ビビデバー4
私達を見下ろし、今にも襲いかからんとばかりに唸り声をあげている黒い犬の目をまっすぐに見つめ、永月さんは一歩踏み出す。
「で、お前なんかあった?」
『来るんじゃねぇ永月秋人っ! 俺はもうテメェの言う事なんざ一切聞いてやらねぇッ! お前ら人間はみんなそうだ! 俺がETだと分かった瞬間、手のひら返してひでぇ事ばっかしやがる! これからこの街の犬と人間を……全員食い殺してやるッ!』
「ずいぶん遅い反抗期だな。あれか、お前もあんまり親に甘えられなかった質か。可哀想なヤツ」
『チクショウ! どいつもこいつも……舐めやがってえぇ!』
「ながつきさんっ!」
大木のような前足が振り上げられ、永月目掛けて力一杯振り下ろされる。
私は瞬時に永月さんと犬の間に入ろうとした、が──。
ぴたり。
その大木のような前足が、永月さんに触れる寸前で止まった。
目の前に鋭利な爪が迫っているというのに、永月さんは怒りに燃える真っ赤な目を見つめたまま、身じろぎもしていなかった。
『永月、お前……何故避けない?』
「俺は刑事だからな。目を見れば分かるさ。お前には殺意も敵意も無いってこと。本当に悪いことするやつは黙って実行しちまうんだ。お前みたいに『優しい警告』なんてしない……クロ。やっぱりお前、なんかあったんだろ? 話せよ俺に。全部聞くから」
『永月、お前……おまえってやつは』
黒い犬は感心したように静かな声で呟き、元のサイズに戻る。
永月さんが歩いていき隣にしゃがむと、黒い犬は俯いたまま、胸中を明かすようにぽつりぽつりと話しだした。
『昨日、ずっと付き合ってた彼女に振られたんだ。風になびくクリーム色の毛並みも、零れ落ちそうな大粒の黒い瞳も、全てが魅力的な、メスのチワワ。俺は彼女が大好きだった。だから彼女が望むことなら、何だってしてやった。でもそのメス犬……二股掛けてやがった! 問いただしたら俺をあっさり捨てて……もう一人の男に鞘替えしやがったんだッ!』
「……そうか。それは辛かったな。お前、結構いい男なのにな」
永月さんが静かな声でそう告げると、クロさんはようやく顔を上げ、永月さんを見た。
「クロ、大丈夫だ。この街は人も犬もひしめき合ってる。雌の犬なんて星の数ほどいるんだ。むしろ良かったじゃねえか。そんなクソみてぇな女と縁が切れて……クロならもっといい女に出会えるさ。新しい彼女出来たら、次は俺に絶対紹介してくれよ?」
『永月……迷惑かけて、すまなかった』
クロさんは謝罪するかのように頭を下へと向ける。永月さんは微かに表情を緩めて犬の背を軽く叩き、立ち上がった。
「これで哨戒は終了だ。行くぞ新人」
「あ……はいっ!」
路地裏を抜けると、いつの間にか外はすっかり夜になっていた。
渋谷の街はネオンが煌々としていて、夜なのに真昼のように明るい。
慣れた足取りで前を歩く永月さんの背中を追いかけながら、私は考える。
あんなやわらかい雰囲気の永月さん、初めて見た。それにクロさんに襲われそうになったのに一切抵抗せず、身体を張って相手との信頼関係を優先した。
口は悪いけど…、優しい部分もあるのかな? よく分かんないな、永月秋人。
「分かったか?」
「ふぇ!? 何が!?」
「善良なETとの接し方」
「あ、ああうん。ちょっと分かったかも……?」
「クロは昔、テランの家族に飼われてたんだ。子犬の頃から大切に育てられて、愛されて、家族の一員として幸せに暮らしてた──ET犬と判明するまでは」
「……判明した後は?」
「その日の内に家族に捨てられた。殺処分場に連れて行かれて、まるでそれまでの愛情が全部嘘だったみたいに冷たい声で、『お前なんか飼うんじゃなかった』って……その家族とはそれっきりだ」
お前なんか養子にするんじゃなかった。
