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異世界生活の基礎知識

永遠に紡ぐは甘き想い

作者: 彩瀬水流

 飴師の指先が描くは呪術紋様。

 食べるとその紋様の効果が付与される、魔法の飴。

 飴師とは、世界にただひとり存在する作り手。


 今となってはもう、新しい紋様は作り出せない。

 飴はもう、限られた効果しか生み出せない。




 砂糖水を含ませた指先が、しゅるりと宙を滑る。

 時々色を変えながら何重もの円を描き、その間に不可思議な紋様が浮かび上がる。

 師匠の呪術紋様の飴は、効果の高さもさることながら、その美しさにも定評がある。

 善き魔女『飴師』スフェーン。

 畏れ多くも「師匠」なんて呼ばせていただいてはいるが、飴の一欠片さえ描けない僕なんて、実質ただの雑用係でしかない。

 描き終えた一枚の飴を魔法陣の描かれた紙に置いた師匠は、大きく息をつきながら椅子に座る。この後はこれを一口サイズに凝縮する作業があるのだけど、その前に一休みだ。

 飴を描く作業は、気力と集中力が必要だから、適度に休みを挟まないと、倒れてしまう。

「ファーディ」

 疲れた声で呼ばれ、慌てていつものお茶を師匠に手渡した。

「後でまた肩を揉んでもらっていいかしら」

「はい、もちろんです!」

 そう答えると、微笑んだ師匠は一息ついた後、羊皮紙に刻まれた魔法陣の上に指をすべらせ魔力を流していく。

 すると、しゅるしゅると小さく縮んでいく飴の厚みが増して、最終的には一本の棒になる。

 それをまた魔術で一口サイズに切断する。

 師匠の飴は、何重もの円に緻密な紋様が描かれているから、それを崩さないようにするには縮めるのにも限界があるらしい。

 それでも一口で食べるのに問題ないサイズにまで縮められるのは、それだけ師匠の腕がすごいからだ。

 裁断したものを、劣化防止の魔法陣を刻んだガラス瓶に入れて、作業は終わり。


 今度は呼ばれる前にお茶を出し、師匠の好きな干しプルナを添える。

 飲み終わったのを見て、プルナを摘む師匠の邪魔にならないようタイミングを(はかり)ながら、まずは肩甲骨の辺りを親指で軽く押し込んでいく。

 一番使う両腕は手のひら全体を使って強めの力で撫でるように。

 肩はぐっと後ろへ引くように。

 飴描きで使う部分を終えたら、背中、首筋を揉みほぐし、軽く全身を整える。

「これくらいでいかがでしょう。違和感のあるところは残っていませんか?」

「いいえ、大丈夫。本当にあなたの手は気持ちいいわね」

 優しく微笑んだ師匠に、嬉しさがこみ上げる。

「お役に立ててるなら嬉しいです!」

 伝書鳩代わりの紙の鳥(使い魔)を依頼主の元へ飛ばした師匠が、くるりと振り返った。

「さあ、お仕事はおしまい。練習の時間よ」

「……はい」

 にっこりと笑う師匠を前に、だけど、僕は俯いた。


 僕には特段強い魔力なんてない。

 生活魔法に関しては、人より上手く使えるみたいだけど、取り柄なんてそれくらいだ。

 そう、思っていたのに。

 ある日突然家にやってきた師匠は、僕を弟子にしたいと言ってきた。

 師匠は、この国じゃ知らない人なんて居ないくらいに高名な、善き魔女。

 もちろん両親は諸手を挙げて僕を売り渡した。

 そう、売り渡されたのだ。

 家事全般僕がやってたんだけど、そんなこと、すっかり頭から抜けてただろうくらい、大喜びで。

 今頃どうやって生活してるんだろうな。

 まぁ、人数は居るんだから手分けすればいいだけだし、家に戻りたいかと聞かれたところで、全くそんなことはない。

 つまりは、どうでもいいことだ。


「魔力制御に問題はないわ。魔力量も充分足りてる。この魔法の要はね、イメージ。想像力よ。まずは一つの効果だけで作りましょう」

「はい」

「あなたは、飴を食べて、どうなったら嬉しい?」

 問いかけられて、しばらく考える。

「空が飛べたらいいな、って思います」

 そしたらお使いとか買い物に行ったりとかするのに森を飛び越えられる。

「いいわね。ただ、一つの効果でそれを作っちゃうと、効果が切れた途端に落っこちちゃうわ。危ないから、それは次の段階、二つの効果の練習に入ったときに作りましょう。今回はそうね……足が速くなるとかはどう?」

