愛するが故に1
ソフィ・リズレイの一件から数日後のある日の事だった。いつもの様にリカルドは自分の椅子に座りながらアルトが淹れた珈琲を飲み、簡単な経過報告書を作成し、アルトはリカルドが過去に担当した事件の記録を読みながら勉強をするというとても静かな時間が流れていた。そんな静かな空間に階段を駆け上がってくる音が聞こえ始め、二人は首を傾げる。
「今日は予定なかった筈だよな」
「はい。確かその筈だったと思いますけど……」
やがて足音は扉の前まで来て、バンっと勢いよく扉が開かれ金髪、縦ロールの女性が鍛えられている事がよく分かる腕で少し風貌の悪く右目にある引っ掻かれた様な傷痕が特徴的な男性の首を見事にロックした状態で入室し室内の二人は完全に呆気に取られた顔で彼女らを見ていると、薄紫の意志が強そうな瞳をした女性がキョロキョロと視線を彷徨わせ、リカルドを真っ直ぐ見て止まると口を開いた。
「貴方が弁護士ですね!あの、ワタクシ達結婚する筈だったのだけれど少し相談に乗ってくださいますか!!」
静かな空間が一転して騒がしい空間へと切り替わる。リカルドは小さく溜息を吐いた後に、書類を一度片付けて崩れていた髪型を整え白い手袋を付け直し、口を開く。
「取り敢えず、そちらの男性を解放しましょうか。どんどん顔が青くなっていますよ」
「あぁ!?エレン、しっかりして!」
「……ゲホッゴホッ!?あー……死ぬかと思った。たくっ、根っからの脳筋も大概にしてくれよオーロラ」
荒々しい外見とは似合わぬ渋い声でエレンは自身の首を絞めていたオーロラへと文句を言い深呼吸をし呼吸を整えるとリカルドへと視線を向けた。
「騒がしくしてすまなかったな。考えるより早く動き出すツレが迷惑をかけた」
「いえ……それよりご相談があるのならちょうど暇ですしお話ぐらいお聞きしますが」
「あー……その事なんだがな、俺の考えはどうやっても変わらんからお前らで話してくれ」
気まずそうにしながらも、そう言い引き留める様に彼の名前を呼んだオーロラを無視してエレンは部屋を出て行ってしまった。僅かばかりしおらしい顔を浮かべたオーロラであったが、瞬きの瞬間には自身の頬を叩くことで気を持ち直し暗い表情の一切を浮かべずにソファへ座ると自身の状況を説明し始めた。
「ワタクシ達は駆け出しの頃から二人でパーティーを組んで今のシルバー上位まで、等級を上げましたの。と言っても、駆け出しの頃のワタクシは魔法ぐらいにしか取り柄がなくて、彼に頼りっぱなしだったのですけど。彼、若い頃は傭兵をやっていたらしく戦い方やモンスターに対する知識は既に駆け出しのソレではなかったので探知系の魔法を使うだけで、殆どは彼が倒してくれました」
傭兵や兵士など元々戦いを専門にしていた仕事を経験した者は冒険者にも比較的多く、エレンもその例の様だ。どう足掻いても、モンスターとの戦いを避ける事は出来ない冒険者という職業において、初めから戦う術を持っているというのは死亡というリスクを下げる事ができ、大成もしやすい。唯一の問題は、その仕事柄辞める理由が怪我や心的ストレスが多い為冒険者にならず余生を静かに送る選択の方が多い事だろうか。
「なるほど。共有する時間も多く、男女という事であればそういう関係にもなり易いでしょう。先ほどの対応を見る限り、一時の感情でしかなかったという事ですかな?」
「それは違います!!エレンは、そんな無責任な殿方ではありません……」
態と煽る様にリカルドが発した言葉にオーロラは食ってかかり力強く睨んだかと思えば、言葉と共に視線が落ちていく。彼女自身、どうしてエレンが自分から離れようとしているのか分かっておらず、脳裏にそういう可能性もあると思わずにはいられないのだ。
「……大人であるエレンからすれば、ワタクシなど小娘でしかないと思います。でも、ずっと冒険に付き合ってくれて好きだとも言ってくれましたしその全てがワタクシには嘘に見えないのです……」
