ギラギラ-13
おじいちゃんと鈴音ちゃんを見送った後、私はおじいちゃんに言われた通り、お風呂に入った。
あったかいお風呂。しかも一番湯に入るのなんて初めてかもしれない。
おじいちゃん。どうして急にお風呂になんて。それに綺麗に洗っておけって。
ごしごしと身体を洗いながら、おじいちゃんの湿り気を帯びた熱っぽい視線を思い出し、ぞわりと悪寒がする。
まさか、そんな事しようなんて考えてないよね?
……いや、顔に火傷跡もあるし、痩せぎすだし、そんな訳無いか。
考えたって仕方ない。
中学すら卒業出来なかった私がこれからどうなるか。
どう転んだって悲惨な結果しか待ってないんだ。
疲れたし……もう寝ちゃおう。
お風呂を出て家事を済ませ、部屋に帰った私はそのまま布団に潜って目を閉じた。
「……い……哀」
突然耳元で響いた声でビクリとし、目を開ける。あるはずのない生温かい体温が、背後にあった。
恐る恐る振り返ると、おじいちゃんが私の背後に寄り添う形で、ベッドに寝そべっていた。
「え……おじい、ちゃん?」
「のう哀、今日は少し寒いじゃろ? 今から二人で、温め合わんか?」
おじいちゃんの手が服の中に滑り込み、カサついた掌が私の素肌を這う。
はあはあとぬるい吐息が首筋にかかり、身体が硬直した。
ドキドキと嫌な意味で心臓が高鳴り、それとは正反対に、身体から血の気が引いていくのが分かった。
まさか、そんな事はあり得ないと思ってた。
だって、今まで暴力は散々振るわれてきたけど、おじいちゃんが私にそんな目(点をつける)を向けてきたこと、なかったから。
やっぱりさっきの『あれ』。そういう事だったんだ。
「ワシはな、哀は『不憫な子』だとずぅっと思っておったんじゃ。お前のような顔に醜い火傷痕のある痩せっぎすの女。好き好んで嫁に貰おうなんて男、この先現れんじゃろうからなぁ……人肌の温かさと、女としての悦びを知らぬまま死んでいくのは寂しいじゃろ? 可哀想に……今からワシが、慰めてやるからのう」
ぐい、とおじいちゃんが下半身を押し付けてくる。熱を持った塊が、私のお尻に当たった。
「哀よ。こっちを向きなさい。不憫なお前に、ワシがキスをしてやろう」
「や……いやっ……」
「言うことを聞かんかっ!」
「い゛っ!」
髪を掴まれて無理やり向き直させられる。すぐに唇が迫ってきた。下を向いて唇が重なるのを防ぐと、頭を強く叩かれた。
「いい加減にせえ! ワシだって本当は鈴音を抱きたいんじゃ! あいつに手を出すと言いふらしたりしそうで面倒じゃから、お前で妥協してやろうと言ってやっとるんじゃろうがっ! ほれ、さっさと服を脱がんかッ!」
「嫌っ!!」
渾身の力を振り絞っておじいちゃんの身体を押しのけ、抜け出す。
扉へと駆け出した所で、足首を掴まれて引き倒された。
顔をまともにぶつけて怯んでいると、すかさずおじいちゃんが私の身体にどかりと座り、馬乗りになった。
「哀っ! ワシの誘いを断るとは何事じゃっ! このっ! 立場も弁えられん愚か者がぁっ!」
「うっ! う゛っ!」
容赦なく顔を殴りつけられる。腕ごと下敷きにされているせいで抵抗もできず、私はその激しい暴力を、なすすべもなく受けるしかなかった。
いつもならそこそこの所で暴力が止むはずなのに、おじいちゃんの拳は、一向に止む気配がなかった。
血が畳に飛び散り、顔の感覚が麻痺して、意識が朦朧とし始める。
やばい。私、このまま死ぬのかも。
どうしていつもこうなんだろう。私が何をしたというのだろう。
なんでいつもこんな、辛いことばっかり…でも、これで楽になれるなら、それでも──。
全てを諦めて目を閉じた瞬間、指先に何かが当たる。
少し手を伸ばしてそれを掴む。どうやら畳に落ちていたボールペンのようだ。
ペン先をカチリと出し、それを握りしめる。瞬間、なぜか力が込み上げてきて、ボールペンを握った左手を引き抜き、おじいちゃんの顔目掛け、それを力いっぱい突き刺した。
「!? ぎゃあああああっ!!!」
