53 幻想からの解放
「お待ちください!」と叫ぶケヴィンさんの言葉を遮り、私はズカズカと花屋がある王都へと戻る。
行きと違って転移じゃないから時間はべらぼうにかかるし、自分の足で帰らなくちゃいけないけれど、頭を冷やすにはちょうどよかった。
——まさか自分の父親があんな自分勝手で、周りの人を顧みない、最低な人だとは思わなかった。
少し話しただけでも王様はお母さんの幻影だけを愛していることがわかる。彼は私を『お母さんの忘れ形見』として愛したいのであって、私自身を娘として愛していきたいわけではないのだ。
王様にとって私は、私という存在から母の面影を探すためだけに存在している、装置でしかない。
それほどに王が持つ母への執着は強かった。
私は一度教会で会った王女様に思いを馳せる。
王様は王妃様や王女様のことをつまらない人間だと切り捨てていた。愛して欲しい人が目の前で別の人に想いを馳せているって何よりも最悪だ。
きっと、目の前にいるのに自分のことを大切に思ってもらえなかった王女様は辛かっただろうな……。
王女様の心中を想像した私は心の底から申し訳ない気持ちになった。
それからというもの、私は王女様の結婚式を最高のものにしようと、時間の全てを注ぎ込んで、結婚式の用意に当たった。
王女の結婚を姉として、欲していた人の愛を奪った人間として——彼女が掴んだ門出を、心の底からお祝いしたかった。
*
結婚式を最高のものに仕上げたい私は、王女様ともう一度会うことにした。
私はまだ、王女様のイメージを掴み切れていなかったからだ。
王女様はもう、儀式上の還俗は済まされていて、教会には住んでいなかった。
それでも、心優しい王女様は教会付属の子供たちにせがまれ、それに応える形で、週に一回は教会を訪れているらしい。
スワッグを注文した赤毛の聖職者の女性が教えてくれたのだ。私はその女性に頼んで、王女様と二人きりで謁見する時間をとってもらうことにした。
謁見当日。
王女様はご自身が式をあげることになっている、広い教会の敷地内にポツンと存在する、小さなチャペル前に置かれたアイアンでできた、黒いガーデンベンチに座っていた。
王女様はこの素朴な場に似合う、生成色の麻布でできた、装飾のないシンプルなAラインのワンピースを着ていた。
その姿は王女様というよりも、教会の中で一休みしている町娘の様に見えた。
素朴なものを好む、といっていたレフィリアさんの意見は間違っていなかったのかも。
「お花屋さん。こんにちは。お隣どうぞ。お座りになって?」
こちらに気がついた王女様は笑っているけれど、笑っていなかった。目の奥が、どろんと澱んでいた。彼女は私を信用していない。でも、バックグラウンドを知った今は彼女の視線に込められた感情を理解することができる。
でも、どうして憎たらしい私に、大事な式を頼もうなんて思ったんだろう。
まさかこんな風に隣に座ると思っていなかった私は、ドギマギしながら、腰をおろす。
王女様は私の目の色を確認するように視線をこちらに向けてから口を開いた。
「父と——陛下とお会いになりましたか?」
「はい。ですが私とは意見が合いませんでしたので、あの方とは距離を置こうと思っています」
できるだけ感情を込めずにそういうと、王女様はびっくりしたのか、目を見開いていた。
「あなたには、あの陛下の温情が必要ないのでしょうか? あの人は、あなただけを愛しているのに……?」
王女様の目は、心細さを抱える子供みたいに揺れていた。
その目を見てはっきりそうだとわかった。ああ、この方も父親の愛を欲して生きていたのだ、と。
王の愛が向けられていたはずの私を、羨んで、憎んでいるのだと。
「ええ。全く、これっぽっちも。あの方は私を愛しているように見えるだけです。でも、あの方が愛しているのは私でもないのですよ」
王女様は、目を見開いて、黙り込んでしまった。
その後、考えがまとまったのか、憑き物が取れた様に「そう……」と一言だけ言葉を発した。
「そんなことより、今日は王女様の結婚式について伺いたかったんです。どんな式にしたいのか、何色が好きなのか、どんな花が好きなのか……。希望があれば、できるだけそれにそいたいと思っています」
そういうと、王女様は挑戦的な視線で私をみた。
「あなたが私のことをどう思っているか。それを花というものを通してみてみたい。私が望んでいるのはそれだけよ」
え……。それだけ?
