>> 前編
「お姉様、それ頂戴!!」
マリリンは昔から姉の物を欲しがった。
元々そういう質だったが、それを両親が許し、自分の希望が優先されたマリリンは当然の様に増長した。
姉のカリンナは最初こそ嫌がった。当然だ。自分の誕生日プレゼントに貰った物を何故妹に上げなければいけないのか。同じ物が欲しいなら同じ物を買ってもらえばいい。だが、両親はそれをせず、マリリンはカリンナの物を欲しがった。
母は言った。
「マリリンはカリンナが持っている物が欲しいのよ。わたくしにも分かるわ。わたくしもお姉様が持っている物が素敵に見えたもの」
母の言葉にカリンナは、そうなのか、と思った。
それからカリンナは変わった。
マリリンが欲しがると笑顔でそれを上げたのだ。
ただし……
「マリリンはわたくしが持っている物が欲しいのよね」
「マリリンは本当にわたくしの持ち物が好きね」
「マリリンはわたくしと同じじゃなきゃ嫌なのよね」
「マリリンはわたくしのお古じゃなきゃ駄目なのよ」
「お母様、お父様、マリリンがかわいそうよ。まず、わたくしに下さらないと。マリリンはわたくしが持った物を欲しがるのだから」
「マリリン、これ上げるわ。わたくしのお古。マリリンが大好きな物よ」
「マリリンの個性は『姉の物を欲しがる』事よね。ほんと、わたくしが居ないと駄目なんだから」
「マリリン、お姉様一番のマリリン」
「お姉様が一度手にした物じゃなきゃ欲しくないマリリン」
「ぜーんぶぜーんぶお姉様の真似っ子のマリリン」
「マリリンはお姉様と一緒じゃなきゃ嫌なのよね〜」
「欲しがりマリリン。今度は何が欲しいの?」
「お姉様の物しか持っていないマリリン」
「マリリンって、わたくしが居なきゃどうやって生きるのかしらね?」
「マリリンはわたくしが居ないと生きていけないからかわいそうだわ」
「欲しがりマリリン、お姉様の物を上げるわよ?」
「かわいそうよね、貴女。
お姉様に憧れるあまり、お姉様の物を欲しがって……
でもいくらお姉様の物を身に着けても、貴女はわたくしにはなれないのよ?
ごめんなさいね、マリリン」
マリリンに微笑みながらそう語りかける姉は異常だったが、先に姉の物が欲しいと駄々をこねて手が付けられなくなったのはマリリンの方なので、両親も止めるに止める事が出来なかった。
一度カリンナに母が
「そんな言い方はマリリンがかわいそうよ」
と言ったがカリンナは
「えぇ、マリリンはかわいそうなのですわお母様。マリリンは自分が無いのです。だからわたくしの物を欲しがるのです。
わたくしの物を奪う事で喜びに浸る事が彼女の楽しみなのです。
こんなかわいそうな子って居ますか、お母様?
