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38 王女様との邂逅


 ええっと……。どうしてこんなことになったんだっけ?


 私はここまでの流れを思い出そうとする。

 元々長居するつもりはなかったので、教会に納品したあとはそのまま足早に店に戻ろうかと思っていた。

 だけど、なぜだかそうはいかず、聖職者の女性に私は手を引かれて教会の最奥へと突き進んでしまっている。


 何かがおかしい。

 どうしてかわからないけれど、私、この先に進むのが怖い。この先に向かいたくない。

 教会の質素な石造の廊下を足速に進んでいく私の心の中には、今までに感じたことのない奇妙な焦りが生まれていた。


 それはもしかしたら、厄難への予兆なのかもしれない。

 チャチャみたいに感覚が優れているわけではないし、どっちかというと私は勘が鈍い。


 だけど、そんな私でもわかるくらい、この先にはまずいものが待っている気がした。


 目に見えない大きな波のようなものがじわじわと近づき、すぐ近くまでやってきている予感がある。


 けれどもこちらがそれに気がついた時には、もう手遅れだ。抗えぬほど膨大な力に変化しきってしまっているため、こちらの意思など関係なく、押し流すように物事を進めようとしてくる。

 手を引く聖職者の女性の手を振り解くための隙すら私には与えられなかった。


 運命にその機会をあつらえられたように、私は今王女様がいると聞いていた扉の前に立っている。


「さ、こちらです!」


 赤毛の聖職者の女性は、軽やかな足取りのまま、王女様がいる部屋の扉を三回叩いた。部屋の主人から「どうぞ」と短い返事が返ってくると、感傷を持たせる隙も与えない素早さでその扉を開けてしまった。



