋にもっどた。
戻ったところで何も考えがまとまらず、ただ見知らぬ天井を見つめることしかできなかった。
どれくらい時間が経ったのか。
2階にあるこの部屋は、すこし暑くなってきた。すこし外気でも入れようと思い、窓を開けに起き上がった。
窓を開けた先の景色は、この家より高い木々が生い茂る森で、その森から程よい湿度の涼しい風が吹き込んできた。
うちの実家の裏山の景色に似ていると思った。
少し呆けていると、どこからか可愛らしく、よいしょよいしょと声が聞こえてきた。
そちらに目をやると、土があらわになった小さなスペースでマリーが鍬のような物を振っていた。
まさか、あんな如何にも日当たりの悪そうな場所に畑でも作る気なのか。
確認しようと思い、外に出ることにした。
その場に行くと、明らかに日照時間も短く、ただ草を刈り掘り起こしただけのような狭いスペースに、これから植える気であろう何かしらの苗が数本置いてあった。
どうしても気になってしまい、マリーに声をかけた。
「マリー。なにしてるんだ?」
「あ。ユーキさん。」
今朝の事を気にしていないのか、マリーは笑顔でこちらを見てくれた。
「少しでも自力で食料が確保できないかなと思いまして、畑を作っていました。3年かかってここまでできました。」
「そうか。ちょっと見せて。」
そういって、その場にしゃがみ土を手にした。
その土は固く、湿気ているように見えるが、指で割ると中は白く乾燥している。
力のない女の子が耕したから、浅くしか耕されていない。
明らかにこの畑は、養分も足りていないし、水分も足りないし、根を張るための深さも足りていない。
一応これでも俺は、農業技術の開発支援もしていたから、耕作に適した土壌がどういうものかある程度の知識はあった。
「マリー、スコップみたいな深く掘り起こせるモノはないか?」
「え?スコップですか?えっと確か倉庫あった気が・・・。持ってきますね。」
と言って、マリーは小走りに駆けていった。
あと考えるは、日照の確保か。確か、あっちが北だから、畑は家から見て南東の方角か。
そちらを見ても、明らかに家より高い木が鬱蒼と茂っている。
さすがに伐採作業の経験はないぞ・・・。
少しうなっていると、マリーがスコップを持って戻って来た。
「ありましたよ、ユーキさん。でも、スコップでどうさるのですか?」
「ありがとう、マリー。ちょっとね、このままだと植えたとしても浅すぎて、根がうまく張らないんだ。だから、俺がもっと深く掘り起こすから、マリーは掘り起こした土を砕いて行って。」
わかりましたと、マリーはまだ発展途上の胸を張った。
若干、この小娘大丈夫か?と心配になる。
ともかく、作業を開始する。マリーが持ってきたスコップは、形は普通のスコップだが、柄の部分に妙な模様が描いてある。
まぁ、この辺りの伝統的な柄なのだと思い、気にしなかった。
だが、いざスコップを突き刺した途端に変だと気付いた。
これほどまでに固い土ならば、突き刺すにしてもかなり力一杯に力んだ挙句、思いっきり踏みつけてまでしないと刺さらない。
なのに、まるでプリンに突き刺したような、絹ごし豆腐に突き刺したような、水面に突き刺したような(いや、それは違うか)。
偶然かと思い、何度か試してみるがすべて同じだ。
「マリーさん!これ!なに!?」
思わず大声で訊いてしまった。
「ひゃい!?えっと、スコップ・・・ですよ?」
マリーは驚いて、ビクッとしながら答えた。
「そう!スコップだよ!!スコップだけど!スコップじゃないよコレ!?」
なんだ!?俺がおかしいのか!?このあたりのスコップは、俺の知るスコップより進化しているとでもいうのか!?
