ギラギラ-14
「こんばんは、まだ起きてる?」
鈴の音のように透き通った声が聞こえて、月を遮るように、誰かが私を覗きこむ。
霞む視界でもはっきりと分かるほど美しい女の人。その人は、やはり日傘のお姉さんだった。
「あ……あ、」
話しかけようとしたけれど、脳の損傷が酷いせいか、言葉が上手く出てこなかった。
お姉さんは私の状態を一瞥した後、うんと一つ頷きしゃがみ込む。
「あんまり話してる時間なさそうだね。じゃあ一つだけ確認させて。哀ちゃん。あなた、幸せになりたい?」
言われた言葉の意味を、もう殆ど回らなくなってしまった頭で必死で考える。
しあわせ? なにそれ?
そんなの、私の人生には関係ない言葉すぎて、なりたいかどうかすらも分からないよ。
「あ……あー……」
分かりません。と答えたはずだったけど、うまく言葉にならなかった。
お姉さんは私の潰れた頭を優しく撫でて、にこりと微笑んだ。
「哀ちゃん。この前言ったよね? 私と哀ちゃんには、別々の意思がある。言葉が必要なの。自分の意思を、気持ちを、ちゃんと相手に伝えるの。怖がらなくていいよ。哀ちゃんの本当の気持ち、教えて?」
優しい声でそう問われて、私は自分なりの幸せを思い浮かべてみた。
優しいお父さんとお母さん。楽しい学校生活。友達。そして恋人。
……ううん。そんなの全部無くたっていい。ありのままの私を受け入れてくれる人。絶対に裏切らない人。
そんな人がこの世にたった一人でもいたら、それは──。
「なっ……なり、は、ひ……ひあわせ……なりは、ひっ……」
「……分かった。じゃあ。これを食べて」
そう言って指先で摘んだ何かを見せる。それは青く光る飴玉だった。
意味がわからず見上げると、お姉さんは私の唇にふに、とそれを押し付け、「食べて」と再び優しい声で促した。
よくわからないけど、どうやら私はこれを食べなくちゃいけないようだ。
うん……食べよう。
霞む意識の中、飴玉を口に含む。
「噛んで、飲み込んで」
お姉さんの言う通り、噛み砕こうとした。
だけど、噛む力すらなかった。
視界が歪み、涙がぼろぼろと溢れて止まらなかった。
するとお姉さんは、私の口の中から飴を取り出した。
つう、と血の混じった唾液が私の唇とお姉さんの指先の間を伝う。
きっとお姉さんは私を諦めたのだろう。
いやだ。お姉さん。置いていかないで。私、頑張るから。
ドクドクと血が流れていく。体温が、落ちていく。
薄れゆく意識の中、私は猛烈に後悔していた。
どうして私はあの時、お姉さんの手を握らなかったんだろう?
もっと素直になっていればよかった。もっと正直に、このお姉さんを信じていればよかった。
視界がどんどん霞んでいく中、私は必死で目を開き、お姉さんへと焦点を定める。
最期の力を振り絞って、お姉さんに手を伸ばそうとした。
「……ごほっ!」
口から血が溢れて、少しだけ持ち上がった手は呆気なく血溜まりにばしゃんと落ちた。
視界が狭まっていく。お姉さんがどんな顔で私を見下ろしているのかすら、もう分からなくなっていた。
ぼろぼろと涙が自分の頬を伝う感覚だけしか、もう分からなかった。
……やだ。いやだ。おねえさん。まって。いかないで。
わたしをおいて、いかないで。
ついに目を開けていられなくなり、私は目を閉じた。
「大丈夫だよ……今度こそ……絶対に……から」
意識の淵でお姉さんの声がして、バリバリと何かが砕けるような音がした。
そして次の瞬間、柔らかい何かが唇に触れる。
その瞬間、意識がブラックアウトした。
ふわふわ。ふわふわ。
ちょうちょが飛んでる。広い草原の中に、真っ白なちょうちょ。
わたしは走って、そのちょうちょを追いかけた。はぁはぁと息を切らし、手と足を目一杯動かして、ちょうちょを追いかける。
ちょうちょはそんなわたしを弄ぶように、ゆらゆら、ふわふわとわたしの前を飛んでいた。
「まって、まってよぉっ!」
半泣きのわたしは、白いワンピースを着ていて、子供の頃の姿をしていた。
だめだよ。もっとがんばらなきゃ。そんなんじゃ追いつけない。がんばって、がんばれ。
わたしは自分自身をはげましながら、大きく飛んで手を伸ばす。
空へと差し出したおさない両の手のひらが──ついにちょうちょを捕まえた。
ぶわり。
手の中のちょうちょが大きな黒いかげになって、わたしを包みこむ。
食べられちゃうのかもしれないと思ってわたしは、ぎゅっと目をつむった。
でも、そうじゃなかった。
黒いかげはまるで、さなぎみたいにわたしをつつみこんでくれていた。
黒くて冷たくて、とってもかたい。
まるで怖いものすべてから守ってくれるような、あんしんできるばしょ。
こわいはずなのに、なぜかわたしはすごく安心して、その黒いかげにそっとほほを寄せた。
やっぱりやさしくて、すごくあんしんする。おかあさんみたいだ。
会いたいな。おかあさんに。
おかあさん──おかあさん。
「おかあ……さん、」
寝言を呟きながら、心地の良い夢から目覚める。
緩やかに意識が覚醒し、ぼんやりと目を開ける。
随分寝ていたのだろうか。上手く焦点が定まらなかった。
ここ、どこだろう。というか私、何してたんだっけ……あ、そうか。私、トラックに轢かれて、死んだんだ。
じゃあここは……天国?