王女様はヒントの様なものは何も言わずに、立ち上がり、その場を去ってしまった。
*
王女様のことを私がどう思っているか、花で表現する。
なんて難しいお題だろう。長い間、花屋をやってきた私だけど、こんなに難しいお題を出されたことはない。
私はどうして王女様が、小さな結婚式をあげたいと願ったのか、その理由から調べてみることにした。
その理由はすぐにわかった。この逸話は王女の周りの人なら、誰もが知っている有名な話だったのだ。
王女様の伴侶となる人は、元平民の男性だったからだ。
彼は今、公爵家の養子に入ることで、戸籍ロンダリングの末、貴族籍を得ているが、元々は王女様のお母様である、王妃様の庭を管理していた専属の庭師だったらしい。
彼は王女様が小さい頃から、王から愛を示してもらえない、彼女の寂しさに心をよせ、成長を見守ってきてくれた優しくて強い人だそうだ。
王女様は王と正妃の間に生まれたたった一人の子供だ。
彼女が、女王となることが決まった時、多くの貴族たちがその地位を求めて婚姻を申し出た。しかし、彼女が王配となることを許したのは、彼女を本当の意味で支え、潤いを与え、慈しんでくれた、庭師の男性だったそうだ。
なんて素敵なエピソードなんだろう。
私は、それを聞いた瞬間、目を潤ませてしまった。
そういえば、王女様がいらっしゃった教会は、中にはスワッグしか飾られていなかったけれど、その建物の外にはたくさんの花が植えられていた。一途に祈りを捧げる人の心を支えるかの様に。
今思えば、それも全て、王配となる庭師の手入れによるものなのだろう。
王女様は自分が欲している愛を、与えてくれない父親から早いうちに見切りをつけて、ちゃんと自分が望む形の愛をくれる人を探したんだ。
立場的にそれを実行するのは、簡単なことじゃなかっただろうに。
*
私は、自分が用意する式のイメージを作り始めた。
テーマは清廉。
決して華美ではないけれど、あたたかみをそこらじゅうから感じる。そんな式にしたかった。
王女様の結婚式が行われるのは、冬の初めだ。
それにあたって、会場内を暖かくする魔法陣をフリッツさんにお願いすることにした。難しい仕組みの魔法陣だというから、申し訳ないなとは思ったけれどフリッツさんは『王女には小さい頃から世話になったからな』と言って引き受けてくれた。
教会に食べ物を卸していた、お店の店主から彼女が好んでいたものを聞き出し、式の当日に用意してもらえる様に頼んだ。
王女様は国民に広く慕われているようで、私が頼むとお店の人はみんな、とびきりのものを用意するよ、と言ってくれた。
それだけじゃない。この式での王女様のドレスは仕立て屋リンドエーデンのマダムが縫うことになっていたのだ。
マダムと相談して、少しだけ裾の刺繍を足してもらった。
ウエディングドレスの裾の端にスノードロップの刺繍を足してもらったのだ。
姉である私から、あなたにスノードロップの花言葉でもある、希望と慰めを贈りたい。そんな願いを込めて。
気がついたら花だけにとどまらない、式に関わる全てのことに私は手を広げていた。
*
それから数日。式の準備は着々と進んでいた。
最近の私は自分の仕事である、花の手配にかかりっきりだ。
季節が冬じゃなければ、もう少し花の種類を増やせたんだけれど……。と思いながらも、それでもできるだけ華やかに見える様に工夫を凝らしていた。
「私、お母さんみたいにお客さんを幸せにできるような花を届けられているかな……まだ及ばないか」
店で仕事中。私がそうぽつりと呟くと、隣で注文のブーケを作っていたチャチャが手を止めて、こちらを見ていた。
「てんちょの憧れはお母様なのでしか?」
「そうだよ」
私は呟く。
「私はお母さんみたいになりたくて、ずっとこうやってもがいてきたけれど……でも結局はなれなかったな」
口に出して初めて、ああ。私はお母さんみたいになりたかったんだな、と腑に落ちた。正確に言えばお母さんに成り代わりたかったのかも知れない。あの、商店街の小さな花屋を、お母さんが生きていた頃と何ら変わりなく引き継ぐことができる、優れた存在に。
でも、私は残念ながら成り代わることはついぞできなかった。
「でも……、うーん。あたちはてんちょのお母様のことは知りませんから、どんなお花屋さんだったかなんて、全くわからないんでしけど。あたちはてんちょ以上の技術を持ったお花屋さんを知りませんから……。誰よりもすごいと思いましよ?」
一生懸命、絞り出すようなチャチャの言葉に私はすごく励まされる。
「ありがとう、チャチャ。そうだよね。私は私ができる全力を出すことにするよ」
*
