転生者
それは私が泉のほとりで日向ぼっこをしている時に起こった。最近リュリーに毎日のように召喚されて忙しいので――パールイーズのお城でもごろごろしてるだけだけど――、今日は星降る森でのんびりしようとしていたのだ。
そんな私の視界に青白い火の玉のようなものが映り、ゆらゆらと頼りなく揺れながらこちらに近づいてくる。火の玉の大きさは人間の顔くらいだ。
(何だ、あれ)
寝ぼけていて幻を見てるのかなと思いつつ、火の玉を目で追う。
(妖精かな。火の妖精とか)
今まで見たことないけど、星降る森にはそんな生き物もいるのかもしれない。
いずれにせよ相手は猫パンチ一発で倒せそうな大きさだったので、私はごろごろしたまま余裕の態度で火の玉を見ていた。
しかし火の玉は急に素早く飛んで私に迫り、猫パンチを繰り出す間もなくぶつかってきた。
衝突の衝撃はなく熱さも感じなかったが、自分の体に何かが入ってきたかのような、ぞわっと毛が逆立つ感覚がした。
そしてその瞬間、私の頭の中に私のものではない声が響く。
(よし、乗っ取り完了!)
(!?)
私はびっくりして目を見開いた――つもりだったが表情は変わらなかった。
(何これ!? おかしい)
まばたきすら自分の意思でできない。顔も体も、何一つとして思い通りに動かないのだ。
混乱しながらも何とか体を動かそうとしていると、またもや他人の声が頭に響いた。
(悪いけど無駄だ。お前の体は俺が乗っ取ったから)
(乗っ取った!?)
人間の若い男の人みたいな軽い声だ。うろたえている私の意思に反して、私の体は勝手に動いて立ち上がる。
(なななな何これ……!? 何これ何これ!?)
(猫でも体を乗っ取られると狼狽するんだな。というか、思ったより色んなこと考えてるし結構知能高いな、お前)
(あなた、誰!? さっきの火の玉!?)
声の主は我が物顔で私の体を操り、のしのしと歩いて泉の水を飲む。
そして飲み終えると顔を上げて、淡々と言った。
(そうだよ。俺は体を持たない幽霊みたいな生き物なんだけど、そのままの状態だと一週間くらいで消滅しちゃうんだ。誰かの体を乗っ取り続けないと生きていけない、『憑炎』っていう難儀な幻獣なんだよ)
(幻獣なの?)
(うん、そういう自覚がある)
フーンと頭の中で相槌を打ったものの、このまま私の体を乗っ取られては困ると、再び何とか体を動かそうとしてみた。
しかしやはり私の想い通りにはならず、体は勝手に座ってくつろぎ出した。
(大きい体っていいな。虫の体を乗っ取ったこともあるけど、何か窮屈でさ)
私はしばらく自分の体を取り返そうと頑張ってみたが、どうにもならなかったので早々に諦めて頭の中で大人しくなる。
(お前、諦めるの早くね? てか寝てない?)
頭の中でスピーと寝息を立て始めた私に突っ込む憑炎。だって日向ぼっこしながら昼寝しようとしてたところだったんだもん。
(知能高いのに危機感はないんだな。体乗っ取られたら怖くない?)
(んー、冷静に考えると私の代わりに動いてくれるんだからすごく楽なんじゃないかって思えてきた)
(それ本当に冷静に考えられてる? 自分の体がどうなってもいいのか?)
(私の体を傷つけたりしたら憑炎も痛いだろうし、そんなことしないでしょ? なら特に怖いことはない)
(冷静だな……)
憑炎は感心したように言った。それくらい私だって考えられるよ!
(俺、転生者でさぁ、前世では人間だったんだよね。お前、人間って知ってる?)
泉のほとりでのんびりしながら、憑炎は遠い目をして尋ねてきた。
(知ってるよ。何度も会ったことある)
(え、そうなの!? それは朗報だ。動物の体乗っ取ってもつまんないから、いつか人間の体が欲しいんだよ)
(フーン)
前世ってよく分からないけど、人間だったことがあるなら人間になりたい気持ちも分かる。
(お前に言っても分かんないだろうけど、俺、前世では日本出身でさ。日本って平和で、ゲームとか面白いアニメとか娯楽もたくさんあってさ、今思うと良い国だったんだよ。それが事故に遭っちゃってさ。まさか自分が若くして死ぬなんて……)
二ホンという国の名前に反応して、私はぴくりと耳を動かした――つもりだったが体を乗っ取られているので動かなかった。
二ホンって確かリセやシズクの出身国だった気がする。二ホンから繁栄の巫女として召喚されたんだよね。リセたちは召喚、憑炎は転生っていう違いはあるけど、異世界ってもしかして二ホンしかない?
