猫好きな王子様(1)
オルライトの王城から戻ってきて三日ほど経つ。
ハロルドも今は星降る森にいるけれど、アンネリーゼに色々教えてほしいと頼まれているらしく、ちょくちょく城に行く予定のようだ。ハロルドは俗世間から離れて暮らしたいみたいだけど、可愛い姪の頼みは断れないらしい。
それにアンネリーゼって一生懸命だからね。そんな人には協力したくなるものだ。
ちなみに私はアンネリーゼには背中の毛づくろいを手伝ってもらえなかったけど、城の使用人たちに『ぶらっしんぐ』というものをしてもらって全身サラサラになった。舌が届かない背中や頭も櫛で丁寧に梳かしてもらって、とても気持ち良かった。あれをしてもらうためにまた城に行きたいと思う。
そんなことを考えつつ、私は森の南の端を歩いていた。ジーズゥの王様は、自分に反抗的な人間を罪人にして、この森の木に括りつけて放置するという刑を執行していた。だからそれが再開されてないか、あるいは誰かがまた別の残酷な刑の犠牲になっていないか、見に来たのだ。
ジーズゥに横暴な王様がいる限り可哀想な罪人は生まれると思うので、私はちょくちょくここに見回りに来ないといけない。
ま、私は正義の猫だからね。私の中にも正義感ってものがたぶんきっとあるようなないような気がするし、人を助けると感謝されて気分が良いし……何より暇だし。
自分の行動理由が「暇だから」で大体説明できることに気づきつつ、私はザクザクと落ち葉を踏みしめて歩いた。
ざっと見回った感じ、木に括りつけられたりしている可哀想な罪人はいなさそうだ。
(暇だ……)
助けるべき人間はいないと分かると、私はその場に腰を下ろして暇つぶしに毛づくろいをする。そして時間をかけて全身綺麗にしたところで、ふと嫌な匂いを嗅ぎ取った。
(狼かなぁ?)
犬っぽい獣の匂いが空中を漂ってくる。匂いは薄いからまだ距離はそれほど近くないだろう。でも近づいて来てる感じがする。
星降る森には動物の狼はいないけど、狼とよく似た姿の幻獣ならいる。
「……」
私は宙を見つめてちょっと考えた後、そそくさとその場から逃げ出した。
狼ってさぁ、幻獣だろうとちゃんと毛づくろいしてないから猫より絶対臭いよ。ぜーったいそう。ヤダー。別に私の方が大きいわけだし、狼くらい全然怖くないけどね。臭いと嫌だから。怖くないけどね。
わりと本気で走って、迫ってきているであろう狼から逃げる。しかししばらく駆け続けると息が切れたので、さすがにもうまけただろうと思いつつ足を止めた。
ハァハァと舌を出して呼吸をしながら後ろを振り返る。
(いや、まだ追ってきてる?)
四足歩行の動物が駆けてくる音が響いてくる。速い。狼って持久力あるのか。
私は慌てて再び走り出す。と同時に、背後の木立から狼のような何かが飛び出し、私に噛みつこうとしてきた。
「……!」
間一髪のところで逃げられたけど、止まったままだったら後ろ足に噛みつかれていたかも。私は全速力で走りながら、さっき一瞬見えた姿から敵の正体を予測する。
たぶん狼じゃなく、野犬だ。体毛は栗毛色で耳は折れていた。体は大きかったし、人間に飼われていたら猟犬になれるような種類の犬かもしれない。
でも巨大な私に襲い掛かってくる獰猛さや、私に追いついてくる足の速さからしてただの犬じゃない。魔力星をいくつも食べて魔物化した犬だ。
野犬が森に入り込んだ、あるいは飼い犬が森に捨てられた、猟犬が森で迷った――経緯は分からないけど、とにかく元々は普通の犬だったと思う。
(でもまだ私より全然小さいし、猫パンチで倒せる)
大きな私の前足から繰り出すパンチは重いぞ。
反撃の意思を一瞬持った私だったが、ずっと後ろを追ってくる犬の魔物を振り返ったら顔がすっごく怖かったので闘志はしゅんとしぼんでしまった。
牙も鋭かったし、私の猫パンチが当たったとして、私の肉球にも相手の牙が当たったら嫌だよー。戦っても私が最終的に勝つと思うけど、痛い思いをするのは避けたい。
このまま走って逃げ切るしかないと必死で駆けていると、突然青い空が見える開けた場所に出た。それほど広い場所ではないけど、真ん中に小川が通っている。
そしてその小川の近くには黒尽くめの人間の集団がいて、それぞれ地面に座って休憩している様子だった。人間は全部で七人いる。
(こんなとこに人間が!)
