5
小雨が降っている秋の空。どこにも収まるところがない感情は凍ってしまいそうだった。だから、喫茶店に入った僕たち。マスクを着けた犬は居ない喫茶店。昭和を思わせるような座り心地のよいワインレッドのサテンのソファ。向かい側には微笑を浮かべた君がいる。膜の向こうの太陽を浴びているかのような空間は心を落ちつかせる。勁烈な物などどこにもない、なにがあるのか判然としない蔵された空間。この空間自体を喫しているような感覚になるのだった。目の前にはコーヒーとカフェオレ。どちらがどちらの物なのかは明白。
平気虚心とした彼女といると疑心を持った僕でさえそうなれる気がする。水晶の床すらも子供のように歩けそうな彼女になれる予感だけしている。空洞を抱えた状態で生きている僕は虚になれる素質がある。後は、この空洞の入り口にある弁のような物をいかに取り除くのかだけだ。そうすればなにもない心の中が何事もないかのような彼女と同じになれる。と思っているが本当はなれないかもしれない。単に意志薄弱なだけの僕がなれるのは真綿の腫瘍だけだ。表皮にも皮裏にも意味性はなく、聖なる存在にはなれない。見晴るかす白紙があるだけなのだ。
なにがあったとしても向かいに居る君以外に惹かれることがないと約束できる。惹かれている君がいる間に他の人に惹かれることなど絶対にありえない。それは、露のような僕という人間がガラスのような君に依存しているからだ。透明な君という存在が結露である僕の光であって、未来であるからだ。潔白な君という存在がこの世にいることで生きていこうと思えてるのだ。なにも縫っているところがない君の心が羨ましい。ツギハギだらけの僕は自分のことを他人だと思っていた。価値観によって形を保つことができているだけの僕だ。それに比べて、無縫な君。人間ではあり得ないほどに縫い目が見えない君。それほどまでに絶対的な存在をないがしろにすることなどない。この関係性が相互依存であることを祈る。依存が行き過ぎて肝胆相照らすような関係になれたら嬉しい。隣に置いてある心が向日葵畑のように一つの生命体となるのだ。
二人で他愛のない会話をしていた。冬のように寒い日々が続いているという話。夜に凍えるほど寒かったので布団を替える必要があるという話。仕舞っておいた布団を取り出さないといけないという話。季節の変わり目で布団を取り出さなければならなかった。押し入れがないあの家では布団は真空パックされていた。場所が取らないそれは日常生活をしているとその存在すらも忘れてしまう。どこにあったのかを一瞬悩んだ後に、クローゼットの下にある箱を思い出した。帰ったら布団を取り出すとしようか。四方山話に花が咲くのはいい。しかし、四方山話にしか花が咲かないのはどうなのだろうか。もっと大切な話をするべきである。
生きることはずっと幸せだった。しかし、それゆえにいつ死んでもよかった。人生になに一つとして後悔がなかったのだ。だから、なにかをしなければいけないという使命感もなかった。なにかにならなければならないという焦燥感もなかった。そんな悟ったような僕の前に希望のような君は現れた。導いてくれる君という存在は未来へ向かって伸びている線だ。だから、知らない君のことを知りたいのであれば未来へ向かわなければならない。後悔なんてなに一つとしてなかったはずの僕に後悔が生まれる余地ができた。希望である君から伸びている線の行く末を知らないで死ぬことはできない。幸福すぎる僕の生きている理由は歩いている君だけだった。未来へ進んでいる君が生きている世界だ。だから、未来に興味がない僕も生きたいと思った。
火に焼かれることで影すら消えてなくなった君。それでも残された僕の中に決して消えないなにかが残る。美しい牡丹雪も、炉の中に飛び込んでしまえば気体に変わる。それでも、心の動きというのはそれによって消えることはない。牡丹雪が舞う様を目で追った結果がどうであろうと関係ない。それが紅の炉に飛び込んだ景色を見たことで残る物も確かにあるはずだ。大事なのは結果でも、過程でもない。大事なのは感情だけだ。感情がどう思うのかだけが重要なのがこの世界だ。だから、感情的な僕は過程を伴にしている君のことを忘れない。大事なのは二人一緒にいることで発生している感情なのだ。落ち着くための喫茶店には納まりきらないほど過剰な愛情がある僕。愛が表に出ないようにするので必死だった。必死になって間違ったことをしているのかもしれない。