(何? お前、日本人の知り合いいるの? 可愛い子じゃん!)
考えていることはお互い筒抜けなので、憑炎は私が思い浮かべたリセの姿を見てテンションを上げた。
(リセの体、乗っ取ったら駄目だよ)
(乗っ取らねぇよ。乗っ取ったら付き合えないじゃんか)
(リセはエミリオっていう王子と相思相愛だよ)
リセの幸せは私が守る! と思って釘をさすと、憑炎はがっかりしたように言う。
(えー、マジか。残念だ。それにちょっと羨ましいな。同じ日本人なのにあっちは王子と知り合えて、こっちは動物や虫の体を乗っ取りながら当てもなく森をさまよってる。俺もお姫様と付き合いてぇよ)
己の欲望をちらりと見せると、憑炎は続けて愚痴り出した。
(誰かの体を乗っ取れるって結構すごい能力なんじゃないかと思って、転生した直後はすげー喜んだよ。だってこの力があれば、イケメン勇者の体を乗っ取ってモテモテの人生を歩むことだって夢じゃないんだから。なのにこの森には動物とか妖精とかしかいないしさー! 乗っ取ったって楽しくねぇよぉ! しかもどれだけ歩いても森を抜けられないしさぁ! どの方角に進めば人間のいる国に行けるんだよぉ!)
憑炎は半泣きになって「ナァーン!」と鳴く。慣れてないからか鳴き方がぎこちない。
(俺、イケメンの体を乗っ取ったらさぁ、嫁をたくさん貰うんだ。七人貰って毎日違う子と過ごすんだ)
何か煩悩がすごいな、こいつ。
(でもこのまま猫の姿で人間の国に行くのもいいかもな。体はでか過ぎるけど、顔は子猫らしくて可愛いし、きっと俺を可愛がってくれる美少女がいるはず。あー、美少女に飼われたい。愛されて可愛がられたい)
よく分からない欲望ばかり持ってるな、と私は困惑した。
しかしそこで憑炎は少し冷静になって言う。
(でもやっぱり体がでかいと怖がられるかなー。魔物だと思われて殺されたら嫌だな)
(そりゃ嫌だよ。私の体なんだから憑炎より私の方が嫌だよ)
私は思わず口を挟んでしまった。殺されるのはさすがに避けてほしい。
(まぁ、気をつけるよ。殺されても俺はまた別の体を乗っ取ればいいだけだけど、お前は死んじゃうもんな。さすがにそれは俺も心が痛む)
そこまで言うと、憑炎は辺りを見回して話題を変えた。
(ところで森を出るのはどっちに行けばいい? お前知らない? ――いや、待て。俺も分かるぞ)
驚いたように頭の中で呟くと、憑炎は方向転換して南に向かって歩いていく。ここからだと南の端が一番近いからね。
(お前って、頭に方位磁石とこの森の地図でも搭載されてるのか? どっちに行けば森を出られるか分かるぞ。便利だな)
(すごいでしょ)
フフンと得意になる私。憑炎は嬉しそうに言う。
(これでついに人間のいる国に行けるぞ! もう森を延々とさまよわずに済む!)
(がんばれー)
適当に応援すると、走り出した憑炎に体を任せて私は寝ることにした。
(じゃあ後はよろしく。私は昼寝するね)
(いや、体の中に他の人間がいることに馴染むの早過ぎだろ)
憑炎にそんなことを言われながら、私は眠りに落ちたのだった。
そして次に目覚めると、憑炎が興奮気味に私に声をかけてきていた。
(おい、起きろ! 起きてくれ、人間を見つけたぞ!)
(へぁ?)
寝ぼけながら目を覚ますと、視界には確かに人間が映っていた。彼らはかなりの大所帯で、おそらく全部で三十人近くいる。木々の向こう、ここからはまだ遠い位置を歩いていた。
憑炎は足を止め、身を潜めながら私に尋ねてくる。
(こんなすぐに人間と出会えると思わなかったからまだ心の準備が……! ここからどうしたらいいんだ? 攻撃されたくないけど、人間からしたらこんなでかい猫が現れたらビビるだろうし)
(うーん、ゆっくり近づいていけばいいんじゃない?)
