苦しみとの対話⑥
1000文字エッセイシリーズ
苦しみとの対話⑥
人生は苦しいものだ。
そう悟って、またそこから歩き出す。
僕自身、人生は苦しみの連続だった。
良いことも悪いことも沢山あり、また良いことも悪いことも本当の意味では分からなかった。
苦しい、熱い、ああああ、と思いながら毎日を過ごして、ふとした瞬間軽くなり、良いことが起こりだす。
人生とはよく分からないもので、良いことも悪いことも実は中立で。
僕は十六から毎日のように死を願って生きて、それでも死ぬことなくまだ生きている。
どこかで苦しみが解放されて、少しだけ楽になる。
肩の荷物がそっと落ちて、呼吸ができるようになる。
そういった瞬間があるのだ。
そして、苦しみの果てにまた新たな希望の光がさすこともある。
人生とはよく分からないものだ。
そう思い、今日もまだ生きているのである。
若い頃は真実を知りたいと思い、もう三十半ばにして真実などどうでも良くなってしまったのだ。
真実を突き詰めていけば、そこには虚無の世界がひろがる。
それなら、理想とか綺麗ごとの方が実は重要なのではないか、そうとも思ったりする。
僕の人生は苦しみの連続だった。
そして、まだ苦しんでいる。
生きている限り、きっとこの苦しみは続くのだろう。
いや、死んでからも苦しみは続くのかもしれない。
人は生きているだけで業を重ねていく生き物だ。
僕自身も業にまみれている。
良いこともしても、悪いことをしても、賛否両論の世界の中で人は業にまみれてしまうのだ。
僕は生きたいと思ってはいないし、生きようとも思っていない。
ただ、生かされているのである。
業にまみれ、運命に翻弄されて、カルマの中で燃えている。
それが人と云う存在なのである。
僕自身もそうだ。
常にそうだったのかもしれない。
ただ、人生はよく分からないもので、ふとした瞬間『また頑張れよ』と声をかけられるものなのだ。
ふとした瞬間、光が差し込んで天に昇ってくものなのだ。
僕はその瞬間を待って。
そして、まだ生きている。