表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無限の明滅の中で見ていた空が“スーっ”と地上に落ちてきた  作者: 豚煮豚


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/7

4


 今日もまた気持ちが悪い孤独という空間にいた。月白色(げっぱくしょく)といえるような月が窓からは差し込んでいる。この世の端倪(たんげい)を圧縮したら消えてしまうような刹那の夜だ。単なる滅として扱われるような夜に考え事をしていた。点いては消える明滅の、その滅の点に位置している僕がいた。同じ倉庫を使っている彼女が去って右往左往している。同じような記憶を保持している君はこの夜を知らない。

欠けることがない望月の下で、舞台稽古でもしているのだろうか。そんなことに意味はあるのだろうか。往事渺茫(おうじびょうぼう)に影しか落とさない出来事なのではないだろうか。現実の一部であることにしか価値がないような夢なのではないだろうか。




 女優になりたい君は悲しいほどに報われない。そして、もっと悲しいのは可哀想な君よりももっと報われていない悲惨な人。そんな人たちがこの世にごまんといるということだ。それを考えるとまだ引き返せる君の不幸なんてなんでもないのだ。弱い僕がこれほどまでに心を痛めている不遇は誰かにとっての充足なのだ。そもそも売れない役者という贅沢ができているということが恵みなのだ。しかし、そんな他人のことを考えてもなんにも意味なんてない。満ちていない彼女のことを充たされていると考えるような他人がいる。どれだけ他人に充足感を指摘されたところで、欠乏しているならば足りない。どうせ、他人には自分の気持ちなんてわからない。心に抱えた空洞は、その人にしかわからない。となると、アレコレ考えている僕も他人になった。




 端役でしかない君はなにかになれるのだろうか? 役者としての君の実力は無教養な僕にはわからない。それでも、大事な君になにかになってほしい僕はそれを願うしかない。大役を得られた君を想像することしかしてはいけない。願うことしかできないような立場にいる。想像することしかできない立場。どこまでいっても他人でしかないようだ。他人に成り代わることはできない。もしも魅力的なはずの君が何者にもなれずに終わったらどうしよう。それに魅了された僕の気持ちはどういう風に動けばいいのだろう。自分の見ている物と世界が見ている物が違うことを理解するのだろうか。それを理解した先に幸福なんてあるのだろうか。どう考えてもおかしいとも思えるのだ。光輝くような彼女が評価されないのはおかしいと思う。そこにどのような理由があってもおかしい。演技力なんてまやかしだと思う。そんなのは弱い人が自己を正当化するために作った物だ。単なる指標だ。




 花のように咲き誇る。桜のように無限に散る。持ち切れぬほどの妖異幻怪(よういげんかい)とした花びらによって窒息する。露命(ろめい)を与えられた人間という記号にはそんな終わりがいい。平板(へいばん)とした安穏(あんのん)死生有命(しせいゆうめい)に寸断される。タイムリミットがきたような終わりが相応しいのだった。そこに普遍性など必要ない。世界に置いていかれていることを思うと首が痒くなる。それを晴らそうとして首を掻いても痕が残るだけだ。矛先さえない攻撃性によって自己を潰そうとしている。誰よりも自分にとって取り返しがつかないことをしようとしている。それはどっちもだ。どっちもどっちだ。




 『泥中(でんちゅう)(はず)』というような彼女がいた。独立して存在している美しい人。独立しているがゆえに馴染むことができない彼女。馴染むべきではない場所に馴染まない彼女。は、なんでもない夢を見ることになる。自らをあるべき場所へ運びたいという夢だ。泥から抜け出して、人目に触れたいという夢だ。その俗的な性質は清らかさから来ている物である。清福(せいふく)を求めているのは客塵(きゃくじん)を払うためだ。因果応報の中で善因善果(ぜんいんぜんか)を欲しているからだ。不潔というのは耐え難い。不潔から抜け出すための当たり前の心の動きだった。




 思考に嵌まってしまいそうだった僕はそこから抜け出そうとする。そして、視線を暗い部屋の一片に移した。喫茶店に行って撮った写真。それをフォトフレームに入れて部屋に飾っている。月明かりで輪郭しか見えない自分たちの表情。それを見る度にそのときの記憶を思い出す。そして、自分たちの人生がそこで固定してくれることを願ってしまう。どこまでも動いている活動的な人生に向き合うことは疲れる。もしも幸福だと思える瞬間に把住(はじゅう)することができれば死ぬまで幸福だ。そんなことを願ってみても人生は動的にどこかへと向かっている。本当はあてなどないのにどこかへと消えようとしている。




 もしも花のような君が泥でできていたとする。泥であればそれは水を浴びることで簡単に崩れてしまう。崩れ去って姿形すら失くなってしまった君。それでも愛情が消えることはない。輪郭しか見えない君という生き物の器を美しいと思っているのではない。心に存在している認識に対して、計り知れないほどの愛があるということだ。心にいる君が『君』という認識として心がある僕の心の中に居てくれる。そうしてくれる間は、この愛情は泥のように消えることなどない。どれだけの驟雨(しゅうう)の下であっても愛は残り続ける。感情と幸福だけは残り続けるはずだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