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風切るふたり


ーーー風を切る音だけが聞こえる。あぁ、なんて自由なんだろう。


 ……きっと彼女は、そんなことを考えている。私のパイロット、エミリーは頬を紅潮させ目を輝かせながら、空飛ぶ私に(またが)っている。マフラーやゴーグル、飛行帽を身につけていてもわかるのだから相当なものだ。


 婚約破棄されたお嬢様。没落貴族の生き残り。飛竜レース初の女性飛竜乗り(パイロット)。エミリーのことを知りもしない有象無象が好き勝手に後ろ指を差し、噂を流し、レッテルを貼る。


 でも空では、空にいるときだけは。私が全てを置き去りにできる。彼女のことを差す無礼な指は空を切り、無粋な噂は他の音ごと遠く彼方へ。粗雑で薄っぺらなレッテルなんて、風圧で剥がしてみせましょう。そのために私は飛ぼう。


 私は、劣悪な環境で生まれ育った。物心がついた時には暗い檻の中、首には鎖、足に枷。翼を自由に伸ばすこともできず、空をこの目で見たことも、いや、その存在すら知らなかった。


 でも三年前のあの日、エミリーはそこから私を救い出した。あの時の私はまだ言葉を理解できなかったが、一言一句(いちごんいっく)違わず何を言われたかを今でも克明に思い出せる。


 エミリーは私にローザと名付け、引き取った。それがなければ私は軍隊に引き取られ、(ろく)に空の広さ青さも知らぬまま、どこかの前線で堕ちていただろう。だから、世界の全てが敵に回っても、私だけはエミリーの側に居続ける。そう誓った。全てはあなたのために。私の、ローザの全てはエミリーのために。


 ◇ ◇ ◇


 王国東部、ノスター平原。普段であれば馬車や行商が通り過ぎるだけの、流通の通過地点に過ぎない場所。


 しかし年に一度だけ、ここには街ができる。いや、正確には街ではない。仮設の巨大な競技場(スタジアム)が建てられ、その周りには許可の有無など確認しきれないほど多くの天幕や掘っ立て小屋が立ち並び、それらは宿屋、飲食店、賭場など思い思いの商売に精を出す。そこには、混沌とした()()()()()()()が形成されていた。


 平原の一角を埋め尽くさんばかりの人波を、威勢の良い男の声が拡声魔道具(スピーカー)に乗せられ飛び越えてゆく。それに合わせて空中に四角い光(モニター)がいくつも現れ、そこには声の主であろう爆発したような頭(アフロヘアー)の男や、飛竜に乗った人影の中継映像が投影されている。


『さぁ!参加選手は三十組(ちょう)、大熱狂の第三回王国竜祭(りゅうさい)・飛竜レースは先頭集団が折り返し地点に差し掛かりました!ここで改めて、レースについておさらいしておきましょう!!実況は引き続き、(わたくし)ジャック・ザ・ボンバーヘッドがお相手いたします』


 ジャックと名乗った男が指を鳴らすと、飛竜を映していたモニターの映像が切り替わり、玉座に座った金髪の青年と、竜の意匠が施された青い国旗が映し出される。


『王国竜祭。それは当時まだ王太子だった、現国王ジェラルド四世陛下の発案で始まりました。今から二年と半年前、長きに渡り戦争状態だった帝国との間に、完全停戦条約が締結。平和は訪れたものの、そこに待っていたのは王国自慢の竜騎士団が役目を終えたという現実でした』


 ジャックは大袈裟に肩を落としてみせたが、すぐに立ち直ると目の前の机を(したた)かに叩きつけた。


『しかァし!ジェラルド陛下の御慧眼(ごけいがん)により、新たな道は示されました。竜と騎士たちによるパワー、テクニック、そしてスピード!それらを競う年に一度の競技会(オリンピア)の開催だったのです!竜祭と名付けられたこの催しは大きな盛り上がりを見せ、評判が国外に広がった第二回以降は他国からのエントリーも可能になりました。そして竜祭に競技は数多くあれど、やはり一番の人気は……この!飛竜レースです!!』


