【おまけ】本と手紙とチャチャの受難1
たくさん読んでもらえて嬉しかったので、おまけを三話追加します。本当にありがとうございました。
新しいお店を開き始めたチャチャのお話です。
クリスカレン百貨店からのオファーを受けた彼女ですが、どうやら悩みも多いようで……?
星が瞬く晩春の深夜。あたし、チャチャは日中の疲れでフラフラしなりながら、家へ向かう住宅街を歩いていた。
「ひえ〜! やっと帰れたあ〜!」
先月から新しく借りた、通勤距離短縮を優先した一人暮らし用の小さな家からは「おかえり」の声も返ってこない。
家のドアを開けた瞬間、私は玄関先に座り込み、項垂れる。
獣人だから、体力には自信があったのに、連日びっくりするほどいらっしゃるお客様を相手にするという慣れない状況が続くのはさすがに堪える。連日の疲れがたまりにたまった今日は、座り込むとすぐには立ち上がれないくらいに疲れていた。
まさかあたしが作る店がこんなに人気になるなんて……開店当初は思ってもいなかった。
……まあ、問題は山積みなんだけどね。
『ねえ……この店、本当にこんな状態で大丈夫なの? 私、もっと洗練された店で働けると思ったんだけど、グダグダじゃん』
『ほんとに。クリスカレンがお金を出してるって聞いたけど、こんな状態だと、すぐに潰れちゃうかもね』
『今のうちに新しい職場探しておいた方がいいかな……』
頭の中で、今日バックヤードで盗み聞いてしまったスタッフたちの率直な意見が何度も何度もリフレインしている。
「あたし……本当にこれからやっていけるかな……」
つむぐさんにはあんなにキッパリと独立宣言してしまってからには、おずおずと戻るわけにもいかないのに。
あたしはこの店を開くまでの四年間、この王都にある『スノードロップ』という花屋で店員として働いていた。しかし、今月からめでたく独立し、新しく自分の店を持ち、店主として働き初めたのだ。
新しいお店はなんとこの国で一番大きな百貨店クリスカレン一階にある。名前は『花と本のカフェ・センティカ』だ。
このお店は今までこの国にあったどの店とも違う、全く新しい業態をしている。店内に花がたくさん飾られたカフェの中で本を読むこともできるのだ。好きな人にはものすごく刺さるであろう、画期的なお店になっている。
あたしはその店の中で花部門の責任者になっている。一応、店には、共同経営者がもう一人いるので、ひとりぼっちの戦いではないんだけどね。
その共同経営者が……。なんとも厄介なやつなのだ。
共同経営者のミファーナはつむぐさんを奪っていったあの憎き男、フリッツの末の妹、ミファーナだ。
ミファーナは現在国内では大人気作家、画家として名が知られている有名人だった。今年も彼女が書いた絵付きの児童書『センティカの冒険』がベストセラーになっている。
だけど、そんな彼女の正体は……。
*
初対面の挨拶の日、ミファーナは私を見て、目に涙を溜め、肩を震わせていた。
「ひえっ。みっみふぁーなですぅ……」
こちらは何も言っていないのに、ミファーナは今にも逃げ出しそうな仕草だった。
えっ……。あたしが怖いの? いじめてないよ?
最初はあたしが獣人だから怖がっているのかと思っていた。
でも、ミファーナ付きの従者が言うには、ミファーナはいつも誰に対してもこんな状態らしい。
聞くところによると、現在十四歳の彼女は五歳の頃から家の敷地外に出ていないそうだ。
十年弱家から出てない!?
