【おまけ】本と手紙とチャチャの受難3
その後、あたしは店のコンセプトを少し変えることにした。
この店は花と本がある環境でカフェタイムを楽しむことができるカフェだ。
あたしはその楽しみ方の方向性を少し変えることにしたのだ。
「よし、こんな感じでしょう」
あたしは早めに店にやってきたスタッフの一人に手伝ってもらいながら、開店時間前にカフェの端っこに仕切りになるくらい大きい本棚と机を設置した。
前のテナントが使っていた家具がバックヤードに残っていたのだ。
いつの日かマノン薬草店で見たような、重厚で趣のあるアンティークなデスク。その上には文具店で買った可愛らしいインクとガラスペン、それと文字を打ち込む魔術具が置かれている。
クリスカレン百貨店には画材屋さんもあるので、そこからキャンバスなどの画材も急いで買ってきて後ろに置く。
「チャチャさん? これって……」
「ミファーナ。あなたはここで新作の小説やら絵やらを書いていればいいから。無理に接客をする必要なんてない」
「え!? どういうこと?」
「ここにくるお客様は、テンパって何も話せずに固まるあなたを見るくらいなら、小説を目の前で書き綴るあなたのことをみたいと思う。……だからあなたはここで、小説を書いていて」
「でもそれじゃ……このお店のなんの助けにもならないし、今までのお屋敷での生活と何ら変わらないって言われちゃう……」
ミファーナはブーゲンビリアみたいな濃いピンク色の瞳を涙で潤ませていた。
「……そういえば、ミファーナはこの店を管理しろって誰に言われたの?」
「上のお姉様よ。今クリスカレン百貨店の代表を務めている三番目のお姉様。私が屋敷に篭りっきりなのはおかしいから外に出なさいって。それにお母様も私が家から出るのであれば、そのほうが望ましいって言っていて……」
その言葉を聞いて、あたしは現クリスカレンの総支配人の顔を頭に思い浮かべる。
総支配人はミファーナとは正反対。コミュニケーションの権化みたいな人だった。誰にでもなんなく絡んでいける感じの。
うーん、あの人から見るとミファーナは心配な子に見えちゃうかもなあ……。
あれを目標にして、そうならなくちゃいけないって考えているとしたら、それは……。
「あのね。ミファーナ。ミファーナは総支配人みたいにはなれないよ」
「えっ」
ミファーナはあたしの言葉に顔を青くした。
「確かにコミュニケーション能力があるって、本当に素敵なことだけど、あれは天性の才能だから、後天的に身につけようと思ったら、ものすごーく頑張らなくっちゃいけないと思う。心を削りながらね。それってとっても不幸なことじゃない?」
「……」
「いいじゃない。その代わりミファーナは誰にも作れない物語が作れるんだから。物語の中でなら誰よりも雄弁に語れる。それでもういいじゃない。頑張る必要なんてない。……これがあたしの結論」
「で、でもっ! わっ私はちゃんとみんなみたいに普通にお話しできるようにならなくちゃいけなくって! そうじゃなくちゃ貴族失格って」
「なりたい理想像になんかなれないんだよ、ミファーナ」
あたしはハッキリと言った。
「あたしもつむぐさんみたいになりたかった。店主として全てのことに目を通しながら、リーダーシップを取れる人間になりたかった。だけど、なれない。あたしには威厳がない。みんなが従いたいと思うカリスマ性がない。……どう足掻いたって、あたしの適正はサポーターなの」
「そんなことっ!」
「ないって言える? このお店の状況を見て?」
ミファーナの泳いだ目が雄弁に事実を物語っている。
「ここは、あたしの店である前に、あなたの店なの。ミファーナ。お客様たちは、誰もがあなたの物語のカケラを求めて、この店にやってくるの」
あたしの思った通りだった。
「ささ。もうすぐ開店の時間になっちゃうから、早くここに座って!」
「う……うん。わかった」
ミファーナが机に座り、ペンを動かし始めたら、店の空気が変わった。
みんな彼女が物語をつむいでいく、真剣で美しい姿に見惚れていたのだ。頬を赤く染めて。