 モニターの映像が切り替わり、再び飛竜とその騎手たちを写す。


『ルールは単純。ここノスター平原をスタート地点とし、いくつかのチェックポイントを回って一番(はや)く、(はや)く、(はや)く戻ってきたら勝ち!何というシンプル。だがそれでいい、それがいい!各所に設置されたボードやお手元のパンフレットにはコースの詳細が掲載されているので、併せてお楽しみください』


 ジャックがそう口にしたからか、会場に集まった客の多くが手元の冊子や近くのボードに目をやった。そこには会場周辺の簡素な地形や公認店舗の所在が示された地図と共に、飛竜レースのコースが解説と共にわかりやすく(えが)かれている。


『まずは王都近辺を通過して、王城でご覧になっている妃殿下(ひでんか)に遠くからご挨拶。めでたく第一子のご懐妊ですからね、お腹に響いてはいけません。その後ダモーロ港やオイゼ大峡谷など、王国の名所を大きく()を描くように経由。そして王国最高峰、ガドフ山脈のガドナート山を越えてからはいよいよ、ノスター平原まで一直線に戻ってきます!総飛行距離はかなり長いですが、そこは速さ自慢の飛竜たち。四半日をさらに割って(1/2して)もまだ余ります。いやぁ、すごいですね!それでは、注目の選手について改めて見ていきましょう。ここを逃すともう、紹介なんてしてる余裕はないぞォ!』


 ジャックが再び指を鳴らすと、モニターに何組かの出場選手が描かれたカードが表示された。その中から、どこか国王と雰囲気が似ている金髪の偉丈夫と青い竜、そして王国の国旗と選手の名前が描かれたものがモニターに拡大して表示され、会場に集まった者の多くが歓声を上げた。


『まずは初代チャンプ、誇り高き王国竜騎士団の元団長。継承権は持たないながら王家の血も引く、大戦の大英雄。"竜騎士"ダイナ!騎乗するのは"蒼炎"こと青き真竜、モリガン!注目すべきはなんと言ってもモリガンのタフネス、第一回大会では他選手からの執拗な妨害にも負けず、先頭集団から遅れをとることは一度もなかった!しかし翌年、そんなダイナ・モリガンペアを凌駕する者が現れる……』


 カードが切り替わり、黒い仮面を着けた人物と漆黒の竜が描かれたものが表示される。先ほどと違い、国旗や選手の名前がどこにも書かれていない、ただ絵姿のみのものだった。歓声に混ざって、野次やブーイングが聞こえてくる。


『第二回優勝。事前情報ゼロ、優勝者でありながら人知れず会場を去っていった謎多き男!"無名"の騎手ブランク(空欄)!乗り手が謎なら乗騎もダークホース(未知数)、もとい"ブラックドラゴン"。黒き真竜、バルザ!前大会の優勝以降全く消息がつかめなかったペアが、今年も場を荒らしにやってきたぞォ!』


 さらにカードが切り替わり、尖ったよう(スパイキー)な赤い髪の男と赤い竜、そして帝国の国旗が描かれたものが表示される。歓声と野次が飛ぶが、ブランクの時のもとは違って悪い感情の込められていない、人気故の景気の良い野次が飛び交う。


『第一回は国外から乱入のため参考記録、しかし実力は二大会とも表彰台に到る帝国のスピード狂。名前で既に"音速"に至る男、ソニック!相棒は"燃える炎"の赤い真竜。最高速度なら誰にも負けない!アクセル!!以上三選手が今大会の有力候補だァ!王国公認の賭場で賭けるならこいつら!』


 紹介された三枚のカードが回転するようにして画面外へと消えてゆく。そして白い背景の中からもう一枚、黒いカードが裏返しで表示された。


『さて、前回優勝のブランクがオッズ(倍率)最下位だったせいで今回から追加された、"大穴"紹介のコーナー。王国民ならご存知、この人物!婚約破棄、お家取り潰し、降りかかった不幸は数知れず。それでも()()は前を向く!元侯爵令嬢、銀級冒険者にして史上初の公認(オフィシャル)女性飛竜乗り(パイロット)。"白銀"の紅一点、エミリー!そして相棒は宙を舞う"白薔薇"、ローザ!』


