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23 いざ!商売開始


 花材が見つかってから、一週間後の今日。

 私とチャチャは花屋をプレオープンすることにした。


 全部何もかも完璧に揃えてからのオープンも考えたが、そもそもこの世界で何が受け入れられるのか、完全にわかっていないところがある。だったら、一ヶ月くらいお試しで店舗を開けながら、必要なものがあったら買い足したり、用意したりしながら少しずつ店らしくしていくのもいいかなと思ったのだ。

 チャチャが使う花切り鋏も無事に届いたし、資材もあるし、お店を開ける状況にはある。


 それに私がこの世界にいるか、いなくなるのかを決められる期間は一年間しかない。


 そう思うと、できるだけこの世界でいろんなことにチャレンジしてみたくなったのだ。

 ……前の世界にいた頃の私だったら、信じられないことかもしれないけれど。


 同じ通りにある新聞出版社にお願いをしてプレオープンのチラシを三百枚刷り、お隣のリンドエーデンに置いてもらった。

 開くと決まったのが急な話だったので、チラシもオープンまでには減らないだろうな、と思っていたのに、さすがは国一番の人気の仕立て屋、リンドエーデン。

 チラシはあっという間にはけてしまった。


 ……と、言うことは三百枚のチラシが誰かの手には渡っているわけで。


 お客様、来るといいなあ。


 開店日の朝、脚立を使ってフリッツさんからもらった花屋の看板を表に取り付ける。すると通りがかった街の人たちが噂話を始めるのが聞こえた。


「ここ、ずいぶん長いこと空き家だったが、新しい店ができるのか?」

「花屋? 花売りが店舗を持ったってことか?」

「そういえば、昔もここ、花を売る様な店があったなあ。同じ商売をここでするのか?」


 店の前で立ち止まる街の人を見るたびに、私はお店用の自分史上、最高の優しい頬笑みで「ぜひ、いらしてくださいね」と告げた。


 今日のオープンのために、前の日もその日の朝も大量の花をビニールハウスに取りに行った。

 それに加えて、昨夜と今朝チャチャと共にお試し用のお得なお値段の花束をしこたま作ったのだ。


 せっかくきたのに、お店に入ったら売り切れだったなんて、そんな残念な体験をお客様にして欲しくないからだ。


 通りすがる人たちに向けられた私の営業スマイルには、お願いです、こんなにも花束を用意したにもかかわらず、初日はお客ゼロとか、悪夢でしかありません……。誰でも、冷やかしでもいいからとりあえず、お店にぜひ来てください……と願いがこれでもかと込められていた。



 そしてやってきた、開店の時間。


 とってきた花を種類ごとに細身の桶に入れ、温度調整の魔法陣が貼られた飾り棚に並べると、前の世界の花屋に近い見た目となった。


「すっご〜い! 本当に一面お花畑の様でし」

「チャチャが手伝ってくれたおかげだよ」


 時間があれば、花束を作る練習を繰り返していたチャチャは、花を六〜七本しか使わないミニブーケであれば、綺麗に作れる様になった。

 ミニブーケは初めてきたお客さんがお試しで買える様に、五百円くらいのお安いお値段で売ろうと思っているから、チャチャが作れる様になったのは本当に嬉しいことだった。


 お店の入り口付近、通りがかる人の視線に留まりやすい場所に、チャチャが作ったミニブーケを置く。理科の実験に使うシャーレをそのまま大きくしたような形のガラスの花瓶は、この建物に元々あったものだ。きっと前の店主が使っていたのだろう。

 ミニブーケの切り口が浸かるように並べると、まるで小さな花畑の様でとても可愛らしい。


 私はこの時間も店の奥に置く、デイリーブーケ作りに励んでいた。

 賑やかし要員のお得用の花束とは違い、デイリーブーケはこの店の通常商品だ。

 その日使い切りたい花を千五百円から、二千円くらいの価格でまとめ、売り切りのブーケにまとめ上げていく。


 もちろん、贈り物をする相手のイメージに合わせて花束を作ることもしたいけれど、花屋で花を買うという体験をあまりしていなさそうなこの街の人に、初めからそれをやってもらうのは酷だと思ったのだ。


