その43 本物の宝
◇◇◇
老王の唇が、かすかに震えた。
「……ジェニファーの、娘……」
ロイの腕の中で眠る少女を、老王は瞬きもせずに見つめていた。
深紅の髪。炎のように美しいその色は、かつてただ一人愛した人のものと同じだった。
陶器のように白い肌も柔らかな輪郭も、伏せられた睫毛の影すら……
――似ている。
幾度となく夢に見た、あの微笑みの面影。
――悲しまないで。
――一番大切な宝を、あなたに遺してあげるから。
老王の指が、震えながら胸元へ伸びる。
そこには、亡くなる前にジェニファーから託された首飾りがあった。
長い年月、大切に、大切に守ってきた宝。
(……これだと、思っていた)
ジェニファーが遺してくれたもの。
そう信じて、疑いもしなかった。
「生まれてすぐに……死んだと……」
王妃の言葉を、疑わなかった。
産み月にも達してなかった小さな小さな命。
到底、助かるとは思えなかった。
だから探した。どこかに残る、彼女の面影を。
似た髪を持つ者を、似た肌を持つ者を。
次々と側に置き、次々と失望して――
それでも、やめられなかった。
老王は、ゆっくりと視線をミイナへ戻す。
眠るその顔は、あまりにも――懐かしい。
「……こんなに近くにあったのにな……」
ロイの腕の中にいる少女に、老王は、ようやく辿り着いた。本物の宝は、目の前にある。
彼女が命をかけて産み、命をかけて守った存在。
老王の目から、涙が一筋、零れ落ちた。
「……ミイナ……」
老王は初めてミイナの名を口にする。そして、震える声で尋ねた。
「その子の、瞳の色は何色だ?」
「翡翠色だ」
短い答え。
老王は、ゆっくりと目を伏せる。
「……そうか……」
老王は、震える手で胸元の首飾りを外す。長い年月、肌身離さず持ち続けてきたもの。ジェニファーが、生前、最後まで大切にしていた品。老王は、それをロイへ差し出した。
「……ジェニファーが、大切にしていたものだ。この子に、渡してやってくれないか。きっと、良く似合う……」
ロイは一瞬、言葉を失った。
眠るミイナは、何も知らず、静かな寝息を立てている。翡翠の瞳は閉ざされたまま、すべてを夢の中に置いて。
ロイは、ゆっくりと首飾りを受け取った。
「ああ」
それだけで、十分だった。
老王は、満足したように小さく頷くと、踵を返した。そのまま、ふらりと城の方へ歩き出す。
「陛下! お待ちください!」
「お一人では危険です!」
慌てて、近衛兵たちが後を追いかけていく。
だが老王は、振り返らなかった。
瓦礫と水に濡れた広場に、静かな背中だけが遠ざかっていく。
その後ろ姿を見送りながら、ダイアンがぽつりと呟いた。
「……哀れだな」
ロイは答えなかった。
ダイアンは、空を見上げるようにして、続ける。
「ジェニファーは、あいつを愛していたんだろう。
子まで成したんだからな」
一拍、間を置いて。
「だが――番にはしなかった」
その意味を、ロイは理解していた。竜にとって、番とは、命を分け合い、存在そのものを重ねる相手。一歩間違えば、世界をも壊しうる竜の力を、ジェニファーは、ドラード国王に与えなかった。
「残り少ない力は、全部……」
ダイアンは、眠るミイナへ視線を落とす。
「全部、あの子に渡した」
愛していなかったわけじゃない。だが、竜の番として並び立つには、相応しくなかった。そのことを、ジェニファーはわかっていたのだろう。愚かだけど愛しい人。最後までジェニファーを愛した男。壊れてしまうほどに。だからこそ、選んだのだ。
「……ジェニファーを失って、あいつは壊れた」
ダイアンの声は、どこか疲れていた。
「王としてじゃない。一人の男としてな」
「……俺も、こいつを失ったら壊れるだろうな」
ダイアンは、わずかに口元を緩めた。
「だろうな。竜の愛は、人よりも重い」
水の匂いが、風に流れていく。
炎は消え、嵐は去った。
ロイは、腕の中の温もりを確かめるように、ミイナを抱きしめた。
「もう、離さない……」
