マリリンは本当にかわいそうな子なのです。だからわたくしは姉としてマリリンに寄り添って上げているのですわ」
そう言われてしまい、母親は言い返せなかった。姉の良心に訴えてみたが、そもそも姉は妹を憐れんでいたのだ。カリンナからすれば『可哀相な相手』の事を『可哀相でしょう?』と問われても『うん、そうだよね』以外の返事のしようが無い。
自分の子供に自分の子供を『かわいそうだ』と言われた母親は衝撃を受けて絶句した。
母がもっと馬鹿であれば、姉を一方的に叱って妹を憐れむ事を止めさせられたかもしれないが、母はそこまで馬鹿ではなかったので、これ以上姉が妹におかしな事を言わない様にする為に、妹の言い分ばかりを優先するのを止めた。
◇ ◇ ◇
マリリンはマリリンで、姉が自分を哀れんでいる様でいて実は馬鹿にしている事を理解したので、今度は姉と同じ物を持つ事を嫌がった。
そしてその腹いせに外で会った人に
「あたくし、お姉様のお下がりばかり持たされるの!!」
「あたくしの持ち物は全部お姉様のお古なの! あたくしだけに与えられた物なんてないわ!!」
と訴えた。
マリリンとしては、『意地悪な姉に虐げられる妹』のつもりで発言していたが、当然周りはそうは思わない。
当たり前だが、マリリンに物を買い与えているのは姉ではなく両親だ。
マリリンが「姉がお古を〜」と言ったところで、聞いた者たちは
『この子の親は姉を優遇して妹にまともに物を買ってやらないのか』
『妹には姉のお古だけなんて……貧乏なのかしら?』
と思った。
カリンナとマリリンの家は伯爵家で貧乏ではない。どちらかというと儲けている方の伯爵家だ。
マリリンの発言に困ったのは当然、姉ではなく両親だった。
母は会う人会う人に「子供に差をつけていない」「姉の物を欲しがったのは妹の方」だと伝えた。
父も会う人会う人に「ウチは貧乏ではない」「事業は上手くいっている」「妹が姉の物を欲しがる」と伝えた。
その努力も実り、カリンナとマリリンの家、ドーシュ伯爵家の周りからの印象は
『姉の物を欲しがる妹をまともに躾けられない家』
というものになった。
両親は心底思った。
『マリリンが最初にカリンナの物を欲しがった時にちゃんと駄目だと叱るんだった!!』
……と。
◇ ◇ ◇
カリンナとマリリンは年子の姉妹だ。
それでもやはり姉が先に婚約者を見つけるべきだなと思った父は、釣書をいくつか手に入れてカリンナに話を聞いた。
カリンナは当然の事の様に言う。
「あら? お父様。そんな事をすれば、またマリリンの悪い病気が出てしまいますわ?
きっと“お姉様の婚約者の方が良い!”と言い出すに決まっているのですから、婚約者はわたくしではなく、まず、マリリンに決めさせるのが良いと思います。
もし、姉が先でないと世間体が悪いと思われるのでしたら、マリリンとわたくし、二人同時にお見合いすればいいのではありません?
お父様が良いと思われる方を二人選んで頂いて、マリリンとわたくしと、婚約者候補のお二人方と、合わせて四人でお茶会をして、マリリンに先に選んで貰えば良いと思いますわ。
わたくし?
わたくし、一・二度会っただけの男性を好きになるなんて事はありえませんから、好みとか好き嫌いとか聞かれましても困りますわ……
好きになった男性と結婚して宜しいのなら、そもそも婚約自体お断りです」
カリンナの話を聞いて、父はこちらが優位に立てて、それでいて優秀な、誰を選んでも将来の伯爵家当主である姉の伴侶となっても大丈夫な男子を子爵家や男爵家から選んだ。
◇ ◇ ◇
姉妹の婚約者候補は数名選ばれた。
カリンナは四人でお見合いを、と言ったが、さすがにそれは相手側に悪いので婚約者候補のそれぞれ1名ずつと姉妹の3人でお茶会をして相性を見る事になった。
カリンナは相手の人となりや教養、マナーなどを見て。
マリリンは当然の如く見た目と話の楽しさ──自分を優先してヨイショしてくれるか──で選んだ。
