56 つむぐの決断
私は元の世界には戻らない。
ここで生きてくことを決めてしまったのだ。
——いつかこの選択を後悔する時が来るかもしれない。
でも、それでも。別にいいや。
これは私の選択だから。
後悔したって、構わないの。
大切なのは人に流されずに、自分の選択を自分で決められたってこと。ただそれだけだから。
*
「つむぐ殿?」
フリッツさんの声にハッとする。
気がついたら私は白い世界から元の場所、王女様の結婚式会場に戻っていた。
手には片づけの残骸が持たれている。
「しばらくぼうっと立ち尽くしていたようだが、気分でも悪いのか?」
この一年間で無表情なのに、内側に隠れている表情がわかるようになったフリッツさん。今の表情は私のことを心配しているように見えた。
どのくらいぼうっとしていたのか、わからず一瞬不安になったが、空の色があまり変化していない。
ほんの少しの時間、あちらに行っていただけのようだ。
私はフリッツさんを安心させようと声をかける。
「私、女神様とお話していたみたいですね」
そう軽く笑いながら言うと、フリッツさんは諺のことをいっているのか、それともまさか本来の意味なのか、わからないで困惑をしている様に見えた。
「そうか。気分が悪くなったわけではないのだな?」
「はい。大丈夫です」
「それなら……いいのだが……」
確認しあった後、少しだけ二人で黙り込む時間が発生する。
そうだ、私、無事に王女様の結婚式が終わったら、自分の気持ちをフリッツさんにちゃんと伝えようと思っていたんだった。
「「あのっ!」」
フリッツさんと言葉が重なる。二人同時に声を発してしまって、二人であわあわしてしまう。
「つむぐ殿から先にどうぞ」
「いいえ! フリッツさんからお先に!」
しばらくどうぞ、どうぞの譲り合いが起きる。
なんだか、そんなことをしていたら、堪えきれなくなって二人でくすくすと笑い合った。
最終的にフリッツさんは私に話を切り出す優先権を譲ってくれた。
私はしっかり深呼吸をしてから、伝えたいことを一つずつ、言葉にしていく。
「私は、この国の貴族たちが望む様な、貴族の妻にはなれそうもありません。というか、まだ結婚だって考えられません。だって私は根っからの花屋だから。花屋であることが、私の生き様だから」
フリッツさんが息を呑むのがわかった。
「それは……先日の申し出を断りたいという……」
「っでも! それでも私はあなたと関わって生きていきたい。私はいつだってあなたに見守られていたから、あなたに助けられていたから、この世界でも花屋を続けることができたんですっ」
私はフリッツさんの言葉を遮る。
「私は自分でも引くほど、強欲な人間です。与えられもしないのに、あなたの守る様な視線が欲しいなんて浅ましいにも程があります。だけど……それでも。私の行く末を、隣で見守ってはもらえないでしょうか」
フリッツさんはしばらく黙っていた。
やっぱりこんなにわがままじゃダメだよね、と諦めかけたとその時、彼はゆっくりと口を開いた。
「……それはもちろんはなからそのつもりだが」
「……え」
「そもそも私は君のことが心配で……目が離せないから、ずっと君を隣で見守り続ける権利が欲しいだけだ」
「それは……はたして恋愛感情なのでしょうか……? 比護欲ではなく?」
「つむぐ殿。……誰もが運命を狂わすような、熱く燃え上がる恋愛を求めていると思ったら大間違いだぞ? 私は君にそんなこと一つも求めていないんだから」
「そ、そうなんですか?」
私が何も知らない小学生みたいな口調で言うと、フリッツさんは力強く頷いた。
「ああ。そうだ。私は君が楽しそうに花屋を運営しているのを見守っていきたいだけだ。君が誰かに助けを求めたくなったとき、その相手が自分であればいいと思っている」
そんな恋愛の形もあるのか! 私は目から鱗が落ちた気分だった。
「そっか……じゃあ、私フリッツさんのこと、好きでいいんだ……」
私が言うと、フリッツさんは一瞬、固まったあと、はにかむように笑った。
——笑ったように見えたのではない。
——笑ったのだ!
「え! フリッツさん⁉︎」
「ああ……。まずい。君が自分の好意を受け入れてくれたことが嬉しくて……魔法陣が制御できる許容量を超えたらしいな……」
初めてみる彼の笑顔は想像以上に、破壊力があって……心臓が壊れるかと思った。
次がエピローグです。