顔を押さえて痛みに喚いているおじいちゃんの下から抜け出し、私は駆け出した。
階段を駆け下り、靴を履くことも忘れ、素足のまま玄関を出ていく。
そしてあてもなく走り続けた。
とんでもないことをしてしまった。
きっとおじいちゃんは私を探すだろう。見つかったら今まで以上に酷い目に遭わされるに決まってる。
逃げなくちゃ、どこか遠くへ。
「はぁっ……はぁっ!」
酸素を求めて呼吸が乱れ、心臓が強く鼓動し、全身に血を運んでいるのがはっきりと分かる。
生きている実感が全身に巡るのを感じた。
こんな風に走るのは、いつ振りだろう。いつも誰かに急かされるか、体育の授業で仕方なく走るかだったのに。
私、今──『自分の為』だけに走ってる。
そう気付いた瞬間、真夜中だというのに世界がキラキラと光って見えて、息が苦しいのも、足の裏が痛むのも、全てが気にならなくなった。
そうだ。せっかくだからこのまま逃げちゃおう。こんな最低な場所から──一人で。
そう決めた瞬間、逃げるというより、どこか遠くへ行こうという期待が胸に湧く。
息を切らし、足を前へ前へと進める。
『もし私の所に来る気になったら、今夜10時、国道沿いの喫茶店に来て』
ふと昼間にあったお姉さんの言葉を思い出した。
そうだ。喫茶店。
このまままっすぐ走ってたら国道に出る。
そしたら私、ホルダーとして新しい人生を生きられるかも。
私、憧れてた普通の生活が──出来ちゃうかも!
「あはっ……あははははっ!」
真っ暗な夜道を突っ切るように走り、息を切らしながら、私は笑った。
声を上げて笑った。そんな風に笑ったのなんていつ振りかも思い出せないくらい、久しぶりだ。
苦しいけど、楽しい。今なら何でも出来そうな、そんな気すらしてきた。
期待に胸を高鳴らせながら走り続けていると、少し先にたくさんの街頭が見えてきた。
もうすぐ、もうすぐだ! もうすぐ私の人生は──。
パパ―ッ!
背後から煌々と照らすライトと、けたたましいクラクションの音が迫るのを感じ、振り返ったその時には、眼前にトラックがあった。
ドゴッ。
鈍い音とともに私の身体が宙を舞う。
まるで野球のボールにでもなったような気分でそのまま数メートル跳ね飛ばされ、コンクリートに頭を打ち付けてワンバウンドし、電柱に背をぶつける。
ゴキンと鈍い音を立て、背骨があり得ない方向に折れ曲がり、私の身体は、そのままコンクリートにべしゃりと落ちた。
私を跳ねたトラックは一度止まったが、その後慌てたように走り去っていってしまった。
力なくコンクリートに突っ伏しながら、じわりじわりと血がコンクリートに広がっていくのが見えた。
血溜まりの中に、ピンク色の破片が飛び散っているのも見えた。
どうやら頭が割れて、脳が飛び出してしまったようだ。身体はぐちゃぐちゃなはずなのに、もはや痛みすら感じなかった。
ぴくりとも動かない身体から止めどなく流れ出る血とともに意識が身体から抜けていくのを、ぼんやりと感じながら、私は思った。
ああ、私、このまま死ぬんだ。結局何も変わらなかったな。
何の幸福も得られず、友達と遊んだり、恋人とデートしたり、青春っぽいこと何も経験せずに、このまま死んじゃうんだ。
おじいちゃんと鈴音ちゃんにいびられて、学校では散々虐められて、葛西先生にも見捨てられて。
自分の人生を生きている実感も得られないまま、事故に遭って死ぬんだ。
私、何のために生まれてきたんだろう。
私の人生、何だったんだろう。
最期の力を振り絞り、身体を無理やり転がし、空を見上げる。
夜闇を彩るように星がキラキラと輝いていて、まるで自ら光を放っているかのように満月が美しく光っていた。
綺麗だな。
最期に見るのが自分の血溜まりだなんて、あまりにも報われないもん。
享年14歳か。ちょっと死ぬには早すぎるかな。
でも、もういいや、これでいい。もう疲れちゃったもん……さよなら、残酷な世界。
全てを諦め、重くなってきた瞼を閉じようとしたその瞬間──。
「こんばんは、まだ起きてる?」
頭上から、聞き覚えのある声が降ってきた。