 私は奥にいた王女の顔を見た瞬間、驚愕した表情のまま、固まる。


「……はじめまして。わたくし、あなたに会うことをずっと楽しみにしていたんです。……本当に、ずっとね」


 自分の声と同じ声質が目の前にいる女性の口から聞こえてくる。


 ——そこには私がいた。


 もちろん私はここに一人しかいなくて、あの王女様は別の人には違いないんだけど。

 なんて言えば伝わるんだろう。


 私のこの姿形が、あちらの……日本の世界に対応して作られたモデルだとしたら、この王女様の見た目はこちらに対応して作られた姿をしていた。


 ゲームキャラクターのビジュアルが日本版と海外版で少し違うみたいに。姿形が少しずつ違っていても、そのベースは同じであることが明らかにわかる見た目なのだ。


 全く同じ彩度の、黒い髪に青い目。

 相手は少し表情に幼さを残していて、私より年齢は二、三歳年下な感じがするけれど、大きな違いなんて本当にそこだけしか見つからなかった。


 どうしてこの人はこんなにも私に似ているんだろう。


 そう思い返した瞬間、今まで目にしても無視していた、この世界の様々な場所に点として転がり落ちていた違和感たちが、一気に結び合い、線になりその全貌を表していく。


 違和感は、言い直せば、既視感だ。


 ——この世界で私のために用意された施設はあまりにも私に馴染みあるものばかりだった。


 どこか実家のような懐かしさを感じさせる、スノードロップの調度品。

 どう見てもビニールハウスにしか見えない前聖女の遺物、箱庭とそれを取り囲む梅林。


 私の顔を見た瞬間、表情を顰めた王様の、青い瞳。


 王の恋人が暮らしていたという花屋。


 そして、とっても私によく似た、王女様。


 謎が解き明かせてしまえるところまで物証が並んでいる。

 けれども、私は真実に気が付きたくなかった。気がついたら、私の『今まで』の全てが、紙を裏返した時みたいに、様変わりしてしまいそうだったから。


 やめて。扉を開けないで。私はそんなの知りたくない。こっちに来ないで。


 気がつくと私は眩暈を起こすほど、怯えていた。

 このままじゃ倒れると思った私は、王女様に失礼に思われないように、細心の注意を払って、気付がわりに唇を浅く噛んだ。


 私の異変に気づいたかどうかはわからなかったが、王女様は私を見て、緩やかに笑って言う。


「あなたが花屋の店主をしているなんてびっくりしたけれど。素敵なお花をありがとう。みんなとっても喜んでいたわ」


 透き通るような綺麗な発音だった。


 彼女は私が何者なのか——いや彼女にとって私という人間がどういった続柄に当たるのかわかっているのだ。


 途端に恥ずかしくなる。見た目は似ていても、王女様として育てられたこの人と私の教養レベルが同じはずの訳がない。この人はどう見ても、私の上位互換だった。

 ベンツで言えば私はCクラスで彼女はSクラス。歴然とした育ちの差が、目に見えてはっきりとわかってしまう。


「よ……喜んでいただけて幸いです」


 震える声で言葉を捻り出すと、王女様はふうとため息をついて、私の目の奥をじっと見つめながら言葉を発した。


「本当はね。あなたをこちらの世界に呼び出すつもりはなかったの」


 え、と問いかけそうになって、あ、と気がついた。


 その言葉で、彼女は私が自分に連なるものかどうかは置いておいても、ただの新しく街にできた花屋の店主ではなく、聖女としてこっちに寄越された人間だと言うことを知っているのだ、と理解した。


「私があなたと同じ役割を担うことで、この世界の混沌を抑えることができたらいいと思って、わたくしは聖職者となってこの地への祈りを、捧げていたのだけれど……。やっぱり根本的な力があなたとは違っていたわ。だから最終的にあなたを頼るような形で呼び出すことになってしまったの。『王が誰よりも大切に思う、あなた』をね。……本当に申し訳なかったわ」


 きっと、あなたはあちらで楽しく暮らしていたでしょうに、と王女様は言った。その言葉の端には皮肉が込められているような気がした。


 私はその皮肉が、この世界が大変になっている時も、私が部外者として何も知らずにのうのうと生活していたことを責めているか——羨むように思っているのではないかと解釈できる響きを孕んでいた。


 楽しく。楽しく、かあ……。


 王女様は私がここではない違う世界で普通に幸福な少女として生活していたと思っているのかもしれない。でも実際は、他人が羨むような生活ではないような気がする。確実に王女様が想像しているような甘やかなものではない。