開けた場所を走り抜けながら、横目で人間たちを見る。人間たちもみんなびっくりした顔をしてこっちを見返していた。
犬の魔物も人間たちを発見したらしく、大きくて捕まえにくい私から獲物を変更することにしたようだ。急に進行方向を変え、右に曲がって人間たちの方に突進していく。
「ミャッ!」
やばい、私の代わりにあの人間たちが襲われてしまう! と私も焦って方向転換する。人間にとって大型犬サイズの魔物は十分な脅威だろう。殺されちゃうかもしれない。今なら魔物は人間たちの方を向いてこっちを見ていないし、背後から猫パンチを食らわすしか……!
私が決死の思いで前足を振り上げた瞬間、黒尽くめの人間の一人が聞き取れないくらいの早口で呪文を唱え、自分たちと魔物との間に一枚の盾を張った。その青く発光している大きな盾は半透明で、形は横長の長方形だ。横から回れば魔物が入り込めてしまうが、魔物はそれに気づかず、盾を挟んで目の前にいる人間に吠え続けている。
と、別の人間が今度は少し長めの呪文を唱え、左手を軽く持ち上げる。すると手のひらから光の玉がポンと出てきて地面に落ち、白いウサギに形を変えた。ウサギは幻だろうけど、生きているみたいに辺りをきょろきょろ見回し、サッと駆け去っていく。
犬の魔物はそのウサギに気を取られ、森の奥へと追っていった。
(すごーい)
私は目の前で起きた一連の出来事をポカンと眺めることしかできなかった。普通、魔物が襲ってきたら慌てて逃げるか反撃するかっていう反応になると思うんだけど、この人間たちは冷静に盾を張ってウサギの幻を作り、魔物の興味を逸らしたのがすごいなと思った。
「こいつは魔物じゃないのか?」
「さっきの魔物に追われて必死で逃げてたし、違うんじゃないですかぁ? 顔可愛いし」
「顔で判断するなよ。でもこっちを襲ってくる様子もないし、大人しめの幻獣か」
「体がでかいから怖いっすけどね。俺、猫苦手だし」
「あんたの猫嫌い情報とかいらないから」
人間たちがわちゃわちゃ話している。女の人も二人いるし、みんなまだ若そうだ。
格好は似通っていて、黒のローブを羽織って、ズボンやブーツも黒や紺、濃い茶色といった暗い色が多い。森を歩くからか、ローブの丈は長くても膝丈までって感じだ。
黒尽くめの格好と落ち着いた余裕のある態度から、〝強者〟っぽい雰囲気が出ている。実際魔法も上手に使っていたし、強いんだろう。
ここは森の南の端、つまりジーズゥに近い場所だから、ジーズゥ出身の人たちかな。
「巨大な猫の幻獣か……」
私が集団から少し離れたところで座っていると、一番目を惹く容姿の男の人が、被っていたフードを取りながらこちらに近づいてくる。
「リュリー様! 危険です!」
黒髪の女性が止めるが、リュリーと呼ばれた若い男の人は私の目の前まで歩いてきた。綺麗な顔立ちをしていて、姿勢が良く、品と威圧感を感じる。漆黒の髪を後ろで三つ編みにしていて、長さは腰の辺りまであった。瞳は紫色だ。私も片方の目が紫色だけど、それより暗いかもしれない。
「お前、巨大猫か? 子供の頃に読んだ書物に載っていた馬鹿でかい猫の幻獣の名前が、確かそんなだった」
このリュリーって人、品のある美人顔なのに言葉遣いはちょっと乱暴だ。
そして私の方に片手を差し出しながら、こちらを見据えて低い声で言う。
「噛むなよ」
私はビクッとして体を固めた。
こいつには逆らっちゃいけない気がする。
「よし」
言うことを聞いて大人しくしていると、リュリーは満足そうにフッと笑って私の胸元を片手で撫でてきた。
(何をされるのかと思ったら撫でたかっただけか)
そう思いつつも私の緊張は解けない。
「リュリー様、こんな大きな幻獣に不用意に近づくのは危険ですよ」
さっきもリュリーを止めていた女の人が慌ててこちらにやって来た。リュリーのことを心配しているようだけど、この人の方が若干幼く頼りなく見える。よく手入れされた綺麗な黒髪は胸の下まで伸びていて、毛先は内側に軽くカールしている。
「アナスターシャ様は心配し過ぎですよぉ。リュリー様が幻獣なんかにやられるわけないじゃないですか」