 ……師匠には、目的までお見通しなようだ。

 だけど、足が速くなるだけでもきっと、時間短縮にはなる。

 飴の効果が切れても、元の速さに戻るだけだから危険もない。

「一つの効果に一つの魔法円。円の内側に求める効果を紋様化した呪文を描くの。どちらの手でどちらを描いても良いけど、最初は細かい作業が得意な方で紋様を描く方がやりやすいかもしれないわね」

「はい」

 何度も練習しているけど、ここまでのやり取りは毎回のことだ。

 聞き流してるつもりは無いのに……

「そうねぇ……。今日はまず、イメージの作り方を練習しましょうか」

「え?」

「足が速くなるって、どういうイメージ?」

 速くなる、イメージ……。

 羽が生える? でもそれじゃ、飛ぶのと同じ気がする。

 体が軽くなる、とか。

 あ、靴に羽が生えるとかどうだろう。

 風の精霊が宿った靴を履いたら、馬でも三日かかる山越えの道を一日で駆けたって言う伝説があるくらいだし。

 羽根は、風の精霊を意匠化したもの。

「靴に、羽が生える、とか」

「なるほど。メテオラの伝説ね?」

「はい」

「じゃあそれをしっかりイメージして。その靴はどんな形? どんな色? どこに羽が生えているかしら。もしかすると、靴自体が羽根でできているかもしれないわね。……迷わないで。その靴が作れるくらいにあなたの中でイメージを固めてみて。頭の中だけでは難しいなら、絵を描いてみるのもいいかもしれないわ」

「靴を作る……」

「そう。それくらい固めることができれば、そのイメージが紋様へと変化するの。そこまでできるようになれば、すぐに描けるようになるわ。だって魔法円を描くのはもうなんの問題もないんだもの」