おじいちゃんが私によく言ってた言葉を思い出す。きっと私がET犬として生まれてたら、きっと同じように捨てられたんだろうな。
「それからクロは殺処分直前に逃げ出して、今は渋谷で野良犬をやってる。かなり人間不信な奴だけど、子どもが迷子になってたら背中に乗せて交番まで連れてったり、赤信号を渡ろうとしてる人間の服を引っ張って止めたり、結構いい奴なんだ……この街には、クロみたいに人間に傷つけられたETが動物に擬態して、ひっそり生きてる。そんな奴らの生活を守るのも、俺達6課の仕事だ」
そっか。ETだからといって全員が人間を襲うわけじゃないんだもんね。ただ平穏に暮らしてるだけのETもいるんだ。これからは、そういうのも見分けられるようにならないと。
「潜入捜査はもちろん重要だが、ETの管理も俺達の仕事だ。哨戒は欠かさずにやれ。分かったかクソ新人」
「はい……ってまたそれ?」
「は?」
永月さんがようやくこちらを振り向く。永月さん。いや、永月が先輩ってことは分かってる。私に言い返す権利が無いってことも……でも!
「永月、そのクソ新人って言い方。止めてって言ったよね?」
「……お前、今俺のこと、呼び捨てにしやがった?」
「はいはいしたよしました。私の事『クソ新人』って言ってくるやつに払う敬意なんか無いし。私には刃金アイって名前があんの。『クソ新人』って呼び方やめないなら、私もタメ口でいかせてもらうから!」
さあどうだ? これでさすがに改めるでしょ。
永月さんが眉間にシワを寄せて私を睨みつける。しかし私も負けじと睨み返した。
私達はしばらく睨み合い、永月さんが呆れたようにため息をついた。
「どうでもいい。勝手にしろよクソ新人」
「はぁ!?」
「駅はそこを真っすぐ行って左だ。帰って好きなだけクソみてぇなバカみてぇな時間をアホ面晒して過ごしてろよ。じゃあな、傲慢クソバカ新人カス野郎」
吐き捨てるようにそう言って、永月さん、もとい、永月は私に背を向け、ネオン揺らめく雑踏の中に消えていった。
取り残された私は、呆然とながらその背中を見送る。
え、なんか、余計酷くなってない? ていうか前言撤回……やっぱりあいつ、全然優しくないじゃん!!
私は怒り心頭のまま、駅へと歩いていった。
◆
「……ただいま」
「あきとっ!? 秋人だぁ! やったー! おかえりぃーっ!!!」
「っと。急に飛び込んでくんなよ。危ないだろ?」
「えへへ~。だって秋人がこんなに早く帰ってきてくれるの、珍しいんだもん。どうして今日は早いの〜?」
「そろそろ早めに帰る日作らないと、お前に怒られるかと思ってな」
「もうっ私そんな事で怒ったりしないよ! 秋人のお仕事が大変なことくらいちゃんと分かってるもん!」
「はいはい。そんな怒んなよ。頭撫でるから許して」
「えへへ〜嬉しい~……幸せぇ〜」
「……よしよし」
「あきとぉ〜すきぃ〜……すりすり攻撃ぃ~」
「作っておいたご飯、もう食べたか?」
「まだだよ~。だってほら、宿題やってたのっ! もう全部終わったよ!」
「そうか、偉いな」
「でしょ〜? 私はなんてったって、ゆうとうせいだからねっ!」
「じゃあそんな優等生には、出来たての美味しいご飯を振舞ってやらないとな」
「え!? 今から作ってくれるの!? やったー! 秋人の出来たてご飯食べれるー!!」
「いつも作り置きばっかだからな。今日は好きなもん作ってやるよ。まあ、テレビでも観てゆっくりしてろよ──杏奈」
ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外し、秋人は台所へ立つ。
杏奈と呼ばれた少女はにこにこと上機嫌にソファに座り、自分の為に料理している秋人の背中を、終始幸せそうに見つめていた。
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