間話 フリッツの聖女観察日記4
「今日も特に異常なさそうだな」
フリッツは王城の最奥に位置する王付きの騎士や文官、補佐官が使用する事務室にある自分のデスクで地図のような図表が描かれた紙を広げていた。
紙の右上には魔法陣が描かれ、真ん中のあたりには王都周辺の立地情報が事細かく描かれている。
フリッツが気にしていたのは、もちろんつむぐが住んでいる花屋『スノードロップ』の様子だ。地図の中で花屋『スノードロップ』が位置する部分には、つむぐの存在を表す緑色の光が点滅していた。
実は、フリッツが最初につむぐに買い与えた洋服には、つむぐの行動を知らせる魔法陣が書き込まれている。
と、言うとフリッツがメンヘラストーカー男のように聞こえるが、これは立派な王命に拠る聖女警護の一貫なのである。
フリッツもそれはいくらなんでもやりすぎではないか、と思ったが、つむぐの位置管理を強く要請したのは王自身だった。
「あの娘は何をしでかすかわからん。常に監視の目が必要なのだ」
そう話した王のいやに断定的な言葉が気になる。
まるで王は彼女の気質を知っているように話すのだ。
そして、要請にはつむぐへ対する純粋な心配がかすかに、しかし確実に香っていた。
自分の恋人が使っていた建物を貸し出すという連絡が来た時から感じていたが、王は、彼女を密かに排除しようと考えているわけではないらしい。
付かず離れず、しかし必ず命は守れ。
そんな王の命令に、引き続き疑問は持ちながらも、個人的にも気に入っているつむぐを守りたいという気持ちにブレはないため、フリッツは任務を続けていた。
*
地図に大きな動きはない。今日のつむぐは配達もなく、店舗内にずっと留まっているらしい。ということはなんの事件にも巻き込まれていないということだ。平和で何よりだ。
フリッツはつむぐの警備を担当しているが、四六時中張り付いているわけではなく、つむぐの居場所を確認する地図の魔術具に不自然な動きが見られたときだけ、王城から城下に向かうことになっている。
それ以外はいつも通り、王の近侍騎士として働いている。
ただ、フリッツは近侍騎士の中でも一番下っ端に当たるので、王の警備自体よりも、警備に必要な物品の購入や経理など、書類仕事を任されることが多かった。
フリッツの直属の先輩達は護衛としての腕には優れていたが、書類仕事は苦手だったのだ。
逆にフリッツは護衛技術には欠けるが、書類仕事は難なくこなせるために、王の近侍騎士の中でも重宝され、自分の居場所を確立できていた。
今日もいつものように自分のデスクで書類を分類するところから始める。
フリッツのデスクに置かれた書類入れの中には『ここに入れたらいいんだろっ!』と言わんばかりに、経費申請や、報告書が規則性なくぐちゃぐちゃに収められていた。
先輩方、せめていっぺんにまとめずに、種類ごとに分けてくれたらいいのに。
ふうと誰にも聞こえないようにため息をつきながら窓の方を眺める。太陽は傾きはじめ、少しずつ西へと向かっていた。
聞き覚えのある、落ち着いているが低すぎはしない、テノールの声が後ろから降ってきた。
「やあやあ。王の近侍騎士様が暇そうじゃない?」
「……ケヴィン様」
さらりと腰まで伸びるまっすぐな髪を風に靡かせながら、ニコニコとわざとらしい笑顔を貼り付けてこちらにやってきた、この男——ケヴィン。彼はつむぐが王都の建物を契約した際に現れた、王と王に基づく者の資産管理を担当している文官である。
近侍騎士たちの予算を管理しているのも彼で、これからフリッツが経理書類を渡しに行こうとした相手である。
どう見ても見た目は二十代前半の綺麗な顔をした青年にしか見えないケヴィンだが、もうこの王城に勤めてから、五十年はゆうに超えているらしい。
と、いうのも彼は呪い子、と呼ばれる特殊な性質を持つ人間で、一般的な人間よりも年齢を重ねる速度が著しく遅いのだ。個人差はあるが彼らはその分長生きで、寿命が長いものだと常人の三倍以上生きるものもいる。
ケヴィンは呪い子の中でも寿命が長い方だと言われており、実年齢がいくつなのかは王以外誰も知らない。
しかも彼の特異点はそれだけではなく、この国の固有魔術である先読みと呼ばれる、未来を見通す力も持ち合わせていた。
彼はいうならば、設定盛りすぎ歩くチート。城内の生き字引。
人より長く生きていて、未来を見通す力もあるというのだから、誰も敵うものはいない。宰相になれるだけの能力を持っている男だが、彼は多くを望まず、一資産管理担当者に収まっている。
「僕はこれが一番性にあっているから」と本人は言っているが、周りの人間はそんな彼を見て不可思議だと首を傾げることしかできない。
いつも表情に穏やかだが底のしれない笑みを浮かべていて、フリッツは彼と話す度に、身構えてしまう。
実際、彼は敏腕経理担当者でもあり、フリッツは何度も書類不備を突きつけられていているせいもあった。
なかなか勝てなくて、フリッツはいつも彼におちょくられている。
「君の不憫は筋金入りだね。王様にまた面倒ごと押し付けられたみたいじゃない?」
「面倒ごと……つむぐ殿のことでしょうか」
「そうそう。彼女、この王城にとって色々厄介じゃない?」
ケヴィンは目を三日月型に歪める。面白そうだ、という感情が隠しきれていない彼の表情を見て、フリッツは『ケヴィン様はつむぐ殿が王となんらかの関係があることを知っている』ことを確信する。
「ケヴィン様は多くのことを知っているようですね」
「知ってるよ? だって僕、長生きだもん」
おちょくるように言った彼の言葉には優越感が滲んでいた。
「私は……。つむぐ殿が何者なのか、解を明確に知っていた方がいいと思いますか?」
「いいや。別にそんなこと僕は思っちゃいないよ。知らないフリをしていた方が君にとって都合がいいんじゃない? ……それに、その人に関わる重大な秘密を知っているかどうかなんて、生きていく上でたいして重要じゃなかったりするからねえ〜」
「ケヴィン様が言うと、妙に説得力がありますね」
「そりゃそうだよ。全てにおける経験値が君らみたいなお尻の青い青年とは違うわけ」
ケヴィンはこれだから、若い連中は。と顔を苦々しく歪めながら、しかし同時に微笑みを滲ませながら言った。
「まあ、肩書きなんてどうでもいいじゃないの。君は自分の感性を信じればいい。関わりたくない人間とは関わらないで、関わりたい人間の人生には食い込んでいきなよ」
「そうします」
フリッツが頷いた時だった。
「ねえ、大丈夫なの?」
「え?」
ケヴィンが今までのからかいの混じった談笑にない、切羽詰まった表情を見せた。
「聖女ちゃん、魔獣が沸いてるって噂の森に獣人の子と一緒に入っていったけど……」
「まさかっ!」
慌てて、つむぐの現在地が表示される地図の魔法陣に視線を落とす。まだ、つむぐは花屋『スノードロップ』から移動していないように見える。
しかし自分の目で無事を確認するまでは、安心できない。
フリッツはそのまま、王城の外へと慌てて走っていった。
「あ……。多分僕が見たの、雲の動きから予想するに多分明日のことだよって言うの忘れた」
残されたケヴィンの呟きがフリッツの耳に届くことはなかった。
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