「え?」

 そんなこと今まで一度も言われなかったのに。

 目を瞬かせると、師匠は悪戯っぽく笑った。

「うふふ。あまりにも紋様が安定しないものだから、言わないでおこうと思っていたの。でもあなたを見ていたら、逆に、言って自信をつけさせる方がいいのかなって」

「自信……」

 そんなものあるわけない。だって僕には、取り立てて自慢できるような取り柄もない。

 多くはない魔力量で、より多くの生活魔法を使えるようにと考えて、少しずつ増やせていったけれど、たかがそれくらいだ。

 家ではそれが役に立ってると思ってたのに、いくら積まれたのか知らないけど、それで売られるくらいには、どうでもいい存在だったんだと思い知らされた。

 自然と俯く僕の頭をぽんぽんと撫でた師匠は

「あなたに足りないのは自信なのよ。ね、できないと思わないで。絶対にできると信じて。だってあなたは、この私自らが弟子に取った子なんだから」

 と笑った。

「え、だってバルト様とかゴーシュ様とかシリカ様とか、他にも……」

 飴師ではないけど、それぞれ有名な善き魔女だ。

「ええ、弟子は居たわ。押しかけられたり押し付けられたりした子がね。でも、自分から迎えに行ったのは、あなたが初めてよ」

 ……ていうか、師匠って一体いくつなんだろう。

 独り立ちというか卒業した弟子が、それなりの人数居るのに、こんなに若々しいとか。

「んふ、余計なことは考えないのよ?」

「ぁはいっ! すみません! ……あの、師匠は、どこで僕のことを知ったんですか?」

 それはずっと不思議に思っていたけど、単に通りがかったとかそんなのだと思ってた。

 でも、今の言い方だと、そうではないっぽい。

「魔女集会でね、あなたの村のすぐ近くに住んでる同輩から聞いたのよ。面白い魔力の使い方をする子が居るって」

「面白い……」

「如何に少ない魔力で、如何に沢山の魔法を同時展開できるか、チャレンジしてる子が居るって」

「いや別にそんなつもりはなくて」

 そうでもしなきゃ、僕の休む時間が作れなかっただけだ。

 毎日くたくただったけど、それでも、家族の中でそれなりの魔法を使えるのは僕だけだったから。

 もちろんここでも、家事全般を担ってるのは変わらないんだけど、水汲みみたいな単純作業とか、掃除洗濯の大まかな部分とかは、師匠の使い魔達がやってくれるから、彼らの手に負えないような、細かいところだけやればいい。

 そもそも二人分だから、そんなに量も多くない。

 休憩する時間はしっかりあるし、こんな風に魔法の練習もさせてもらえる。

「そんな子なら、飴師にとって最も必要な、緻密な紋様を描けるんじゃないかと思ったの」

「……期待外れじゃないですか?」

「それを決めるのはまだ早いわよ。あなたの歳だとまだ、十年は修行に費やすことができる。それまでにコツを掴めればいいんだもの。まだまだだわ」

「じゅうねん……」

「ええ。だからまずは基礎を固めていきましょう。私も少し焦りすぎていたわね。ごめんなさい」

「いえっ、そんな!」

 ……そうか、僕は少なくともその間は、ここに居ていいんだ。


 師匠の下で、師匠に導かれて、僕は魔法を覚えていく。

 たとえ飴師になれなかったとしても、師匠の名に恥じない、善き魔女、白の魔術師となれるように。


 そう遠くはない未来、稀代の飴師と呼ばれることになる僕も、今この時は、ただの見習いでしかなかった。





 時を重ね、僕は背丈だけでなら、師匠を追い越していた。

 ただ、飴作りの方は芳しくなく、二重円までなら失敗することもないのに、三重円になると途端に成功率を下げてしまうのだ。

 師匠によると、紋様にも問題が無いわけではないけれど、それよりも凝縮の方により問題があるらしい。

「まず、正しい紋様を描けていないと、飴にならずに砕けてしまうわよね」

「はい」

 習い始めたばかりの時は、飴にすらならなかった。

 そのうち飴状にはなったものの、固まる前に砕けてバラバラになってた。

「飴になって固定されたということは、紋様は正しく描けているということよ」

「じゃあ棒にできたりできなかったりするのは……」

「凝縮の時に、均等に魔力を注げなかったからね。バランスが崩れると、せっかく描いた紋様が歪んでしまうの。そうなるとその飴は崩れるわ。円の数が増えれば増えるほど、紋様が複雑になればなるほど、精密な魔力操作が必要になることはわかるわね?」

「はい」

「つまり今のあなたは、ほとんどの場合、紋様は描けているのに、凝縮での魔力操作に問題があって、三重円以上の成功率を落としているということになるわね」

 その言葉は、衝撃以外の何物でもなかった。

 魔力操作は、僕が得意とするもののはずだった。それを理由に師匠が僕を弟子にしてくれるくらい。

 そこに問題があるなんて言われて、悔しくないわけがない。


 それからの僕は、魔法と名のつくもの、生活魔法を使う時はもちろん飴を食べる時にまで、魔力の動きを意識して、僅かな制御に気を遣った。

 そうしてみれば、今までよりもさらに効率的に魔法を使えるようになり、それと同時に飴作りの成功率も上がった。そうなると師匠からの課題もより高度なもの、より複雑なものになっていく。