(それだけじゃ威圧感は消せないだろ)
憑炎はそう言いつつも、姿勢を低くしつつ木々の間を縫って人間の集団に近づいていく。獲物を狙う時の姿勢だよ、それ。
人間たちはほとんどが男の人で、腰に剣を携えているし、制服からして騎士だろうと思う。
一人、制服を着ていない代わりに豪華な衣装を着ている若い男の人も見えた。短い金髪につり上がった眉と目、太って重そうな体をしている。顔立ちは悪くないけど意地悪そうな印象を受ける。
そして彼の世話係か使用人らしき女の人も二人いて、金髪の太った男に水を差しだしたり汗を拭いてあげたり、健気に働いていた。
(王族と、護衛の騎士たちと、世話係かなぁ)
(確かにあの太った金髪は王族っぽいな。若いけど、見た目からして偉そう)
私の言葉に憑炎も同意する。
(この世界の人間ってこんな感じなんだ。服装や持ち物からして日本より発展してなさそうだな)
そんなことを喋りながら少しずつ近づいていくと、人間たちの声がはっきりと耳に届くようになった。
「陛下、これ以上奥へは行かれぬようお気を付けください」
前にずんずん進んで行く金髪の人を騎士の一人が止める。
「あまり奥へ進むと遭難の危険があります」
「まだ少し戻れば森の外の草原が見えるほどの位置だろう。簡単に帰れる」
「いえ、陛下の御身に万が一のことがあっては……」
騎士は恐る恐るといった様子で警告する。すると金髪の人間――陛下と呼ばれてるしやっぱり王様だろう――は、大げさなため息をついてからきつく怒鳴った。
「ならばさっさともっと多くの星を集めろ! たった二個しか拾えていないではないか!」
王様はそこから動かなかったが、騎士たちも使用人も慌てて周辺を捜索する。
「全く、使えぬ奴らだな」
腕を組んで仁王立ちしながら、王様は臣下たちの働きぶりを見張り始めた。本当に偉そうな王様だなー。
(嫌な奴だな、こいつ)
憑炎も不快な気持ちになったようだ。
私はふと気づいて言う。
(そう言えば森の南にはジーズゥっていう国があって、そこには悪い王様がいるんだった。気に入らない人間を罪人にして、この森の木に括りつけて殺そうとしたりするような人だよ)
(マジかよ……。じゃあ、あの太った金髪がその悪い王様?)
(たぶん)
大きな木の陰に身を潜めている私たちに気づかないまま、王様は不機嫌を丸出しにして言う。
「戦争を始めるんだぞ! 戦に備えて星を山ほど集めなければならぬ! 私が保有している分だけでは心許ないからな」
戦争だなんて物騒なことを言う。本気なのかな?
王様は憎々しげに顔を歪めながら続ける。
「そして、この森で罪人を助けていた者も必ず探し出すんだぞ! その正体が人間だろうが妖精や幻獣だろうが、私に歯向かった者は必ず処刑するのだ!」
それってもしかして木に括りつけられていた人たちを助けた私のことかな、と少し心臓がドキドキした。見つかったら殺されるかも。
しかしあれしろこれしろと注文の多い王様だ。臣下の人たちは大変だろうなぁ。
「一体どうしてこんなに星が落ちていないのだッ!?」
王様は突っ立っているだけだけど、イライラしながら叫んだ。
私が思うに、たぶんこの辺りの星はリュリーたちがすでに取っていっちゃったんだろう。リュリーたちは義賊の真似事をしてるから、ジーズゥの悪い王様に星が渡る前に、ジーズゥの領地に近い森の中で星を拾って回っていたのだ。
リュリーたちの行動は、ジーズゥの王様をイラつかせるのにしっかり役立ったみたい。
しかし――、
「お前たちがよく探さないから見つからないだけではないのかッ!?」
「……っ!」
自分の思い通りに事が進まなかったことで簡単に激高した王様は、そばにいた若い騎士を蹴り飛ばした。騎士は地面に星が落ちていないかと膝を着いて探していたところだったのに、そこを思いきり蹴ったのだ。
「我々にはマクシムスがいるとはいえ、戦争には星が必要だ! お前たちももっと必死で探せ、役立たずども!」
「きゃあ!」
今度は女性の使用人を加減もせずに押して転ばせた。本当に最低な王様だ。使用人は女の人だし十分にごはんを食べていないみたいに細いのに、太って大柄な王様が押したら怪我しちゃう。
強い者が一方的に弱い者を虐げているのを見ると、何だか気分が悪くなる。
(あの王様、きらい)
私がムッとしながら呟くと、憑炎も頷く。
(お前もそう思うか。あいつよりも猫の方が良心を持ってるよな。……あ、あいつまた!)
