49 王女様の結婚式、会場設営のご依頼
マノン薬草店のお仕事が終わってから一ヶ月。
街の空気はすっかり秋になっていた。袖なしワンピースは出番をなくし、朝は厚手のカーディガンがないと、ちょっと寒い。
薄い流れる様な雲が頭上を通り過ぎていく。私は店先を箒で履きながら、愛おしいものを眺めるように目を細めて秋の空を眺めていた。
*
本日最初のお客さんはレフィリアさんだった。
「レフィリアさん! お久しぶりです!」
「つむぐさん。先日は素敵なアレンジメント、どうもありがとう。本当に君にお願いしてよかったよ」
嬉しい言葉に、私は頬を緩める。
「気に入ってもらえてよかったです。最近、お家の方で忙しいと伺っていたのに、わざわざ挨拶にきてくださるなんて……」
マノン薬局店にスタンドアレンジメントを卸した後、レフィリアさんの家では、侯爵家総出で解決に当たらなければならない様な大騒動があったそうで、家を開けることが難しく、直接ではなくお手紙でお礼を受け取っていた。
前の世界にいた頃は、一度注文をして届けてしまえば、お客さんとの交流が途絶えてしまうのは当たり前だった。
だからお手紙が来るだけでも嬉しかったのに、わざわざこうして店に足を運んでくれるなんて……。なんて律儀で細やかな人なんだろうとびっくりしてしまう。
そこまで丁寧にしなくてもいいんですよ、とオブラートに包んで伝えたのだが、これには理由があるのだとレフィリアさんにいわれる。なんとこの国では気に入った店に、顔の知られた貴族が出入りすることが一種のステータスになっているそうなのだ。
その顔ぶれと人数が、今後の店の格を決める指標になるので、今後もできる限り自分で足を運ばせて欲しいとレフィリアさんはいった。
小さい街の花屋さんとして、小さく小さくお店を続けていこうと思っていた構想とは全く違う世界の扉が開かれてしまったような気がするけれど……。私がこの世界で最初に出会ったのがフリッツさんだった時点で、いずれこうなることが運命的に決まっていたような気もする。
事実をなんとか咀嚼して飲み込もうとしていると、レフィリアさんの口からさらにとんでもない言葉が飛んできた。
「それで今日はまた、つむぐさんに新しい仕事をお願いしたいと思っていて足を運んだんだ」
「新しい仕事ですか?」
レフィリアさんは自慢げにフフンと鼻を鳴らした。
あれ……なんだか嫌な予感がする。
「最近、我が家が忙しなかった理由でもあるのだが……。今回、めでたく我が国の王女殿下の還俗とご成婚が決まってね。君に王女殿下の結婚式会場、設営の依頼がきている」
後回しにしていた問題が、ついに顔を出してきた。
しかも思いもしない方向で。
「お……王女様の結婚式の……会場設営ですか?」
驚きで思わず声が震えた。
「ああ。我が国の王女様はあなたが作るアレンジメントやスワッグとやらが大変気に入ったようでな。マノン薬草店に飾られた開店祝いのスタンド台も直々に足を運んで見に行かれたそうだ。」
「え……」
あのドデカアレンジメントをあの王女様が見たのか!