姉妹の好みはハッキリと別れて、カリンナは平凡な見た目ではあるが背の高く心の優しい本が好きなロッシュ・テラン男爵令息を婚約者に、マリリンは目鼻立ちがハッキリとした女性のエスコートが上手いビリー・デミスン子爵令息に決まった。
マリリンは自分の選んだ婚約者が姉の婚約者より身分が上な事に喜び、カリンナに向かって馬鹿にした様な笑みを向けた。
それを不思議そうに見返した後に微笑み返したカリンナは、将来この伯爵家を継ぐのは姉で、マリリンは伯爵家が持つ男爵位を譲られて結婚するのだから婿に来る婚約者の家格などあまり意味がないのに、それでもそんな事で喜べるなんて安上がりで幸せな子ね、と思った。
◇ ◇ ◇
しかし、折角マリリン本人に選ばせて上げたというのに病というものは厄介で、カリンナの予想通り、マリリンはカリンナの婚約者であるロッシュに嬉々として声を掛ける様になった。
マリリンは姉の物を取る事を喜びとしている。
もしかしたらマリリンが初めてカリンナの物を奪った時にカリンナが嫌な顔をした事を未だに覚えていて、その顔をまた見たくて今度はロッシュに手を出しているのかもしれない……
そう思ったカリンナは、なら、そんな顔を見せて上げればいいかしら? と思った。
悲しい顔や悔しい顔をする程度の事はカリンナにとっては何でもない事だった。ただ、ちゃんと演技が出来るかしら? と、それだけが心配だった。
「ロッシュお兄様!」
カリンナに会いに来たロッシュにマリリンが駆け寄る。ロッシュは困った顔をしている。
そんなロッシュの顔を見て『……あんな感じに眉を下げればいいかしら?』とカリンナは思った。
「……マリリン」
カリンナは悲しげな顔をして妹の名を呼んだ。
振り返り、姉の顔を見たマリリンは……それはそれはもう、ニンマリと笑った。
それを見てカリンナは内心、『良かった。こんな顔で良いのね』と思った。
「あら? ゴメンナサイお姉様。でもわたくし、ロッシュお兄様に会えるのが嬉しくって!」
「……マリリン」
悲しげな顔で妹を見ながらカリンナは『この子、こんなに単純で生きていけるのかしら?』と心配になった。
◇ ◇ ◇
カリンナは自分が悲しげな顔をした程度の事でマリリンが喜んでいる事に満足していたが、そこに巻き込まれたロッシュの気持ちはとんでもなかった。
──婚約者に会いに来たらその妹に何故か懐かれた上に、その所為で大切にしなければいけない婚約者に悲しい顔をさせてしまっている!? 僕の所為か?!──
ロッシュは困った。
「……っ! マリリン様、僕は君のお姉様の婚約者なんだ。親しくしてくれるのは有り難いが、距離感は考えてくれないかっ」
「……まぁ、ロッシュお兄様ったら、……そんな悲しい事を言わないで……
わたくしは貴方の妹になるのですよ?
優しくして欲しいですわ……」
悲しく、甘える様に瞳を潤ませてロッシュを上目遣いに見るマリリンにロッシュはただただ困った。
助けを求める様にカリンナを見ると、カリンナは悲しげに妹をジッと見ている。
……悲しげに見ているが……、観察している様にも見えるな……とロッシュが思った時、カリンナが動いた。
ススッとロッシュの隣に移動して、ロッシュの服の裾を少しだけ摘んだカリンナが、悲しげな顔でマリリンを見る。
……瞳は、潤ませようとして出来なかったのかな? と何故かロッシュは思ってしまった。
「……マリリン」
カリンナが悲しげな声で妹の名前を呼ぶ。
「……お姉様……」
マリリンも負けじと姉に何かを訴える様な瞳で見返して言葉が漏れたかの様に呟いた。
◇ ◇ ◇
「マリリン。ロッシュ様は貴女が今まで欲しがっていた物とは違うのですよ? ちゃんと心のある人間です。それが分かりますか?
貴女も淑女教育を受けてきているなら知っているはずですが、婚約者が居る者に無闇に近付いたり、婚約者が居るのに異性に無闇に近づくのは淑女として失格ですよ? 将来義理の兄妹になるからなんて事は許される理由にはなりません。分かりませんか? 異性であり、他家の人なのです。姉の婚約者だからと言って距離感を誤ってはいけません。
分かりませんか?
