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31 小船の出現とお得意様の認定


「多分、普通のお家だったらこの辺にあると思うんでしが……」


 そう言って、チャチャは何かを探す様に店の奥にある私たち専用の裏口玄関、靴箱の壁をコンコン叩いて回っている。一体なにを探しているんだろう?


「あ! ありました! ここを押して……と」


 チャチャが発見したのは壁の奥に隠してあった魔法陣だった。木の切れ端の様なものに書かれていて、それほど高価なものには見えない。


 チャチャがボタンを押すように、木の切れ端を押すと、バタン、バタンと大きな音が建物の外から聞こえてきた。


「え? なんの音……?」

「外を見ればわかりましよ〜!」


 楽しげなチャチャに連れられて扉の外に出ると、そこには木製のボードのような小船が建物に沿う様に停められていた。昔、イタリアのヴェネチア地方のウンディーネの動画を見たとき、彼らが使っていた小舟に似ている。


「ふ、船だ!」


 私が目を丸くしていると、チャチャがにししと笑って尻尾をブンブン振りながら話す。


「えへへ! びっくりしましたか? 雨季の時期はみんなこれに乗って移動するんでしよ〜。ささ、つむぐしゃん乗ってください!」


 私がおっかなびっくり船に乗り込むと、チャチャはオールを持って私の後ろ側の席に立ち乗りした。どうやら、この船は後ろの人が漕ぐらしい。


「忘れ物はないでしか?」

「ないよ! え、チャチャが漕ぐの? ここは私が……」

「では、出発でし〜」


 チャチャは私の言葉を遮ってスイスイとオールを動かしていく。船はゆっくりと動き始めた。

 立ち漕ぎで船を動かすだなんて、すっごい強靭な体幹が入りそうだけど、チャチャは尻尾をふりふりさせながら、軽々それをこなしていて、汗もかいていなかった。うん。この動き、スライムも倒せないような私のよわよわ筋力じゃ絶対無理。


 獣人……つおい……。


 船が進み、街のメインストリートへと入っていくと、バタバタと慌ただしそうな店が目に入る。そこには見たことのある人物の姿もあった。


「魚屋の旦那さん!」

「やあ、つむぐちゃん、チャチャちゃん。ごきげんよう!」


 魚屋の旦那さんは、今日はいつもの様なジャケットは着ておらず動きやすそうなYシャツ姿で、しかも腕捲りをして店に立っていた。いつもの優雅な支度とは打って変わって、今日は部下である従業員に混じって、大店の店主自ら先人を切って魚の入った木箱を運んでいた。


「今年はルルシェの長雨が早くてびっくりしちゃったね! 今、店にある生鮮品を急いで売り切っているところだから、よっていきなよ! いつもなら考えられない大盤振る舞いの大セールだよ!」


 魚屋の旦那さんが指で示した値札に目を落とす。そこには急いで書いたであろう、躍動感を覚える字で、いつもの半額以下の値段が書かれていた。


「わっ! 本当にお得ですね!」

「だろう? 買わないと損だよ! 確かつむぐちゃんの家には、おっきい冷凍の魔法陣付きの保管庫があっただろう? 冷凍の魚もたくさんあるから買っていきなよ」

「え? 保管庫?」


 私は聞き慣れない単語に首を傾げる。


「あれ? もしかして知らない? 二階の、キッチンの床下に小さな扉があって、そこが保管庫になっているはずだよ。俺は前の花屋の店主とは酒飲み友達だったが、いつもあいつは床下から氷を出していたぞ?」


 そういえば、そんな床下収納っぽい扉あったな!

 最近忙しかったし、万が一何か変なものが入っていたら大変なことが起きるんじゃ……(ここは私に理解できない魔法がそこらじゅうにある国だし)と考えたら怖くて、開けることはしてなかったけれど、あれがまさか冷凍庫だったなんて、思っても見なかった。

 この買い出しから帰ったら開けてみよう!


