19 絶対ここに住む!
全ての内見を終え、理想を形にしたような空間を目の当たりにした私は、しばらく夢見心地のままぼんやりと意識を漂わせていた。そんな様子を見たフリッツさんが後ろから声をかける。
「どうだ? 気に入ったか?」
「気に入ったどころじゃないですね。むしろ、ここじゃないと、嫌です」
私の答えに対してのフリッツさんの佇まいは、なんだか嬉しそうだけど、困惑したようにも見える。
「やはり、ここを気に入ったか……」
「え? 気にいっちゃだめでしたか?」
私が不安になって、眉を下げると、フリッツさんは首を横に振って否定する。
「いや、そうじゃない。ただ……陛下がおかしなことを言っていたからな……」
「? なんて言っていたんですか?」
「ここは君が使うための建物だ。君以外に使って欲しくはない、と」
「……なんですかそれ?」
だって、ここは王様のかつての恋人が使っていた建物なんでしょう?
なのに、私に使って欲しいって……。どういうことなの?
やっぱり意味わかんない。
*
どうしてここを借りられることになったのかはさっぱりわからない。だけど、ことの運びの順調さを表すように、三階から二階のリビングルームへと降りると、見慣れぬ男が立っていた。彼は王城からの使者だという。文官風の綺麗な顔をした水色髪の男は顔に人当たりのいい微笑みを携えて、待ち構えるように立っていた。
顔は笑っているけど、どこかひんやりとした冷たさを持つ美人、という表現が似合う、女顔の男性だ。
彼は騎士であるフリッツさんの群青色に近い青色の騎士服とはまた趣の異なる、冬の森のような白混じりの緑色のお着せを着ていた。
顔見知りなのか、フリッツさんは彼を見て、ペコリと一礼をする。
「あなたが聖女さまでいらっしゃいますか? お待ちしておりました」
「はあ……。あなたは?」
「私はケヴィンと言います。私の職務は……」
「彼は王城に勤務している、文官——主に王と王に基づく者の資産管理を担当している役人だ」
フリッツさんはケヴィンさんの言葉を遮る。フリッツさんは彼に対して、微かに警戒をしているように見えた。
フリッツさんによる紹介が終わると、彼は役人らしい綺麗な一礼を見せた。
普通であれば出会うはずのない立場の人間が、恭しく頭を下げている状況に、私は居心地の悪さを感じてしまう。そんな私の様子など全く気にしないと言った様子で、ケヴィンさんは話を続ける。
「聖女様、この建物は気に入りましたか?」
「あ……。はい」
緊張しながら、小さく返事をすると、ゆるりと柔らかい笑みを返された。
「それはよかったです。きっと、王もお喜びでしょう」
——だから……。なんで?
初対面で、私の瞳の色を見て残念そうな表情を見せ、そのまま何も言わずに退散した王様。
そんな彼が私を、どこか一歩引いた立場から庇護しようとしている理由を、目の前で薄い笑みを浮かべている、ケヴィンさんは知っている気がした。
しかしケヴィンさんは親切にわけを教えてなんてくれない。それどころか彼は、そんな私の訝る様子なんて気にしていない様子で、さっさと話を進めてしまう。
「では、気が変わらないうちに、契約をしてしまいましょう」
リビングに置かれた、白い革の二人掛けのソファに座ることを促された私は、チャチャを呼び、隣に座ってもらった。
ケヴィンさんは向かいの1人掛けのラタンチェアに座ることはなく、膝を床について、私と彼の間に置かれた、ローテーブルの上に植物紙でできた紙を広げる。
そこには契約の内容が書かれていた。
ざっくりいうと、この建物はあくまで貸家であって、私の持ち物ではないこと。この建物の家賃が、月十万エンであることなどが書かれていた。
十万エンって……。ここって王都の中でも、一番栄えている街のエリアだよね?
そんなに広くない建物だから、あんまりぼったくられるようだったら、抗議をしようと思っていた。しかし、あまりの家賃の安さに逆に驚いてしまう。
でも、もしかしたらこの契約に関わっているのは金銭感覚が鈍いお貴族様ばかりなのかも……。わざわざ指摘したら、じゃあもうちょっと高くしましょうかという流れになりそうなので、ここは大人しく黙っておくとする。
「ここに署名をいただけますか?」
大人しく自分の名前を渡された羽ペンで書く。
名前を書き終わると、書いた文字が一文字ずつ金色の光を帯びながら宙に浮き上がる。
何これ……。これも魔法なの?
目をパチクリと瞬かせていると、文字はまるで天に立ち登る龍のように姿をかえ、しゅるりと空間に溶けるように消えてしまった。
それを見て文官の男性達はやり遂げたような表情をして、こちらに向き直った。
「ではこれで契約完了ということで」
この瞬間、私はついに異世界で、自分の建物を手に入れたのだ。