押されて転んだ女性使用人を、王様が何度も足蹴にする。自分がイライラしているから他人に当たるという、人間にとって最悪の行為だ。こんなの動物より次元が低いよ。
(許せん)
憑炎が、あの王様の前に出て行って脅かしてやろうと考えているのが分かった。だけど私は止めなかった。私が自由に体を動かせる状況であっても、同じことをしただろうから。
(ビビらせてやる)
憑炎は煩悩まみれのくせに意外と紳士で正義感が強いみたいだ。女性が蹴られているのを見ていられないという気持ちと、弱者を助けなければという気持ちが強い。私があの王様に不快感を抱いているのも、もしかして憑炎の感情に多少引きずられたのかも。
憑炎は木の陰から飛び出し、走っていくと、王様の前で止まって怖い顔で威嚇した。子猫の可愛い顔ではあるけど、牙をむき出して本気で唸れば、体の大きさも相まって恐ろしいと思う。
「……ひっ、な、何だッ!?」
予想通り王様は突然現れた巨大な子猫に驚愕し、使用人を蹴るのを止めて尻もちをついた。王様以外の人間たちも悲鳴を上げたり驚いたりしてるけど、私や憑炎の狙いは王様だけだ。
「ウゥ……」
憑炎は唸りながらじりじりと近づいていき、地面にへたり込んでいる王様を右の前足で軽く押した。
「うあぁぁッ!」
それだけで王様はすごい悲鳴を上げる。そんなに痛くないと思うけどな。
仰向けに倒れ込んだ王様の体の上に、憑炎は片方の前足を乗せて押さえつけた。体重はかけていないけど、王様は半泣きで狂ったように周りに助けを求める。
「おい! 早く助けろ……ッ! 何を突っ立っているのだ! 早くこの怪物を殺せッ!」
突然の出来事に呆然としていた騎士たちがハッとして剣を抜く。でもみんなこんなに大きな生き物と戦ったことがないのか、すごく緊張しているのが分かる。
「け、剣では無理です! 魔法を使わないと……!」
一人の騎士がそう言うと、憑炎に軽く踏まれたままの王様は焦りと怒りと恐怖がごちゃ混ぜになった顔をしながら、自分の腰の辺りを手早く探る。そして腰につけていた小さな袋から紫色の魔力星を取り出すと、それを何とか騎士の方に向かって投げた。
「早くしろッ! 殺せ!」
騎士はこちらを警戒しながら急いで星を飲み込み、呪文を唱え出す。
(何だ? 魔法を使うのか?)
(逃げよう。攻撃されちゃう)
(そうだな、分かった)
痛いのは嫌だし王様以外の人間と戦うのも嫌だと私が言うと、憑炎も同意して身を翻す。しかし憑炎は私の体に慣れていないのでまだ動きがしなやかでなく、体を反転させた時に足をもつれさせて転んでしまった。
その隙に騎士は詠唱を終えて魔法を放つ。手のひらをこちらにかざしたかと思えば、そこから赤く光る魔力の塊が飛んできた。
(やばッ……!)
憑炎が頭の中で叫び、私は目をつぶろうとした。放たれた攻撃魔法が当たれば、私でもただでは済まないかもしれない。
ドォンと大きな破壊音が鳴った時、私は一瞬自分の体に穴が開いたんじゃないかと青ざめた。しかし痛みは感じない。血が流れている様子もない。
憑炎が恐る恐る目を開けると、私たちと騎士との間には障害物が出現していた。地面から飛び出てきたと思われる太い木の根が、盾となって攻撃魔法を受け止めていたのだ。
(……え?)
私と憑炎は同時に呟く。私の脚よりも太い木の根は、攻撃を受けて先の部分が焦げて千切れ落ちている。
(何で根っこが俺たちの盾になったんだ? お前、何か魔法を使ったのか?)
