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ある女の懺悔4


 元の世界で目を覚ました時、私は病院のベッドに横たわっていた。


 どうやら一年後のこの世界のあたしも事故にあったことになっているらしい。だけれど、本来あった事故とは違って、体に無惨な傷跡は残っていなかった。担当医に聞いたところによると、事故にあってから怪我はしていなかったが、意識を失ったまま、一週間ほど目が覚めなかったらしい。


 頭を打ったのではないか、と検査を進めていくうちに事故とは関係がないが、あたしの体に異変が見つかった。


 あたしは妊娠していたのだ。


「妊娠、二ヶ月ほどが経っていました」

「……そうですか」


 クラヴィスの子だ。

 それしか考えられない。


 あたしの心の中は狂気じみた歓喜に満ち溢れていた。だって、あちらの世界との縁がここで切れてしまうのかと思いきや、とんでもない形で縁が紡がれ、ここに形として残ったのだから。


 医者は悲痛な表情を浮かべていた。もしかしたら、この医者はあたしが何らかの事件に巻き込まれて、子を孕んでしまった、かわいそうな女性だとでも思っているのかもしれない。


 違う。あたしは不幸なんかじゃない。


 事件は事件でもあたしはこの世界で一番ファンタジックで、素敵な事件に巻き込まれたのだ。ここでそれを口に出したら、私が精神的に病んでしまったのだと勘違いをされて、誰にも信じてもらえないような事件だけれど。


 担当医の男は重そうに口を開いた。


「……どうされますか?」


 どう?

 そんなの、決まっている。


「あたしは……この子を産みます。産ませてください」



 事故に遭い意識不明となって、目が覚めたら処置をして退院、と言う流れになるはずだったあたしだけれど、切迫流産気味になっていたので、そのまま入院が続くことになった。

 この子を産むためには少しも動いてはいけないらしい。


 大人しくベッドで横になっていると、個室の扉が力任せに勢いよく開いた。

 そこにいたのは、クソジジイだった。


 意外なことに、クソジジイはムカつく表情はそのままだったけれど、頬からは肉が削げ落ち、憔悴した顔をしていた。

 どう見ても一眼であたしのことを心配していたんだなってことがわかる表情だった。クソジジイはあたしが妊娠していることを知ると目をカッ開いて問いただした。


「誰の子だ!」


 どんなに怒鳴られながら問われても、私は口をわらなかった。どうせ信じてもらえるわけがないんだから。


 クソジジイはあたしが何も答えないことにイラついたのか、担当医に直接「俺の娘の子供を堕ろせ!」と怒鳴り込みに行ったみたいだけれど、成人済みの患者の父親の意見が真っ向から通るわけなんてない。


 もちろん、あたしの意思が尊重をされ、臨月まで病院で過ごすことができた。


 徐々にお腹が大きくなるにつれ、生まれてくる子供に会える嬉しさがあたしに押し寄せてきた。



 生まれた子供は青い目をしていた。


 この世界にでは異質なくらい彩度の高い、綺麗なサファイアブルー。

 間違いなくクラヴィスと同じ色の瞳だった。


 見た瞬間それがわかるほどの、極彩色に私はしばらくその瞳から目が離せなくなった。


 同時に不安に思った。

 この子はこんな目に見える形の特異点を持っていて、果たしてこの世界に馴染めるのだろうか、と。


 でも……大丈夫。

 あたしが必ず、あなたを糾弾する全てのものから、あなたを守り、育て切って見せる。


 あの人がこの世界にいなくても、味方がいなくても。一人きりでも。


 幸い、紡と名付けたその子供は素直で、真っ直ぐであたしのように人様に嫌われるような気質の女の子じゃなかった。

 紡は成長しても、この世界の普通の子供達と何ら変わらない様子を見せていた。


 一人で立って遊べるようになった頃、あたしは紡を連れて近所の公園に連れて行った。

 周りのお母さんなんかには『あらあ。目が青いんですね』なんて言われて、最初は線を引かれるような態度を取られたので、あたしは少しだけ縮こまるような思いだった。

 けれども、紡はその言葉の意味を理解していたように見えたのに、何も気にしていないみたいだった。普通さを体現するように、周りの子を誘って走りまわり、飽きたら砂場で遊んでいた子供に話しかけ、仲間に入れてもらいにいく。


 子供ってすごい。どんな環境に置かれたって自分で道を切り拓けるんだ。


 明るい表情で周りの子供達と遊ぶ紡は可能性に満ちていた。その様子を見て、あたしは酷く安心したことを覚えている。



 その認識が間違いだと気がついたのは、しばらくしてからだった。


 あっという間に紡は中学生になった。

 紡はあたしの子供とは思えないくらい素直な子だった。子持ちの女を雇ってくれる企業なんてないからあんだけ嫌々言っていた花屋を継ぐことになったあたしとは違って、小学校のころから進んで仕事を手伝うような子だった。