 黄色系にはチューリップとガーベラを、ピンク系にはバラを、青系にはブルースターと呼ばれるオキシペタラムをそれぞれ入れ、好みによって選べるように作った。


 日の光がだんだん、上へ上へと上がっていく。

 それにつれ、扉を開け、開店の準備を始める周りのお店も多くなってきた。


「てんちょ、そろそろ開けちゃっていいですか?」

「……チャチャ。本当に、お店では私のこと、店長って呼ぶの?」


 チャチャは二階の住居にいくと私のことをつむぐと呼ぶが、店の中では店長と呼びたいらしい。


「ええ! そうでしよ。あたち、公私混同はしたくないのでし!」


 むんっ! と胸を張って見せるチャチャ。彼女にとってそれが仕事の流儀なのであれば受け入れるほかない。


「さ、じゃあ開けようか。いつ開くのか、今か今かと覗き込んでいる人もいるみたいだし」


 入り口扉の前には、街の人が四、五人集まっていた。その後方にはどこかで見た顔——無表情だけど、仕草で私たちのことを心配しているのがわかってしまうフリッツさんの姿も見える。

 その姿を見つけた私は、嬉しくなってほくそ笑む。


「さあ、開店ですよ!」



 最初、店に入ってきたのは男性のお客様が多かった。


「うちの奥さんに、なんの店なのか確認してこいってせがまれてよ〜!」


 そう言って一番に店に足を踏み入れたのは、三十代前半くらいの男性だった。前の人がやっていた花屋に足を運んだこともなかったのだろう。物珍しそうに、店の中を見渡している。


「そうなんですね。ようこそいらっしゃいました」

「へえ、花売りが街で売っている花と違って、ここにある花はなんていうか……きちんと商品になっている感じがするなあ……。ちなみにうちの奥さんにちょっと贈るちょっとした花とかって用意してもらえたりするか?」

「ええ。もちろん」

「ただなあ……。俺はセンスがないからこの中から一本ずつ選んでってのは、難しそうだ……。花なんて送ったこともないしな」


 お! やっぱりそうきたか。用意していてよかったと私は内心ほくそ笑む。


「でしたら、こちらに出来合いのブーケがございます。色の種類をいくつか用意していますから、そちらからお選びになったらいかがでしょう」

「おおっ! 用意がいいなあ。奥さんの好きな色はわからないけれど、贈り物ならオーソドックスに瞳の色ってのがいいかな……。これを包んでくれ」


 お客さんはそう言って、黄色系の花束を手に持った。


「かしこまりました〜」


 最後におまけとして、ラフィアに似たリボンでキュッと手持ちの部分を結ぶ。

 お客さんはより一層プレゼントらしくなった花を見て、目を大きく開けて喜びの表情を浮かべた。


「ありがとな! 綺麗だな〜。うちの奥さん、絶対喜ぶよ!」


 お客さんの、ひまわりみたいな笑顔を見て「ありがとうございます」と心のそこから言いたかったのに、私は声を失ってしまったように何も言えなくなってしまった。


 私の異変に気が付いたチャチャが「てんちょ?」と心配そうに小突く。

 チャチャは自分が獣人だから初日の今日は店先に出ないほうがいいかもと言って、店の後ろに隠れるようにしながらミニブーケの補充作業をおこなっていた。しかし私の様子がおかしいことを心配して見に来てくれたらしい。