(私じゃないよ。何もしてない)
憑炎が尋ねてきたが、心当たりはない。攻撃した騎士も王様もびっくりした顔をしてるし、他の人間たちもあっけに取られている。周囲を見回してもこちらを手助けしてくれるような存在は見当たらない。
(何だったんだ? まるで木が助けてくれたみたいだ)
憑炎はそう呟くと、この根の本体であろう大きな木を見上げた。特に魔物化もしていない普通の木だ。意思があるようには思えないけど……。
しかしそこで私の頭にふとある映像が浮かんだ。前にハロルドに連れていってもらった場所の光景だ。そこでは昔、森を切り開こうとする人間たちと、森の木々との戦いがあったみたいだった。人間の武器や馬車はうねった木の枝に絡み取られ、そのまま朽ちていた。
(もしかして星降る森が助けてくれたのかな。でもどうして……)
どうして私や憑炎の味方をしてくれたのだろう。
私はまだ戸惑っていたが、憑炎は足を動かして再び退却しようとする。するとそれを見た王様が、目を血走らせながらこちらを指さして叫ぶ。
「殺せ! 何が何でもあいつを殺すのだッ! この私を踏みつけた罪は重いぞ!」
殺せ殺せって、王様はそればかり言ってる。せっかくこっちが逃げようとしてるのに、自分のプライドを傷つけられたからって深追いするのはあまり頭の良い方法じゃないと思うけど。
「何をしている! さっさと殺せ! あいつを逃がせば代わりにお前たちを処刑するからなッ!」
追うのを躊躇している騎士たちに向かって王様が怒鳴る。彼らを処刑だなんてあまりに理不尽だ。巨大な魔物のように見える私と戦うのは恐ろしいだろうし、できれば騎士たちも戦いたくないだろうに。王様は命令するだけだからいいけどさ。
実際、騎士たちは強張った表情で震えながらこちらに駆けてくる。戦うのは怖いけど、じっとしていても王様に処刑されるだけだから、私に向かってくるしかないのだ。
(こういう選択を、あいつはこれまでたくさんの国民にさせてきたんだろうな。死にたくなけりゃ命令を聞けってな)
憑炎の声が頭に低く響く。怒りを押し殺しているような声だ。
(俺、ずっと引っかかってたんだ。誰かの体を乗っ取るってことは、そいつの人生を奪うってことだろ? だから相手が動物であれ人間であれ、乗っ取る時に罪悪感があった。気づかない振りをしてたけど、悪いことをしてるって思ってたんだ)
追ってくる騎士たちをまきつつ、憑炎はぐるっと半円を描くようにしてまた王様のところに戻っていく。
(だけどあいつ相手なら、罪悪感は抱かない)
憑炎の瞳には、巨大な猫が戻ってきたことで再び恐怖の形相を受かべる王様が映っていた。
(本当はもっと格好いい人間の体を乗っ取りたかったけど、あいつも痩せたらそこそこイケメンになりそうだし、ダイエットして性格良くなればモテるだろ)
頭の中でそう言って笑うと、憑炎は王様の前で足を止めた。そして私にこう声をかけて体から去っていく。
(短い間だったけど、ありがとな)
体を操っていた憑炎が消えたことで、私は一瞬めまいがしたみたいにぐらりと倒れそうになった。しかしすんでのところで足に力を込め、自分の体を取り戻す。勝手に体が動くって楽だったんだけどな。
「貴様ッ! この私に攻撃などすればただでは――」
地面にへたり込みつつも威勢だけは良かった王様は、自分と私の間に現れた青白い炎に気づくと、口をぽかんと開けたまま動きを止めた。
「な、何だ、これは……?」
巨大な猫の次は、宙に浮かぶ青白い炎。王様が混乱するのも当然だ。
しかし憑炎が王様の中に入ると、恐怖や混乱に染まった表情はスッと落ち着く。
そして王様の体を乗っ取った憑炎は、立ち上がると嬉しそうに言った。
「あー、二足歩行のこの感覚懐かしー!」
中身が変われば顔つきも変わるみたいで、意地悪そうな印象は消えて愛嬌が出てきた。
「ミャーン」
「世話になったな」
近づく私に笑顔を返し、顎の辺りを撫でてくる憑炎。
「へ、陛下……?」
「何が起きた?」
周りにいた使用人も私を追いかけてきた騎士たちも、状況を全く把握できていない様子でうろたえている。
「今、青白い火の玉が陛下の体に入ったように見えたが……」
「何だったんだ、あれは」