恐れ多さと、なんのためにあれをみたのかと困惑してしまう。王女様の思考回路が理解できない怖さに、ぞわりと背中が粟立った。
「でも……王女様の結婚式って国政に関わる様な大掛かりなものですよね……一介の街の花屋に賄える案件だとは到底思えません」
私が言葉の端々を震わせながらいうと、レフィリアさんは目を大きくかっぴらいた。
「ああ! 私としたことが! 言葉が圧倒的に足りていなかったね。今回のご成婚における国民への披露目や式典、パレードなんかは王家の方で別に執り行われるんだ。つむぐ殿に依頼されているのは王女殿下が現在いらっしゃる教会で行う、プライベートな式のことだよ。王女殿下は教会で出会った人たちに自分の結婚を祝って貰うために、身内だけの小さな結婚式をお望みだ」
「小さな……小さな?」
レフィリアさんは質素な式だよ、と心強い笑みで言ってくれたけど、ど庶民の私には王族が言う『小さな結婚式』の規模が掴みきれない。
でも王女様は私がマノン薬草茶店に卸したスタンド台を見て、注文を考えてくれたってことだよね。
もしかして、王女様はあれが何台もあるような結婚式を望んでいるのだろうか……。だったら無理です! あれは私でも作るのに、丸二時間はかかる。
スタンド花を作る専門だったりで、作り慣れている人はもっと早くできるんだろうけど、街の小さな花屋を切り盛りしていた私は作る機会に恵まれなかった。ため、どんなに手を早く動かしてもこれが限界だ。
開店祝いでスタンドを作るとしても、年に一・二回だったしなあ……。うちの従業員は私とチャチャの二人だけ。そんな手間がかかりすぎる大口の注文なんて受ける余裕がない。
でも断るのは不敬に当たるのかも知れないと考え、私の現状をそのままレフィリアさんに説明した。すると、思いもよらぬ返答が返ってくる。
「それなら大丈夫だ。王女様はあなたのセンスを買っているだけで、時間のかかる大きな花をいくつも作らせるようなことを要求しているわけではない。そもそもご本人自体もそこまで派手好みな方ではなく、道端に咲く小さな花を愛でる様な気質の持ち主だ」
「え、そうなんですか?」
「ええ。とても堅実で清廉な方だ。お会いしてみたらわかるかと思いますが」
その言葉を受けた私はちょっと安心して、ほっとため息をついた。
「実は一度納品でお会いしたことがあるんです。でもその時はまさかの『王女様と対面』という状況に緊張してしまって、王女様の人柄を探るまでに至らなくて……」
ははは……。と力なく笑う。
「ちなみにつむぐさんは結婚式の飾り付けを担当されたことはなかったのですか?」
「うーん、あるにはあるんですけどねえ……」
転生前の花屋さんを切り盛りしていた頃、結婚式で使われる花材を融通したことは、あるにはあった。
依頼してきたのは同じ商店街の、文具屋さんの娘さんだった。商店街の東奥にひっそりと建つ教会を使わせてもらって、派手ではないジミ婚がしたいとのご希望だった。私はキリスト教徒ではなかったけれど、子供のころから日曜バザーなんかでその教会に足を運んでいたから知っているんだけど、本当に寂れた教会だったんだよね。
確かにあの教会なら飾りすぎてしまうと、浮いた印象がでてしまうだろうと、そこまで華やかに飾り込まなかった。教会自体の飾り付けはごくごくシンプルに。神父様が使う台の上に小花を飾ったくらい。
それでも、花束は清楚だけどかわいい感じで、という花嫁の希望通り、マトリカリアや、白のヒペリカム、少量のバラでまとめたシンプルかつ美しい出来になるように仕上げた。引き算を極めた質素かつ愛らしい花束だ。あれは私の中でも過去最高の出来だった、と今思い出してもニンマリしてしまうくらいの出来だった。
花屋としての結婚式会場設営の経験は本当にそのくらい。果たして、今回の依頼は私がこなせる様な案件なのだろうか。
というか、今更気がついたけど、私この世界の結婚式がどういうものか、全く知らない! やばい! 流石にどういうものか、知らないままじゃ絶対に引き受けられない!