彼女の言葉通り、恐らく二十代前半の彼女とリカルドと同じく三十代後半若しくは四十代前半に見えるエレンでは娘と父と言われた方がしっくりくる程の歳の差があり、一概に彼が発した好きという言葉が異性に向けて放つものと同じとは言い切れない。だがそれも、気まずそうに視線を逸らし此処を出て行った態度を鑑みれば否定できる。
「……年齢差を気にする様な人であればそもそもとして、貴女とパーティーを組むのを了承していないでしょう。しかもブロンズの頃から二人っきりで。一応、考えられる可能性としては前職で集団行動に何かしらの要因がありそれが原因で辞めたとあれば、人数が増えるのを嫌うとは思いますがそれでも同性若しくは、もっと年齢が近い者を選ぶ筈です」
「話を聞く限り、彼は近接戦を得意としているので魔法職を欲しがったのかもしれませんよ先生。男性より女性の方が魔法の適性は高いですし」
「上の等級なら兎も角、ブロンズで態々魔法職を欲する理由はない。それこそ、お前の様に弓が得意な奴を見繕えば事足りる」
「確かに……あ、それなら冒険者を始めた時期にもよりますけど適した人がオーロラさん以外居なかったとか」
「あり得ない話ではないが……オーロラさん、貴女が冒険者として登録した具体的な日を教えてくれますか?」
「え?あ、はい!」
リカルドとアルトのやり取りに完全に置き去りにされていたオーロラは、ボーッとしており突然の質問に素っ頓狂な声で返事をしてしまい、顔を赤らめる。
「えっと……三年前の実りの季節だった気がしますわ。果実の収穫が色んなところで行われていましたし」
「あぁ、なるほど。その時期は、東の方で大豊作があった筈。腐るより早く、最も良い時期に収穫するには人手が必要ですから普段よりは新人が少ない年だったと記憶しています。となるとアルトの仮説が今のところ一番濃厚か」
三年前の実りの季節、つまり秋は果実の実りがとても良くそれらを収穫し売り捌けば金に困り冒険者へと流れ着く農民層がとても少なくなった年だ。そして、金に困った人間が実のところ最も冒険者に多いのでこの層が確保出来ないという事は、アルトの仮説を裏付ける要因となる。
「ふぅ……まぁ、冒険者同士の婚約問題も仕事の一つか。オーロラさん、貴女が正式に依頼をするというのであれば弁護士として本件を引き受けますがどうでしょうか?」
命のやり取りを行った高揚感そのままにそういう行為へと走ったり、所謂吊り橋効果というやつに影響されたり金が無いからと同じ部屋に泊まったり、例を挙げればキリが無いくらいは冒険者という職業に色恋というものは付き纏ってくるので、それらの解決もリカルドの仕事の一つである為提案を投げ掛ければオーロラは嬉しそうに頷いた。
「アルト」
「はい先生、準備してあります。オーロラさん、こちらが依頼書となりますので一切の虚偽なくこの場で記入してください」
会話の流れから展開を察しいつの間にか書類を準備していたアルトがオーロラの前に三枚ほど書類を並べる。一枚は、ギルドに向けての説明でありもう一枚はリカルド達への依頼書。そして最後の一枚がオーロラ自身が持つ予備だ。とはいえ、三回も先ほど口頭で話した様な内容に加えエレンとの関係を文章にて説明しなければならない手間にオーロラは顔を青くしながら用意されたペンで必要事項を記入していく。
彼女が書き終わるまでの時間を利用し、リカルドとアルトも残っていた仕事を再開した為暫くの間会話はなく、ペンが動く音だけが部屋を支配した。そうして、二時間後。全てが書きおわりオーロラはリカルドへと書類を手渡した。
「確認します……は?」
リカルドは書類を眺めていく中で思わず変な声を出してしまった。それほど衝撃だったのだ書類に書かれた彼女のフルネームが。
「『オーロラ・フォン・アイゼンベルク』……貴族の娘が冒険者ですか。これは頭が痛くなりそうだ」
その言葉にアハハっと誤魔化す様に笑うオーロラに頭痛を感じながらも引き受けると答えた以上、やれる事はやるしかないと覚悟を決める。絶対にややこしくなる、その直感を全力で無視しながら。
感想など待ってます