 カードが裏返り、描かれた人物と竜の姿が(あらわ)になる。そこには飛行帽を被った黒髪の若い女性と、これまで紹介された三体の真竜よりもかなり小さい、白い竜が描かれていた。そして、観客たちの反応はほとんどない。歓声も、野次も、ブーイングもない。まるで()()()()()()()()()()とでも言いたげな顔がそこかしこを歩き回っていた。だが。


「がんばれー!」


 甲高い声援が、人波の上を駆け抜けた。(いぶか)しむような視線が声の主に集中する。


「エミリーがんばれー!」


 声の主は、痩せた頼りなさそうな男性……ではなく、彼に肩車された幼い少女だった。その場にいた人々の顔は、納得したような柔らかいものになった。反対に、頭上で大声を出された男は渋い顔をしている。


「こら、耳元で大きな声を出さない」


「ごめんなさい、パパ。でも、どうしてみんな、エミリーを応援しないの?」


 怒られたことに落胆したものの、少女は自らの疑問を投げかけた。父親の方はと言えば、どう返したものかと思案している。周りの観客の視線は、未だに親子に向けられたままだ。


「それはね。エミリーお姉ちゃんの相棒が、ローザが……真竜じゃないからさ」


 レース開始直後は晴れ渡っていた空が、厚い雲で覆われ始めていた。


 ◇ ◇ ◇


 風を切る音だけが聞こえる。あぁ、なんて自由なんだろう。ローザとふたり、空を飛んでいるこの時間が一番自由を感じていられる。


 鎖で繋がれるような望まぬ婚約も、枷でしかなかった貴族という立場も、散々手を尽くして抜け出した。それでも、何かの拍子にまたあの日々に戻ってしまうのではないか。そう考えただけで吐き気がこみ上げ、抑えきれない涙が頬を濡らした。そんな日々が変わったのは、ローザのおかげだ。


 三年ほど前、冒険者として犯罪組織の摘発に深く関わったあの日。暗く(よど)んだ地下で、私はローザに出会った。最初に思ったのが『私よりも救いがない子がいる』だった。……正直、どこか愉悦感を含んでいたかもしれない。彼女を助け出すことで、自分の欲求を満たしたいだけなのかもしれない。それでも私は彼女にローザと名付け、救うことを選んだ。


 引き取ってから知った。ローザは一度も空を飛んだことがない飛竜。しかも、亜竜。真竜と比べて知能も魔力も、飛行能力も数段劣ると言われる種。……なんだ、私にお(あつら)え向きじゃないか。私がどれだけ逆境を乗り越えて来たと思っている?


 世界には辛いことばかりではない。空はこんなにも広く、時に優しく、時に厳しい顔を私たちに見せてくれる。ご飯はおいしい。翼を広げるって気持ちいい。鎖が、枷がないことがこんなにも幸せなのだと、彼女にも知ってほしい。


 もっとローザに世界を見せたい。それできっと、私も救われる。だから私はローザと飛ぶ。どこまでも遠く、どこまでも高く、どこまでも速く。


 ◇ ◇ ◇


「ローザ、まだまだいけるよね!?」


 エミリーは叫んだ。風や寒さから乗り手を守る加護も、乗り手との意思疎通のためのテレパシーも、亜竜であるローザには備わっていないからだ。加護がない分は自分の魔法や装備でカバーし、意思疎通は簡単な符丁(リズム)(あらかじ)め決めてローザの背を叩いてやる。そして必要ならば、今のように叫んで確認を取るのだ。


 ローザは僅かに疲れが見え始めた様子だが、エミリーの声に応えるように速度を上げた。エミリーも魔法で助けてやりたいのは山々だが、ガドフ山脈を越えてからのラストスパートが始まるまでは魔力を温存しておきたい。しかしこれでも、予想より魔力も体力もかなり温存できているほうだとエミリーは思った。


「ホント、亜竜でもここまで飛べるなんてビックリだ!いやマジですげぇよ!!」


 その原因の一端がエミリーに話しかけてきた。赤い竜に乗った全身真っ赤な男、ソニックだ。かなりの速度で飛行しているというのに、特徴的な髪型(ツンツン)が全く崩れていないのは相棒の真竜、アクセルの加護のおかげだろう。