 私は声を出せないまま、お客さんが出ていくまで不器用に取り繕った笑顔を貼り付けていた。


 見かねたチャチャが慌てた様子で、ありがとうございましゅ、と代わりにお客さんに言ってくれる。


 お客さんは獣人の女の子が店から出てきたことに一瞬驚いた様子を見せてはいたけれど、特に咎めることもなく、また来るよ、と柔らかい笑みを浮かべながら言ってくれた。



 その後も、私たちは花を売り続けた。

 やっぱりチラシ以外でも、マダムが宣伝してくれていたらしく、私たちが想定している以上のお客様が来店したのだ。


 忙しい時間は考える間もなかったけれど、全ての花を売り切り、片付け作業をしていると急に、目から涙が出てきてしまった。


 今日、たくさん花で笑顔になる人を見たせいで、心が揺さぶられすぎてしまったのかもしれない。


 そっか。私は花が好きなだけじゃなくって、花を売ることで誰かが喜んでいるのを見るのが、好きだったんだ。


 私は今更、そんなことに気がついた。


 そんな素敵でキラキラしていたことを、ただの作業にしてしまっていたのは私自身だった。

 大好きだったはずの作業を、囚人の刑務作業みたいにして自分に罰を与えるかの如く、頑なになっていた。


 自分の『ちゃんとやっている』を免罪符にして、自分を苦しめて苦しめて、少しでも湧く『楽しい』を体から追い出そうとしていたのだ。


 そんなこと、必要なかったのに。楽しんでよかったはずなのに。


 どうしてか、そうしないと、私は世界から弾かれてしまうだろうと、被害妄想に駆られていたのだ。


 私みたいなちっぽけな人間を世界が弾くわけなんかないのに。


 世界ってやつは、懐が大きくて、テキトーで、人間一人一人の顔なんか、覚えていませんよ、という顔で眠そうに私たちを見ている。


 そんなちっぽけなことに今さら気がついた私の目からは、もっと大量の涙がボロボロと溢れてきてしまう。


 一度溢れた涙はなかなかとまらなかった。閉店作業をしている間も、表情を変えずに涙を流す私を見て、焦ったチャチャは、私に店内の片付けをするように言い渡して、外の片付けは全て一人で請け負ってくれた。


「ゆっくり、ゆっくり、できる範囲でいいですからね!」


 と、強めに言い残して。


 チャチャは仕事ができて、人の心に寄り添える、本当にいい子だ。


 片付けが一通り終わると、チャチャはまだポロポロと涙を流し続ける私をバックヤードに引っ張り込んで、ソファに押し込むように座らせた。

 前に置かれた小さな正方形のローテーブルの上に、店で使うために洗って綺麗に畳んでおいた、大量のタオルが入った籠を置いていく。

 私はありがたく、一枚抜き取り涙を拭いた。


 その様子を見たチャチャは、ふう、と安心したように息ついて、作業台の方へと走っていった。


 十分ほど経って戻ってくると、チャチャの手にはティーポットが乗ったお盆が保たれていた。ティーポットからは、ふんわりと優しい紅茶の香りが漂ってくる。


 どうぞ、と言われて、遠慮がちに口をつけると、その紅茶の味はこちらにきてから飲んだ中で一番香り高く、味も渋みがなくまろやかな、どう考えても品質の良さそうな品物であることに気がつく。


 どこからこんないい紅茶出してきたの? と聞くと、同じ商店街の雑貨さんの奥さんから開店祝いでもらったと言った。


 私の知らない間にチャチャは近所付き合いを行っていたらしい。チャチャは獣人だから差別されるし、人と関わるのが苦手だって言っていたのに、それを克服しようと、勇気を出して話しかけるようにしているらしい。


 なんて立派なんだろう。


「雑貨屋の奥さんは店を持つってことは大変なことだから、辛くなった時に飲んでねって言ってました」


 その言葉で、涙の量が増量してしまった。チャチャはそんな私を見て、ちょっとギョッとした顔をしていたけれど、変に深入りすることもなくそっとしておいてくれた。


 チャチャは私が思っている以上に大人だ。きっと大人にならざるをえない環境で育ってきたっていうのもあるけど。

 多分、私が花屋という仕事の楽しさを思い出せたのはチャチャのおかげもあると思う。


「てんちょ、本当に大丈夫でしか?」


 やっと涙が止まった私を見たチャチャ。


「ごめんね……、思ってたより、私お店を自分でやるってことを思い詰めていたみたい。でも今日、まだ私は、お店をやれるなって、再確認できたから。明日からは大丈夫」

「私も……、なんの役にも立たないかもしれませんけど、力になれるように頑張りますから! なんでも言ってくださいね」


 ふんふん鼻息荒く宣言をするチャチャを見て、眉を寄せながら笑ってしまった。


「もう、チャチャは十二分に私のことを助けてくれているよ」


 ——変わらないといけなかったのは、世界じゃなくて、私だったんだ。


 私はカップからにじむ、暖かな紅茶の温度を感じながら、空気に溶けそうな声で独り言のように呟いた。



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