「え?あ、はい。それは、お師匠様が作った魔道具ですので。」
「・・・マドウグ?」
なんだソレ?聞いたことないぞ。
俺は魔道具が何かわからず、マリーは俺が魔道具を理解していないことを理解できないようで、二人そろって小首を傾げあった。
なんだこのお惚け夫婦みたいなノリは。
俺はたまらず、マリーに疑問をぶつけた。
「あの〜、マリーさん。マドウグ?とはなんですか?」
「あ、あれ?ゆ、ユーキさん?魔道具を知らないのですか?」
うん、その可哀そうな動物を見る眼はやめて・・・。
「うっ、うん。少なくとも、俺の居たところでは見たことない・・・。」
「そう・・・なん・・・ですね。」
だから、その眼はやめてくれ・・・。泣きたくなってくる・・・。
「えっとですね。魔道具というのは、一般的に道具そのものに魔術あるいは魔法を付与した道具でして、その道具本来の役目を効率よく引き出したモノなんです。
この場合、スコップは地面を掘るのが役目ですので、固い地面でも効率よく掘れるよう大地の魔術を付与してあります。
魔法は、その柄のところに書いた術式で付与しています。その魔術は、柄の部分が破損しない限り永久に消えません。
ただその分、付与していない道具よりずっと高価なものなんですが。それは、お師匠様が製作したものですし、私もお師匠様の弟子ですので作ることができます。」
マリーは丁寧に教えてくれたが、正直言って魔法、魔術といったものが全く信じがたかった。
そこまでオカルト的なものを信じていないわけではなかったが、魔法や魔術なんてものは魔女狩りも時代に滅んだとおもっていたし、
錬金術なんてものも科学に貢献して滅んだと思っていた。
だが、今まさに自分自身で使用して体感したこのスコップの性能は、いくら科学が発展した現代でも再現できないだろう。
できたとしても、明らかにコストパフォーマンスが悪すぎるし、人力で扱うには役不足である。
マリーの話を半分信じていない反面、さっきまでのモヤモヤした感情が消え去り、ふつふつと好奇心とういうか知識欲が沸き上がって来た。
「なるほど・・・。ちなみになんだが、その魔法とか魔術とかは勉強や修業とかで習得できるものなの?」
「いいえ。生まれ持っての適正があります。ほとんどの人が全く適性を持たないで生まれてきますので、まず不可能だと思います。
私は運よく、適性があったので弟子になれました。」
「ふむふむ。その適性の有る無しはどうやって判断するの?魔道具が使えるか?使えないか?」
「スコップみたいな日用品の魔道具は、適性無い人でも使える方にしてます。適性診断は、職人ギルドの診断装置でわかるんですが・・・。」
「ですが??」
「ギルドは隣町にありまして。行くにも、歩いて2日はかかります・・・。」
「あ〜・・・。」
うん。また今度にしよう。
すこしだけど、真っ暗だった未来に光が差した気がした。
ひとまずは、この畑をどうにかしようと二人で頑張った。
空が赤くなったころに、畑も耕し終わり、一服つける。
ふぅ・・・。小さい畑とはいえ、スコップ一本ではさすがに疲れた。これも、今までの運動不足がたたってるな。
畑を眺めながら煙草を吸う俺のもとに、道具を片付け終えたマリーが寄って来た。
「お疲れ様でした、ユーキさん。不思議な香りのするおタバコですね。」
「お疲れ、マリー。これは、俺の故郷のハーブを混ぜたタバコなんだ。ああ、タバコの臭いが嫌いなら控えるよ。」
「いいえ、大丈夫です。お師匠様もよく喫煙されてましたので、なんだか懐かしいです。」
「そっか・・・。」
マリーの話からすれば、そのお師匠様が亡くなって2年。彼女はここで一人で暮らしてきたのだ。
まだ、村を見てないからご近所さんがいるかもわからい。だが、村はずれの森の中に一人ではさみしかったに違いない。
「マリー、お願いがあるんだけど、いいかな・・・?」
「?はい、なんですか?」
作業中、ずっと考えていた。
ここがどこだかわからないが、帰れることなら帰りたい。
だがそれは、いつになるかわからない。
それにただ絶望して何もしない自分でいることが、心底腹立たしい。
この状況を創り出した元凶がいるのなら、そいつの顔の形が変わるまで殴り飛ばしたい。
とはいえ、まずは住処を確保しなければと考えていた。
「こんなこと、俺みたいなオッサンが君みたいな女の子にお願いできることじゃないけど。お願いです!俺をここにおいてください!!」
とって、思いきりマリーの前で土下座した。
「ええーー!?」
当然、マリーも驚いている。
「実は俺!行く当てなんて全くないんだ!!それなのに!君みたいな可愛い女の子の家においてくれなんて、図々しいことはわかってる!だから、新居が見つかるまでお願いします!!」
といって、俺は地面に強く額を押し付けた。
マリーは困惑しているのだろう。むしろ、ドン引きして軽蔑しているのかもしれない。
俺は半分、断られるのを覚悟しながら返答を待っていると、頭上から優しい声が響いてきた。
「私は最初から、そのつもりでしたよ。」
えっ!?と思い、頭を上げると目の前に、優しい目をした少女がかがんでこちらに手を差し伸べていた。
「私は最初から、ユーキさんに居てほしいと思っていました。それは助けてもらった恩返しという意味もありますが。私・・・、初めてだったんです。男の人からあんなこと言ってもらえたのは。ユーキさんは、私のことを可愛いと言ってくれました。私のことを心配してくれました。今日だって、私のことを助けてくれました。だから、その・・・。もう少し、ここに居て・・・、もらえませんか?」
