24 弱音を吐いちゃった
チャチャによる閉店作業が終わり、私も泣き止んだ。
落ち着いたのでそろそろ二階にあがろうかと考えていると、店のドアがコンコンとノックされた。
「あれ? フリッツさんまたいらしたんですか?」
そこには群青に近い青色の騎士服に身を包んだフリッツさんがいた。そういえばフリッツさん、今日朝一にもお店に来てくれたのわかったんだけど、特に話すこともなく、帰っちゃったんだよね。
多分、私たちが忙しそうにしていたから遠慮してくれたんだと思う。
「今日は大盛況だったな」
「ええ。フリッツさんも朝イチで来てくださったのに、おもてなしできなくて申し訳ありませんでした」
「いや。それは構わない。私の様な、放っておいても来るような人間よりも、新しい顧客を大切にした方がいい」
「放っておいても来てくれるんですか?」
「ああ。家に飾るための花が欲しいからな」
その言葉に、ちょっと心が弾んだ。
そういえば、フリッツさんってどこに住んでいるのかな?
このお店がオープンするまでたくさん面倒見てもらったのに、私フリッツさんのこと、全然知らないや。
「フリッツさんってどこに住んでいるんですか?」
「王城の中の騎士が住まう官舎の単身者用の部屋に住んでいる」
「……私、貴族っていうから、お屋敷に住んでいるものだとばかり思っていました」
「屋敷は基本的にその家を継ぐ者しか住まうことを許されないからな。私には兄がいるので、家のことは兄に任せっぱなしだ」
「へえ。そうなんですね……」
次男であれば、言い方は悪いけどスペアとして家に残ることもあるが、フリッツさんのお兄さんにはもうお子さんが三人いて、後継はそのお子さんに決まっているそうだ。だからフリッツさんは家を出て、王に仕える騎士になったらしい。
貴族に生まれたら、ずっとその地位が守られるものなのかと思っていたけれど、兄弟がいたら違う職業を探さなくっちゃいけなかったり、色々大変なんだな。
「そんなことよりも、君。目が赤くなっているぞ? ……どうしたんだ? 客の中に不躾な人間でもいたか?」
心配そうな声音で言ったフリッツさんの言葉を、首を勢いよく横に振って否定する。
「そんなことありませんっ! お客さんはみんな優しい人ばかりでした!」
「じゃあ、なぜ泣いたんだ?」
「……言わなきゃダメですか?」
「一人で泣くなとこの前言っただろう?」
うっ……。なんでフリッツさんってこんなふうに人の心の内側に入り込むようなこと言うんだろう。
それが嫌じゃないのも、意味がわからないし。
尋問みたいな問いかけに私は数秒固まったあと、答える。
「多分、私は今までいた世界に絶望していたんです。なんて優しくないんだろう。こんなに頑張っても馴染めないのはなんでなんだろうって」
ずっと、頑張るしか知らなかった。
身を少しづつ擦りつぶりて、世界に馴染ませる様に努力していた頃は、その馴染まなさに頭を抱えていたし、すごく、すごく苦しんでもいた。
そのうち馴染めないのはきっと、私に原罪——もともと、持ち合わせた罪があるからだろうって思うようになった。お母さんはどう見ても日本人なのに目が青いのはそのせいなんじゃないかって。
そんなこと言うと中二病っぽいけどさ。
そのうち苦しめば苦しむほと、自分が何か大きな罪から許されている様な感覚に陥って、進んで楽しもうとすることを禁じるようになってしまった。
だから、ここで楽しいことに出会うたびに、自分にはこの世界を楽しむ権利なんてないのに、こんなに楽しんでしまっていいの? と急に後ろめたく思ってしまうようになった。
楽しい世界に飛び込むことは、逃避なんじゃないかって。
「フリッツさん、私はあの世界から逃げたのでしょうか?」
急に発せられた私の意味のわからない問いかけに、フリッツさんは、一瞬目を見開いた気がした。
どうしてかわからないけれど、フリッツさんは全て、知っている様な気がしていた。
答えをくれる様な気がしていたのだ。
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
「私、前の世界での生活が、とっても辛くて苦しくて、誰かに頼りたくて……仕方がなかったんです。それが……この世界にきて、チャチャやフリッツさん……街の人たちが私のことを助けてくれて受け入れてくれて。嬉しい反面、私はこっちにきて、辛いことを放り投げたんだって気持ちが強くなって……」
思考はぐちゃぐちゃ。私は幼児のように、おぼつかない様子で、言葉を吐き出す。
その言葉を聞いて、フリッツさんは黙ってしまう。
あ、なんでこんなことフリッツさんに言わなければよかった。
そう思って後悔しかけた瞬間、フリッツさんは徐に口を開けた。
「逃げたんじゃない。ただの移動だ」
その言葉に、今度は私が目を見開いた。
「君はここに来て、ここの方が生きやすいと思ったんだろう? ここの空気は君にあっていた。それの何がいけないんだ?」
「え……」
覆しようのない、強い肯定の言葉に何も言えなくなってしまう。
「そもそも、君はこの国の王に呼ばれたからこっちにきたんだろう? 逃げた、と言うより被害者だ」
