間話 フリッツの聖女観察日記5
「まずい。つむぐ殿が森に入るのが、いつの話なのか聞き忘れた」
ケヴィンが未来を見通す能力を持つ先読みであることを忘れていた。彼が感知した景色は今ではなく、未来のものだったのだ。
慌てた勢いで街に出てしまったフリッツはふと我に返って、詳細をケヴィンに聞かなかったことを後悔し始めていた。
その後、一応自らの目で。今のつむぐの無事を確認しようと、花屋『スノードロップ』へと立ち寄る。
外の窓からいつも通り、特に問題なく働くつむぐの姿が見てとれた。安心して、息をつく。
つむぐに気づかれることはなかったが一瞬、チャチャと目が合い睨まれた気がした。とりあえず、それは気にしないことにする。
今日のところは大丈夫そうだな。
このまま一度王城に戻ろうか迷っていたところで、ケヴィンからつむぐが森へ向かうのは明日の午前中だろうと手紙の魔法陣で連絡が入った。
そこには先読みの能力で推測した、つむぐが足を踏み入れそうな森の位置もしっかりと記載されていた。
「午前か……」
フリッツは顔を顰める。
森に住む魔獣達の中には、午前中活発に動くものもいるのだ。
フリッツはふとチャチャのことを思い返す。彼女は獣人であるが故に戦闘能力も高く、魔獣を倒すだけの実力があるだろう。
だが、つむぐを守りながらの戦闘はまだ幼い彼女には難しいということも予想できた。
「よし。今日のうちに私の方で森の魔獣達を排除しておこう」
*
それからのフリッツの行動は早かった。
テントの材料と食料を買い込み、森へ入ったフリッツは手頃な平地に拠点を作ると、武器となる剣を取り出し、魔獣がもっとも多いとされる森の最奥へと向う。
魔獣に狙われやすくするために、わざと足音を立てながら歩くと、茂みからジリビアンと呼ばれる大型の野犬のような魔獣が現れた。
血に飢えているのか、焦点が合わない濁った金色を持つ瞳がギョロリと蠢く。
松葉のような硬い毛を逆立たせながらこちらにのしりのしりと近づいてきた。
フリッツは右手で持っていた剣で、ジリビアンの首元を突く。
するとジリビアンは呻き声を上げながら、しゅわりしゅわりと炭酸が抜けたような音とともに、黒い煙を湧き上がらせる。三十秒ほど経つと、先ほどまで動いていたジリビアンは、魔鉱と呼ばれる鉱物に姿を変える。ここまででやっと一匹討伐完了したことになる。
一匹倒したら、また一匹。
フリッツは三時間ほどかけて、飛びかかってくる魔獣達を討伐していった。
この森に住むジリビアンをはじめとした魔獣は、武道の心得がない平民にとっては脅威的な存在だ。しかし一番下っ端でも王の近侍騎士として認められるほどの実力を持つフリッツにとってはさほど手を焼くこともない魔獣だった。
「これで……この森に住む魔獣はあらかた討伐できただろうか」
死んだ魔獣が残した魔鉱を持ってきていた麻袋に詰めていく。魔鉱は剣や盾などの武器を作る材料になるため、王都でも高値で取引されている。
職人をしている二番目の妹に土産として渡せば、大層喜ぶだろう。
一つの袋に入れてから、妹は整理整頓が苦手で魔鉱を種類ごとに分けるのが苦手だったことを思い出す。
仕方ない、種類ごとに分けてから渡すか。
フリッツは騎士服の懐に仕掛けてあった収納の魔法陣から選別用の麻袋を取り出した。
討伐よりも選別に時間をかけていたら、いつの間にか空に星が輝きはじめていた。
いちいち王城に戻るのも面倒なので、今日は初めから野営をするつもりだったフリッツは拠点にしていたテントに戻り、寝支度を調えはじめる。
一息ついたところで、王城の仲間に今自分が、聖女の護衛のための準備を行っているという連絡を出す。
フリッツはつむぐの警備担当であることが知られているため、自由な行動が許されている。そのために一々報告は必要ないのだが、フリッツは一応念のために送っておかないと気が済まないタイプだ。
書類仕事が苦手な近侍騎士の先輩達はもしかしたら、見ないまま放置してしまうかもしれないが。
*
翌日、ケヴィンの予言通り、森の中でつむぐとチャチャに出くわすことができた。
かすり傷もないつむぐをみて、まず最初に安心した。
怪我がなくてよかった。腕なんか怪我した日には、あの素敵な花束を作れなくなってしまう。
なぜ森なんて危ない場所に足を運んだのか、謎だったが、どうやら彼女はスライムを必要としていたらしい。そんなもの自分に頼めば、喜んで持っていくのに、と思ったがなんでも自分でやろうとする彼女の頭には、人に頼る選択肢が入っていないのだろう。
その後も森の中でスライム討伐に励む、つむぐを見守っていたが、かっこよくスライムを倒そうと思ったところで、チャチャにその役割を取られてしまった。
さすが、獣人。子供といえど並外れたスピードと腕力を持ち合わせているようで、すぐにスライムを退治してしまう。
気づいた時には何も手を貸さないうちにスライム討伐は終わってしまっていた。
フリッツがようやく手を貸せたのは、全員で花屋がある建物に戻った後のことだった。
しかし、望まれたのは簡単な魔法陣の調整だけ。
そんな状況を見てフリッツは思う。なんの力も持たず、あんなに心細そうにしていたつむぐがなんの助けも必要とせず、壁を乗り越えていっている。頼もしい。
「この様子なら問題なさそうだな……」
「え? 何か言いましたか?」
「何も」
彼女には経営者としてのノウハウもあるし、新しい商品を作り出すアイデアもある。心強い相棒になったチャチャもいる。
何も問題がない。彼女に自分の助けは必要ない。
それはフリッツにとって押し付けられた仕事がなくなるということと同義だ。喜ばしいことなのに何故か、焦燥感と悲しみが生まれていくのに気がつく。
ふんわりと生温かいような、もやつくような。
この気持ちはなんなんだ……?
フリッツは初めての感情に戸惑う。
気に入った店の店主として彼女を心配しているのだろうか。それとも異世界にきて不安そうにしていた彼女が、こうやって笑顔でいることに安心しているのだろうか。
自分では答えが出ない。悩んだフリッツは王城に帰る途中、魔鉱を届けるために城下街の外れに位置する、二番目の妹の工房に立ち寄った。
二番目の妹は、フリッツの話を聞いてすぐに、答えを下した。
「にいちゃん、もしかしてばかぁ?」
「は?」
「それは恋でしょ」
フリッツは無表情のまま短いまつ毛を、シバシバと上下に動かす。
「……は?」
「は? じゃないよ。もしかして自分でわかってなかったの? にいちゃん、その女の人のことを話す時、声音がいつもより、楽しそうなの、気づいていた?」
どれだけフリッツが無表情であろうと、彼の恋心は第三者の目にはバレバレだった。




