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36 教会からの注文


 その日の私は夢を見ていた。


 覚めたくない、ずっとここにいたいと思ってしまうくらい懐かしくて、心地のいい夢だ。


 夢の中の私は多分中学二年生くらい。学校終わりの放課後、花屋の仕事を手伝うため、体操着の上に黒いエプロンを着てお母さんと一緒に店先に立っている。


 安売りの花を包むため、フィルムをめくる親指は子供の手とは思えぬほどに皮が剥けていた。


 だけど、その時の私はその手荒れさえも勲章のように思っていたのだ。

 私の手が職人の手に近づくたびに、お母さんに近づけるような気がしていた。


 子供の頃の私は、早く、早く、お母さんの負担を減らしたいと思っていた。


 黙々と作業を進め、完成品の束が入った水桶が量産されていく。

 そんな実直丸出しの私の様子を見て、お母さんは、ははあ……と感嘆のため息をついて、作業を止めた。


「つむぐは本当にいい子だな〜。家の仕事のお手伝いをしてくれるし、私と違って全然反抗期もなかったし」


 え。


「お母さん、反抗期があったの?」

「あったんだよね〜! おじいちゃんと店が壊れるくらいの喧嘩して『こんな店、誰が継ぐか!』って怒って、家を飛び出しちゃったの。……それで、一年くらい家に帰らなかったんだよね」

「そんなことがあったんだ……」

「あん時はクソジジイにめちゃくちゃ怒られたなあ……」


 お母さんはしみじみと語る。

 お母さんが昔ヤンチャしてたんだろうなあっていう片鱗を感じたことは今までにもあった。


 お母さんって今は店を一人でまとめる真面目な女主人って感じだ、だけどたまに、厄介なお客さん——例えばいちゃもんつけてくるクレーマー的な人がきた時、最初はマニュアル通り謝るんだけど、こっちは悪いこと何もしてないって気がつくと、ヤンキーバリバリなドスの効いた声で「二度とウチにくるなボケカス!」って言って中指立てて追い出しちゃったりするんだよね。


 相手、本当にポカーンとしちゃうの。


 穏やかそうな花屋のおばさんが「ボケカス!」って言ってくるとは思わないんだろうね。


 きっとお母さんはその遍歴があるから私がいつか反動を起こしたようにグレちゃわないか心配なんだろうなあ……。


「じゃあ、お母さんみたいに、二十超えるあたりで反抗期が来るんじゃない?」

「わあ、こわ〜い。でもそうなっても甘んじて受け入れますよ。だって、私はつむぐのただ一人の親だからね!」


 最後の記憶より少し若い母が、笑う。


 そこで、目が覚めた。


 輪郭がはっきりとしていて、手触りや匂いさえも感じそうな解像度が高い夢だった。一瞬、目が覚めた時、ここが日本の自宅なのではないかと思ってしまうくらい。


 ここはどこかと慌てて辺り見渡すと、私の目に映るのは間違いなく異世界の、花屋『スノードロップ』の三階。私の寝室だ。


「あれ? 私、なんであんな昔のことを夢に見たんだろう?」


 背中には夏だから、というだけではなさそうな量の冷や汗をかいている。

 シーツを指でなぞると、いつもよりもたくさん寝汗をかいていることに気がつくほどだった。


 魚屋の旦那さんがきてから数日後、本当に教会から正式にスワッグの注文が入った。


 注文をしに来た女性も白い聖職者らしいガウンが似合う、燃えるようなウエーブがかかった赤い髪を携えた、美しい人だった。所作も綺麗で、洗練された雰囲気を持つ女性だったので、まさか王女様じゃ……? と、あわあわしたが、話を聞くと教会に勤める中級の聖職者だそうだ。とりあえず、王女様本人でないことに安心する。


「こちらが例の抜け道を開発した花屋さんですね! いやあ! いやあ! 乾燥した花があんなにも美しいだなんて、私たちは知りませんでした。本当にありがとうございました!」


 がっしりと握手を求められてしまい、私は困惑をする。


「抜け道ですか?」

「ええ。教会という組織の性質上、自分たちが食べる食事以上の殺生は望ましくないとされていますから、花を飾りたいと思ってもなかなか許されなくて……こちらでドライフラワーという乾燥した花飾りが売っていると聞いた時は、教会に勤める女性たちが大喜びしたんですよ。」

「……ドライフラワーならいいんですか?」

「ええ。生きている花ではないですし。それに聖典には枯れた花にも愛情を注ぎましょう、との記載があるんですよ! つむぐさんが作るドライフラワーはまさに愛情を注いだ結果、と解釈できるのではないでしょうか⁉︎」


 それはまた……。一休さんみたいなとんちだな。


「とはいえ司祭に注意されたら取り外すことになるんですが……」


 聖職者の女性はそうしたら諦めるほかありませんね、と残念そうに、ため息をついた。


 彼女が所属している教会の上層部は、瘴気を鎮静化するために集められた『清らかな乙女たち』にめっぽう厳しいらしい。


 国のために集められているにもかかわらず、生活の楽しみをできるだけ制限し、より何も求めない『清らかな状態』を求めてくるそうだ。その方が瘴気を鎮静化しやすいと銘打って。


 それを聞いて、私はたはは……と乾いた苦笑いを浮かべてしまった。


 人間って心に華やぎがない時が一番荒む気がするけどなあ。絶対そんなの逆効果じゃん。


 でも、そんな状況でも、負けない彼女たちは偉い。

 清貧さを求められる大聖堂の生活が少しでも楽しくなるように、教会に勤める女性たちはあれこれ手を回しているらしい。どんな状況でも楽しみを見つけ出そうとする、彼女たちの心構えはとってもたくましいし、立派だ。


 でも、せっかく作っても早々に処分されちゃったら、作った私も悲しいなあ。心を込めて一つ一つ作る商品だもの。できるだけ長く楽しんでほしい。


「それじゃあ、ローリエやバラ、それに……トウガラシなど、食べられたりハーブとして使える花や植物で一見実用的に見えるスワッグを作ったらいかがでしょうか?」


 こうなったら、私も聖職者たちの悪知恵大会に参加しましょう、と言った気持ちで提案すると、彼女はぱあ! っと目を輝かせた。


「まあ! なんて素敵なんでしょう! それだったら司祭にも言い逃れができますわ! ぜひ、その方向でお願いします!」


 そうしてどんな形のものになるのか相談をした上で納品日を伝えると、聖職者の女性はいい注文ができたとほくほくした顔で帰っていった。



「なかなか、強烈な人でしたね」


 注文を聞く私を邪魔しないように、カウンター奥に建てられた衝立の裏に隠れていたチャチャがひょっこりと顔を出す。


「うーん。そうだね……」


 それにしてもこの世界の教会ってそんなに戒律が厳しいんだ……。


 後からチャチャに聞いてみたところによると、国中に広がった濃い瘴気は清らかな乙女の祈りによって多少浄化されるらしく、そのうち乙女たちは元の生活に戻っていくだろうとのことだった。


 王女も例外ではなかったとのこと。


 実際に話を聞いたことで、何人もの女性たちが長い間祈りを捧げてきて耐えてきた現状を一発で解消してしまったことに、私はより重く罪悪感をもった。


 でも、私が謝っても今更どうしようもないのは確かだ。


 彼女達のために今の私ができることは、できるだけ素敵なスワッグを作ることだけだ。


 彼女達の残りの教会生活が少しでも華やぐものを作りたい。


 それが一番の贖罪になる。

 

 私は気合を入れ直し、スワッグのスケッチを始めた。



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