この件についてはもう少し考えさせてください、とレフィリアさんに伝え、その日は帰ってもらうことにした。
*
「どうしよう……」
「てんちょ……。大丈夫ですか?」
私は『王女様妹説』という個人的な問題のせいで気が動転していた。同じように横でおろおろするチャチャにも気丈な様子も見せることができない。
「大丈夫じゃないよ……」
レフィリアさんが帰った後、私は頭を抱えていた。
するとその時、来店を知らせるベルがカランとなった。
やばいっ! レフィリアさんが戻ってきたのかな⁉︎
「はっ! はーい! いらっしゃいませ〜ってフリッツさんか〜」
慌てて取り繕い営業スマイルを顔に貼り付けたというのに、入ってきたのは見慣れた無表情な人、フリッツさんだった。私はつい安心して脱力してしまう。
「? どうかしたのか?」
「聞いてくださいよ〜! さっきレフィリアさんがいらっしゃって……」
「そうなんでし!」
私とチャチャは先ほどきたレフィリアさんから伝えられた内容をフリッツさんに伝える。
フリッツさんは「その依頼はつむぐ殿に振り分けられることになったのか……」と呟く。
「これって断ることはできないんですかね……」
「立場的にはできるだろうが、王女様はしつこいからな……。断ったらこの店に直談判しに来かねない。王女はつむぐ殿に並々ならぬ興味を持っているからな……」
——ちょっと、その情報は初耳なんですけど。
王の近侍騎士であるフリッツさんは王女様とも面識があるんだなあ、と思っていたら、なんと二人は子供の頃からの幼馴染なのだそうだ。
「フリッツさんから見た王女様ってどんな人ですか?」
「表面上は穏やかな淑女。怒りのポイントがたまると大爆発ってところか」
お、怒らせたくねえ……。
多分、私という生き物が存在しているだけで、王女様は不快だろうに。この依頼を断ったら……。怒りのスタンプラリー、最後の一ポイントになってしまいそうだ。
「どうしましょう……。っていうか私この世界の結婚式がどういうものなのかも知らないのに……」
馴染みすぎて、一瞬忘れてしまうことも多いし、もうなんだか地元の様な気もしてきたが、ここはやはり異世界なのだ。宗教だって違えば、作法だって全然違う。
そんな場所でいきなり、しかも高貴なる王女様の結婚式をプロデュースしろっていわれても無謀にも程がある。
「失敗したらどうしよう……」
「大丈夫だ。君の失敗を咎められるものなんてこの世界にはいない。すっかり花屋の店主になって忘れている様だが、君は一応、この世界に召喚された聖女だぞ?」
「は! その設定、すっかり忘れてました……」
花屋の店主に没頭しすぎていた……。私が己の行動に少しだけ反省していると、隣にいたチャチャがああ! と声をあげる。
「あ、やっぱりてんちょって聖女様だったんでしか〜」
フリッツさんと私は、あ、やべ。と固まった。
チャチャには私が聖女であることを全く伝えていなかったのだ。二人ともどう言い訳をしようかと、汗ダラダラになりながら考えていたのに、チャチャはびっくりするくらい飄々としている。私が聖女である、という事実がどうでもいいみたいに、いつも通りだ。
「チャチャ……」
「え? もしかして、てんちょそのこと隠そうと思っていたんでしか!?」
「隠せてなかった!?」
「全然隠せてなかったでしよ!」
チャチャはむしろそっちの方にびっくりしていた。
「チャチャ。つむぐ殿が聖女であることはこの国のトップシークレットだ。誰にも話さないでほしい」
「え……。でも多分、街中の人が知っていると思いましけど……。お隣のリンドエーデンのマダムも、魚屋の旦那さんも、肉屋さんも……多分マノン薬草店のマノンさんも」
「そんなにバレバレだった!?」
「もはや公然の秘密と成り果てていたか……」
フリッツさんは深いため息をついていた。
「まあそれは仕方がないか。話を戻すが……。俺の知り合いが来週結婚式をあげるのだが、つむぐ殿。視察がてら同行するか?」
「え! そんな! ……でもいいんですか? 貴族の方々が集まるパーティーでしょう」
「ああ、問題ない。貴族と言っても彼は伯爵家の三男でな。今回結婚を機に貴族家を離れることになったんだ。相手の女性が商家の娘だからな。式と言っても、王女殿下と同じように気取らない質素な式をあげたいと言っていたから、今回の依頼の参考にもなると思うぞ」
あ、そうなんだ。じゃあ作法を気にしすぎる必要もないのかな。
「私も出席するにあたってパートナーがいないことにほとほと困っていたんだ。つむぐ殿が一緒に行ってくれたら、私も助かるのだが……ダメか?」
「フリッツさんにはいつもお世話になっていますから。お役に立てるかわかりませんけど……」
私が承諾すると、フリッツさんは少し緩んだ空気感を出した。
これは私の業務上必要不可欠な視察だし、フリッツさんのお手伝いをするだけだから、デートじゃない!
その様子を見たチャチャが「わあ、この男。外堀から埋めていやがりましよ」と呟いていたみたいだけど、その時の私には何も聞こえていなかった。
お話も終盤に近づいてきましたね!