 実直で素朴で素直で。


 まるであの人の気質をそのまま受け継いだような子供だ。

 だからこそ、心配になった。


 あの人も、自分が生まれながらにして王となることを定められていたことに悩み、もがいていた人だったから。


 今日も紡は学校が終わった放課後、当たり前のように店に立って、黒いエプロンを身につけてから面倒な花の下処理を黙って静かにこなしていた。


 本当にこれでいいのか、急に心配になった。あたしはかつて自分が嫌っていたクソジジイと同じことを紡に強要しているんじゃないかな。


「紡、放課後は友達と遊んだりしたいでしょう? 店を手伝ってくれるのはもちろん嬉しいんだけど、遊びたいなら、遊びに行ってもいいのよ?」


 そう言うと紡はうーんと考えこむような気難しい表情を見せた。


「でも……。いっかな。私は店を手伝ってた方が……気が楽だし」

「気が……楽?」

「うん。別にね。学校の友達にいじめられているわけではないの。みんな優しいし、よくしてくれる。でもね、なんか……なんていうか。私の方が馴染めなくって。多分、私ってみんなが求めるものとは違う、正しくないものを持ち合わせてしまってるみたいな……」


 紡の顔色がわかりやすく変わる。まずい、とそのまま書いてあるような表情だった。


「あー! 何言ってるんだろう! あ、お母さん、今の話、なし! 気にしないで!」


 言葉が出なかった。


 あたしはその理由を知っていたから。


 あなたは何も悪くないんだよ、紡。


 紡の半分は、あちらの世界でてきている。だから、周りに馴染めないのだ。

 時期が悪いのももちろんある。中学生なんて人と違うものを弾きたくてどうしようもない時期だ。

 見た目が違う、趣向が違う。小さなことで、相手の違いを見つけては、できるだけ同じ要素の人間を集めて、周りを固めようとする。そうして、年頃の彼らは自分を確立しようとするのだ。


 そんな彼らの中に、全く違う世界の要素を身に纏う紡を投げ込んだら?


 寒気がした。


 この世界で、紡を立派に育てあげてみせると思っていた私は、鎹を無くした気がした。



 それから数年して。あたしは無理が祟って、あの世界で命を落としてしまった。


 気がついたら、目の前にあの時と同じ真っ白な空間が広がっている。


「あなた……。またこっちにきてしまったのね」


 紫の目の、一度見たら忘れられない美しさを持った、たおやかな女性が私の瞳を覗き込んでいた。


 あたしは二十年以上時が経って、皺が増えたと言うのに、その美貌はちっとも変わっていなかった。まるで、あの世界に行った日が昨日だったかのように。


「女神様……」


 女神様は悲しい顔をしていた。

 その表情からあたしが今どうなってしまっているか読み取れていたが、ダメもとで聞いてしまった。


「あたしはあの時のようにまだ生きているのですか?」

「いいえ。残念ながら。あなたは死んでしまったわ」

「じゃあ、どうしてここに?」

「後悔を持っているからよ」


 後悔……と呟くように言うと、女神様は重々しく頷いて見せた。


「ええ。強い後悔を持って死んだ人間は、私が管轄する、湖の女神統括国のどこかで転生するって決まっているの」


 それは……初耳だ。

 あたしは生きているうちにあちらの世界にもこちらの世界にも行ったことがあるレアな人間だから、誰も知らないようなこともたくさん知っているつもりでいたが、まだまだこの世界は知らないことで満ち溢れているらしい。


「また生き物として命を持つまでにどれだけ時間が経つかは私にもわからない。そして、過去に生まれるのか、遠い未来に生まれるのかも、分からない。あちらの世界と、こちらの世界は時間軸さえ、複雑に交差している全く別の世界だから」

「生まれ変わったとしても……本当に運が良くないと、あたしは紡に会うことはできないってことですか?」


 紡。

 娘のことを考えるだけで涙が出てきた。


 あたしの身勝手のせいで、窮屈に生きてきた子供。

 あの子が今生きている世界でたった一人であろう、特異点をもった子供。


 あたしは紡に異世界の人間との間に生まれた子供なのだ、と最後まで伝えることなく死んでしまった。

 あなたが抱えている疎外感はあなたのせいじゃなくて、私のせいだって。


 そんなこと言ったとしても、頭がおかしいと思われると決めつけていたことがいけなかった。


 いつか、それとなく紡に父親の存在を明かせたらいいと思っていた。この世界にも不思議な世界に迷い込める入り口があると言うことに紡が気づけた時には、なんて。


 けれども、不思議な世界への入り口は普段、誰にも見つからぬように、身を隠している。どうしたら、あらわれるのかわかってしまった人間の前には、気軽に姿をあらわすが、それ以外の人間の前にはなかなか現れない。


 だから、紡には最後まで父親が誰なのか説明ができなかった。

 きっと、つむぐはこれから生きていく上で自分の半分が何で構成されているのか、わからないような、アイデンティティーに靄がかかったような、不安定な気持ちのまま、生きて行かなければならない。


 そう思ったら湧水のように大量の涙がダバダバと溢れ出てきた。


「ああっ! 泣かないで! 私、泣いている人を慰めるのが絶望的に苦手なのよ……」


 優しい女神様はあわあわと何もできないまま、私の周りを回っている。


「女神様。一つだけお願いがあります。……どうか、あの子に。紡に選ぶ権利を与えてください。どちらの世界で生きるのか、選ぶ権利を……」


 女神は静かに消えゆくあたしを見ていた。


 幸せに、どうか幸せになってよ……紡。


 あたしの意識は、溶けるように落ちていった。



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