あたしはその事実を聞いて、目をひん剥いてしまった。
でも、そう言われてみれば、ちっとも日を浴びていないミファーナの肌は青白く、その体は幽霊のように透けてしまいそうだった。青く腰まで長いカーブがかかった髪がその印象を余計に助長してしまっている。
小説を書き始めると何も食べなくなるタイプらしく、その体は驚くほど痩せていた。
最初、見た瞬間、「え? この人、本当に生きているの?」ってあたし、思っちゃったくらいだし。
そんな彼女がなぜ私の店の共同経営者になったかというと、あんまりにも家から出ないため、心配した家族たちが荒療治にと、クリスカレン百貨店の店を一つ管理することを命じたのだ。一人じゃ何もできないから、あたしという監督者をつけて。
元々、あたしはその条件を知った上で、店を開くことに同意した。
まあそれだけがこの条件を引き受けた理由じゃないけど。
だけど……。
「ミファーナがこんなに何もできないとは思っていなかった……」
あたしは相変わらず玄関から一歩も動けずにひとりごちる。
彼女はお嬢様にしては、動ける。
変に貴族ぶって誰かに命令しないし、自分から掃除をしはじめたり、意欲があるのは見て取れる。
決して、やる気のない役立たずではないのだ。
しかし、彼女はお客さんの前に立つとかっちんこっちんに固まってしまう。
例えば……。
「作家のミファーナさんですか! 私『丘の上のこどもたち』の大ファンです」
「……………(冷や汗をかき、白目をむく)」
こんなふうに。
そんな調子でお客様と一言会話することさえままならない。
これではどうしようもないので、仕方なく今、彼女はキッチンにこもって、うちのシェフのお手伝いをしている。
新しく『センティカ』で雇ったスタッフたちは、国内で大人気の作家であるミファーナのもとで働ける! と意気揚々に働きにやってきたのに、その正体がへにょへにょで、威厳? 彼女のどこにそんなものがあるって? としか言いようがない様子を見て、皆、消沈してしまっている。
そんなわけでスタッフの間に残念な空気が流れはじめているのだ。
この空気感がお客様に伝わってしまうのも時間の問題だろう。
本当はホールスタッフの教育まで、ミファーナが担当することになっていたんだけどなあ……。
あたしはお店の中の花の管理だけしていればいいって話だったけれど、ミファーナがこんなんじゃ、店がまわらないため、あたしがホールに出たり、ホールスタッフに指示をしてまわっている状態だ。
やるべき仕事が二倍(しかも半分は今までにやったことない分野)になってあたしはもう、てんてこまいなのだ。
もう少し、店の感じに慣れたら、ミファーナも働けるようになるのかな……。
「でも……それまでスタッフのみんなはあたしのいうこととか聞いてくれるかな……」
あたしはついついため息をついてしまう。
戦力外に近いミファーナの代わりに今はあたしが指示せざるをえない状況なんだけど、あたしは残念ながら「平民上がりの獣人」だ。
スタッフの中にはあたしより身分が高い人もいるし、そういう人たちはあたしのいうことを聞くのがしんどいみたい。
そうだよね……。本当は憧れのミファーナに指示して欲しかったよねえ。
このままじゃ、お店がまとまらず、空中分解してしまう。
あたしはどうにかみんなとコミュニケーションをとって、お店の空気をよくしたいと思っているんだけど、あたしが頑張れば頑張るほど、空回りしている感じがする。
自分が人を雇う側になった時、初めてつむぐさんのすごさがわかった。
つむぐさんはいつだって、あたしに「こんな風に花を操れるようになりたい」という憧れを抱かせてくれた。
今、スタッフのみんなはあたしに微かな反抗を抱いている。それを見て尊敬されるのにも技術が必要なんだなって思っちゃった。
あたしも花のことをスタッフに教えたいけど、如何せん時間がない。『センティカ』はクリスカレン百貨店側が資本提供をしているから、『あの人気作家ミファーナが開いた店!』と広告もバンバン打ってしまっている。新し物好きな王都の住人たちが毎日のように押し寄せてしまっている。
でもミファーナがいなかったら、あたしがこんな若くからクリスカレンに店を出すなんて夢叶わなかった。そこんとこだけは感謝しているんだけど……。
流石に疲れた……。
関節がどこかにいってしまったかのように、ぐでぐでになりながら、玄関に寝そべっていると、手紙の魔法陣が届く敷物の上に見慣れぬものが置いてあるのが目に入った。顔より少し大きいくらいのサイズの青い絨毯のような織物だ。
家主不在の場合は、ここに荷物が届くことになっている。
「何これ……手紙と……小包み?」
差出人にはつむぐさんの名前が書かれている。
「え!」
驚いたあたしは、ガバリと起き上がる。早く中身を確認したくてそれを勢いよく開けた。
今日中にこのお話は完結します。