 それでも早く師匠に並び立ちたくて、必死に食らいついた。

 今や三重円までの物の全てと単純な紋様の五重円までの依頼は、師匠の確認を受けてからとはいえ、僕がこなすようにもなっている。


 そんなある日。

 師匠から出された課題は凄まじい難易度のもので、しかも、渡された紋様が何の紋様かを読み解いた上で、その飴を作れという。

 今までは、告げられた効果を現す飴を作る、というのが課題内容で、そのための紋様を考えることも含まれていたのに、それとは真逆だ。

 微かに嫌な予感を覚えながら、それでも受けないという選択など、あり得なかった。




 まず、紋様を把握することに幾日もかかった。

 十五もの魔法円から構成されたそれは、描かれている紋様も凄まじいまでに細かく複雑だ。

 なのに、なんとか読み解けた一部は意味がわからないときた。

「時を、止める……? こっちは解除。体に作用する。記憶を止めない……かな」

 けれど、その意味を理解して具現化しないと、飴を描けない。


 なんとか自分なりに落とし込んで、ようやく飴を描き始めても失敗が続く……というか、失敗しかしない。

 飴にならないということは、僕のイメージが間違ってるということだ。

 何度も何度もイメージを変えて挑戦する。

 うまく描けたと思っても、飴になった途端、砕けてしまう。

 そのうち、砕けた飴の中にも固まった部分と固まってない部分があることに気付いて、ならない部分を読み解き、イメージを変更して、また新たに描く。

 部分的に変更していくことで、少しずつ、全体のイメージがなんとなく掴めてきた。

 食べることで時を止める。一定の条件下でそれが解ける。

 その条件付けが、最後の難関だった。

 けれど、ふと頭を掠めたとある不安をイメージした瞬間、それは、かつりと飴になった。

 ……ああ、そういうことなんだ。


 絶望を胸に抱きながら、それでも師匠の課題を途中で投げ出すなんて考えられなくて、今度は飴を凝縮することに集中する。

 飴を描くことに失敗するのは、もうほとんどなかった。

 けれど、棒にならずにやっぱり砕けてしまう。

 失敗に次ぐ失敗で、僕はもう、その飴を作りたいのか、作りたくないのか、自分でもわからなくなっていった。


 師匠からの、おそらく最後の課題。

 これを作ることが、きっと弟子として最後の役割。

 作らなければ、と気持ちを奮い立たせながら、どれほど向かい合っただろう。


「できた……! 師匠、できました!」

「おめでとうファーディ。……今日からあなたがスフェーンよ」

「……え?」

「スフェーンというのは、実は私の名前じゃないの」

「え、ええ?」

「その名は代々引き継がれていく、飴師を指す名前。飴師となるための最後の試練は、今あなたの作り上げた、時止めの飴を作ること。それが作れたら、その飴を口にしたら、それと同時に肉体の時は止まる。新たな飴師を見出し、次代にその技術を引き継ぐ時まで。そして次代が生まれたら、先代の体内の時は再び動き出すの。ごく稀に、次代が二人以上いる時があるけど、その時も全員がこの名を名乗るのよ」

 ああ、やっぱり。

 なかなか読み解けなかった、止まっていた時を再び動かす条件。

 それは、師匠との別れを意味していた。

「それじゃあ……」

「そんな顔しないのよ。幸いにして、私はあなたと同じく、かなり若い時期に飴師となったから、残された時間はそれなりにある。二人がかりだから、依頼は捌きやすくなるわね。でも、今後表に立つのはあなたよ」

 それでもいい。そんなことくらいなんでもない。

 良かった、すぐに別れが訪れるわけではないんだ。

「あの、でも僕は、師匠みたいにできる自信がありません」

「大丈夫よ。だってその飴は、飴師たるに相応しい、歴代に匹敵する力を持った次代でないと作れないんだもの。その基準がスフェーンの名を揺るぎないものにしている。そしてその次代は必ず見つけられるようになっているのよ。飴師の力が呼ぶのかしらね」

「え、じゃあまさか」

「そのまさか。押し付けられたり押しかけられたりする子の中にいることもないわけじゃないけど、ほとんどの場合は、飴師が自分で見つけ出すのよ。次代になれる子に限って、自覚がないことが多いから」

