25 フローラルフォームが欲しい
開店から数日が経っても、花屋スノードロップでは盛況が続いていた。お客さんの中には、以前、前の店主がこの花屋を営んでいた頃にも花を買っていて、この店がオープンしてからは花を買う習慣が戻ったという、常連さん的なお客さんもいた。そこは前の店主さんに感謝しかない。
でも、メインのお客さんは思い人への贈り物に困っていた男性たちであった。
金銭的に余裕のある貴族や大商人たちとは違い、王都に住む多くの一市民が自由に使えるお金は限られている。
そんな彼らが贈り物をしようと考えた時、宝石となると高くつきすぎるし、かといって、街にいる花売りの少女たちから買ったような小花だと、格好がつかないのだろう。
しかも、花はいつまでも手元に残らない消え物的な贈り物だ。もし贈る相手の好みに合わなくてもいつか枯れると言うところも人気となった理由だった。
そうして安価で、贈り物の体を取ることができる、花束はこの街に住む人の間で、人気の商品になったのだった。
*
「あれ? フリッツ様」
「つむぐ殿。今日も賑わっているようだな」
開店から一時間ほど経った時間、朝一に花を買いたいお客さんをさばき終わった時間を狙いすましたように、フリッツさんがお店にやってきた。
花屋がオープンしてからしばらくたってからも、フリッツさんはこうしてたびたびこのお店に足を運んでくれる。
フリッツさんが来ると、ちょっと心が弾んで、嬉しいんだけれど……。
弱音を吐いてしまったあの日から、フリッツさんの姿を見ると、私、なんか変だ。
頭をポンポンされた時の微かな緊張がまだ私の中には確実に残っていた。
あれは衝撃的すぎた。小説や漫画で描かれていたことが現実に行われたことに、私はひどく驚いたんだと思う。……多分。
だから好きとか異性として意識しちゃったとかそういう、浮ついた感情を持ったわけではないと思うのに、顔が熱ってしまったり、無駄にあわあわしてしまったり、落ち着いて接することができない。
フリッツさんって無自覚女たらしなのかな……。
わたわたする私に突っ込むこともせず、フリッツさんはいつものように、デイリーブーケを二つ買った。
お店が出来立ての頃は自分の部屋に飾るために一つだけ購入して帰ることが多かったが、今はご実家に送ったり、王城にも飾るためにもう一つ余分に買っていくことが多い。
「季節が変わると置ける花の種類も変わっていきますから、よかったらまたお店にきてくださいね」
「ああ。また、近いうちに寄らせてもらう」
軽く手を上げながら、フリッツさんが帰っていった。
フリッツさんが帰った後、ふう、と息をつく。
やばいやばいやばい。私の顔……赤くなってないよね?
赤くなっていたとしても、夏が近いせいだ。そう解釈して、私は店先の鉢物に水をやりに行く。
見上げると、空には混じり気のない綺麗な青が広がっていた。
*
そんなわけで、ちょっとだけ気がかりなことはあっても、まあ大体はうまくいっているのが最近の現状だ。
いつもの業務を続けていると、カランとドアベルが鳴った。
入ってきたのは、毎日のように花を買いに来てくれる、常連のおじさん二人組だった。
このおじさんたち、最初は花屋に入るのが恥ずかしかったみたいで、店の前をチラチラ覗くだけだったんだけど、最近は二人で一緒にはいってきてくれるようになった。
一人は赤い帽子を被った背の低い髭づらのおじさん。話口調は荒いけど、とっても優しい。
もう一人はいつも緑の帽子を被っていて、背が高いおじさん。物腰柔らかくて、ちょっとビビりな感じはするけれど、こちらも優しい。
私はその見た目から、このおじさんたちを心の中で某配管工兄弟の名で呼んでいる。
「あら、こんにちは。今日もきてくださったんですね」
「ああ、俺だけじゃなくて、うちの家族全員が、つむぐちゃんが作る花の虜だからな!」
赤帽子のおじさんは今日も元気にうちの花のことを褒めてくれる。
「ふふふ、嬉しいです」
「新しい商品ができたら、すぐに教えてくれ! うちのかーちゃんはここの花を楽しみにしているんだ!」
それを聞いて、緑帽子のおじさんも口を開く。
「うちもだよ。奥さん買ってくるたびに喜んじゃって……。まるで新婚当初みたいに可愛い顔を見せてくれるんですよ。それもこれも全部、この店で買った花のおかげです」
かわいいおじさんたちは口々にうちの花のことを褒めてくれる。
「そんなこと言ってくださるなんて……花屋冥利につきますね」
お客さんと話していると少しずつ花を楽しむ文化が根付いていることが感じられて、すごく嬉しい。
だからこそ、私はこの街のみんなにもっと花を楽しんでもらいたいって気持ちが大きくなってきたのだ。
お客さんも待ち望んでいるみたいだし、そろそろ新商品、考えてみようかな……。
そんな考えを浮かべていると、赤帽子を被った方の常連さんが口を開いた。
「俺は自分の奥さんの他にもお世話になったとかで、花を送りたい相手はいるんだけれど、送っても迷惑じゃないかな……って考えちゃうんだよ」
「え? 花を贈られたことを迷惑に思う人なんですか?」
「そうじゃないんだよ。ただ、その人の家には花瓶はない気がする」
「花瓶……」
「ああ。長いこと独り身のおっちゃんだからなあ」
そうだ、誰の家にも花瓶はあるもんじゃないんだ。私は生まれた家が花屋さんだったから、家に花瓶は当然のようにたくさんある環境に育った。
でも、友達の家に遊びにいくと花瓶なんてないよって人も多かった。
この世界では王によって花屋が作られることが禁止されていたわけだから、もともとちゃんとした花瓶を持っている人は少ない。
ミニブーケくらいだったら、コップに飾ることができるだろうけど、それ以外の大きい花束は飾る場所がないのであろう。
と、なると、あれが絶対的に便利なんだけど……。
あれって、この世界にあるのかな?
