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4 楽しい異世界の話


 私は突拍子もない発言に怪訝な表情を隠せなかった。

 異世界って……。もしかしたらちょっと前に流行った転生小説みたいな、ファンタジー世界のこと⁉︎


 多分、大流行りしていたから結構な人が読んでいたと思うけど、私ももれなく読んでいた。

 出かける暇もなく忙しい私にとって、空き時間や寝る前にちょこっとアクセスできる小説サイトは、お手軽な娯楽として、ちょうどよかったのだ。

 書籍化作品を買うほどの熱烈なファンではなかったけれど、小説投稿サイトの人気作で気になったタイトルには目を通していた。


 今は流行りも微妙に変わってきたみたいだけど、一時期は小説投稿サイトを見ると、ランキング上位作品全てが転生や転移ものだったこともあったなあ。


 でも、まさか。あれはフィクションであって自分に縁があるものだとは一ミリも考えていなかった。


 呆然と座り込む私。


「ええ。素敵な、素敵な異世界」


 そんな私に向かって、女神様(仮)はまるでその世界に恋をしているかの様に頬を赤らめながら言った。


 異世界は本当にあるの?


 私は思っても見ない答えをうまく飲み込むことができずに口をはぐはぐと開け閉めすることしかできない。


「そこはね、先も言った通り、あなたにとってもすごく縁がある世界なのよ。あ、そうだ。どうせならそこに一年くらい暮らしたらいいわ。旅行に行く様な軽い気分でね」

「旅行……」


 花屋で働き初めてから、旅行に行く機会なんてずっとなかった。だから、女神様(仮)の提案に少しだけ心がときめいてしまった。


「でもなんで、一年間も? 旅行なら三日くらいで十分な気がするんですが……」


 素朴な疑問をぶつけてみると、女神様(仮は)言いにくそうな顔で答えてくれた。


「……実はここだけの話、今、元の世界にあるあなたの体ってすぐには修復不可能なくらいにひしゃげちゃってるから、今すぐに魂を戻すと、痛みで精神が壊れちゃう可能性があるのよ。だから、戻るとしても体が正常に近い状態まで持っていきたいから、一年くらい時間が欲しいの。でも、その間、ただ待つのも暇でしょ? ここは待機場所だからいくらでもいることはできるけど、何もないし。あちらの世界だったら、私が介入して新しい体を用意することができるから、一年間暮らしたらいいんじゃないかと思って」

「ひしゃげてるんですか? 私の体……」

「見る?」

「いや、絶対嫌」


 勢いよく首を横にぶんぶん振る。

 そんな絶対グロいもの(しかも自分の体)見たくないよ!

 青い顔をしていると、女神様(仮)は愉快そうに瞳を三日月型に目を細める。


「あなたに縁のあるもう一つの世界は、あなたがいた元の世界にはなかった魔法がある、それはそれは素晴らしい世界よ。私も割とあの世界は好き。今は時勢も安定していて、暮らしにくさはさほどないだろうし。……住むにも旅行にも結構おすすめ!」


 女神様(仮)はパチンとウインクをして見せた。


「そ、そうなんですか……?」

「そうそう。で……もしもなんだけど。その世界に行って、そっちの生活の方が楽しかったら戻ってこなくてもいいわ。あちらに永住もできるようにしておくから。もちろん、帰りたくなったら、元の世界に帰ってもいいし……。元の世界の体は一年寝たきりだから、リハビリから始めることになると思うけれど……」

「はあ……」


 要するに今の私の状況は……


一、元の世界にある体は死んでない。だけど、重症。

二、体の修復には一年間かかる

三、その間、私に縁があるという世界に旅行がてら行ってみれば?

四、もし異世界の生活が気に入ったらそこに住み続けてもいい。(ということは旅ではなくて、プレ移住なのか?)

 ってことだよね。


 ……なんか聞いてるだけだと、すっごく楽しそうなんですけど。

 生活の全てが仕事まみれで、腐っていた私の気分転換には最適な提案かも。最近、仕事中ずっとどこでもいいから旅行にいきたーい! って思ってたところだったんだよね。手っ取り早く現実逃避したかっただけだったんだけど。

 久しぶりに心の底からワクワクした感情が湧き上がってくる。


 神様っていうのは総じて、自分勝手なのかと思いきや、この女神様(仮)は結構いい条件を私に次々と提示してくれるように見える。


 その後女神様(仮)は事務机の隣にあった業務用のコピー機で印刷した、高校の入学ガイダンスの様な、資料まで手渡してくれた。

 資料によると、どうやらその異世界とやらは一週間が八日間あり、一年は十三ヶ月あるらしい。一年は四百十三日。閏年は百年に一回。

 時間も一時間が八十分で、一日は十八時間。


 ややこしっ! めちゃくちゃややこしいな! 異世界!


