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無限の明滅の中で見ていた空が“スーっ”と地上に落ちてきた  作者: 豚煮豚


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 霜降(そうこう)(こう)霜始降(しもはじめてふる)という言葉もあるが、それを実感するような日々だ。特に今日は霜でも降っていそうな気候だと思う。二十四節気の立冬(りっとう)の一つ前の節気である霜降。もうすぐで冬がやってくる。たしかにそれが近づいているようなこの頃だ。紅葉まではいかない葉の染色。季節が死んでいき、新しい輪郭が(あらわ)になっていく。そんな新しい季節の輪郭を前にして、具体として行動をする。 行動するとは常に具体的なことをするということだ。古色蒼然(こしょくそうぜん)とした日々がやってくる。秋、冬とはいつも郷愁(きょうしゅう)の味がするのだった。ノスタルジーのような味わいがするのだった。




 家というよりも箱と言った方が正しいような空間。金魚鉢の金魚のように簡素化された社会の中で生活を送っている。不自然な自然の中にいる金魚のようだ。真っ白な壁紙と、既製品の家具。レディメイドであることは悪いことではない。オーダーメイド家具よりも既製品の家具の方が好きな僕がいた。自分に矢印が向けられた愛情なんて最悪だ。そこにはそれを喜ばなければいけないという強迫観念しかない。阿附迎合(あふげいごう)をされているようであり、阿附迎合をしているようでもある。愛情のような物を怖がる僕がいた。




 薄い雲が太陽を隠している。だから、日の光は十分に届かない。夜に冷えた空気はまだ暖まらない。だから、この世界は冷えていた。少なくともこの街は冷え切っていた。そうでなくても冷たいのに今日はとても冷たい。都会とは常に冷たい物だが、今日の冷たさはひとしおだった。




 そんな朝を寒いと感じた僕はインスタントのコーヒーを淹れる。これは「淹れる」と言えるほど高尚な行為ではない。食器棚の三段目にある、詰め替え用のポリエチレンの青い袋。それを手に取り、顆粒となったその液体をコップに必要以上に入れた。そして、過剰なまでの糖分で茶色を覆い隠す。単なる陶器の白いコップに熱湯を注ぐとこの行為は終わり。多情多感(たじょうたかん)な人なら愛する人であっても幻滅するようなその行為。ドーパミン中毒になってしまっている、深みのないその行為。どこか鬱々とした僕はそれを悪いことだとは“あまり”思えなかった。“あまり”ということは少しは思っているのだった。多少の社会性がそれを非難するようだった。非難されても無視をするだけだった。




「おはよ~。コーヒー? まだお湯はある?」


「ありますよ」


「ありがとー」




 少し遅れて起きてきた彼女。この無機質な空間にいる彼女は女優のようだった。それだけこの空間は作り物のようだということだ。作られたセットの中に綺麗な君がいる。それだけで一つの作品になってしまいそうな作為があった。しかし、女優のような彼女は本当に女優をしている。ただ、その見た目とは裏腹に売れてなどいなかった。どう考えても売れるべきだと思うのに売れていなかった。価値がわからない人たちばかりなのか、価値がわからない僕がいるのか。どちらにしても生き辛いのは間違いない。




 それでも赤洒々(しゃくしゃしゃ)とした彼女はいつでも幸せそうだ。普通の人よりも気持ちの高揚は少なそうだが、ありのままではある。持って生まれた性質を偽ることなく生きることができている。その姿、それ自体が多くの人に影響を与える。なにかをしなくても明確な存在意義が発生する。わざとらしく存在意義のために生きなくてよいのだ。が、人は誰しも自分に無い物に憧れを抱く。偽ることがない彼女は偽ることを愛していた。だから、自分に向いていない道を歩いているようだ。でも、それでも女優のような君は作品性を持っている。原本のような価値がそこにはあるのだ。




「それにしても冬だね。今年も秋は短いのでした」


「そうですね。もう少し秋を楽しみたかった気持ちもありますが、こうなっては仕方がありません」


「仕方がないね。全部、きっと全部仕方がないんだと思うな」


「そうかもしれませんね」




 どこか物悲しげな表情の彼女。それはきっと季節と同時に未来を見ているからだ。未来を見ているということは過去を見ているということだ。過去の自分の至らなさを思って空洞を抱えることになったのだ。灯台のような彼女であればどんな舞台に立っていてもいい。と、恋人である僕は思っている。その反面、恋人である君が目立たない舞台を見ると虚しくなる。両方の思いが存在する以上はまだ向き合いきれていない。他人を理解しようとしている君のことを理解しきれていない。他人を理解しようとしている僕のことを理解しきれていない。




 巫女ではない僕はあの世の存在も神様の実在もわからない。だから、『わからない』と仮定して生きている。まるで数学みたいにそれらをわからない物と仮定した上で生きている。そうなると自然と人間は幸福に生きるべきであることがわかる。人生を圧縮したときにそこにあるのは無限の明滅だ。昼と夜を繰り返した光がそこにあるだけ。それは空が落ちてきたということだ。空の光が無限の明滅に変わったということだ。無限の明滅の中にいる僕たちはなにかの価値を創造する道を選ぶよりも、幸福に生きる道を選んだ方がいいと思う。あらゆる物は虚無的なのだから、あらゆる価値など感情由来でしかない。




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