「そうなんですか! 知らなかったです! ありがとうございます」

「つむぐちゃんはこの街に住んでから初めてのルルシェの長雨だもんなあ……。家におこもりしなきゃいけないこのシーズン、あの冷凍庫があるとないとじゃ生活の質が変わってくるぞ?」


 それはその通りだ。私は魚屋の旦那さんの言葉にうんうん頷いた。私も前の世界で一人暮らしをしていた時は、忙しくてなかなか買い物に行けなかったため、冷凍食品に頼り切りだった。

 冷蔵庫がすっからかんでも、冷凍庫に何か入っていれば、どんなに忙しくても、ひもじくならずに済む。


 それにしても……。魚屋の旦那さんは前の花屋の店主と友達だったなんて!

 驚きの新事実に私は目を瞬かせる。


「そうそう。あの保管庫、この辺じゃ出回らないようなえらい上等な魔法陣が仕掛けてあってな。保存する食べ物を冷凍庫に入れた瞬間、その物の品質状態を保つ魔法陣も追加付与されているんだ。だからもしかしたら……。あいつが残した食べ物も残っているかもしれない。すごく前のものだけど、物は悪くなってないだろうから、嫌じゃなかったら食べてやってくれ」

「勝手に食べちゃっていいんでしょうか……前の店主さんはもうあの店には戻ってこないんですか?」

「戻ってこないだろうなあ……」


 そう言った魚屋さんの旦那さんはちょっと寂しそうな表情を浮かべていた。その後、じっと私の瞳の奥の色を覗くように目を細めた。

 もしかしたら、私と以前の店主を重ねて、楽しかった過去を思い出していたのかもしれない。

 悪いこと聞いちゃったな……と気まずく思っていたら、魚屋の旦那さんは空を見上げながらあ! と、慌てたような声をあげる。


「ささ、こんなところで時間食っちゃあ、行けねえな! 今から他の店も回るんだろう? この調子じゃあと三十分もしたら、また大雨が降ってくるぞ」


 私たちは魚屋の旦那さんのおすすめの生魚と冷凍の魚をいくつか買った。

 魚屋の旦那さんはいつもお世話になっているからとおまけをいくつもくれた。


「え! こんなにいいんですか?」

「いいのいいの。いつもいい花を売ってもらっているんだから。ルルシェの長雨が明けたら、また花を買いに行くからよろしくな!」

「ええ! お待ちしています!」


 私とチャチャは手を降って、店の前から去っていった。



 その後も私とチャチャは肉屋さんと八百屋さんを周り、余裕を持って二週間強生き延びられるだけの食料を買って回った。


「うわあ。船が食料でいっぱいいっぱいだよ……」

「うははっ! 大量でし! 早く帰ってたべものを小分けにしないとでし」


 その量の多さにチャチャと顔を見合わせて笑う。

 こうなったのは、商店街の皆さんがとってもよくしてくれたからだ。

 店を始めてから顔見知りになった商店街の皆さんは、この街で初めてルルシェの長雨時期を過ごす私たちの様子をすごく心配してくれて、魚屋の旦那さんみたいにおまけをしてくれたり、値引きをしてくれたりと、みんなとっても優しくしてくれた。


 だいぶ船自体も重くなったし、チャチャも疲れているだろうから帰りは私も漕いだ方がいいかな? と思って、チャチャに声をかけたら、困った顔をされてしまった。


「多分、つむぐしゃんはこのオールすら重くて持てないでしよ?」


 ええ〜! まさか〜と思って、試しにオールを貸してもらったら、チャチャのいう通りオールはものすごく……持った瞬間、ズンと重力がかかり膝がカクッと曲がってしまうくらい重かった。


「う、うそでしょ……。私、こんなに力なかったっけ……?」

「つむぐしゃん? 誰にだって得意不得意がありましから、つむぐしゃんは自分ができること……花束作りだったり、アレンジメント作りだったりをチャチャに教えてくれたらそれでいいんでしよ? 力しごとは獣人の私の方が得意なんでしから、頼ってください」