 過去に表彰台に登った実績があり、今年の優勝候補に挙がるほど強い彼らがエミリーたちの近くを飛んでいるせいで、邪魔をしようとしていた数組の選手は彼女達に近付けずにいた。ソニック本人は、ただ話題の亜竜の飛びっぷりを間近で見たかっただけなのだが。


「話しかけてくるなんて、随分と余裕じゃない!?」


「わかってる癖に!ガドフに着くまでは茶番(小手調べ)だってさぁ!」


 そう。これは競技である前に大衆の娯楽(エンターテインメント)だ。普通の飛竜レースはここまで長距離を飛ばない。だが、竜祭は国を挙げての一大イベント。人口密集地をわざわざ巡るのは国力のアピールであり、王国主催の公営賭博(ギャンブル)への参加を促すためのものだ。


 実際、選手は運営から言外に『ラスト以外で派手に争うな』と告げられる。だから『ガドフまでは茶番』であり、スパートに入るギリギリまで観客は賭けることができる。ここはまだ、コースではなくパドックなのだ。


「アンタらの最高速度(トップスピード)、楽しみにしてるぜ!!」


 ソニックはそう言うと、エミリー達から少し距離をとった。おしゃべりはお終いと言うことだろう。短い間しか話さなかったが、エミリーは彼の人気の理由をなんとなく理解した。長年敵国だった帝国の人間ということを忘れさせる、そんな人柄の持ち主なのだろうと感じた。


「……少し早いけど、高度を上げよう」


 気づけばもう"本当のスタート地点"まではいくらもない。エミリーはローザに合図を送り、消耗の少ないギリギリの高度を目指して上昇を始めた。亜竜が他の種の竜に比べて優れている数少ない点。その一つが、高高度での負担が少ないということだからである。


 原理は不明だが、竜は地上から離れすぎると加護の力が弱まることが判っている。そのため、ある高度からは負担が加護を上回り、乗り手にも竜自身にも多大な影響を及ぼすようにる。その点、ローザのような亜竜にはもともと加護が殆どないので能力の下げ幅が小さく、体も小さいので風の影響が少なく済むというわけだ。


 しかし有利であるとはいえ、上空の強風や低温などの負担があることには変わりない。長時間、高高度に居続けることはできない。しかし今回のレースは王国の内外から実力の高い選手ばかりが参加する、いわば最高峰のレース。勝つためには危険を承知で、高高度からの降下を利用した加速が必須だとエミリーは考えた。


「ローザ、どうせなら未踏域を目指すつもりで行くわよ!」


 未踏域とは、人類史上到達したという記録がほとんど残されていない超高高度、雲の向こう側の通称である。残されている記録も数百年経っているような、神話級のものや眉唾物のものばかり。故に"未踏"。


 ローザは強く一度吠え、了承の意を示すと上昇の速度を更に上げた。


 ◇ ◇ ◇


「本当にいいんだね?もう今日は何も買えなくなるよ?」


「うん、だってエミリーを応援したいもん!」


 公営の賭場には、観客の注目を集めた親子の姿があった。娘にせがまれた男性が、エミリーとローザの竜券を購入しにきたのだ。竜祭の竜券は、勝利予想された選手やチームに利益の一部が還元されるようになっている。そのため、利益目的ではなく選手を応援するために小額を購入する観客も多い。これも、少しでも賭ける金額を増やさせようという策略だ。


「はいよ嬢ちゃん!エミリー勝つといいなぁ!」


「ありがとう、おじさん!」


 賭場の受付の中年男性から最小額の竜券を受け取り、少女はご満悦といった様子で父親に連れられて賭場を後にした。受付の男性は、親子が見えなくなるまで笑顔で手を振って見送った。と、その様子を見ていた隣の受付の同僚に肩を叩かれた。


「なぁ、今の親子エミリーの券買ったのか?」


「そうだよ。いやぁ、微笑ましいねぇ」


「おいおい……」


 男の様子に何か感じるところがあったのか、同僚は嗜めるような視線を送った。だが男は悪びれる様子もなく続けた。


「だってよぉ、事前の倍率千倍越えだぜ?大人じゃ買えねぇよ。子供の純粋な応援する心ってのは微笑ましいだろ?」


「まぁ、それには同意だけど」


『さぁレースはいよいよ大詰め、先頭集団がガドフ山脈を越えたぞ!優勝トロフィーを手にするのは誰だ!?』


 受付の男達が会話に花を咲かせていると、スピーカーから実況の声が聞こえてきた。賭場の入り口の幕が警備員によって閉じられる。ここから先、券の購入はできない。


「さーて、俺らも忙しくなるねぇ」


 これ以降、警備以外の賭場の人間は総動員で券の購入状況の確認や売り上げの集計、配当金の算出に入らねばならない。文官の試験に合格してやらされるのが賭場の勘定という現実から目を逸らし、職員(つわもの)達は数字の戦場へと歩を進めた。