「うるさいわね、ステラ!」
ステラという女性は、丸く大きな目が特徴的な可愛い雰囲気の人間だった。明るい茶髪で、長さは肩の上くらい、緩くカールしたふわふわのくせ毛だ。
黒髪のアナスターシャの方は気の強そうな顔立ちをしていて、見た目は全然違うけど、たぶんステラの方も気は強いと見た。
「お嬢さん方、ケンカするなよ」
「仲良くしてくださいね」
二人を諫めたのは、背が高く髪の長い金髪の男の人と、短い黒髪で眼鏡をかけた優しげな男の人だった。
「ザックとクインレイもうるさいわよ! 別にケンカなんてしてないんだから」
「私たち仲良しですもんねぇー!」
「仲良しでもないったら!」
長髪の金髪がザック、優しげな眼鏡がクインレイというらしい。たぶんこの二人はこの中じゃ年長者で、まとめ役って感じ。
男の人はまだあと二人いて、こちらはどちらも子供っぽさの残るやんちゃな雰囲気だ。二人とも私に怖気づくことなく近づき、顔を見上げて言う。
「マジででかいなー。こいつ飼い慣らしたら俺って無敵になれるかもしれん。なぁ、ラムゴ?」
「いやウィーニーさん、こいつまだ子猫みたいですし、そんな強くないっすよ。あの犬の魔物も倒せなかったんっすから」
侮辱された気がしたので、鼻にしわを寄せ、牙をむき出して無言で威嚇しておく。こいつらはあんまり怖くない。ウィーニーっていうのが下半分を刈り上げてるこげ茶の髪のピアス野郎で、ラムゴっていうのが短髪の赤髪野郎だ。
「飼い慣らす、か」
と、そこでリュリーも私を見上げながら呟いた。この人ずっと私のこと撫でてくるから緊張するんだけど。
前足でリュリーの手をペッ! って叩きたいけど怖くてできない。
「幻獣を飼うのもいいかもしれないな」
「え? 本気ですか?」
「こんなでかい猫を?」
アナスターシャとザックが目を丸くして尋ねた。正気か? って思ってるけどおそらくリュリーの方が立場が上だから言えないのだろう。
するとクインレイが眼鏡を持ち上げながら穏やかに笑って言う。
「リュリー様は本当に猫がお好きですね」
「そうなんすか?」
「リュリー様がぁ? 何か意外ー」
今度はウィーニーとステラが驚いたように目を見開いた。リュリーは少しバツが悪そうな顔をして私を撫でるのをやめる。そして何か言いたそうな目でクインレイをじっと睨みつけた。
しかしクインレイは優しく笑って怖がっている様子はない。
「厩舎に住み着いてるノラ猫親子を手懐けようとしてたの、知ってます」
「黙ってろ」
リュリーは低い声でぴしゃりと言った後、私を目を合わせると、口を開いて長い呪文を唱え出した。
(また魔法?)
息継ぎはいつしてるんだ? って不思議に思うほど早く、流れるように言葉を紡いでいく。声は人と話す時より少し小さめで、調子は一定だ。
そして呪文を唱え終わった次の瞬間、私の体に変化が起きた。スルスルと体が縮んでいっている感覚がして、実際目線も見る見るうちに低くなっていく。
「ミャー?」
声もちっちゃくなっちゃたし、何これ!?
私が……っ! この私が! そこらに生えてる雑草と背の高さが一緒になっちゃったんですけどッ!?
「ミー!?」
これじゃ本当にただの子猫じゃないか!
私は動揺しながらワタワタと動き回る。
(な、えー? お、落ち葉ってこんなに大きかったの?)
地面を歩く蟻もよく見えるし、木は巨大すぎる。そばにある小川も一歩で越えられる幅だったのに、今や全身濡れないと向こう側へ渡れそうにない。何より、森の中ってこんなに歩きにくかったのか。落ち葉や小石、柔らかい土や雑草に足を取られて真っ直ぐ進むだけで体力が消費されていく。
「ミャァァ」
小さな自分の体に絶望して鳴いていると、後ろから首根っこを掴まれてひょいと持ち上げられた。
(も、持ち上げられた!? 私が!?)
これも初めての経験なので慌てふためく。しかし足をバタバタさせて暴れても全く逃げられる気配がない。
「個人的には大きいままでいいが、城に連れ帰るとなると小さくしとかないとな」
リュリーはそう言うと、私を片手で包むように持ち、自分の胸に添えるように抱いたのだった。