式の前日。
教会のチャペルの中で、慌ただしくチャチャや聖職者たちに指示をして回っていると、目の前に大きな影が落ちた。
「何か御用ですか?」
そこには王様がいた。
後ろにはお付きの騎士が控えるように立っていた。フリッツさんではない、もうちょっと年上の人だ。
私は王様と向かい合いながら、急激に自分の心が冷めていくのを感じていた。私は自分に害をなす人間に対して、熱されるマグマのように憤れるたちじゃない。むしろ逆。興味の範囲から、外れていくのだ。
邪魔だなあ……。
すうっと心が冷たくなっていく。
正直言って、今は忙しい。かまっている暇なんてないんだから、どっかに行って欲しかった。
「君は弱い。人に……私に頼ることを知らない」
王様は、まるで私という人間がどんな人間なのか、知っているような素振りで勝手に話し始めた。
「はあ? ……何が言いたいんですか?」
「私という人間がいるのにもかかわらず助力を乞いにこないのは愚かだと思ってな」
王様の一言を聞いた私は、わざとらしいくらい、大きなため息をついてしまう。
この人は何を、素っ頓狂なことを言っているんだろう。
多分、王女様はこの人の助力を得た式になんて出たくないだろう。国民のための披露目となる式典は仕方ないにしても。私はそれを王女様とその周りの人々からひしひしと感じていた。王女様は王様の治世能力は認めていても、人間としては認めていないのだ。
そんな疎まれ者のこの人が、この場に必要な答えを持っているとはどうしても思えなかった。
「私は自分が弱いことを知っています。でも、その弱さをあなたに見せたくなんかありません」
「君は千世子と違って可愛げがないな」
王様の口から、ハッと短い空気音が漏れた。
王様は自分がその言葉を発してしまったこと自体に傷ついているように見えた。
私は、その言葉にちっとも傷付かなかった。
私は性格が悪い人間なので、それどころか、ザマアミロと思った。
もしも、あなたが幼少期に、私の養育に関わっていたら、私はあなた好みの、甘えと隙のある女になったかもしれない。
けれども、私には母しかいなかった。母がいなくなった後は一人ぼっちだった。
一人でいる人間は、一人で落ち込んで、一人で立ち上がるしかない。
そのくらい強くなくっちゃ、複雑な世の中を生き抜くことなんてできない。
——これが私だ。
こうやって生きて、何が悪い。
私は、目が覚めた思いだった。
「ははっ! はははは!」
おかしくて、笑いが止まらない。狂ったように笑う私を王様は呆然とした顔で見ていた。
*
私はずっと人より与えられているものが少ないと、飢餓感を覚えながら生きていた。
普通になりたかった。
家に帰れば両親が揃っていて、貧しくなくて、お母さんはいつも疲れていなくて。
そんな、一般家庭の普通にずっと憧れていた。
父親がいれば、私の全ての不幸が魔法の様に取り払えたのではないか、と信じていた部分がある。
でも、現実に魔法はなかった。
それどころか、不要なものがまとわりついていた方がマイナスになることだってあるんだ。
もちろんこの世には愛情のたっぷりの『お父さん』だっている。子供に愛情を持てない『お母さん』がいるのと同じように。
私の場合は、威厳だけは振り翳して娘のやることなすことに口を出したい、二十二年会っていない父親と、私を愛してくれた故人の母がいる。ただそれだけだ。
それに気がついた瞬間、ずっと私の足を引っ張ってきた、『もしも』という形の幻想の靄がすっきりと消え失せたのがわかった。
私はこうなるしかなかった。
私はどう足掻いても、不完全なままの私にしかなれない。
憧れてやまない『私のお母さん』には永遠になれないのだ。
惨めで、頑固で、人に頼るのが苦手で、可愛げのない私。
今までの苦しい生活が人格構成に大きな影響を与え、最終的にこうなってしまった私。
心の底から憧れていた、お母さんとも違う。誰もが私と同じ経験をしたことがない、私。
これからいろんな人と出会って、形を変えていく、私だけが運命を変える権利を持つ、大切な、私。
ずっと存在自体に憧れていた、父親に本当の意味で大切に思ってもらえなくとも、自分自身を大切にできる私。
それでも、こんな私のことを好きだと言ってくれる人が、ちゃんと近くに存在している私。
欲しいものを自分の足で取りにいける私。
——私はそんな人間だ。
その日、私は私によって形成された歪で不規則な私のことを、心から好きだと——初めて思った。
朝から重い内容で申し訳ないです。ここが山場、これ以上暗くはなりません。あと四話で終わりです。
今日のうちに全話アップしますね。




