存在する価値も無いと追放されましたが、実はあなたにとって大切な存在なのでした
「アンジョー、お前要らん」
ここはイーストシー王国の王宮。
今日も細々とした雑務を黙々とこなす下級役人、アンジョー・スリーバーの元に現れたのは、この国の重臣ビーフリャー・ダガヤ伯爵。
両脇にその側近、ユタカ・ブリッジ子爵とハーシマ・マウントーキ男爵を従え、アンジョーに対し有無を言わさぬ様子で王宮からの追放を言い放った。
「おみゃー、役人に向いとらんよ」
ダガヤ領は王国のほぼ中央に位置し、東西南北に街道が伸びる交通の要衝。王都にもほど近く、ゆえに歴代当主は王家に仕え、当代のビーフリャーも王太子ホープの側近を務めていた。
一方のアンジョーは、ダガヤ領に隣接するスリーバーという、いくつかの小さな村で構成された領主の息子。
物作りの村として知られるスリーバーの製品は、ダガヤ領を経由して各地へと送られており、経済的にも伯爵家と密接な関わりがあって、そのためかスリーバー領で起こる問題の解決や他領との折衝、王宮への陳情などはダガヤ領を通じて行われることが日常であった。
しかし関わりがあるとはいえ、伯爵にしてみれば他領の話だ。当然優先順位は低く、どうしても時間がかかる傾向にあり、ならば自分たちの中から直接スリーバー領に関係する仕事を担当する官僚がいたほうが良いのではと考え、選ばれたのが領主の次男であるアンジョーだった。
「伯爵閣下、お待ちください。私に何か不手際でもございましたか」
「不手際もなにも、仕事は遅いし数もこなせとらん。どうしてもと言うで登用はしたが、元々スリーバー領の案件はウチで十分処理しとったし、ハッキリ言って居のうても問題無いのよ」
この国には長男のホープ王太子、そして次男のライト王子、そして三男のエコー王子という3人の王子がおり、病弱な父に代わって3兄弟が政務を担当していた。
中でもホープ王太子は歴代の王族の中でも一二を争う能力を誇ると言われ、国内外の大きな課題をそのフットワークの速さで次々と解決し、この人の治世の間、王国は間違い無く安泰だとまで言われ、次男ライトも兄ほどではないものの、その才能の高さをもって良く補佐を務め、将来有望な彼らの元には王国でも有数の名家の子息が脇を固めていた。
そんな中、地元の期待を背に王宮で働きだしたアンジョーは、所詮しがない小領主の次男。家格がものを言う王宮、ましてや働き始めたばかりで実績もないアンジョーが割り込む隙などなく、彼に与えられたのは三男エコー王子の政務補佐であった。
エコー王子も決して非才ではない。兄二人が異常なだけで彼も十分な才はあるのに、なにしろ比較対象が強すぎた。ゆえに兄に比べて才に劣り、決して表舞台に立つことのないであろう彼を、"日陰者の王子"と、一部の貴族は陰で揶揄している。ダガヤ伯爵もその一人だ。
「エコー殿下に取り立てられて仕事をした気になっとるようだが、王太子殿下やライト殿下に比べたら塵芥のごとき小さーい仕事しかしとらんの、分かる?」
「それは……たしかにエコー殿下のお仕事の一つ一つは小さいものですが、それ以外にも皆様の仕事が停滞しないよう心配りしたつもりですが……」
アンジョーも自分が置かれている立場は分かっていた。エコー王子の元で担う仕事は必要なことではあるが、国全体から見ればとても小さなものであり、優先順位は王太子やライト王子の仕事が上であることを。
だからこそ、それらを王子たちの元で担うダガヤ伯爵の手を煩わせないよう、伯爵に仕事を持ってくる者や陳情に現われる者たちに対し、提出する書類や報告内容に抜け漏れが無いかと声かけをしていた。もし手戻りがあれば他の仕事も停滞してしまうから、彼の注意喚起は一部の者には好意的に受け止められていた。が……
「あれか、『アンジョーからお知らせです。これからダガヤ伯爵に御用の方は提出書類が全て揃っているかご確認ください』とか方々で言っとるようだが、全く意味の無い世話焼きだな」
「そんな……」
