ももいろの鍵ー1
◆
「……ん、」
ふと意識が浮上する。ふかふかのベッド。アロマのいい香り。まるでお姫様の部屋みたいなインテリア。
目を開けると、私は見覚えのない部屋にいた。
何だろうここ……どこだっけ?
ごしごしと目を擦って、違和感を覚えて見る。
利き手の左手を見ると、なんか黒い。これ……手袋?
「アイちゃん。おはよう」
「ふぇ?」
振り返ると、にこりと微笑みながら私を見下ろす綺麗なお姉さん。
そうか、昨日私、冬華の部屋に泊まったんだった。
「おはよう冬華……ねぇ、この手袋って?」
「ああ、それはアイちゃんの手から出てる黒い霧を抑える特別な手袋だよ。それがないと、これからの生活に不便かと思って」
「……ああ、そういう事かぁ」
言われて見てみると、ずっと出ていた黒い霧がぴたりと止まっていた。
確かにずっと黒い霧が出っぱなしじゃ、外で不審に思われるもんね。
「柔らかい素材だけど、銃弾も弾ける優れモノです」
「え、なにそれすごい」
「そんな事より、朝食出来てるよ。顔洗って歯を磨いておいで」
「朝食? ……うん!」
「わぁ~……」
目の前に並んでいる光景に、私は思わず目を輝かせる。
上等そうなお皿の上に並んだ、サラダ、こんがり焼いたウインナー、スクランブルエッグ、そしてバターの塗ってあるぶ厚めのトースト。そして鮮やかなオレンジジュース。
それらに、私は思わず感嘆の声を漏らす。
普通の人にとっては至って見慣れた朝食なのだろう。
でも、私にとってはそれはずっと憧れていた夢の光景だったのだ。
「これ、食べていいの?」
「もちろん。どうぞ」
「いただきますっ!」
私は手を合わせ、フォークとナイフを持つ。そして一息も付く間もなく食べ終えた。
「ごちそうさまっ!」
冬華はそんな私を見て目を丸くし、クスクス笑った。
「そんなにお腹すいてたんだ」
「あはは、ごめん。こういうちゃんとした朝ご飯用意してもらうの初めてで、嬉しくて……」
「……口元、ついてるよ」
「ふぁ、」
冬華が白いハンカチで私の口元を拭ってくれる。
美人なお姉さんが私のために美味しい朝食を用意してくれて、優しく口元を拭いてくれる。
なにこれ、夢? ……夢ですか?
顔を真赤にして固まる私とは対照的に、冬華はお淑やかな仕草でハンカチの汚れた部分を畳んで隠した。
その仕草にじっと見惚れていると、冬華が顔を上げ、目が合う。
長い睫毛に囲われた紫の瞳が、私だけを映している。
その瞳が潤んで高揚しているように見えて、自分の心臓がどきりと跳ねるのが分かった。
私の正面に座っていた冬華が立ち上がり、私の足元にかしずくように座り込む。
そして手袋で覆われた私の左手を包むように優しく握り、再び私を見上げてきた。
「え……ふゆか?」
冬華は何も言わずに、蕩けたような顔で私を見つめている。私もそうだ。
目が離せない。まるでネオジム磁石みたいに視線が、全神経が引っ張られる。
鼓動がどんどん速くなり、どうにかなってしまいそうだ。
気づけば、まるで自然の摂理かのように、互いの顔がどんどん近づいていっていた。
え、なにこれ。何でしょうか、その期待に満ちた眼差し。
もしかして、これ、キスするやつ? ……いいのかな?
私は正直、冬華なら全然『アリ』というか。っていうか冬華って、そういうのオッケーな人なんだ……私もむしろ、『初めて』が冬華なら、願ったり叶ったりというか……って、違う違う!
命の恩人に対してあらぬ妄想をしてしまって、私は慌てて首を振る。
そして空気を変えるために話を切り出した。
「冬華! 今日は私、何したらいいの? 昨日確か高校潜入の話が出てたけど!」
「へ? ……ああ、そういえばそんな話してたね。とりあえず今日は、アイちゃんのお部屋の準備のほうが先かな?」
「私の部屋?」
「そう。潜入してもらう曼荼羅高校の近くにアパートを借りてるんだ。入学式が2日後にせまってるから、そこの準備を二人でしなくちゃいけなくて」
「冬華と二人で?」
二人でって、それってつまり、二人っきりってこと? …………あ~だめだめ! 変なこと考えるな!
「とりあえず、行こっか」
「う……うん」
二人とも身支度を済ませて、私の新居へと向かうため電車に乗った。
冬華の部下らしき人が「車で送りましょうか?」と言ってくれたけど、これからここに電車で通うことを考えて、敢えて電車移動することにした。
券売機の前でおたおたしていると冬華がICカードを私に渡してくれて、生まれて初めて改札にピッてして、私はついに『山手線』というやつに乗り込んだ。
休日の朝だというのに結構埋まっている座席に、二人で並んで座席に座る。
初めての経験ばかりで緊張している私の隣で、冬華は慣れたような佇まいで背筋を正し、行儀よく座っていた。
「まずはアイちゃんの新居に行こうか。鍵もらってるからもう部屋入れるよ。それから街に出て、必要なもの色々買いに行こ」
「う、うん……」
隣に座っている冬華からはふわりと上品な香水の香りがして、私はドキドキしていた。
髪を緩く巻いていて、ウエストベルトのついた紺色のカシュクールワンピースに、ヒールのあるパンプス。いわゆる大人のお姉さんというスタイルだ。
片や私は学校指定の制服にすっぴん。
髪だけはオイル塗ったりして整えたけど……なんか私、冬華の隣にいるの場違いじゃないかな?
「アイちゃん。今日行ってみたいところとかある?」
「へ? 行ってみたいとこ? うーん……私ずっとド田舎に住んでたから、東京に何があるかよくわかんないや」
窓の向こうで流れていく景色は、私が住んでいたところとは比べ物にならないくらい都会だ。
見上げるくらい背の高いビルやマンションや飲食店。常に途絶えること無く情報が密集していて、空が遠く感じる。
都会って、こんなに色々なものがひしめき合ってるものなんだなぁ。
……そういえば、おじいちゃんと鈴音ちゃん。どうしてるだろう。何も言わず急にいなくなったから、すごく怒ってるだろうな。
それに葛西先生。記憶は無いけど、私がちゃんと助けられたみたいだし……元気にしてるといいな。
いや、きっと元気にしてるはずだ。そうであって欲しい。
ずっとずっと幸せでいてくれなきゃ、嫌だ。
だって、葛西先生は初めて私に優しくしてくれた人で、初恋の人なんだもん。
妹さんとアイラちゃんと仲良く暮らして、学校でも生徒に慕われて。
そうやって、きっと今も、楽しく過ごしてくれてるはずだよね?