 この世界にきてからその存在を忘れかけていた心の奥底にヘドロのように蓄積していた黒い靄が、ざわりと動き始める。


「大丈夫ですよ。私はこちらにきてからの方が楽しく暮らしていますから」


 本心をチラリと覗かせながら苦笑していうと、王女様は意外そうな表情を見せた。


「そうなの? ……ならよかったのかしら」


 なんて言っていいのかわからない。きっと王女様も私も、お互いにお互いのことを完全に理解しないまま、想像で不足を補いながら対面を果たしてしまっている。


 王女様は違う世界にいた私が世界に受け入れられていないと言う感覚を抱えながら生きてきたことを知らない。


 反対に私は聖職者に身を賭してまでこの世界を守り続けてきた王女様の苦労を根本からは理解していない。


 お互いに情報が足りないまま、お互いを羨んでいるような状態なのかもしれない、と私は思った。


「ええ。きっと。よかったんですよ」


 多分、この人と私はもっと話をしなくちゃいけない。けれども、突然現れた事実に朦朧としてしまった私は、年長者らしく振る舞う余裕もない。

 ただ、今はあなたにばかり負担をかけてごめんねと心の中で思うのが精一杯だった。


 そのときだった。

 私が俯きながら言った瞬間、後方の扉がバンと勢いよく開いた。


 あまりにも小気味のいい音に、シリアスさが吹っ飛ぶ。

 私も王女様も、目をパチクリさせる。


 扉を開けたのは小さな男の子だった。多分、見た目からして五歳くらいの。


「あ〜! 王女様! お部屋の方にいたんだ! ねえ〜、僕たち今外で鬼ごっこしてるんだよ! 一緒に遊ぼうよ!」

「ちょっ……。もうっ! お客さんが来てるのに勝手に扉を開けて……。誰かの部屋に入る時は、ちゃんとノックをしなくちゃだめっていつも言ってるでしょう?」


 えへへ、ごめんなさーい、とちっとも反省してなさそうな声音で言った男の子はタタタッとリズミカルな足音を立てながら、王女様の元へ駆け寄る。

 王女様は眉を寄せて、ため息をついてから、あやすように男の子を抱き寄せる。


 どうやらこの子は教会に附属している孤児院に住んでいる子供らしい。

 男の子が着ていた大理石のようなひんやりとした冷たさを感じさせる白い服は、サイズが合わないらしくダボついていて、少しだけ彼を見窄らしく見せてしまっている。


 けれども、王女様が男の子を抱き寄せると、まるで一枚の宗教画のように見えるから不思議だ。


 王女様に頭を撫でられてご満悦だった男の子が私の顔を見て、あ! と声をあげる。


「この人、王女様のお姉さんなの?」


 男の子が興味深そうな表情でじっと、私の瞳を覗き込んでいる。私はその視線の鋭さに息をのんでしまった。


 子供は残酷だ。大人が思っていても口に出せないようなことをズバリと言ってしまう。


「いいえ。違いますよ。この方は街の花屋さんですよ。ほら、最近教会内に街で買ったドライフラワーを飾るようになったでしょう?」

「ああ! あの綺麗なやつね! ええ〜! あれを作っているなんてすごいなあ!」


 男の子は王女様の言葉に納得をしたように見えた。


「あれってきっと、不思議な魔術具なんでしょう?」


 少年の一言に私は「へ?」と気の抜けた変な声をあげてしまった。慌てて否定をする。


「全然違うよ? あれはただ花を乾かしただけ。私は魔術の心得なんて何もないよ?」

「あれえ? そうなの? ……じゃあ、不思議だなあ?」


 少年はなんで? という顔をして首を捻っている。私はそんな少年の姿を見て、なにが? と、首を捻ってしまう。

 そんな私の様子を見て、王女様は事情を説明してくださった。


「どうしてかわからないんですけど、つむぐさんの作ったドライフラワーを教会に飾りはじめたら、教会内の雰囲気がとてもよくなったんですよ」

「雰囲気が?」

「ええ。まるで心を落ち着かせる魔術が働いているみたいに。……きっとあなたは私たちが使えない魔術を使うことができるんでしょう」


 王女様は意味ありげに微笑んでいた。


「ははは……どうでしょう……」


 苦笑いしながら誤魔化していたけれど、それがなんなのかすぐに見当がついてしまう。


 ——それ絶対、聖女の力じゃん。


 王女様、それ以上は聞かないでくださいね。


 私は心の中で強く願う。

 相手は王女様、王族だ。価値が今は事情があって、教会にいる彼女だけどそのうち還俗して、王家の人間として国の公務に関わっていくことになると、フリッツさんに聞いていた。


 今は私のことを野放しにしてくれている王族だって、明らかな利用価値があるとわかれば、いろんなことに巻き込んでくるかもしれない。

 私は花屋のまま、地味に真面目にひたむきに、生きていきたいだけなのにな……。



 もうこれ以上ここに留まってボロを露出したくなかった私は。その後長居しては悪いですから、と王女様に短く言い残して、逃げるように花屋へと戻っていった。


 けれども帰りの道中もずっと、突然もたらされた情報が私の頭を酷く混乱させ続けていた。


 ——お母さん。お母さんはこの世界に来ていたことがあったの?


 私の父親はあの……冷え切った目で私を見つめていた王様なの?


 私は……王女様の腹違いの姉なの?


 考えたくない、知りたくない、早く落ち着けるあの家に戻りたい。


 私は鳩みたいに必死に足を動かして、この国で唯一心が安らぐ私の住処、スノードロップへと帰っていった。




今日はこのまま一時間おきにあと4話更新します。

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