 そう言って、師匠は綺麗に微笑んだ。


 ……僕はずっと、小器用なだけだと思ってた。

 あまり多くはない僕の魔力で全ての家事をこなそうと思ったら、魔力操作の精度を上げていくしかなくて、必要に迫られて身についただけのそれに、価値があるなんて思ってもみなかった。

「白の魔術師と呼ばれる善き魔女の中でも、飴師は最高位に座する。その飴師にとって大切なのはね、魔力量なんかじゃなく、その心なの」

「心……」

「ええ。だからあなたが自信をつけるにつれ、どんどん成功率は上がっていったでしょう? もちろん一定以上のランクになると、緻密な魔力操作が必要となるけれどね。でも、高ランクの飴が描けるようになったからとそこで驕り高ぶるようでは、飴師の最終試練は乗り越えられない。それを乗り越えたあなたは、確かにスフェーンを名乗るのに相応しい力と心を持っているわ。自信を持ってね」

 そう語る師匠の碧の瞳は、まるで凪いだ海のようだった。

 けれど、その瞳の奥に僅かな寂寥を見出した僕は、師匠にも黙ってひとつの研究を始めた。


 依頼を捌きながら、僅かな時間を惜しんで進める研究は、少しずつ進んでいく。

 それは、僕の執念が形を成していく過程でもあった。

 そしてーーー


「師匠、この飴食べてみてもらえませんか?」

「スフェーン、これはなに?」

「家では、名前で呼ぶ約束ですよ」

「……ファーディ。それで、これはなに?」

「当ててみてください。わからなかったら食べてくださいね?」

 そう言うと、師匠はじっと紋様を見つめ始めた。

 時々指が動くのは、紋様の意味を読み解こうとしているから。

 だけど、きっと師匠にもわからないはず。

 だってこれは、『もう新しい物は生み出せない』と言われ続けた飴師の……世界の常識をも覆す、魔法円ではなく魔法陣と紋様を組み合わせた、『今まで存在しなかった』飴だから。


 ……慣例を崩しているのはわかってる。

 自分がどれほど酷いことをしようとしているかも。

 飴師を引き継ぐことで、初めて師匠に連れて行かれた白の集会では、色々なことを教えてもらった。

 師匠が語らなかった、飴師の歴史についてまでも。


 飴師をスフェーンと呼ぶのは昔から変わらないけれど、最初はこんな風に一代に一人ではなく、沢山の飴師がいたらしい。そんな彼らは、飴師となる前の名とスフェーンの名を組み合わせて名乗っていたという。

 その時代には、色々な飴が作られた。

 子どもの遊びのようなくだらない物から、奇跡と言ってもいいくらいの効果を生み出す物まで、それはもう様々な効果の物が。

 今は、その時代に作られた紋様を踏襲したものしか作られない。いや、作れない。

 そんなの当たり前だ。

 師匠を見ていたらわかる。

 飴師が一日に作れるのは、簡単な物でも3本ほど。難しいものになると一本しか作れない。

 なのに依頼は途切れることなく舞い込むのだ。

 そんな中、次代を見つけ出して、その指導もしなきゃいけない。

 そうしたら、新しいものの研究なんてしている暇はない。


 昔は沢山の飴師がいたから、依頼を捌くこと自体は難しくはなかったけど、次代のスフェーンを見つけてくる方法も変わらなかった。

 だけどその時代にはまだ時止めの飴は存在してなくて、だから、次代を探し出す前に寿命を迎えた飴師は、この世から去っていく。

 そうして数を減らし始めた飴師が滅亡することを恐れた、時の王族の命により、時止めの飴は作り出された。

 それがどれほどの孤独を生むかをわかっていながら、飴師達はその命に逆らえなかった。

 ただ、その頃の時止めの飴はまだ不完全で、定期的に食べなければいけなかったらしい。

 だから、生きることに倦んだ飴師は、食べるのを忘れた振りをして、死んでいく。

 その逃げ道すら埋めるように改変を重ねさせられ、とうとう完全なる不老の飴が作り出された。

「でもそれって、それこそ王侯貴族が欲しがりそうなんですけど」

「もちろん欲しがる者は大勢いたそうよ? でもね、孤独に耐えられる精神を持ち続けられる者は多くないの」

「……?」

「考えてもみて? 自分は若い姿のままだけれど、周りの者達は皆、年老いて死んでいく。よく仕えてくれたお気に入りの使用人も、友人も、もしかすると自分の子どもや孫も。何世代も見送り続けて、それでも正気を保てる者は少ないわ」