混乱しながらヒソヒソと話し合う騎士たちに、憑炎は明るい調子で言う。
「さぁ、帰るぞ、お前ら。戦争は止めにするから星集めも今日のところは中止だ。それよりも城に帰ってやることが山ほどある」
「陛下?」
口調も変わって別人のようになった王様に、みんなまだついて行けないでいる。だけど憑炎は胸を張って続けた。
「今日から俺は生まれ変わったと思ってくれ。これからは良い王になると約束する。権力を振りかざして恐怖で支配するなんてことはもうしない。今まで悪かったな」
憑炎はそう言うと、そばにいた女性の使用人に手を差し出した。
「さっき蹴ってしまったところは痛むか? 本当に済まなかった。歩けないならおんぶしてやる。これからは絶対に暴力をふるったりしないと約束する」
「え……、え?」
使用人の女性は戸惑うばかりだ。急に優しくされても怖いのかもしれない。まぁ、憑炎の入った新しい王様がみんなに受け入れられるまでは少し時間がかかるかもね。
騎士たちはまだ小声で話し合っている。
「これは……人が変わったとしか思えない」
「さっきの青白い火の玉。もしかするとあれが陛下の体を乗っ取ったのでは?」
「そんなことが起こるのか? いやでも、星降る森になら人に寄生する妖精や幻獣がいても不思議ではないか……」
「ならばあれは陛下ではなく、ただの妖精や幻獣?」
「そうだったらどうする?」
一人が投げかけた問いに、他の騎士たちは口をつぐむ。そして女性使用人たちに優しく接している憑炎を見ながら、意思を固めた表情をして言う。
「……そのままにしておこう。元の陛下よりも、得体の知れない生物が中に入った陛下の方がまだマシに思える」
「ああ。少なくとも今の陛下は、元の陛下が持っていなかった優しさを持っていそうだ」
「今日見たことは国民には口外するな。陛下の中身が入れ替わったのではなく、陛下は様々な考えを変えられた。そう国民には伝えよう。新しい陛下をみんなで迎え入れるのだ」
騎士たちが口をつぐむ約束をしたところで、憑炎が私に話しかけてくる。
「じゃあ俺はもう行くよ。良い王様になるために城に帰ったら勉強もたくさんしないといけないしな。忙しくなる。でも俺に勉強を教えてくれる人間がいるかなぁ」
憑炎は腕を組んで独り言のように言う。
「賢くて有能なやつほど俺に反抗してたから、そういう人間は俺がみんな処刑しちゃってるんだよな。だから城には俺にこびへつらってた無能しか残ってないと思うんだけど……」
王様の記憶を見たのか、憑炎は困った顔をした。
すると一人の騎士が進み出て、憑炎に慎重に声をかけてくる。
「あの、陛下……? 国や政治のことを勉強されるのなら、教師として相応しい人物は何人かいます。目をつけられないよう、陛下の……以前の陛下の前では無能の振りをしていた頭の良い者たちもいますし、フシャド大臣たちが生き延びてアシリトという街に身を潜めているという情報も得ています」
「フシャド大臣?」
「以前の陛下が、この星降る森の木に括りつけて処刑しようとした人物です。他にも三人の大臣がおり、聡明で知識も豊富なあの方々を王都に呼び戻せば国を立て直せるのではないかと……」
憑炎は政治について子供程度の知識しかないのではないかと、たぶんこの騎士は気づいている? その上で、憑炎に正しい知識を与えればジーズゥは今よりずっと良い国になるのではと期待を抱いてる。
「今の陛下のことを、大臣たちはきっと手助けしてくれます。彼らを頼りましょう。我々も陛下をお支えします」
憑炎は特別頭が良いわけではないと思うし、王に向いている性格かどうかも分からない。煩悩だってすごい。
それでも人として外れてはいけないところは外れないと思うし、優しさだってある。私が憑炎と接した時間はほんの少しだけど、そう感じた。そしてその一点があるだけで元の王様よりはずっと良い王様になる。きっと騎士たちもそう考えているんだろう。
「ありがとな。頼む」
憑炎はニッと笑って騎士に言うと、私の鼻の頭をポンポンと叩いてからここから去っていった。
「お前ともまた会えたらいいな。じゃあな!」
騎士や使用人たちと一緒に歩いていく憑炎を見ながら、私は「ミャーン」と鳴いて返事をしたのだった。
ジーズゥがこれからどうなるか楽しみだなぁ。