わたくしと同じ淑女教育を受けてきた貴女が分からないなんて事はありませんわよね? ねぇ? そうですわよね? マリリン?
貴女ならわたくしの言っている言葉の意味をちゃんと理解してくれているとお姉様は思っています。
貴女にも婚約者が出来たのです。
ビリー様に誤解を与えない様に行動なさい。
理解出来ますか? マリリン?
出来ないのであれば教育係の者を新しくしてもらって、一から勉強し直さなければいけませんね」
悲しげな顔でそんな事をまくし立てたカリンナにマリリンは目を丸くして驚き、そして最後には顔を真っ赤にして姉を睨んだ。
「何よっ!?
またわたくしを馬鹿にするの!?
お姉様って意地悪だわ!!
わたくしだってロッシュお兄様と仲良くなったっていいじゃない!
別にお姉様の婚約者をとろうなんてしてないわよ!!
ただ仲良くなろうとしただけ!!
それをっ! ……何よっ!!!」
真っ赤になって怒るマリリンにカリンナはマリリンが喜んだ『悲しげな顔』で見つめる。
「でも貴女、ロッシュ様に近づくのは『わたくしの婚約者がロッシュ様』だからでしょう?」
「だからっ! それは将来わたくしのお兄様になるからっ……!」
「えぇそうね。
『わたくしの婚約者』なんですもの、何事もなければ妹である貴女の義兄になる方よ。
でもまだ、『貴女の義兄』ではないわ。
ちゃんと『他家の異性』として接しなさい」
「っ……!!
そんなのっ! 気にする方がおかしいわよ!! 将来家族になるなら今から仲良くしたっていいじゃない!!」
マリリンはそう言ってロッシュに助けを求める様な視線を向けた。
カリンナの考え方が堅いだけでロッシュはきっとマリリンを側に置きたいと思うはずだと、そう思ったからだ。
しかし。
「え? 僕?
僕はさっきも言った様に、距離感は考えて欲しいな……だって僕はカリンナ様の婚約者に選ばれたんだ。マリリン様の婚約者は他の人だろう?」
困った顔で眉尻を下げるロッシュの言葉にマリリンは一瞬あ然として、その後直ぐに怒りに顔を歪めて
「もういいわよっ!!!」
と叫んでどこかへ行ってしまった。
対応を間違ったと慌てるロッシュの横で、カリンナは呆れて溜息を吐いた。
◇ ◇ ◇
カリンナはロッシュに妹の事を話した。
家の恥? それは妹が『欲しがり病』な時点で恥なのだから、今更取り繕ってもボロが出るだけだ。それよりも今後被害が大きくならない様にする為にも、周りにマリリンの事を知っていてもらう方が良いとカリンナは考えている。
ぶっちゃけ、恥をかくのはマリリンだ。それを『姉』だからと庇うのは簡単だが、安易な行動が妹の病を悪化させるのだとカリンナは考えているので、マリリンの為にもカリンナは妹を庇うつもりはない。
「……という訳でロッシュ様。
今後も妹がおかしな絡み方をすると思いますが、誘惑に負けずに頑張って跳ね除けて下さいね。
あの子、こちらが質問攻めや言葉で畳み掛ければ頭の処理が追いつかずに逃げ出しますので、困ったら『何故そんな事をするのか?』『何故そう思うのか?』『それをした後の事を考えているか?』などを聞き続ければ、その場から居なくなりますよ」
クスクス笑ってそんな事を言うカリンナに若干引きつつロッシュは笑う。
「……カリンナ様も大変だったんだね。僕も兄の持っている物が欲しいと思った事もあるけど、大抵兄が怒るし両親も駄目だと言うから、兄から何かを奪った事はないなぁ」
「他の方にもそう言われましたわ。
わたくしは自分の物を妹に強請られましたけど、どこの家の長子も下のきょうだいに強請られても普通は上げたりしないとか……。