 ◇ ◇ ◇


「モリガン、今年は勝つぞ」


 ガドフ山脈に差し掛かる直前、"竜騎士"ダイナは相棒の大きな背中を撫でながら呟いた。昨年は正体不明の選手、ブランクに遅れをとった。しかし飛び方の癖や背格好を間近で見たダイナには、ブランクの正体が誰であるかの見当はついていた。だが、誰にも言わない。本人に真偽を聞くのは、勝利を納めてからだと決めていた。


『貴方も面倒な性格ですね、ダイナ。ですが、そこが好ましい』


 モリガンは呆れたような様子でテレパシーを返した。自前では魔術をろくに扱えないダイナだが、戦場ではそれを魔道具で補って何度も共に死戦を越えた。彼の判断がなければ堕ちていた、ということも十や二十では足りない。


「よぉお二人さん、挨拶に来たぜ!今年もいい勝負にしようじゃないの!!」


 帝国の飛竜乗り、ソニックが距離を詰めて話しかけてきた。アクセルは少々興奮気味の様子で、早く山脈を越えて最高速度(トップスピード)を出したいらしい。


「ずいぶん余裕だな、スピード狂!」


「アッハハ、ソレ言われんの今日二回目だわ!」


「?」


「なんでもねぇよ、気にすんな!」


 挨拶は終わったと言わんばかりにソニックは前へと飛んでいってしまった。指示を受けたアクセルは嬉々とした様子で加速していたので、あのペアは早い段階でバテてしまうかもしれない。そうダイナは感じた。


『彼もまた、好ましい人間ですね』


「よしてくれ、浮気か?」


『いいえ。ただ、彼らと命のやりとりをせずに済むというのは、非常に好ましいです』


 モリガンに冗談めかして聞いてみればそう返されたので、ダイナは調子が狂ってしまった。が、背後ろから黒い大きな影が迫ってくるのを感じ取り、気を引き締めてモリガンに加速の指示を出した。


 ◇ ◇ ◇


 先頭集団が山脈に差し掛かった頃、エミリー達は未踏域寸前まで到達していた。これだけの高度にいても、選手の位置情報を取得する魔道具(ビーコン)は正常に機能しているのだから凄まじい。これに付いている魔石(ランプ)が赤から青に変わったことが、チェックポイントを全て巡り、ガドフ山脈を越えたかどうかの指標になる。


 エミリーは全身の震えを感じた。それは前人未到の高度まであと一歩で到達するという喜びや感動だけでなく、単純な寒さからくる震えだった。既に手足は(かじか)み切り、ゴーグルが凍って視界はほとんど無いに等しい。


 魔法で軽減しているものの、これ以上の消耗は許容できない。諦めて降下を始めようと、エミリーはローザに合図を送った。しかしローザは何も反応を示さず、どうやって雲の向こうまで飛ぶかを考えているような面持ちで上を見据えていた。


 エミリーは思い出した。ローザをどうしたかったのか、何を見せたかったのかを。レース以外も含め、竜祭の飛竜レース以外では飛行できる高度に制限がかかっている。この機会を逃せば、次に未踏域を目指せるのは来年の竜祭。それまで待たなければならなくなってしまう。


「行こう、ローザ。私たちなら越えられる!」


 掠れた声でそう叫び、上昇の合図を出す。役目を為さないゴーグルは額へずらした。もはや、魔力の温存など微塵も考えない。吠えたローザが魔法の風を受け、翼を大きく羽ばたかせて一気に雲を突き抜けた。


 そこには、ただ青と白があった。上には吸い込まれるような青く深い空。下には何かに阻まれたかのように広がる白い雲の平原。ひょっとしたら人間も竜も、海や大地ではなく、この空こそが故郷なのかもしれない。そう思わせるほど荘厳で神秘的な眺めだった。