「そんなもの来る人間が自分で準備すればええ話だがね。あのな、向こうは儂にお願いしに来とるんだ。いちいちそんな気を遣う必要がにゃーでな」
伯爵から見ると、アンジョーは大した仕事もしておらず、暇をもてあましてやらなくていいことに時間を費やしているようにしか見えなかったらしい。
「おみゃーがここでやらなあかんことは、仕事をたくさんこなすことだわ。仕事もせんでブラブラしとるような無駄飯食いの役人の居場所はにゃーがね」
「で、でも……北の国ではほとんど政務を行わないのに、重要な役職に就く方も居ると聞きます。仕事量は関係ないのでは……?」
「北の国……イマベツ様のことか? あのな、イマベツ様は海神様がお怒りにならんよう、毎日ピッタ岬で祈りを捧げるっちゅう、大事なお仕事があるんだわ。おみゃーとは存在意義が違うんだわ」
仕事の成果も少なく、特別な存在意義も無い。そんな状態で王宮の役人を任せるわけにはいかないから、故郷へ帰ったほうがいいと言うダガヤ伯爵の言葉に続くように、憐れみを持った目でブリッジ子爵とマウントーキ男爵もそうしたほうがいいと促してくる。
「そもそもさ、アンジョーは力不足なんだわ」
「そうそう、俺らとは立場が違うんよ」
「そんな……ユタカ殿だって、エコー殿下から承るお仕事がメインではないですか」
「残念。最近はライト殿下からも仕事を任されるようになってね。さすがに王太子殿下からのお声ががりは無いけど、アンジョーと一緒にされては困るな」
なんということか。普段エコー王子から共に仕事を頼まれていたはずのブリッジ子爵が、いつの間にかライト王子からも仕事を任されるようになっていたのだ。
「それを言うなら俺もライト殿下から任されている仕事があるんだよね」
「……!! なんで! ハーシマ殿こそ、マウントーキ領からの政務は全て伯爵閣下にお任せで何もしておらぬではありませんか!」
「ハーシマはな、北の山に住む雪の精が悪さしたときに、これを防ぐでゃーじなお仕事があるんだわ。イマベツ様ほどじゃにゃーが、いてもらわな困る理由がある」
「そうそう、その上で仕事量はアンジョーより多いからな」
「ということだで、アンジョー、今日この限りでお役御免だわ。ちゃっと荷物をまとめて出て行きゃあ」
孤立無援。その言葉がまさにピッタリ当てはまる状況。元々王宮に勤めることになったのもダガヤ伯爵の口添えであり、彼から必要ないと言われれば庇ってくれる者などいないのだから、ここで何を言っても覆ることはないだろう。そう分かっていればこそ、アンジョーは抵抗すること無くひっそりと王宮を後にするのであった。
「なんでだよ……」
短い間ではあったが、勤めていた職場から荷物を全て引き上げ、アンジョーは今まさに王宮の門から外へ出ようとしていた。
「僕だって……役に立っていたはずなのに……」
たしかに実績も家格も無い軽輩と侮る者もいた。それでもエコー王子に頼まれた仕事はきちんと遂行し、王子本人からも良くやっていると言葉をもらった。
ダガヤ伯爵への取り次ぎだって、少なくない人間に声をかけてくれてありがとうと感謝された。とても小さいことだが国のために役に立っているという自負、それが全て砕け散り、残るのは空しさだけだ。
「故郷の皆に合わせる顔が無いな……」
スリーバー領から出た初めての王宮官僚として、盛大に送り出された昔を思い出し、アンジョーの足取りは重い。
「だけど……ここにはもう、居場所が無いんだよな……」
「そんなに泣いていかがいたした?」
「貴方様は……」
<それから一年後>
「決裁? これはあかんがね、数字が間違っとる。もう一回書き直し!」
「資料が足りん? 馬鹿者! あれほど数を間違えんように言ったがね」
「頼んだアレ、どうなっとる。遅れとる? 何をどうしたらそんな手間がかかるんよ。え? ホープ殿下とライト殿下とエコー殿下の仕事が重なった? その優先順位を付けるのがおみゃーの仕事だがね。馬鹿馬鹿しい」
王宮ではダガヤ伯爵たちが政務に追われていた。仕事は今まで通りに進めていたはずなのに、何故だか進捗が滞り気味な毎日。