 そう言われたらわかる気がした。

 だって、可愛がってくれた隣のおじいちゃんが死んだ時でさえあんなに悲しかったんだ。

 その悲しみを、何度も何度も味わうことになる。

 赤ん坊だった子どもが大きくなって、年老いて、居なくなる。大好きな人を見送り続けるなんて、少なくとも僕には無理だ。

 ああそうか。だから飴師が住むのはこんな森の奥なのか。

 時を止めた飴師が、人の営みに直面することのないように。

「幸い……と言っていいかはわからないけど、不老であって不死ではないから、死ぬことはできたんだよ。それでももうそんな悲劇を生まないように、その飴は飴師の間にだけ伝えられるようになった。少しずつ内容を変えてね。そうして生まれたのが、時止めの飴だ」

「どうして不老のままにしなかったんですか」

 そうしたら、一代一人、なんてことにはならない。再びたくさんの飴師が生まれるじゃないか。

「そうだね……。でも、考えてごらん。次代はすぐに見つかるわけじゃない。先代だって、君を見つけるまでに何十年かかっただろうね。長い間孤独に包まれていた飴師を、それ以上生き永らえさせるのも、酷じゃないかい?」

「あなたと同じように考えた飴師が、居なかったわけじゃないのよ。その飴師は昔の……時止めではない、不老のレシピの飴を食べたわ。でもやっぱり生き疲れてしまって、次代が生まれてしばらくした頃、自分で命を絶ったの」