 資料の端っこには吹き出しと女神様(仮)のイラストが添えられていて、

『この世界の人はみんなそれほど時間に細かくないよ! 大体鐘の音でみんな動くから日本から行くとルーズに感じるかも!』

 と楽しげな様子で注釈が入れられている。


 その他にも『その国は王政国で、貴族がいるよ!』なんてことも書き込まれている。


 でも資料には本当に本当に基本知識的な知識しかのってなかった。宗教のことだとか、通貨のことだとかは載っていない。詳しいことは行ってからのお楽しみだよ〜! ってこと?


「ね! どうどう? ちょっと異世界、行きたくなったでしょ?」


 女神様(仮)は必死に異世界の素晴らしさを私に伝えようとしてくる。……でもちょっとその説明もおぼつかないかも。


 私は少しだけ不安になる。

 もしかしたら、彼女はこうしてこちらに来た人間をさばく立場にありながらその経験が少ない人なのかもしれない。新人って感じ。神様にも新人ってあるのかな?

 提案も探り探りな感じで、慣れていない感がビシバシ出ている。


 なんというか、こう言ってはいけないけれど、姪っ子の面倒を見てと頼まれたのに、慣れていないせいであたふたしてちょっとずれたことをしてしまう叔母さんみたいだ。


 ……愛らしい人だなって印象は最初から変わらないんだけど。

 この人になら騙されてもいっか。

 ここまでくるとどうでもいいような、開き直ったような気分になる。


「わかりました。私、一年間、異世界に旅行に行こうと思います」


 私は所詮、小心者の人間だし、この提案にすっごい乗り気って訳じゃないんだけれど、彼女が私のことを考えて色々提案してくれているのは伝わってきた。

 多分、その異世界とやらに行ってしまった方が、この人にとっても都合がいいんだと思う。


 ここでごねて、この人を困らせるのもかわいそうだから、大人しく運命を受け入れよう。


「じゃあ、違う世界に連れて行きましょうか。あなたは自分の見た目を気にしていたみたいだけれど、今のラザンダルクにはあなたみたいな色彩の人間もちらほらいるし、住みやすいと思うわ」

「ラザンダルク?」

「ええ。あなたがこれから暮らす国の名前よ」


 そう言った彼女の絵画のような笑顔が美しかった。


 女神様(仮)は何か魔法をかけるかのように私の額に手をかざす。

 その瞬間、私の頭の中は酩酊した時のように、とろんとしてしまって何も考えられなくなった。


 私が暴れないように、安静にさせる術をかけたのかもしれない。

 その証拠にしばらくの間、ぼんやりとした感覚が続いて、次第に時間の感覚がわからなくなった。

 最初にこの美しい人と出会ってから、時間がどのくらいたったのか、その何もかもが曖昧なまま、ぼうっとしていた。


「さあて。準備が揃ったし……あなたをあちらへ送りましょう。あちらの世界もあなたのことを呼んでいるみたい」

「聞いていいですか?」


 私は麻酔にかかった時のように動きにくい口を賢明に動かした。


「なあに?」

「あなたって、女神様なんですか?」

「そうよ。最後に聞くなんて、やっぱりあなた『も』変わった子ねえ……」


 あ、また『も』だ。


 女神様は多分、私のことを知っているのだ。

 多分、それ以外の誰かのことも。


 聞かなくちゃ。そう思って口を開いた瞬間、女神様は発言を止めるかのように、にっこりと圧のある笑顔を見せる。


「さあ。もう時間よ。あちらからの呼び出しがあるうちに、いってらっしゃい。あちらの世界があなたにぴったりな世界であることを願っているわ」


 そう女神様が言った瞬間、私の体が光の膜に包まれたようにぼわりと発光する。炭酸の泡が抜けるみたいに、体が気泡になって、少しずつ消えて行く。


 すごい。本当に私、異世界転移するんだ……。


 私は愛読していた小説の内容を思い出す。悪役令嬢、聖女、勇者……。物語の世界の登場人物はいつだって、光り輝いていた。


 願わくば。

 もし、あの小説に出てくる登場人物たちみたいに転生気分を味わえるのならば、その世界に受け入れられたい。

 仕事ばっかりじゃなくてたまにはおしゃれもして、恋もして……。私が生きていた世界で憧れていた女の子たちのように普通に暮らして、なんのしがらみもなく生きてみたいよ。


 チート能力とか、本当にいらないからさ。



 女神様の顔が見えなくなる頃には、それまではなんとなく残っていた意識が完全に消失して、落ちていく。


「あちらの世界の暮らしの中で、あなたが本当に大切にしていたことを思い出せることを祈っていますよ」


 女神様の呟きは、私の耳に届くことはなかった。


次のお話は明日投稿します!

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