それは書類の書き間違いによる手戻りだったり、必要な書類が揃わず申請が遅れたりと、1つ1つの事象は些細なミスであるが、これが続くと全体のタスク管理も上手くいかなくなる。
これまで決して輻輳することのなかった三王子それぞれの業務が、個別の進捗が滞るようになったことで徐々に時期が重なるようになり、次第にそれが彼らを圧迫するようになっていたのだ。
ビーフリャーは王太子の政務を優先しろとは言うが、ライト王子やエコー王子の仕事だって疎かにするわけにはいかない。それはつまり伯爵たちの能力の無さを示すことになるから、そちらはそちらで期限内に確かな結果でもって仕上げなくてはいけないからだ。
「何故だ。何故こうも上手く進まんのだ」
「ビーフリャー」
「……これは王太子殿下」
思うように仕事が進まず伯爵がイライラしていたところへ王太子ホープが現われた。
「ビーフリャー、先日頼んだ仕事だが」
「申し訳にゃー。今少しお時間を……」
「いかがいたした。お主ならとっくに片付けていると思ったのだが」
「勘弁してちょ。少し仕事が溜まっとるで、なるべく早う片付けやーすで」
「そうか。それならよいのだが、最近仕事の質も落ち気味ではないか? 今までなら考えられない細かなミスが見受けられるぞ」
自分としては完璧な仕事をしたと思っていた伯爵だったが、王太子にそう言われれば何か誤りがあったのは間違い無いだろう。
たしかに最近は思う以上に政務が忙しく、出来る限り丁寧に確認はしていたつもりが、いつの間にか抜け漏れがあったのかも……と自身で思い返すくらいには余裕がなかったと伯爵自身も感じていた。
「何か原因でもあるのではないか?」
「原因……そんなもんはにゃーがね」
「気づかぬか、お主の側に1人足りぬことを」
そう言うとホープは指をパチンと鳴らし、その音が聞こえるや側仕えが1人の男を連れてやってきた。
「お主に足りぬのは、このアンジョーの存在よ」
「こいつが……?」
王太子の言葉に怪訝な表情を見せる伯爵。
たしかに1人足りないと言えば足りないが、これは者の数に入らない。領主である父に頼まれて身元を引き受けたものの、とんと役に立つことはなく既に追い出した男だ。この男がいないのが今政務に追われている理由であるなど、伯爵にはどうにも結びつかなかった。
「殿下、待ってちょー。アンジョーは小さな仕事しかしとりゃあせん男だがね」
「それだけか? そなたが仕事をやりやすいよう、かなり心配りしていたように見受けるが」
王太子は見ていた。彼自身が直接関わることのない下級官僚であっても、誰がどのような仕事を成していたか。そして、アンジョーの確かな仕事ぶりをしっかりと認識していた。
直接担う仕事は弟エコーから任された小さな仕事ばかりであったが、決して他の者の手を煩わせることのないよう、きっちり仕上げていた。
そして、自身やライト王子の担う仕事に支障が出ないよう、ダガヤ伯爵に持ち込まれる仕事の中身を事前に精査していたことも。
「ビーフリャーが命じた仕事ではないだろうが、陳情に来る者たちなどに彼が事前準備をしっかりするよう声をかけていたおかげで、そなたの元へ案件が持ち込まれる頃には過不足無いものが揃っていたのではないか?」
「それ……は……」
ダガヤ伯爵はアンジョーが居た頃を思い出していた。
たしかに彼がいなくなるまでの間、小さな仕事はほとんど回ってくることはなく、仮に来たとしても自身は軽く目を通して判を押すだけ。しかも決まって王太子やライト王子の仕事で手が回らないときに舞い込んでくることは無かった。
「まさか……」
「そのまさかよ。アンジョーはエコーが持つ案件がどこまで待てるかを見極めて、私やライトの案件がそなたに先に持ち込まれるよう調整しておった」
「アンジョー……」
「差し出がましいこととは思いましたが」
「それだけではない。ブリッジ子爵、マウントーキ男爵、そなたらも助けられていたのではないか?」
実を言うとダガヤ伯爵の仕事量が増えるに合わせて2人の仕事量も増大していた。
「ブリッジ子爵の仕事が滞っているとライトが愚痴を申しておったぞ」
