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3 女神様とか初めて見たわ


 目覚めると、目の前に女神様がいた。


 いや、女神様だわ。まじ、女神様。ほんまもんの女神様なんやって。

 ……あ、謎の関西弁出ちゃった。東京生まれなのに。


 でも、そうとしか言えない見た目をしているのだ。

 目の前に現れたの気高く匂い立つ、芍薬のような笑みを携えた、ゆるいウェーブがかかった黒髪の女性。

 優しく細められた菫色の瞳は真っ直ぐに私を見つめている。


 黒髪に紫の目……。ちょっと私と配色が似ている……。私は謎の親近感を彼女に持ってしまった。


「あら? 目が覚めたのね?」


 私がみじろぎしたことに気がついた彼女は、トトト……と近づいてきて、目の前にしゃがみこむ。

 無垢な子供のように愛らしい仕草なのに、成熟した女性らしさが同居していて、少しも目が逸せない。しかも、優しそうな雰囲気を纏っているのに、どこか世捨て人のような退廃的な印象もあって、人より長く生きていたかのような不思議な奥行きを感じる。


 なんというか……その不可思議さが酷く魅力的な人だ。


 というか、私、なんでこんなところにいるんだ?


 混乱しながら周りをぐるりと見渡すと、私と彼女がいる空間は、どこまでも、どこまでも眩い白に覆われていた。まるで雲の中にいるように果てがなく、この空間がどれほど続いているかもわからない。


 しかし見える範囲の空間になにもない広々とした空間かと言われるとそうではない。彼女の立っている後ろ側にポツンと、高校の職員室で先生が使っていた様な、灰色で重量感がある事務机と、その隣に妙に庶民的な雰囲気が漂う書類棚があった。


 それと、その横のスペースには絵を描くためのキャンバスが何十枚も無造作に重ねられている。


 雲の中にいるような白い空間の真ん中に、ポツンと現代的な家具が置かれている様は、明らかに異様だ。


「いきなりこんなところに連れてこられてびっくりしたでしょう? 質問があったら、なんでも聞いてね?」


 ふわりと緊張感が消える優しい笑みだ。


「あの……」


 彼女に質問したいことはたくさんあった。

 ここはどこなのか。

 自分はどうなってしまったのか。


 でもそれ以上に、聞かなければならないことがある。


「私がトラックで轢きかけた人、生きてますか?」


 女神様(仮)は目を大きく見開いた。

 私が建物に突っ込む前に避けた、自転車に乗っていたあの学生さんを轢いていないかだけが気がかりだった。

 あんなハンドルの切り方をして、建物を壊して、あの子の命が助かってなかったら、死に損だもん。


「ええ。生きているわよ」


 返ってきたのは子供を慰めるような優しい声音だった。

 その言葉で、私はほっと息をつく。


「よかった。じゃあ他のことは聞きません」


 私のそっけない返しを聞いて、女神様(仮)はなぜか困惑した顔を見せる。


「……あなたここがどういう場所だとかは聞かなくていいの?」

「……聞きたい気持ちはあるんですけど、どうせ死んじゃってるんでしょう?」


 死んだら、そこでゲーム終了。


 人生なんて、そんなもんだ。

 私は死後、別のボーナスステージがあるなんて考えるほど呑気な人間ではない。

 諦めで、一周回ってすっきりとした表情で言うと、女神様(仮)は悲しそうに、眉根を寄せた。


「そうだとしたら、普通はもっと、ああこれをやってなかったとか、こんな若くに死ぬなんて! だとか、後悔が襲ってくるものだと思うんだけど」

「後悔ですか……」


 その言葉に私はうーんと唸ってしまう。

 すぐに思いつかない私って……。本当にあの世界に馴染めていなかったんだなあ、と自嘲気味な笑みが漏れてしまう。でも考えたら、何か一つくらい後悔があるかもしれない。

 ちょっとシンキングタイム。あっ! そういえば!

 

「あああ! パートさんへの給与の支払い! 私が死んじゃったあとって誰がするんだろう……。叔父さんがやってくれるとは思えないしなあ……。そもそも、今日の注文! お誕生日のお祝いだって言っていたのに……。届けられないだろうなあ……」


 ひとつ、心配事が浮かぶと、泉から水が湧きだすように次々と心残りが出てくる。


 ここで死んでもいいや、だなんて思っていた自分の自分勝手さが、急に恥ずかしくなる。

 今私が死んだら、迷惑がかかる人、たくさんいるじゃないか!


 パートさんたちは私にとってただの従業員さん、という立ち位置には割り振れない。私が一人前になるまでに苦労をかけてしまった人たち。いわば第二のお母さん的な存在だった。ただでさえ迷惑をたくさんかけたのに、給与も支払えないなんて、申し訳ない……。


 花束の依頼だって、みんな誕生日だとか、発表会だとか、お客さんの特別の日に彩るための注文だったのに。

 もう死んじゃっているわけだから、どうにもならないんだけどさ。


 申し訳なく思う気持ちに押しつぶされそうになって、頭を掻きむしっていると、女神様(仮)は、ふぅ……と長めにため息をつく。


「あなたも死ぬような目にあっても、人のことを気にするのね」


 ——も? 誰と比べているのだろう。


 疑問に思って首を捻ると、女神様(仮)は「あなたが心配しなくても、以前生きていた世界のことは生きている人たちがどうにかしてくれるから大丈夫」といってくれた。


 本当かなあ、と困惑の表情を浮かべていると、女神様(仮)は考え込んだように唸る。


「まあ、いいわ。あのね、私あなたに言わなくちゃいけないことがあるの」

「なんですか?」


 女神様(仮)はよく聞いてね、と意味ありげな前ふりをした上で言葉を続けた。


「あなた、実はまだ死んでないの」

「えっ! そうなんですか⁉︎」


 驚きの事実に目を見開く。


「ええ。本当にギリギリだけれど。そもそもここは死後の世界なんかじゃなくて、なんらかの要因で、核——魂だけが飛び出してきちゃった人がくる、待機所みたいな場所なのよ。私はここの運営担当者」

「……じゃあ、元に戻れるんですか?」


 そう言った自分の声が思ったより嬉しそうでないことに気がつく。

 これ以上他人に迷惑をかけたくないし、早く戻らなくちゃいけないのはわかっているのに、もう心が疲れきってしまっていて、これ以上大変なことに心を浸したくなかったのかもしれない。


「戻れるには戻れるわ。でも今戻っても……すぐに死んじゃいそうなのよね……。あなたって人のことばっかり大切にして、自分のことを大切にしないから」


 見透かすように細められた視線は鋭く私を見つめていた。

 まるで悪い子を叱るお母さんみたいなみたいな口調で言われてしまったけれど……。

 うっ! 正論すぎて、否定できないっ!


「あなたって人は生きていた時だっていつも人のことばかり。自分の人生を楽しむことが苦手なのね。これじゃあんまりにもかわいそうだから、あなたに選択肢をあげる」

「選択肢ですか……?」

「ええ。知らなかったと思うけど、実はあなたってあの世界の中では異端の子供なのよ」

「異端……ですか?」

「ええ。あなたは元いた世界だけじゃなくて、あの世界とは全く別の異世界に縁がある女の子なの」


 一瞬何を言っているのか分からずに、時が止まったような感覚に陥る。


「……異世界?」



つむぐは女神様に導かれ、違う世界へ飛び込みました。

次は九時ごろ更新予定です。

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