32 冷凍庫の中身と梅雨の風物詩
家に帰った私たちは、早速魚屋の旦那さんから聞いた、床下収納式の冷凍庫を開けてみることにした。
冷凍庫は二階にあるキッチンとカウンターの間の床下にあった。大きさは大体、三十センチ×三十センチくらいの正方形。
小さい取手状の金具が埋め込まれていて、そこを引き抜くように上へあげると、扉が空いた。
「え? なにこれ……?」
「なんでしょう? 何かの実ですかね?」
冷蔵庫の中には、食品保存の魔法陣付きの袋(前の世界のジッパー付き食品袋みたいなやつ)に入った青々とした500円玉ほどの実がカッチンカッチンに凍った状態でたくさん詰まっていた。
……もしかしてこれって。
「梅かなあ?」
「うめ? でしか?」
「ほら! 箱庭の周りに木が植ってたでしょう?」
「ああ、モダムもどきでしか! モダムの実にそっくりなのに、酸っぱいだけで甘くなくて、あんまり美味しくないやつ……」
モダムはこの世界ではポピュラーで味は桃に近い果物だそうだ。
チャチャは貧民街時代にひもじすぎて、箱庭の周りに落ちていた実をかじったことがあるらしい。
加工前の梅にかじりついたことはないけれど、きっと美味しくないよね……。
「どんな美味しいものがあるか楽しみにしていたのに、食べられない実だなんて……。がっかりでし……」
雨が降らなくなったら捨てにいきましょう、とチャチャは眉を八の字に下げて言う。
「いや、これ食べられるよ?」
「え?」
チャチャは何言っているんだこの人、と言わんばかりのキョトンとした顔で私の方を見ている。
今まで捨ててたのがもったいない、って思っちゃうくらい美味しくしちゃうからね。私はにしし、と企む笑いを浮かべる。
「じゃあ、雨季の間のおこもり期間にモダムもどき、もとい梅を加工して食べられるものにしちゃいましょうか!」
*
梅の楽しみ方は梅酒、梅ジャム、梅干し……と、いっぱいあるけれど、どうせならチャチャと二人で楽しめるものがいい。
と言うことで、今回は梅シロップを作ることにした。
「材料は砂糖と、梅。あとシロップを入れておく瓶があったほうがいいなあ」
「あ、この前花瓶に使うにはもったいないね、っていって避けておいた瓶がありますよね?」
そういって、チャチャは二階の階段横にある納戸のような小さな収納部屋にしまってあった瓶をとってきてくれた。
小柄のチャチャが両手で運ぶくらいの大きな瓶。ソーダ色のクリアガラスでできたスジ模様の入ったレトロビンテージな品だ。
うん、これなら冷凍してあった梅が全部入り切りそう!
私は続けてキッチンに置いてあった砂糖袋を持ってくる。
この世界では、砂糖は一キロ二キロという単位で買うのではなく、肥料袋のような紙袋に包まれた二十キロの砂糖を行商人から家ごとに、一年に一回購入することが一般的らしい。
それを各家で品質保存の魔法陣が書かれた保存袋に分けて、小分けにして置いて置くのだそうだ。
そういえば雨が降る前に、家に直接行商人の人が来たなあ……。チャチャが対応してくれたからことなきを得たけれど、自分一人だったら今後砂糖不足に苦しんでいたかもしれない。
そういえば、チャチャは貧民街にテントを建てて暮らしていたっていってたけれど、やけに街の暮らしに詳しい。貧民街には両親が亡くなってから移ったといっていたから、もしかしたらその前は街で暮らしていたことがあったのかもしれない。
「この瓶をどうするでしか?」
「最初に、瓶の中を消毒しまーす」
あちらの世界にいた時から、梅雨になるとスーパーで梅を買って梅シロップを作っていた私は慣れた手つきで、お店でたまに使うこともある、アルコール消毒液を取り出し、瓶の中にシュシュっと吹きかけていく。
「アルコールかけすぎちゃったら清潔な布で拭き取ってね。で、冷凍してあった梅をこの中に入れていくんだ。生の梅だったら、フォークでさして穴を開ける必要があるんだけど、これは冷凍してあって繊維組織が程よく壊れているからその必要はないね。そのまま、ざらざらーっと入れるだけでオッケー!」
「ほうほう!」
チャチャは興味深そうに頷く。
「最後にこの上に砂糖をザラザラーっと入れて終了! このまま放置しておけば、だんだん浸透圧で梅からシロップが出てくるからね」
「もうこれで終わりでしか⁉︎ はわあ! 簡単すぎまし!」
驚きの作業量の少なさに、びっくり顔のチャチャ。
「うん。一日一回、カビが繁殖しない様に振る作業はあるけれど、基本的にこのあと加えたりするものは何もないんだ。だんだん、果汁が滲み出てきて、十日もすれば梅ジュースが出来上がるんだよ」
「ジュ、ジュース! それは……楽しみでし!」
「ちなみにここにお酒を継ぐと、梅酒って言う、この実の香りと味が移ったお酒にもなるんだよ!」
「へえ〜! お酒にもなるんでしか!」
チャチャは漬けたばっかりの瓶の中をキラキラとした瞳で見つめていた。
まるで新しい宝物を見つけたようなまなこだった。
「……つむぐしゃんは、お酒の方じゃなくてよかったのでしか?」
「うーん……。私、お酒に弱いみたいで飲むと記憶がなくなっちゃうんだよね……」
「え……そ、それは……」
チャチャは私の秘密を聞いて、顔を青くしている。うん、ごめんね。引くよね。
「飲んだ次の日って、なぜかいつもよりきちんとした格好でベッドに寝てることが多いんだよね……。なんでなんだろうっていつも思ってたんだけど、謎だし知るのも怖いから、飲まないって決めているんだよね……」
私の暴露に、チャチャは虚な表情を見せた。
「心配だから、飲まないでください……」
「うん。そうします」
*
「つむぐしゃんはいろんなことを知っていてすごいでし! あたち、モダムもどきを飲み物にできるなんて知らなかったでしよ」
作り終わった梅ジュースの瓶を冷暗所に移動させてから、紅茶を飲んで体を休めていると、チャチャが物知り博士を見つめるようなキラキラした瞳で私のことを見ながら言った。
「私のお母さんが梅……モダムもどきが好きで、色々レシピを教えてくれたんだよね。広い庭があったら真っ先に植えるのにって梅雨……雨季がくるたびに言ってたんだ」
毎年、お母さんは梅雨になると、花屋がある商店街にある八百屋さんから大量の梅を買い込んでいた。
私がまだ幼かった頃からの習慣になっていて、小さい頃の私は梅仕事が始まると、お母さんが魔女の手習い事をしているように思えて、すごくわくわくした気持ちになったことを覚えている。
お母さんが死んでからは、一人で花屋を切り盛りしていたため単純に暇がなかったという理由もあるが、それ以上に安易にお母さんとの思い出を紐解いて感傷に浸るような真似をしたくなくて、ずっと心の奥に思い出として仕舞い込んでしまっていた。
「こんなふうにもう一回梅ジュースを作れるようになるとは思ってなかったなあ……」
「早く梅ジュースにならないでしかね……。あたち今から楽しみです!」
この世界にいるとお母さんとの思い出が新しい形で塗り変わっていく。以前の私であれば、思い出を少しでも薄めたくなくて、頑固に思い出を守り続けることに固執していたかもしれない。
でも、ここで暮らす私は新しいことを思い出に少しずつ混ぜながら、暮らすことができている。
それが成長のように感じられて、こそばゆい嬉しさが胸に広がった。




