愛じゃない-5
「ながと、キスしていい?」
鵺がにじり寄る。秋人は動揺と混乱に身体を縛られ、動けなくなっていた。
純粋な好奇心を秘めた深い紫の瞳が、秋人だけを映していた。
「結局お前も、『そうなっちゃう』のか」
落胆を秘めたような声で秋人は呟く。その落胆の正体は、秋人本人が散々思い知ってきたものだった。
だが、今までと違う事が一つだけあった。秋人の中にずっとあった拒絶感がやってこなかったのだ。
このまま受け入れてもいいかもしれないと、奇妙だがそう思った。
深紫の瞳に一心に見つめられ、紅茶にミルクが注がれたように思考が濁り、身体が動かなくなる。
拒否することも逃げることもできず、互いの吐息がぶつかる距離まで顔が近づく。そこでようやっと、秋人は俯いてそれを拒否した。
「俺は……嫌だ」
「なんで?」
「鳳条とは、今くらいの距離感が心地いいからだ」
「キスをすると、距離感が変わるのか?」
「キスしたら、今まで通りじゃいられなくなる。全部ぎこちなくなる。隣にいることに居心地の悪さを感じて、自然に振る舞えなくなる。距離を取りたくなる。お前がそうでなくても、俺はそうなんだ。俺にとってキスは……お互いの運命を決定付けるような、重要な儀式みたいな位置付けの行為だから。だから……軽い気持ちでそういう事は、できない」
目を伏せながらそう言うのが精一杯だった。
鵺は何も言わない。傷つけただろうか?
恐る恐る目を開け、チラリと見る。鵺はこちらに背を向けていた。覗き込むと、何やらメモをとっていた。
「なるほど。『キスをすると距離感が変わってしまう可能性がある』……と」
「……は?」
「ありがとう。ながとの反応はすごく参考になるよ。俺とは全然違うな」
あっけらかんと鵺はそう告げる。秋人は呆れを通り越し、怒りが湧いてきた。
「なんなんだテメェは……ふざけんな! からかったのかこのクソ野郎っ!」
「キスしたかったのは本当だ」
「え、」
「冗談だよ」
「……お前なぁ」
「『冗談』ってことにしといた方がいいんだろ? ながと的には」
長い前髪の奥で鵺が目を伏せる。秋人はそれ以上何も言えなくなった。
「しかしそうか。ながとは『俺を拒否出来る』タイプの人間か。やっぱりいい友達になれそうだ」
「……お前、本当に何なんだよ」
「小説家」
鵺の口から飛び出した意外な言葉に、秋人は目を丸くする。
「小説家? ……鳳条が?」
「ながと、放課後俺ん家来ない? いや、来てよ──永月秋人」
◆
「鳳条鵺の家に行くことになった。テメェもついて来い、クソ新人」
「……一体どうしてそんな事に?」
私が心底疑問に思い問いかけると、永月は決まりの悪そうな顔で煙を吐いて紛らわした。
「確か同じクラスって言ってたよね? まさかと思うけど……仲良くなった?」
「違う。捜査の為だ」
「捜査のため?」
「そうだ。それ以上でも以下でもない」
「ていうかそれ、行って大丈夫なの? 鳳条さんって誘拐事件の犯人候補なんでしょ? 罠の可能性だって──」
「だからお前を誘ってるんだろ」
ぴしゃりと永月が言ってのける。しかし一向にこちらを見ようとはしてなかった。まるで真実を隠すように。私はそれで色々察した。
「あーはいはい。了解でーす永月パイセン」
「……テメェ、馬鹿にしてんのか?」
「してないでーす。私はいつでも永月パイセンに敬意満点でーす。尊敬してまーす」
チィッ! と永月の舌打ちが響く。しかしいつもの暴言は飛んでこなかった。どうやらよっぽど私についてきてもらいたいらしい。
「とにかくついてこい。なんか奢ってやるから」
「じゃあホールケーキ10個ね。あ、ついでにスタビのチケット5000円分も」
「この強欲クソ野郎が!」
「え~? そんな言い方されたらぁ、ついてく気無くなってきちゃうなぁ~?」
「……分かった。要求は飲んでやる。だから黙ってついてこい」
「ほいほーい」
「……クソ新人」
「なんでしょーか、永月パイセン?」
「人んちに遊びに行くときって、何持ってくもんなんだ?」
「……へ?」
「ここがあいつの家か」
「……みたいだね」
翌日の放課後、鳳条さんに指定された場所へとマップを頼りにたどり着く。
そこは見上げるほどの高さのある高級タワーマンションだった。しかも部屋番号を確認するに、最上階っぽい。
「おいクソ新人、本当に手土産ってこれでいいんだよな?」
「う、うん。たぶん……おじいちゃんが友達の家に遊びに行く時、これ持ってってたし」
手元の紙袋に視線を落とす。チョイスしたのは百貨店にもある有名な和菓子店のどら焼きだ。
実は私もまだ友達の家に遊びに行ったことは無いから、おじいちゃんと一緒に住んでた時の記憶を手繰り寄せたのだ。
ついでにトランプとウノも100均で買ってきた。万が一会話が続かなくなった時の間持たせのためだ。
沈黙が続いたら、たぶん私、緊張で吐いちゃう。鳳条さんのこと、よく知らないし。
豪奢な雰囲気のエントランスの前に立ち、私達は緊張にごくりと唾を飲み下す。
「じゃあ新人、インターホン押せ」
「は!? あんたが約束取り付けたんでしょ! 私が押したら不審に思われる! 永月が押しなよ!」
チィ、と控えめな舌打ちをして、永月は観念したように部屋番号を押し、インターホンを鳴らす。しばらく待つと、扉が開いた。
私達は緊張した面持ちのまま、エントランスへと足を踏み入れた。