——間違いなく彼女はこの店の象徴だった。
「さあ、みんな。ミファーナが気兼ねなく物語を作り続けるようにあたしたちはあたしたちにできることをしましょうね!」
そういうと、今まであたしの後ろで様子を伺っていた、スタッフたちが今までの様子が嘘だったみたいに、きびきびと動き始めたのだ。
あの人が書いていられるように、手を煩わせないようにしなくっちゃ、といった様子で。
『作家ミファーナ』に憧れて働きはじめた人たちだもの。そりゃ、実際に書いている様子を見ればテンションが上がるはずだ。
きっとお客さんも同じように、この景色を見たいんだと思う。
*
これでミファーナの方は大丈夫だから、あたしはちゃんと自分の仕事をしなくちゃ。
つむぐさんの店で学んだことを生かしてね。
あたしは今、店の中で改善すべき点を挙げながらメモに書き始める。
……まず最初にこの店にはまとまりがないよね。
今の店内は、花はあるけれど、季節の花を寄せ集めただけで「季節感があって綺麗だね〜」とは思えるけど、それ以外の美しさを見出すことはできていない。本だってただ置いてあるだけ。メニューも普通のカフェメニューでしかないのに。
なんていうか、今の状態は花を扱えるあたしと、小説を描けるミファーナ、それとカフェ勤務経験のあるスタッフさんたちを寄せ集めて一つの空間に集めました感が否めないんだよね。
本もカフェも花も、素材自体はいいもののはずなのに、どうしてそれが同じ空間で提供されているのか、いまいちその必然性が見えないのだ。
そうだ! ミファーナが書いた『センティカの冒険』のストーリーをこの店の中に落とし込めばいいんじゃない?
『センティカの冒険』の主人公のちに勇者となる少年は、物語の冒頭、か細く、しかし美しい声で誰かに呼ばれた気がして、立ち入ることは許されない神々の森へ足を踏み込む。青々とした深い森を先へ先へと進んだところで、ヒロインとなる妖精の少女と出会う。
そこはまるで幻の世界。一面がピンク色の芍薬に包まれた空間が広がっているのだ。
あたしはそれを読んで、驚いた。
透明度の高い瞳を持つ、妖精の少女のイメージと芍薬の花が驚くほどピッタリとはまったから。
薔薇の芳しい匂いとは違う、ピュアで、でも空間中に広がる甘い香りを持つところ。
日の光が透ける、美しいベールのような繊細は花びらを持っているところ。
どこかミステリアスで、儚げな印象を持っているところ。
あのシーンだけで、二時間くらい妄想の世界に浸り込んでいられる。
そうだ。ミファーナって、あの妖精の少女に印象が似ているんだ。
あの物語のようにミファーナが芍薬に囲まれていたら、どんなに美しいだろう。
思い立ったあたしは、ホールをスタッフに任せて、バックルームから芍薬が入った桶を持ってくる。
そうして、その情景を想像しながら、一心不乱に手を動かす。
どこにどんな花を置けばいいか、不思議とわかった。
指先が光って見えるような気がした。感覚が正解を教えてくれる。
こんなふうに花に導かれながら、飾り付けをするのは初めての経験だった。
昔、つむぐさんがマノン薬局店に贈るスタンド台のアレンジメントを作った時に、どうしてかわからないけれど、こうやると美しくなる気がすることだけはわかると言っていた時のことを思い出した。
——今なら、あの感覚がわかります。つむぐさん。
あたしはがむしゃらに体全体を動かして、ミファーナの作業スペースの周りの花をあしらった。
「ふう……できた」
額に滲んだ汗を腕で拭い、後ろを振り向くと、いつの間にかスタッフのみんなやお客さんたちがこちらを見ていたことに気が付く。
「えっ! いつから見て……」
あたしが目をまんまるにしていると、スタッフの一人の口から「すごい……」と言葉がこぼれ落ちた。
「これ……もしかして『センティカの冒険』に出てくる妖精の登場シーンじゃないですか?」
「そう! それ! 伝わったの!? 嬉しい」
あたしは尻尾をぶんぶん振りながら喜んでしまう。