 そんな話を聞いていて、それでもなお、僕は自分の研究を止めなかった。……いや、止めることが出来なかった。

 今、その研究が実を結ぶ。


 想いを巡らせていた僕の耳に、師匠のため息が聞こえた。

 どうしても読み解けなかったんだろう。

 諦めたように、細い指先が飴をつまみ上げる。

 ころり、と口の中に入ると同時に溶けた飴から、虹色がかった黄金の魔法陣が広がった。

「?!」

 師匠の体に纏わりついたその粒子が、吸い込まれて消える。

「ファーディ、これ……っ!」

 体内に起こった変化を感じ取ったのだろう。今となっては頭ひとつ分大きな僕を振り仰いだ。

「……ごめんなさい。残酷なことをしているのはわかっています。あなたに恨まれても仕方ないということも」

 そこで一旦、言葉を切る。

 今から口にするのは、最低の脅し文句だ。わかってる。

 それでも、どうしても。

「それでも僕は、あなたのいない世界なんていらない。飴師を存続させたいなら、……僕に生きていて欲しいなら、僕と一緒に生きてください……レムリア」

 その名を呼んだ瞬間、ひゅっ、と師匠の喉が鳴った。

 それはそうだろう。

 師匠は、一度たりとも自分の名を明かさなかったし、僕も『師匠』としか呼ばなかった。

 それはこの世界の不文律によるもの。

 力ある者の名は、不用意に呼んではいけない。

 己より力が上の者の名は、決して呼んではいけない。

 師匠が僕の名を呼んでいたのは、見習いだった頃だけ。

 だけど、ただの善き魔女と飴師という立場になってからも、師匠が僕の名前を呼べたのは、あくまでも力量としては対等だったから。

 そして僕にとって師匠は、いつまでもどこまでも、僕の……僕だけの師匠だったから。


 僕の作り出した飴の効果は、再び刻み始めた肉体の時を、僕と繋ぐこと。

 これで死ぬ時まで、僕は師匠と……レムリアと共に居られる。

 彼女が自ら命を絶てば、同時に僕も死ぬ。

 代わりに、僕が時止めの飴の効果内に居る限り、彼女の時もまた止まる。

「なんでこんな……なんてことをしてくれたの」

 レムリアの碧の瞳から、ぼろぼろと涙が溢れる。

「ごめんなさい。恨んでくれて構いません。顔も見たくないと言うなら出ていきます。でも、あなたのいないこの世界のために力を振るうなんて、無理だ」

「ファーディ……」

 涙を溢し続ける彼女に跪き、手を差し伸べる。

「愛しています。師匠として敬愛し続けたあなたに、いつの間にか恋情を抱いてしまっていた僕は、弟子失格なのでしょう。でも、あなただけを愛すると誓います。だからどうか、僕を受け入れて……」

 真っ直ぐに見上げた僕の視界が滲んだ。

 この先彼女に背負わせる苦しみを思えば、僕に泣く資格なんかない。

 わかっていても、頬を伝う雫を止められなかった。

「ファーディ、馬鹿な子……」

 呟くような声と共に、師匠が僕の前に膝をついた。

 差し伸べていた手を取られて、それに頬擦りするように顔を寄せられる。

「師匠……?」

「私はもうあなたの師匠じゃない。新しい飴を作り出したあなたに、私が教えられることなど何もない」

 その、どこか突き放すような言葉に、目を閉じた。

 師匠には、僕を赦すつもりなどないのだ。

「……それがあなたの答えなんですね」

 立ち上がった僕は、一度だけ滑らかな頬を撫でてから手を離した。

「ファーディ……?」

「大丈夫。僕がここを出て行きますから、あなたはここでこのまま暮らしていて。スフェーンの名を僕が持つ限り、依頼は全て僕の方へ来るでしょう。もう煩わされることもありません」

 不安気に僕を見上げていた碧の瞳が瞠られる。

「待ってファーディ、違う!」

 叫ぶような声をあげて僕のローブを掴んだその手が震えていた。

「だってあなたに、僕を赦すつもりはないんでしょう?」

「そうじゃない。あなたが私を『師匠』と呼ぶのが間違ってるということよ! それにあなたがここを出ていって、しかも依頼まで来なくなったら、私は独りで何をして生きていけばいいの?!」

 その悲鳴のような声は、恐怖に彩られていた。

「師しょ……」

「違うわ! その名で私を呼ばないで!」

 銀の髪を振り乱し、僕の愛しい人は再び涙を溢していた。

 座り込んでしまった彼女の前に膝をついて、その細い体を抱きしめる。

「……ごめんなさい」

 顔は両手で覆われてしまっていたから、頭と額に口づけて

「泣かないで、レムリア」

 耳元に囁くと、一瞬体を跳ねさせた彼女が僕にしがみついてきた。

「ファーディ、私を置いてどこかへ行くなんて許さない。あなたは私の命にまでも責任があるのよ。だから……っ」

 そこでひくっと喉が鳴った。

「ひとりに、しないで……っ」

 嗚咽混じりの声が、彼女の弱さを曝け出し、同時に僕の勝手な思い込みを糾弾する。

「ごめん……。ごめんねレムリア。今度こそ僕の……ファーディ・スフェーンの名にかけて誓うよ。この命の尽きるまで、レムリア・スフェーン、君を愛し続ける。ひとりになんてしないから」

 魔女の言葉は特別だ。

 己の名にかけて誓った言葉に背いたら、魔力の全てを失うといわれている。

 だけど、そんなもの怖くもなんともない。


 このひとがどれだけ、僕に愛を注いでくれたか。

 僕がどれだけ、このひとに焦がれたか。

 二つの想いは、同じ愛ではなかったかもしれない。

 だけど今、レムリアから感じるそれは、僕と同じもの。


 両手でその頬を支えて、やっと手に入れた愛しい人と唇を重ねる。

 それは、永遠の契約の始まりだった。




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