「でも……」

「もうっ! つむぐしゃんは、本当に人に何かを頼むのが苦手でしよね? 私たちは一緒に暮らしているんでしから、遠慮はしないでください」


 ゔっ……。私はチャチャの指摘に胸が痛くなった。


 そういえば学生の時も通知表に書かれていたな……。人に頼るのが苦手ですって。

 なんでも一人で頑張ってこなしちゃうところは自分のダメなところだな、と思ってはいたけれど、長年続いた店主生活がその気質に拍車をかける原因になっていた気がする。


 私は心の中で、人に頼っちゃだめって考えが根強く残っているんだろうなあ……。直さなくっちゃ。


「じゃあ……。お言葉に甘えて、帰りも船の操縦はチャチャにお願いしてもいい?」


 申し訳なさそうにそういうと、チャチャはぱあっとひまわりが咲くような笑顔で目を輝かせた。


「はいっ! 任せてください!」


 その嬉しそうな顔を見て、私はやっぱり反省する。

 そっか。自分に出来ることを任せられるって子供にとっては嬉しいことだってことを、私は忘れていたのかもしれない。


 私も小学校の時にお母さんに初めて、店に置くデイリーブーケを作っていいって言われたとき、すっごく嬉しかったもんなあ……。


 きっと母もこんな気持ちだったのだろう。


 私はチャチャとの暮らしの中で、母がなにを考えていたのか、どんな思いだったのかを再発見しているような気がする。



 荷物で重くなった船がバランスを崩さないようにチャチャが慎重にオールを動かすと、すぅっと緩やかに船は動いていく。水面には立ち並ぶ街の景色が写り込む。まるで名画の中の世界が目の前に人がっている光景は息をのむほど幻想的で美しい。

 こうやってみると、やっぱり建物は日本とは全く違った趣だ。商店街の建物は住宅街の方とは違ってレンガづくりの建物が多いから、どちらかというとヨーロッパの建物に近いように見える。

 けれども、その建物の様式にはどこかアラビア的な要素も組み込まれているような気がするし、一言でここはこう! とはいえないこの国ならではの文化と複雑な景観を生み出しているように見えた。


 でも、この一言ではまとめ切ることのできないごちゃついた風景が嫌いじゃない。むしろ好きかも。


 この世界に来てから、息が詰まる感覚がなく、呼吸がしやすい。


 私をこの世界に送ってくれた女神様は、私はこの世界と縁があると言っていたけれど、果たしてどんな縁なんだろう。


 でも、この世界の水と空気が私に合うのは確かなようだ。


 ぼんやりと考え事をしていると、頭上にぽつっと一滴、大粒の雫が落ちてきた。


「あれ……。雨……」

「わわわっ! まずいでし! もう雨が降る時間でしか⁉︎ この後すぐ、土砂降りになりましよ⁉︎」

「ええええ!」


 幸い、もう私たちが住む、花屋スノードロップは視界に入る位置にある。その距離、二十メートルくらいだろうか。

 しかし、天から降り注ぐ雨は急激にその水量を増やしていく。


 ポツ、ポツ、ポツ……ダッ! ダッ! ダッ! ダダダダダ‼︎


 リズミカルな雨音は容赦無く私やチャチャの頭、それに買い込んだ荷物を濡らしていく。


「ぎゃあああ! すっごい量降ってきた!」

「急ぎましっ! うおおおおおお!」


 チャチャは高速オールさばきを見せ、三秒で家の裏玄関の前まで船を寄せる。


「はい、家に荷物入れるよ!」

「急げ急げ!」


 ドアをドンと勢いよくあけ、荷物をぶん投げるように入れ込む。

 着ていたワンピースの裾を摘むと、肌の色が透けてしまうほどにビッチョリで、びっくりするくらいの重さを持っていた。まるで着衣水泳をした時みたいだ。


「あはははは! なにこれぇ〜! ビッチョビチョだよお!」


 こんなの、初めて。


 経験したことのない、大雨に打たれた私はなんだか耐えられない面白くって、腹を抱えて笑ってしまった。

 こんなに笑ったのは久しぶりだ。



 そんな私を見たチャチャは瞳を三日月型にした。


「つむぐしゃんが笑ってくれていると嬉しいでし。いつも、お店でもお家でも頑張っていてちょっと張り詰めた感じだったから……」


 ほっとしたような笑顔だった。

 そっか。このところ、まさかこの世界で自分が一から店を持つなんて思ってなかったから、気を張り詰めて働き詰めになっていたのがチャチャにも伝わっていたのかもしれない。


「心配かけちゃったかな? ごめんね?」

「いいえ。大丈夫でしよ。つむぐしゃん、この暮らしは、楽しいですか?」

「うん。楽しい。すっごく」


 似ているようで、ちょっと違って、すっごく不思議。


 私はやっぱりこの世界が大好きになり始めている。


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