「こんなふうにお店の中に、ミファーナ様の物語を感じられるなんて……。どうせならカフェメニューの中にも、物語に出てくる食べ物があったらいいですよね」
スタッフの女の子の意見にあたしは目をまあるくする。
「それ! すっごく素敵!」
それからあたしたちはミファーナの小説に出てくる、美味しそうな食べ物の案を出し合った。
勇者がよく泊まる宿の女将さんが作ってくれる、香草の香り漂うあつあつのチーズのせハンバーグ。
疲れた時に、妖精の少女が差し出してくれた、甘めのココア。
王女様が食べていた、砕かれたアーモンドが入っている、ビターチョコレートベースのケーキ。
カフェスタッフのみんなは空き時間ができるたびにどんどんあたしにアイデアを出してくれた。あたしはそれをすぐに厨房のスタッフに伝えにいく。
案を出し合い、可能かどうか話し合っている間に、あたしとスタッフたちの壁は一気になくなっていた。
だって、そこには身分なんか関係なく、ただの『ミファーナファン』たちが集まっていたから。
*
開店から、早三ヶ月。
やっと新体制になったお店が落ち着きを見せ始めた。
「お待たせいたしました〜。ミファーナの新刊『いるところ』に登場する、『よくばりお嬢様の贅沢ケーキセット』です」
スタッフの一人がテーブルの上にケーキセットを置くと、お客様の目が輝きはじめた。
「わあ! すごい! たくさんの種類が楽しめるようにケーキが小さくカットされているところまで、お話の通りだ!」
ふふふ。そうでしょう。
ちなみに、そのケーキセット。原作小説で、サバランの中に入った強めのアルコールで酔ってしまったっていう部分も忠実に再現されているんですよ。
それに気がついた様子のお客様は、きゃあ! と楽しそうな声をあげていた。
こんな感じで、店はミファーナの小説の世界観を楽しめると、大人気になっていた。
「チャチャ」
入り口のところで、見覚えのある女性が小さく手を振っている。
「つむぐさん!」
あたしは彼女の下に走って向かう。
「すごいねえ……大盛況だ。今日は呼んでくれてありがとう」
「いいえ。全てミファーナのおかげですよ。彼女の小説が花やカフェメニューをより魅力的なものにしているんです!」
「それにしてもすごいよ。花だって、選び方のセンスが抜群。これは誰にでもできる仕事じゃないよ」
「えへへ」
ずっと憧れだったつむぐさんに花のことで褒められると素直に嬉しくなってしまう。
「そういえば、私と話してて大丈夫? お店。忙しいでしょ?」
「それは大丈夫です。あたし、このお店の世界観をより楽しんでもらえるように最近時間予約制にしたんです」
「へえ……よく考えたねえ……」
つむぐさんは感心した様子を見せていた。
つむぐさん。あたし、最初はこういうお店を作るつもりじゃなかったんです。
頭の中にしか存在しない、あたしの理想のお店はもっと完璧で気品に満ち溢れていて……素晴らしかったんです。
でも、現実はこんなもの。
計画通りになんていかないし、あたしたちのできることには決して超えられない限界がある。
……でも、なかなか悪くないでしょう?
つむぐさんは目を見開いて、お店の中を見渡していた。
あたしは飛び出しそうな心臓を落ち着かせながら、つむぐさんの感想を待つ。
「これ……作者滞在型コラボカフェだ……」
「? コラボ?」
「あ! ううん。なんでもないんだよ」
つむぐさんは首を横に振ってこちらを優しい目で見つめてくる。
「チャチャ……ここ、とっても素敵なお店だね!」
あたしはつむぐさんの輝くような笑顔を見て、小さく笑った。
お読みいただきありがとうございました〜!
また何かあればおまけを足します。
ちなみに、現クリスカレン百貨店支配人はミファーナを外に出すことで、新たな物語のネタを仕入れて欲しくて嫌われ役を買って出たみたいです。
本人もミファーナの小説のファンで、この経験を生かしてお仕事小説とか書いてくんないかな〜とか思ってるらしいですよ。
他にもこんな話読みたいよ〜などあれば教えて下さると幸いです。
参考にさせていただきます。