「うわぁ、凄い……」


 エミリー達は、先ほどまで寒さで凍えてしまいそうだったことも、今がレースの真っ最中であることも忘れ、しばしの間この現実離れした風景に見惚れていた。エミリーの目から自然と涙が(こぼ)れ、寒さで凍って頬に張り付く。


 不意に、背後から大きな力の奔流が到来し、ふたりを前へ前へと押した。風だ。今までに経験したことがないような、巨大な風の流れに乗ったのだとエミリーは思い至った。


「ねぇ、ローザ!」


 エミリーは悪戯を思いついた子供のような笑顔を浮かべ、ローザに語りかける。


「レースで優勝して、いつでもどこでも自由に飛べる権利をもらいましょう!それでまた、ここへ来るのはどう!?」


 ローザの歓喜を含んだ咆哮が、空気を大きく震わせた。それに呼応するように、魔道具(ビーコン)魔石(ランプ)が青に変わる。ここには他に誰もいないはずだが、ふたりの耳には確かに号砲が聞こえた。


 ◇ ◇ ◇


『竜祭飛竜レース、いよいよクライマックス!首位争いは有力候補の三組に絞られた!勝利の栄冠を手にするのは、いったい誰なんだァ!!」


 ただでさえ威勢の良かった実況、ジャックのテンションはラストスパートに至り最高潮を迎えていた。しかし、そこは彼もプロ。頭の芯は冷静に、いかに観衆の心を掴む言葉遣いができるかを心掛けていた、はずだった。その時が訪れるまでは。


 ふいに、スタッフの誰かが叫んだ。


「おい、上からなんか来るぞ!」


 ジャック含め、その場にいた全員が空を見上げた。先頭集団が辿る最短ルートからはやや外れた位置、厚い雲に覆われていた空が割れ、光り輝く"何か"が轟音を伴ってこちらへ降ってくるのが見える。


『な、なんだアレはァ!?カメラ、アレを撮れ!!』


 ジャックは咄嗟のことに対応が定まらなかったのか、光る何かを"アレ"としか表現できず、マイクをミュートにしないままスタッフに指示を出してしまった。モニターに映し出された白く光り輝くそれは、どこか見覚えのあるシルエットをしていた。


『まさか、まさか人気最下位のエミリーか!?一体何がどうなっているんだァ!!』


 ◇ ◇ ◇


 最初に気がついたのはモリガンだった。


『ダイナ。右後方の上空から、何かが高速で接近してきます』


「なに?」


 ダイナは後方を確認したが、何も見当たらない。だがモリガンがそう言うのだから確実に何か来る。注意を向け続けていると、それは空からやってきた。轟音と共に雲を切り裂き、太陽を背にして矢のように飛ぶ小型の竜。


「!!」


「おいおい、どんだけ期待以上なんだよあいつら!」


 音が聞こえて気付いたのか、ブランクは仮面越しにも分かる程に驚いている様子だ。ソニックはといえば、エミリー達に抱いていた淡い期待が現実のものとなったことに歓喜し、アクセルの速度をさらに上げたて頭ひとつ抜けた。


「ボサッとしてると負けるぞお前ら!!」


 最後の読み合いの最中だったが、アクセルが先に仕掛けてきた以上残りの二人もスパートをかけざるを得ない。実際、エミリー達にあの速度のまま飛ばれたら勝敗がわからない。三組の選手による表彰台争いは、天からの乱入者(エミリーとローザ)によって打ち崩された。


 ◇ ◇ ◇


 度重なる魔法の乱用で、エミリーの魔力は底を突きかけていた。頭が割れるように痛み、手足の感覚はかなり鈍っている。


「ローザごめん、もう限界かも!」


 ローザは歯噛みした。ここまでなのかと。もし私がもっと強ければ、もっと速く飛ぶことができればと、

悔しさでその身が張り裂けそうな心地がする。


「だから、私は気にせず全力で飛びなさい!」


 エミリーはそう叫ぶと安全帯(ハーネス)のロープを腕に巻きつけ体を密着させ、残りの魔力を全て使い切る勢いで魔法を行使した。ローザは絶句した。自分の主人はここまでやる人間だったかと、何がそうさせるのかと。だが、疑問を抱いている暇などない。恐らくこれはエミリーからの信頼の証、ならば期待に応えねばならない。