私はこの世界だからこその難題にぶつかった気がした。
*
「今日もたくさん花束が売れましたね!」
チャチャは目をキラキラさせて嬉しそうに言った。
「うーん花束は確かに魅力的なんだけど、そろそろアレンジメントも作りたいんだよね」
「あれ……んじですか?」
チャチャが慣れていない発音からか、舌ったらずな感じで繰り返す。かわいいっ! かわいいっ!
「うん。花束とはまた違う、置き型の花の飾りなんだけど……」
「? 花瓶に飾るのと何が違うのですか?」
「人によっては花をもらっても、花瓶がなくて困っちゃう人もいるでしょ。あとは……花瓶があっても、サイズが会わなくって、バランス悪くて残念に思ったり。そんな人のためにすぐに飾れる台座付きの花束のことをアレンジメントっていうの」
「へえ! そのまま置けるでしか! それはとっても素敵でしね!」
チャチャはぱあーっと目を輝かせる。
「それだけじゃなく、アレンジはフローラルフォームって言われている台座に花を直接さすから、花瓶とは違って水をこぼさずに家まで運べるし、花の角度も調節できるんだよ!」
「おうちに運びやすいのはとってもありがたいですね! ……でも花の角度が決められるって言うのはよくわからないのですが……」
うまく現物が想像できずにもやもやしているのか、首をコテンと傾げるチャチャ。仕草がすっごいかわいい。
……うーん。でも、そうだよね。言葉で理解しろって言ったって難しい。実際に見てみないとわからないよね。
「土台として使うのは、スポンジか何かですか?」
え、スポンジってこの世界にあるの? チャチャの言葉に驚く。聞くとどうやら、この世界にはスポンジを作る工場があるらしい。うちの食器洗いは、チャチャが毛糸で作った手編みの食器洗いを使っているけれど、裕福な家庭では普通に食器を洗うためにスポンジが使われているそうだ。
この世界、何があって何がないのか。謎だよなあ……。
だが、私が必要としているフローラルフォームを見たことはまだない。
私はチャチャに求めているフローラルフォームの素材感を伝える。
「軽くて、水を吸う素材で、触っても人体に害がなくて……。花を刺しても崩れない強度のあるきめの細かいスポンジみたいなものを探しているんだけど……」
「スライムって……乾燥すると……そんな感じになりましよね」
「えっ! そうなの?」
っていうか、この世界スライムとかもいるんだ⁉︎
「ええっと……どのスライムも同じようなるのかはわからないのですが。森から逃げ出したスライムが街の日向で干からびていて、そうなっているのを見たことがありまし」
「チャチャ。スライムって私でも倒せるかな?」
「はいっ! それは大丈夫でしょう。木の枝で叩くだけで倒せる生き物でしから!」
私は前の世界でもゲームはあんまりやらなかったから知らないことも多いんだけど、スライムってそんなに簡単に倒せるものなのかな?
ちょっと不安だけど……。でも、フローラルフォームは欲しい!
「もし、よろしければ明日は定休日ですから、スライムを取りに森に行きますか?」
「えっ、スライムってそんな森にキノコを採りに……みたいなノリでいけるものなの?」
「ええ。冒険者になりたい子供たちが練習がてら倒すくらいの生き物でしから、つむぐしゃんにも倒せると思いましよ?」
「え、……本当に?」
「はい!」
きらめくチャチャの顔に嘘は無さそうに見える。
「じゃ、じゃあ頑張って倒しに行こうかな……?」
こうして花屋スノードロップ初の定休日に、なぜかスライム狩りに行くことになったのだった。
評価、ブックマークありがとうございます!