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ある女の懺悔3


 王子は相変わらず、私の店に足を運んでいた。よく来るな〜と、感心してしまうほどのペースで。


 そんな生活をこちらの暦で三ヶ月も続けた頃には、王子はあたしのことを『チセコ』と、あたしは王子のことを『クラヴィス』と名前で呼び合う仲になっていた。


 そうして距離を詰めあったところで、クラヴィスとあたしは恋仲になってしまった。


 こうなるつもりはなかった。事故みたいなものだった。


 でも、今考えると、全部必然だったのかもしれない。


 あたしがクソジジイから受けていた暴力的な運命の決めつけと、クラヴィスが幼いころから抱えていた王族らしく生きなければならないと言う精神的な縛り付けでできた深い傷の質は似ていた。

 両者の悲しみはこっちが驚いてしまうくらい上手く共鳴を起こしていた。


 クラヴィスにはあたしの傷が。あたしにはクラヴィスの傷が、ちゃんと理解できた。


 要は傷の舐め合いだ。

 それでも、お互いが、お互いの存在に救われていて、失い難い片割れになりつつあった。

 

 それまでのあたしは本当に適当なやつで、ダチのダチとか、言い寄ってきた男とテキトーに付き合っていた。


 体が繋がったとしても、心を明け渡すことなんてしていなかったから、ちゃんと自分の心を分かってくれて、相手のこともわかることができる関係性がこんなに心地よいものなのか、と会うたびに心が震えた。


 歪にひしゃげながら成長を遂げたあたしの心が、会うたびにくしゃくしゃになった紙が広がっていくように少しずつ緊張を解いて、健やかになるのを感じるのだ。


 もっと彼のことを知りたい。

 話したり、同じ時間を過ごすだけでは飽き足らず、あたしは三階にクラヴィスを連れていき、肌を重ね合う様になった。


 クラヴィスに触れられると、あたしの輪郭がよりはっきりと浮かび上がってくる。今までの幸せとは言えない理不尽な暮らしで積み上がった感情の膿でできた沼に浸かり切ったあたしは化け物の様に醜いのに、クラヴィスと抱き合っている時だけはその膿とあたし自身の境界が浄化され、分離を起こす。その瞬間だけ、綺麗になれたあたしはあたしという一個人になれた。


 幸せだった。ただ、幸せだった。


 けれども、どうせあたしは一年であちらの世界に帰るんだし、そもそも、相手は王子様で自分と釣り合いが取れる人間ではないのだから、ずっと一緒にいられるわけないと言うのは分かっていた。だけれども、好きだという気持ちが全く制御できなかった。


 理性なんか捨て置いた、素肌を晒す動物みたいな情けない恋。


 聞くところによるとクラヴィスには気持ちは通わせられていないが、幼いころから形式的に決められた婚約者だっているらしい。


 本人の口から聞いたわけじゃない。それをあたしに伝えてくれたのは、王城で王族の資産管理を担当しているケヴィンと言う男だった。


 それを最初に聞いたとき、あたしはその婚約者さんにとてつもなく申し訳のないことをしていることに気がついて、一気に冷静になった。あたしはやっぱり彼の物語のヒロインじゃない。どう足掻いても、彼の本当のヒロインにとっての悪役ポジションでしかないのだ。