「あ、起きた」
「え、」
頭上で聞こえた声に顔を上げる。すると、ようやく視界が良好になった。
この世の存在とは思えないくらい美しい女の人が、微笑みながら私を見下ろしていた。
誰だろうこの人、すごく綺麗……あ、そうか。死ぬ前に出会った、日傘のお姉さんだ。
「おはよう哀ちゃん。よく眠れた?」
にこりと微笑む女神様は、さっき会った時と少し格好が変わっている。なんというか、服装がかっちりしていた。
銀色の長い髪は上品なハーフアップになっていて、見るからに質の良い白のワイシャツに、胸元にはブラウンのリボンタイをしている。
まるで何処かの国のお姫様みたいだ。
思わずその美しさに見惚れてしまい、そのままじーっと見上げていると、頭の下がずいぶんと柔らかいことに気づく。
どうやら私は、お姉さんに膝枕してもらいながら眠っていたらしい。
「ごっ……ごめんなさい!」
私は慌てて起き上がる。それで気付いた。ここはどうやらホテルの一室らしい。
しかも結構いいホテルだ。スイートってやつかもしれない。
そこの備え付けのふかふかのソファに座ったお姉さんに、私は膝枕されていたようだ。
私は混乱したままお姉さんを振り返り、問いかけた。
「あ、あのっ……私って死んだんじゃ?」
「死んでないよ。ぎりぎり助かったの」
「え、あんな状況で? ……嘘でしょ?」
「そう。哀ちゃんは助かったんだよ……私の手、触ってみて?」
お姉さんが私に向かって手のひらを差し出してくる。私は理由がわからずにその手を軽く握った。
「ほら、幽霊じゃないでしょ?」
お姉さんはにこりと微笑む。
いや、どんな確認方法?
でも、大怪我をした割に無事が過ぎるんだけど。
トラックに轢かれてバキバキに折れていたはずの身体も、ぱっかり割れたはずの頭も、そんな事無かったかのように、すっかり元通りになっている。
しかも着ているのも寝間着じゃなくて、真新しい知らない学校の制服になってるし。いや……本当になんで?
パニックに陥っている私を見て、お姉さんは動じることなく微笑んで見上げている。謎は深まるばかりだ。
「ねえ、あの後いったい私……どうなったの?」
「あれ? 気づかない?」
「へ? 何が?」
「左手の『それ』」
お姉さんに言われて左手を見てみる。そして私は目を剥いた。
私の左の手から、謎の黒い霧のようなものが煙のように出ていた。慌てて手のひらを見る。
するとその煙は、左の手のひらの中心から、小さな狼煙のように延々と出続けて、押さえても擦ってみても止まらなかった。
「へ? なにこれ……何なのこれ!?」
「哀ちゃんはね、エナジクトのホルダーに選ばれたんだよ」
「エナジクトのホルダー!?」
ソファに腰掛けたまま不敵な笑みを浮かべて私を指差すお姉さんの言葉に、私は思わず叫ぶ。
「いつの間にそんな事に!? 私、そんなのに選ばれた記憶無いんですけど!?」
「食べたよね? 青い飴玉」
「え、飴玉って」
意識を失う直前の事を思い出す。確かにお姉さんに青い飴玉を口の中に入れられた。
「でも私、あれ、食べられなかったんじゃ……!」
「うん。だから私が食べさせてあげたの」
「え、食べさせてあげたって──」
お姉さんは指先で自らの唇を、輪郭をなぞるようにそっと撫でる。そして艶っぽい視線を私に向け、言った。
「それはまぁ……マウストゥーマウスってやつかな♡」
「く、くくっ……口移しぃ!?!?」
真っ赤になる私と対称的に、お姉さんは微笑んだままだ。
口移し!? いつの間に!? ……あ! 確かに意識を失う直前に、唇に何かが触れた感触があったけど……まさかあれがぁ!?
「実はね。あの飴玉を食べることが、エナジクトに適合するための儀式だったんだ。ごめんね。説明する時間が無かったから、勝手に食べさせちゃった」
「じゃあ、この手から出てる黒い霧は……」
「そう。それが哀ちゃんのエナジクトの能力だよ」
「……じゃあ私、ほんとにホルダーに?」
「うん。そうだ。言い忘れてたけど、私は公安6課の室長なんだ。吹雪冬華です。堅苦しいのは嫌だし、冬華って呼んでね」
お姉さんが立ち上がり、名刺を取り出して私に差し出す。それを受け取ると、確かにそこには『警視庁公安部 外事第六課 地球外生命体対策本部室長 吹雪冬華』と書いてあった。
「え……お姉さんが……6課の室長?」
呆然としている私を差し置いて、お姉さんは今度は私に手を差し出してくる。そしてにこりと極上の笑みを浮かべて言った。
「刃金哀ちゃん。これから貴女には、6課のホルダーとして働いてもらいます。改めて、これからよろしくね?」
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