「も、申し訳ございません……」
「それにマウントーキ男爵は先日の雪の精による被害、ちと対応が後手ではないか」
「ふ、普段より政務が忙しく……」
「2人が今の仕事を大過なく進められるのも、アンジョーが裏で気配りをしていたからだとは思わぬか?」
小さな仕事はアンジョーが担っていたからこそ、ブリッジ子爵はライト王子の仕事も任されるようになった。
ダガヤ伯爵の仕事をアンジョーが交通整理していたからこそ、マウントーキ男爵は政務に追われず雪の精による被害に対応出来た。
3人の仕事は、アンジョーが下支えしていたからこそ、今までスピード感を持って取り組むことが出来たのだ。
「ビーフリャー、そなたの最近の仕事はあまりに雑すぎる。このままでは政から遠ざけるしかないと、メトロ大公とコナモン侯爵は考えているようだ」
王国東方の大領主メトロ大公、そして西方で王国の経済の要を務めるコナモン侯爵。王国の二大巨頭がダガヤ伯爵の最近の仕事ぶりに疑義を呈しているようで、彼らの発言には王家も耳を傾けざるを得ないと、王太子が悲しげな声で言う。
「このままでは……再びダガヤ飛ばしの悲劇が起きるぞ」
「ダ……ダガヤ飛ばし! それだけは、それだけはやめてちょーよ!」
ダガヤ飛ばし。それは数代前のダガヤ伯爵が失政により王家中枢から排除された事件。
メトロ大公とコナモン侯爵が王家の両輪となって支えたから王国自体には何のダメージもなかったが、政から遠ざけられたダガヤ伯爵領の経済は停滞し、元の姿に戻るまで何年もの月日がかかったという。
当時を知る老人たちは口々に「ダガヤ飛ばしの悲劇を再び起こしてはならん!」と言い、それ以来、王家の忠実なる臣下として今に至っていた。
「ビーフリャー、そなたは私と乳兄弟。そなたを没落させるような選択を……私にさせないでくれ」
「で、殿下……」
「そなたに才があるのは私が一番知っている。だがそれも、そなたを支える下の者がおってこそ。この私とて、小さな仕事を担って支えてくれる弟たちがおればこそなのだからな」
王太子の言葉に感極まったのか、いい年した男が人目も憚らずオイオイと泣いている。
「アンジョー、許してちょーよ。おみゃーが手を貸してくれたのも気づかなかった馬鹿を許してちょーよ」
「伯爵閣下、私こそもっと積極的にお話しするべきでした」
実はアンジョーもビーフリャーが少し苦手だった。
それは自身の故郷に隣接する領土でありながら、経済も文化も雲泥の差で栄えるダガヤ領への憧れや嫉妬、そしてその領主として王太子に仕え、将来を嘱望されたビーフリャーへの羨望と少しばかりの対抗心。
何かの役に立てればと働きそれを認めてもらいたいと思いつつ、どうにも距離を置きながらでは分かるものも分からないというものだ。
「では、これよりは皆で手を取り合い、私のために尽くしてくれよ」
「御意にございます」
◆
「……という話があったそうだ」
東の国で起こったちょっといい話は瞬く間に他国にも知れ渡り、イーストシー王国から遥か西方のサニプレース王国にも伝わっていた。
「くぅ~いい王太子様じゃねーか」
「上の人がちゃんと見てくれるってのは働きがいがあるよな」
下級官僚を労る王太子の美談。酒場では王宮に務める3人が、その話を肴に仕事上がりの一杯を楽しんでいた。
「俺たちもそういう王子にお仕えしたいものだ」
「お前は無理だよ、シマナミ。フォーチュンサン伯爵の世話になりまくりじゃねーか」
「そういうアーサーだって役に立ってないだろ」
「なんだと!」
「やめろや、役に立つか立たないかなんて自分で決める話じゃねえ。与えられたお役目を粛々とこなす。俺はそうやって長年官僚を務めてきた」
「かっけぇっす。ロックステート先輩」
サニプレース王国の下級官僚、シマナミ・テールロード、アーサー・モーニング、ニシキ・ロックステート。
アンジョー・スリーバーと同じような境遇の3人に、光が当たり希望に満ち溢れた桜咲く日は訪れるのだろうか……
お読みいただきありがとうございました。