その4 アイリスの勘違い
◇◇◇
次にアイリスが目覚めたのは、広く豪奢なベッドの上。海水にまみれた体はしっかり清められ、柔らかで着心地の良い夜着に身を包んでいた。
(ここは……)
ふと横を見ると、見知らぬ男性と目が合って、心臓が止まりそうになるほど驚いた。
(い、いやっ!誰かっ)
叫ぼうとしたが声は出ず、とっさに身をよじろうとしたものの、鉛のように重い体は、指一本持ち上げることすらできない。
(私、死んだんじゃないの?ここはどこなの……)
混乱したアイリスの目から思わず涙が零れ落ちる。
焦ったのはフィリクスだ。朝になっても目覚めない番が心配で心配で、一晩中アイリスに付き添っていた彼は、冷え切った体を少しでも暖めようとアイリスをしっかり抱き締めていた。
意識のない女性に抱きつく初対面の男。女性からしてみれば立派な変態である。気の強い獣人の女性であれば間違いなく容赦のない鉄拳制裁が飛んでくるだろう。
何より、ようやく出会えた愛しい人に嫌われてはたまらない。
「ああ。驚かせてすまない。どうか泣かないでくれ」
フィリクスは恐る恐る指先でそっと涙を拭うと、そのままできる限り優しく抱き締めた。伝わる熱に胸の奥が満たされる。
(良かった、ちゃんと生きてる。私は君を失わずに済んだ……)
「今はまだ動けないが、少しずつ新しい体に慣れてくるはずだ」
一方アイリスは混乱の極みに陥っていた。自分は確かに海に落ちたのだ。荒れ狂う大海原に落ちて、無事だったとは考え辛い。
(この人は誰……一体ここはどこなの……)
そしてふと思い当たった。
(ああ、そうか。私、やっぱり死んだのね)
それならば、すべてのことに納得が行く。死の直前、神の姿を見た気がする。するとここは天国なのだろうか。王女であったアイリスの体はすでに肉体の死を迎えており、魂のような存在となって新しい体を授かったのかもしれない。
(そう、ここが、天国なのね……)
納得してみれば、ストンと自分の置かれている状況を受け入れることができた。人は皆、死ねば死者の国に行くという。両親より先立つというとんでもない親不孝をしてしまったが、ここはどう見ても最上神の住まう天国だ。
床から天井まで真っ白な大理石でできた部屋は磨き抜かれて美しく輝き、体に触れる夜着や寝具は驚くほど軽く滑らかな生地でできている。大国の威信をかけて作ったあのウエディングドレスでさえ、不思議な光沢を放つこの布の美しさには遠く及ばない。
(それに、神様がいらっしゃるもの……)
輝く黄金の髪に金の瞳の、恐ろしいほど美しい男性。このお方がこの天上を統べる神に違いない。……なぜか先ほどからめちゃくちゃ抱きしめられているが。アイリスは体が自由に動かないことを受け入れると体の力を抜いた。フィリクスに視線を合わせ、ふわりと微笑む。
(天国へと旅立った魂は、汚れない魂に生まれ変わるため、試練を受けるというわ。両親をおいて旅立ってしまった私の罪は重いでしょうね。神様、至らないわたくしですが、どうぞ導いてくださいませ)
(警戒を解いてくれたようだな。了承も得ずに花嫁にしてしまったが、これから徐々に打ち解けてくれるように、誠心誠意尽くしていこう。いつかきっと、私の溢れる想いが伝わるはずだ)
穏やかに見つめあう二人。そこには確かな誤解があった。