 これ以上、手遅れになる前に。そう思って、あたしは二人きりの花屋の三階で、「もう会うのはやめよう」と切り出した。

 だけれど、そう言うとクラヴィスは縋るように情けない声を出して愛を乞うのだ。


「本当に愛しているのは君なのに」


 その言葉が真っ直ぐに、あたしの耳に届いた。まるで、身の自由を奪われる呪いのように、強力に。

 それからは、あたしから別れようと言うことは無くなった。もちろん彼も言わなかった。


 永遠には一緒にいられないという切なさがあたしたちの恋を加速させてしまったのかもしれない。



 ズルズルと依存しあって、生き物として駄目になりそうな付き合い方をしていたあたしたちだけど、ちゃんと離れられる時がきた。


 女神様が提示した一年間がやってきたのだ。


 あたしがここを去ろうとした二日前。クラヴィスは何かを察したのか、今まで言わなかったことをいきなり切り出した。


「私は君とずっと一緒にいたい。私の伴侶になってくれないか」


 あたしはその言葉に、ふにゃけた笑いを作ってしまった。あまりにも現実離れした、夢見がちな求婚だった。


「あたしは王妃様になれるような器なんて持ってないよクラヴィス」

「え……」

「ケヴィンさんに聞いた。あんたって、子供の頃から結婚を約束した婚約者さまがいるんだろう?」


 クラヴィスは目を見開いた。


「そんなの! 今からでもどうにでも……」

「どうにでも? 本当に?」


 あたしはクラヴィスに話す隙を与えずに続けた。


「クラヴィス。よく考えてみてよ。あんたもあたしも、決められた生き方とか、与えられた役目みたいなものが大っ嫌いで、それを恨んで生きていたでしょ?」

「ああそうだ。だから私は自由になりたいっ!」

「だったら、早くそうするべきだったんだ。誰かを不幸にする前に」

「誰かを不幸に……?」


 クラヴィスは子供みたいに澄んだ瞳をして、微かに震えながらあたしを見ていた。


「生まれた時から決められていたあんたの婚約者も同じことを強要されていたんじゃないか? ……本当に彼女と結婚するつもりがないんだったら、もっと早く捨ててやるべきだったんだ。聞けば、この世界じゃ二十歳は行き遅れの部類だそうじゃないか」


 息をのむ音が聞こえた。


「民のことを考えて行動するあんたを見てるのがあたしは好き。あんたはやっぱり、どう足掻いても生まれながらにして王様の才能がある人間なんだよ。婚約者の彼女は、それを補うための教育を施されている……そうあたしは思う」

「君がいなければ、私は……何もできない」

「そう思ってんのはあんただけだ、クラヴィス。あんたは強い。だってあたしが好きだった人だもん」

「チセコ……」

「遠く離れていても、あんたのことを思ってる。あたしはあんたの味方だから!」



 あたしは店を閉めることを、お隣さんであるリンドエーデンのマダムにだけ伝えた。

 マダムは店を始めた当初から、本当にあたしによくしてくれた。

 あったかくて懐が深くて、お母さんが生きていたらきっとこんな感じだと錯覚してしまうくらい、あたしはマダムに懐いていた。


 困った時はなんでも相談にいっていたから、彼女はあたしが異世界から来た聖女であることも知っているし、もう少しで元の世界に戻ることも知っていた。


 元の世界に帰る前日。今日のあたしは何が原因なのか分からないけれど、体調が思わしくない。それでも彼女にだけはちゃんと挨拶をしなくっちゃ、と体に鞭打って最後の挨拶に向かう。


「せーちゃん!? あなた顔が真っ青よ!?」


 血相を変えたマダムが走り寄ってくる。


「マダム……。ちょっと……気分が悪くなって……。吐いちゃったんで今匂いがするかも……。ごめんなさい」

「吐いた?」

「ええ。いつもは大丈夫なはずの花の活力剤の匂いが、吐き戻してしまうくらいキツく感じて……。疲れているんですかね?」


 あたしの言葉に、マダムはハッと目を見開く。そしてあたしの両腕を掴むようにして私の顔を覗く込んだ。


「せーちゃん……。あんた……やっぱり……」

「? マダム? どうしたの?」


 マダムの表情には色々な色が浮かんでいた。何かに気がついていて、それをあたしに伝えるかどうか迷っている様な雰囲気だ。


「せーちゃん。あんたが苦しくなって、どうしようもないくらい手に余るものがあったら、どんな手を使ってでもこっちに送りなさい! 私が面倒を見るから!」

「え?」


 マダムの抽象的な言葉の真意が分からない。


 分からないけれど、あたしのことを心から心配していることは伝わってきた。あたしはこちらの世界で、信頼できる人を手に入れられたことが嬉しかった。



 あちらの世界での一年が来たタイミングで、あたしはまた、あの白い部屋に招かれていた。


 女神様は相変わらず、変わらぬ美貌だった。優しい紫色の瞳があたしを見下ろしていた。


「どうする? こちらの世界にいる? それともあちらの世界に帰る?」

「あたしは……帰ります……」

「……てっきり私、あなたは向こうの世界に戻るものだと思っていたのだけど……。もうあなたは決めてしまったのね? その決意はもう覆らないの?」

「はい。あたしがラザンダルクに存在したままだと、クラヴィスがいつまでも立ち直れないから……」


 ぼたぼたと、涙が落ちる。


 嘘。本当はあたし、ラザンダルクにいたかった。


 でも、あたしは逃げた。

 結局のところ、あたしにはクラヴィスと共に生き抜く覚悟がなかったんだ。


「泣かないで、千世子……」


 女神様が優しく手をあたしの頬にかざす。

 泣きすぎて、目の前がぐちゃぐちゃ。これが夢なのか現実なのか分からない。


 そうしているうちに、あたしは元の世界——日本の山奥に転送されていた。


 ——お腹に子供がいることに気がついたのは、元の世界に帰って数ヶ月が経ったころだった。




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