新しく別の物を買い与えるのが普通なんですってね?」
「お金に困ってないなら新しく買った方が、貰う方も嬉しいと思うけどなぁ……
僕も兄さんが一度使った物なら要らないかな」
苦笑してそう言うロッシュにカリンナはやはりマリリンがおかしいのだと納得する。
やはりマリリンは『脳の病』なのだ。
頭のおかしい妹をこれからも大切にして指導していかねば、とカリンナは思うのだった。
◇ ◇ ◇
姉に『頭がおかしい』と思われている等とは露程も思ってもいないマリリンは、どうやったらあの姉を地べたに這いつくばらせてギャフンと言わせられるかを考えていた。
マリリンは、妹として生まれた時点で二番手だった。
何をするにも姉が先だった。
誕生日すら姉が先なのだ。
腹が立つに決まっている。
姉が物を持っている事が不満だから、姉から物を取り上げたら、いつの間にか姉から『姉の物ばかりを欲しがる姉大好き妹』みたいに言われる様になった。
馬鹿にするにも程がある。
「わたくしの持っている物が欲しいマリリン。今日は何を上げようかしら? 何が欲しいのか言っていいのよ? わたくしの真似をしないと生きられないマリリン」
と言われる様になってから姉から奪った物を全部捨てて、姉とお揃いになる物は何も持たない様にした。
姉のあの微笑みが嫌いだった。
婚約者が決まり、これだと思った。
カリンナの婚約者を自分に惚れさせる。
そうする事でカリンナに勝てると思った。
でもロッシュを自分に惚れさせる前にカリンナから『淑女教育すらまともに覚えていない馬鹿』と直球で馬鹿にされた。
しかも実際に親に告げ口されて新しい教育係と再勉強の時間を作られてしまった。
『カリンナの婚約者』に近付いたのに、両親からは『異性に無闇矢鱈に絡みに行く貞操観念の低い娘』と思われてしまった。
酷過ぎる!!
万が一にも簡単に純潔を差し出してしまっては困ると体術の出来る侍女まで付けられてしまった。
わたくしを何だと思っているんだ!!
マリリンは悔しくて枕をベッドに何度も叩き付けた。
カリンナの悔しがる顔が見たいだけなのに!
カリンナに妹の方が上なのだと認めさせたいだけなのに!!
カリンナを泣かせて、ごめんなさいマリリン様、と言わせたいだけなのにっ!!!
そんな簡単な事すら上手く出来なくてマリリンは悔しくて泣いた。
お姉様に勝ちたい!
お姉様に勝ちたい!!
お姉様に勝ちたいのっっ!!!
マリリンは枕に当たった。
その姿を見た侍女からカリンナにマリリンの願望が伝えられ、数日後、カリンナがマリリンに
「あ〜ん、やっぱりマリリンには勝てないわ〜。マリリン強い強〜い」
と、半笑いで言われたので、マリリンの頭の血管が切れかけた。
◇ ◇ ◇
カリンナの婚約者に近付こうとすると、姉から
「発情してるの? 貴女には性欲を抑える理性というものが無いのかしら?」
と言われるのでロッシュに近付けなくなったマリリンは、仕方がなく自分の婚約者との仲をまず深める事にした。
マリリンの婚約者になったデミスン子爵家の三男末っ子、ビリー。
兄二人に守られて育った所為か甘えたで自分が愛されていて当然だと思っている。
マリリンも末っ子だが、早い段階で我が侭を姉に潰されだした上に姉から『甘やかしている様に見せて馬鹿にする』扱いを受けてきたので若干“愛され不足”になっていた。
『愛されて当然』だと思っているビリーと
『愛されたくて仕方がない自分が一番で居たい』マリリン
実のところ、相性は最悪だった。
ビリーは女性へのエスコートの仕方を兄たちに教わっていただけで、本心からの行動ではない。
