第70話 待ち望んだその時
一頻り歓喜の雄叫びを上げまくった俺は誰もいないロビーで横になっていた。
「あー疲れた」
肉体的な疲労そのものはレッサーエリクサーを使うことで回復している。
だから今の俺が感じている疲労感は精神的なものだった。
いくら呪怨ダンジョンで精神的に鍛え抜かれたとはいえ、心が死んではいないのだ。
これだけずっと戦い続けていれば、耐えられたとしてもメンタルに影響が全くない訳がないのである。
それにこの数ヶ月、必死になって達成しようとした目標に手が届いたことでホッとしたのもあるのだろう。
ここまでずっと続いていた緊張がプツリと途切れた感じだった。
「だけどまだここでのんびりはしてられないな」
スマホを確認したところ母の容体が崩れるという最悪の出来事も起きてはいないようだが、以前のように想定外の事態がいつ起こるかは分からないのだ。
闘病生活で苦しい思いをしている母のためにも早めにエリクサーを届けるとしよう。
「そういう訳でモーフィアス。エリクサーを現実世界に持ち帰る方法を教えてくれ」
「まずはこれまでと同じようにモノリスで購入するんだ。その後に君にはアイテムやスキルを現実世界に持ち帰れるようにするかの選択肢が増えているだろう?」
その言葉通りモノリスで所有しているスキルやアイテムの制限を解除して現実世界に持ち帰れるようにするかどうかが選べるようになっていた。
「現在では世界でただ一人、資格を得た君だけがそれらに掛けられた現実世界に持ち帰れないという制限を解除できる。それに大量のDPが必要になる感じだね」
確かにエリクサーを単に買うだけなら500万DPだけだったが、その後の制限解除に1億9500万DPという途方もない量のDPを要求されるらしい。
だからこそ俺は2億という大量のDPを揃える必要があった訳だ。
(制限解除が可能なのは『千変万化』や『鬼哭啾々』などの特級スキルも例外ではないと)
つまりその気になれば俺は先程の七色の騎士に放った最後の一撃を現実世界で再現することもできるようになっているということだった。
もっとも何度も使えるスキルなどに関しては使い切りアイテムよりも遥かに多い数十億ものDPが必要になるようだが。
「ちなみに特級や神級ダンジョンをクリアすれば、その制限解除に掛かるDPの値段もグッと安くなるよ。そしてそれ以外でも色々と特典はあるのさ」
「だから今後もダンジョン配信を頑張れと?」
モーフィアスの言いたいことは分かったが、とりあえず今はそれについては後回しにする。
そういうことはこの一件が片付いてから考えればいいのだし。
そうしてエリクサーを現実世界に持ち帰るように制限を解除した俺は念願のそれを手に持ってモノリスの外に出る。
これまで誰もモノリスの外に持ち出すことができなかったエリクサーという名のアイテム。
それがモノリスの外、人気のない山の中でもちゃんと存在していることをこの目で確認して俺はホッと安堵の息を吐く。
ここまできてモーフィアスが嘘を吐くとは思っていなかったが、心のどこかで本当に大丈夫なのかという思いがあったからだ。
だが無事こうして実物を手に持っていることで、本当にモノリスの外にアイテムを持ちだせたことを実感する。
(早く戻らないと)
ダンジョン以外では普通の体力しかないこともあってかなり大変だったが、それでも疲れることなど気にせず俺はモーフィアスの案内の元、急いで母の元へ向かうのだった。
◆
ボスの攻略が早朝に終わったのは運が良かった。おかげで午後の面会時間にどうにか間に合ったのだから。
持っていたバッグの中にエリクサーを隠したまま受付を終えた俺は母の病室へと向かう。
「入るよ、母さん」
ノックして病室に入るが返事はなかった。
音を立てないようにベッドの様子を見てみると、どうやら投薬治療の影響か疲れて眠っているらしい。
その顔色は決して良いとは言えなかった。
(寝ててくれたのは助かったな)
起きていた場合はどうやって母にエリクサーを使おうかと思っていたのだが、眠っているのなら今の内に使ってしまおう。
この薬を使えば癌がたちまち消えてなくなる、なんて我ながら馬鹿げた説明をしても信じてもらえるとは思えないし。
それに幸いにもエリクサーは超高額のアイテムのおかげか飲む以外でも使用することが可能なアイテムなので。
だから俺は浅い呼吸をしている母のベッドの脇に立つと、エリクサーを取り出して使用すると念ずる。
すると対象を選択する画面が目の前に現れた。
ダンジョンで使用できるアイテムは回復薬のように全て飲んだり食べたりできる物とは限らない。
また状態異常などで意識が朦朧した仲間に回復アイテムを使用することもあるせいか、一部のアイテムはこうして使用すると選択すれば勝手に効果を発揮してくれるようなっているのだった。
「これでもう大丈夫だよ、母さん」
そうして母の名前を選んで俺はエリクサーを使用する。
この数ヶ月、上級ダンジョンのボスを倒した上で2億DPも掛けて、地獄のような苦行をも乗り換えて手に入れたそのアイテムを。
すると煌めく光の粒子となったエリクサーは瞬く間に選択した対象である母の身体に吸い込まれていく。
そして全ての光の粒子が消え去る頃には眠る母の顔色は先ほどとはまるで違っていた。
見て分かるほどに血色が違っているし、肌の張りなどもまるで違う。
それこそ病気になったせいで老け込んでいたのが嘘のようで、むしろ今は病気になるよりもずっと若返っているようですらあった。
恐らくエリクサーが病気を治す以外でも体力を回復させるなどの影響が出ているのだろう。
「モーフィアス」
「問題ない。しっかり完治しているし、今の彼女は健康体そのものさ」
むしろ今の母は病気などもない上にエリクサー効果が切れるまで体力も回復し続けるので他の一般人よりもずっと元気らしい。
だから目が覚めればすぐにそれを自覚するだろうとのこと。
エリクサーなら闘病生活で失ったはずの体力なども取り戻せるそうだし、この分なら退院するのもそう遠いことではなさそうだった。
「そうか……なら良かった」
先程とは違って安らかに眠る母の傍の椅子に腰かけると、俺は安堵の息を吐きながら母の手を握る。
その手は辛く苦しい闘病生活をしているとは思えないほど瑞々しく、そのあまりのエリクサーの回復具合に俺は思わず笑ってしまった。
(ああ、これなら大丈夫だな……)
事情あったとはいえ、これまでまともに見舞いにも来られなかったのだ。
だから母が起きるまで傍にいよう。
そう思った俺だったのだが、その意思に反して段々と瞼が落ちてくる。
やはりいくらレッサーエリクサーで回復できるとは言え、ずっと眠らないで上級ダンジョンを攻略した影響は皆無ではないらしい。
いや、肉体的には問題なくても母の無事を確信したことで張りつめていた糸が緩んだのだろう。
それもあって鍛え抜かれた精神と言えでも限界を迎えたのか。
気付けば俺は母が眠るベッドに顔を突っ伏す形で眠っており、目の覚めた元気の有り余る母に起こされるまでその状態でいるのだった。
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