正直、泣きそうになった。
その小柄で華奢な肩を抱きしめたいと思った。ただ、その感情を必死でこらえた。
差し出されたマリーの手を取って立ち上がり、俺のできる最大の笑顔を作り、
「これからよろしく!マリー!」
「はい!こちらこそ!よろしくお願いします!」
彼女も満面も笑顔で答えてくれた。
このとき初めて、ここに来てよかった。マリーに出会えてよかったと思った。
翌日。
俺たちは、この村の村長の家に向かっていた。
なぜなら夕べ、またマリーお手製の夕食を相伴しながらこんな会話をしていた。
「へ?肥料ですか?」
「そう。今の土のままだと養分が足りなさすぎる。森にある腐葉土、枯れ葉が分解されて土になった土を入れも足りないだろうな。だから、この村に畜産農家があればいいんだが・・・。」
「チクサン?農家?」
「畜産ってのは、食肉用の家畜、牛とか豚とかと飼育してるところ。まぁ、難しい言い方だな。」
「なるほど。でしたら、うちとは反対の村はずれに牛さんを飼ってらっしゃるお家があります。けど、どうされるのです?」
「うん、まぁ・・・。食事時にする話じゃないから、その時に話すよ・・・。」
「そうですか?あっ、でしたら。それに合わせて、村長さんにご挨拶にいきましょ。」
「村長って、大げさじゃないか?せめて、自治会長とか班長とかでいいんじゃ?」
「??その、ジチカイチョウさん?って方は知りませんが、この村はそんなに大きな村じゃないので、直接村長さんにあいさつした方がいいです。」
「そ、そうなんだ。まぁ、マリーの世話になるんだから、せめて迷惑にならないようにするよ。」
「いえ。むしろ、私の方こそ、ごめんなさい・・・。」
という、話をして今まさに村長の家の前に来ていた。
会話の最後に、マリーが謝ったのが気になっていたが、これまで一緒に歩いてきて何となく予想がついた。
明らかに周りから送られる視線がおかしい。まだ、俺に対して奇異な視線や不審者を見る視線が来るのは想定していたが、なぜ同じ村の住民のマリーにまでそんな目をする。
どういうことか全く理解できないまま、マリーに連れられて村長の家まで来た。
マリーが扉をノックして、出てきたのは俺くらいか俺より少し若いくらいのそれなりにガタイのいい男だった。
「お、おはようございます。そ、村長さん・・・。」
マリーは怯えたように、うつむき加減で挨拶をした。
てか、こいつが村長かよ。若いが大丈夫かよ。
「ちっ!マリーか。こんな朝早くからなんようだ?」
若造の舌打ちにイラッときた。
すこしオッサンが礼儀ってやつを教えてやろうか。
「あ、あの。き、今日は、その。う、家で、その・・・。」
あ、ダメだ。完全にマリーが委縮してる。
「初めまして!これからしばらく、この娘の家に厄介になる湯城といいます!一応、ご挨拶に伺いました!」
マリーの様子にいたたまれず、若造とマリーの間に割って入った。
いきなり自分よりでかい男が割って入ったのにたじろいだ若造村長だった。思わず、お、おうと返答して数歩後ずさった。
「ゆ、ユーキさんだな。覚えておこう。そいつの家に厄介になるなら、特に文句はない。だが、この村に厄介事を持ち込まれるのも困る。それに、”しばらく”といったが、早いとこそいつと一緒に出て行ってくれ。これは、村の総意でもある。用が済んだら、今日はもう帰ってくれ!」
と言って、勢いよくドアを閉められた。
うむ。この青二才、嫌いだ。
マリーに気をやると、マリーはいつの間にか俺の上着の裾を強く握っていた。
マリーは今にも泣きだしそうなのを必死に堪えて、下唇をギュッと噛み締めていた。
俺はこの場に居ても居心地が悪いだけだと思い、ひとまずその場を後にした。
とりあえず、マリーの家とは反対の方角に向かって、マリーの手を取って歩いていた。
その間も周りからは奇異な目で見られていたが、俺もムシの居所が悪かった所為か気にならなかった。
しばらく歩いたところで、大きな池のほとりに出た。
俺は、マリーの手を放しすぐ脇の草原に腰を下ろして、タバコに火をつけた。
ようやく、さっきまでバツの悪かった腹の虫も、どこかに飛んで行った。
「ふぅ〜・・・。ああ、タバコうま〜い・・・。」
思わず口にしてしまった。
すると、さっきまで黙ってうつむいていたマリーが、
「ぷっ!ぷっぷっ!アハハ!アハハハハハハ!!」
と笑い出した。
「どした?マリー?」
「いえ。ふふっ。あ、あまりにも、そっくり、だったので。あはは。」
?そっくり?だれが?だれと?
ふぅ〜っと、息を整えたマリーが俺の横に座り膝を抱えた。
「実は、以前にもお師匠様と二人でここに来たんです。その時も、村長さんに話があって、今日みたいに村長さんに煙たがられて、お師匠様もご立腹でした。私はまだ小さくて、なんで怒っているのか、なんで村長さんに嫌われてるのかよくわかりませんでしたけど、お師匠様が怒っているのはわかりました。そんなこんなで、お師匠様に手を引かれてここにきて、お師匠様がいきなり一人だけ座って、タバコを吸いだしたんです。そして、しみじみと言ったんです。タバコ、うま〜いって。それがまさに、今のユーキさんそっくりで。なんだか、おかしくて。」
そしてまた、あははと笑い出した。
俺にはよくわからなかったが、たださっきまで暗い顔だったマリーが笑ってくれていることがうれしかった。
笑いも収まり、隣で同じように池の水面を眺めているマリーに、後ろから手をまわし頭を撫でてやった。
自分でも、なにくさいことやってんだろとは思ったが、無性にそうしてやりたくなった。