しかも、婚約者になる前は『伯爵家の令嬢と婚約して将来安泰にしたい』という思いがあったので下手に出ていたが、婚約者の座に座ってしまえばビリーはむしろ『選ばれたんだから、選んだ方が愛を捧げて当然だろう』と思っていた。
そんなビリーとのお茶会は、マリリンにとっては不満しかなかった。
ビリーの「お迎えご苦労」から始まり、ビリーの自慢話を聞かされ、その話の感想とビリーを褒める言葉を強請られ、次のお茶会でのお菓子の注文を受け、「俺に会えて嬉しかっただろ」などと言われて馬車の見送りまでさせられる。
マリリンは早々にビリーとの婚約を解消した。
……かったが出来なかった。
「あんな人嫌よ!!」
「だがお前が選んだんだよ? そう簡単に婚約を解消なんて出来る訳がないだろう」
困りきって溜め息を吐く父にマリリンは嫌だ嫌だと泣いて騒いだ。
母がマリリンに寄り添いその頭を撫でる。
「あなた……マリリンがかわいそうよ……
マリリンを立てられない婿なんて要らないわ」
「そうは言ってもなぁ……」
やはりもっと相性を見て選ぶんだったと父は後悔した。
姉であるカリンナの婚約者を奪っては困ると思ってマリリンにも婚約者を付けたが、本人に選ばせた結果がこれとは思わなかった。
婚約解消したところでまた同じ事を繰り返しそうだから、簡単に婚約解消させられない。
どうにか出来ないものか……
考えた父はカリンナに相談した。
「お父様。
人生経験の少ない娘にそれを聞いて、答えが出ると思いましたの?」
カリンナに聞いたのが間違いだった。
◇ ◇ ◇
相性の悪い二人でお茶会をして……楽しく過ごせる訳もなく。
「貴方が婿に来るんだから、貴方がわたくしを立てなさいよ!!」
「男を立てない女がどこにいる!? 俺は君みたいな女を貰ってやるんだぞ! 感謝しろ!!」
マリリンとビリーの二人だけのお茶会はある時そんな言い争いが起こって二度と行われなくなった。
ビリーはそもそも『ドーシュ伯爵家にある男爵位を継いだマリリンに婿入りする』予定だったのだが、何故か彼の中ではいつの間にか『マリリンを嫁に貰ってやる』という感覚に変わってしまっていたらしく、その所為で態度が横暴になってしまっていたらしい。
ビリーの親のデミスン子爵は
「三男のお前が貴族で居続ける為にはどこかの家に婿に貰ってもらわなければならないんだぞ!? それを自分から壊してどうするんだ!?」
と言ってビリーを殴った。
しかしビリーは
「はんっ! 俺ならもっと良い女が頭を下げて婿に来てくれと頼みに来るさ! こんな我が侭女に尽くすなんて俺には出来ない! 尽くすならもっと魅力的な女が良いに決まってるだろ!!」
と、マリリンを指差しながら叫んだ。
そんな事を面と向かって男性から言われた事など初めてだったマリリンは大泣きし、お互い様だから……と穏便に婚約解消しようとしていたマリリンの父ドーシュ伯爵は、貴族の笑みを浮かべながら額に青筋を浮かべてビリーの発言に対する慰謝料の請求をした。
姉のカリンナに対してはいくらでも強気になれるマリリンも外の世界の男性に対してはただの“女性”だった。
婚約解消に……というよりビリーの発言に対してショックを受けたマリリンは、数日泣き続けて寝込んだ。
その間にカリンナはしっかり知り合いにビリーの酷い発言の事を話したので、ビリーの噂は尾ビレに腹ビレも付けて広まった。
『俺ならもっと良い女が頭を下げて婿に来てくれと頼みに来る』
と宣言した外見しか取り柄のない子爵家の三男を婿に欲しいと言い出す家が現れる訳もなく。
ビリーは家を勘当され平民となった。