 エミリーは魔力を使い切り、意識は彼女の手を離れていった。薄れゆく視界で最後に見たのは、その身体から暖かい光を放つ己の相棒(ローザ)の姿だった。


 ◇ ◇ ◇


 地上は阿鼻叫喚の様相を呈していた。その場の全員が、想いの丈を叫んでいたからだ。


 ある者は実況に熱が入り過ぎて気絶(オーバーヒート)し。


「おい、ジャックが倒れたぞ!」


「担架持ってこい!あと代打の実況!!」


 ある者は算盤(そろばん)に向かって愚痴を吐き。


「ああクソ、配当金の計算がパーだ!どうしてくれんだ!!」


「これが俺らの仕事でしょうよ!」


 ある者は、ただ純粋に応援していた。


「エミリー!ローザ!がんばれー!!」


「この券、いくらになるんだ……?」


 〜 〜 〜


「ローザ……」 


 エミリーが目を覚ましたのは、どこかの天幕のベッドの上だった。(かたわ)らには青髪の美女が座っており、何やら治療魔法をエミリーに施している。彼女はエミリーの意識が戻ったことに気付き、話しかけてきた。


「おや、気が付きましたか?貴女もダイナも無茶が好きですね。まぁ、そこが好ましいのですけれど」


「あなたは……」


「エミリー!!」


 エミリーは彼女の名前を確認しようとしたが、それは遮られてしまった。天幕の出入り口から飛ぶように入ってきた白い人影が、エミリーに勢いよく抱きついてきたからだ。


「まさか、ローザ!?」


「ええ、ええ!あなたの相棒、元亜竜のローザです!!」


 ローザを自称した銀髪の少女は、エミリーの頭に頬擦りした。


「あの話、ただの伝説じゃなかったの?」


 伝説。それは『未踏域に到達した竜は、その生まれに関わらず真竜に成る資格を得る』というものだった。だが条件である"未踏域への到達"自体が眉唾物のような話しか残されていなかったので、この言い伝えもただの与太話として人々に浸透していた。そして、真竜の真竜たる所以(ゆえん)。それは、人の姿をとること(変身術の行使)が可能であるということ。今のローザを分類するならば、紛れもなく"真竜"に該当する。


 青髪の美女がひとつ大きく頷き、エミリーの疑問に答えた。


「そのようです。(わたくし)達、純血の真竜でも真偽は失伝しておりましたので……控えめに申して、新発見です。実に好ましい」


「あの、モリガン様ですよね?」


「ただモリガンとお呼び下さい、エミリー」


 エミリーの治療を行っていた美女の正体は、優勝候補の一角であるモリガンその人だった。彼女は多彩な魔法を扱えるので、エミリーの治療を任されていたのだ。


「そして優勝おめでとうございますエミリー、ローザ」


「ウソ」


「はい、私達勝っちゃいました!」


 ◇ ◇ ◇


「実の妹なんだ、祝いの言葉くらいかけてやればいいものを」


 ダイナは、会場を去ろうとするブランク達の背中に話しかけた。全身黒で目立つ格好のはずだが、周りの人間が彼らに気付いた様子はない。ブランクは一瞬立ち止まって呟いた。


「……死人に口無し、王命で仕方なく参加した」


「そうかい」


 これ以上話す必要はないと言わんばかりに、黒づくめの二人組はその場から去っていった。


「戦争は終わったんだ、もう家に帰ってもいいだろうよ……」


 ダイナの悲しげな呟きは、雑踏の中に溶けて消えた。


 ◇ ◇ ◇


「この後は、どうなさるおつもりですか?」


 モリガンはエミリーに尋ねた。


「大丈夫です、表彰式には参加しますよ」


「陛下にお願いしなくちゃですもんね!」


 答えを聞いたモリガンは一瞬目を丸くして、クスリと笑いながら続けた。


「いいえ、その後のことです」


 エミリーとローザは顔を見合わせ、頷きあって答えた。


「「もちろん、空へ!」」

ふたりから二人へ

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