「でも、それは……。私が『聖女』で、特別な力を持っていたから呼ばれたわけで……」
それに、フリッツさんは知らないけれど、こっちにくる事を私も選んではいる。
「聖女の仕事は終わった。もうこの国は聖女を必要としていない。そこから、誰かに依存することなく、自分の力で、この世界に馴染んで、居場所を作ったことは紛れもなく君の実績だ」
急に褒められたことで、顔が熱を持つ。フリッツさんの力のこもった真っ直ぐな視線が私を射止めるように見ていた。短い時間の間に落ち込んだり、恥ずかしくなったりして、心がペットボトルに入った水を思いっきり振った時みたいに泡立つ。
「い、あ……。ありがとうございます……。でも」
「本当に私はつむぐ殿のことを尊敬しているんだ。この国にいきなり召喚されても、こうやって地に足をつけて、店を立派に切り盛りし始めているところを、特にな。きっと……私では同じことはできない」
フリッツさんは相変わらずの無表情のはずなのに、私の目にはその表情の奥の陰りが見えるような気がした。
もしかしたら、フリッツさんは長い間変わることなく王城で騎士として働いていることに疑問を持っていて、どこかで自信が持てずにいるのかもしれない。
「私は、フリッツさんの方がすごいと思いますよ」
「え?」
「王城なんて、いろんな思惑が渦巻く機関で働けているなんて。きっとそこに適応する素質がないと続けることなんてできません。絶対私、同じことをやるの無理ですもん。だから……本当にすごいなって」
溢れでた言葉をそのまま装飾することなく、子供のような素直な言葉で紡ぐと、フリッツさんが息を呑んだのがわかった。
一瞬、あ、入ってはいけないところを踏み越えたせいで、不快になっちゃったかな? と心配になったけど、大丈夫。
だって、フリッツさんの表情からは、さっきの翳りが消えていたから。
「君は本当に容易く、私の悩みやもがきが詰まった人生を肯定してしまうんだな……」
「え?」
「いや。『聖女』でなくても、君という個人はこの世界に必要だな、と言う話だ。少なくとも私にとっては」
どきりと胸が跳ねた。
フリッツさんは私の頭をぽんぽんと優しく撫でた。まるで、彼の妹たちにしてきたかのような仕草だったけれど、男性にそんなことをされたことがない私は衝撃で息を呑む。
私、お店ばっかりに力を入れていたから、彼氏とか男友達とか(下手したら女友達もなんだけど)全然いなかったんだよね……。
そんな恋愛偏差値低め女子は、妹が六人いる女の子の扱いに手慣れた男性の動きに、固まってしまった。
「アッハイ……。ソ、ソウデスカ……」
あからさまに固まった私を見て、フリッツさんは何か思ったのか、少しだけ私から距離を取ってから、騎士服の上着の内ポケットを探る。
入っていた魔法陣はどうやら収納の魔法陣だったらしい。魔法陣が光ると、そこには今まで持っていなかったはずの、二人分ほどのオードブルのデリが出てきた。
「わっ……すごい、美味しそう……」
「今日はオープン当日ということもあって、疲れただろう? 夕食で食べられそうなものを買ってきたから、チャチャと一緒に食べるといい」
「えっ! そんな! 悪いですよっ」
私が断ろうとすると、オードブルという言葉を聞いたチャチャが、今まで違う部屋にいたのにすっ飛んできた。
「こ、これ……クリスカレン百貨店デパ地下のオードブルじゃないでしか……」
チャチャはオードブルの入った袋を見た途端、目を宝石の様に輝かせる。口元もよだれでじゅるじゅるだ。作業ズボンの後ろにちょろっと生えた尻尾もぶんぶん振っているし……。
「……そんなにすごいところのオードブルなの?」
「はい! 私はここのオードブルを食べるのが夢だったんでし! まさかこんなところで食べられるなんて……」
チラリとフリッツさんの顔を見たチャチャ。一瞬で表情が凍る。
「嫌いな私からの差し入れだけどな」
フッと、軽く笑うように言ったフリッツさん。それに対してチャチャはひたすら悔しそうな表情を見せる。
「くうぅ……。色々と癪ですが、食べ物に罪はありませんので耐えるのでし。それにあなたはつむぐしゃんにこれを差し上げたのでしょう? だったら、もうこれはつむぐしゃんのもので、つむぐしゃんが私に分けてくれるものなので、あなたとはもう関係ないものなのでし」
「屁理屈だな……」
なんだか二人の間の空気がバチバチしている。
今気がついたんだけど、この二人って仲が悪いの?
……それもちょっと意外な気がするんだけれど。
せっかく量のあるオードブルなんだから、フリッツさんも食べていけばいいのに、と思ったけれど、このまま王城に帰らなければならない様だった。
もらうばっかりで申し訳ないけれど、今日は久しぶりにお客さんを捌いて、クタクタなのでありがたくご好意を頂いておこうと思う。
フリッツさんを見送ってから住居のある二階へと続く階段を登る。
その途中、ふと、ポンと触られた頭を自分の手で触ってみる。
フリッツさんに触れられた場所がまだ熱を持っている様な気がした。
評価ありがとうございます。




