14 チャチャ
獣人の少女は、チャチャと名乗った。
年齢は十歳。この世界は一年が以前いた世界より少し長いから、前いた世界年齢で考えると十一歳ちょっと。
私は一人ぼっちで居て、日頃から差別を受けているというチャチャの境遇を聞いた時。
どうしてもその境遇が他人事だと思えなかったのだ。
*
私は青い目に生まれたことで、差別を受けることが多かった。
黒髪黒目が多い場所で、違う見た目を持ちながら生きていると、どうしても差別は受けてしまう。その中でも一番辛かったのは、中学生の頃、生活指導を担当していた先生から受けた差別だった。
「加賀谷紡。どうしてお前は中学にカラコンなんかしてくるんだ」
私はその突飛な発言に驚いて目を丸くしてしまった。
「カ、カラコン? この目は自前ですけど?」
何も後ろめたいことはない。なのに、責めるような先生の口調がものすごく怖くて、私は怯えを表に出してしまった。
「だったら、なんでそんなに挙動不審なんだ。」
——先生はそのまま、私の眼球に手を伸ばした。
私の眼球をそのまま触り、表面をえぐるように触ってきたのだ。
「ぎゃああああああああああ!」
私は腹の底から声を出して暴れた。
頭おかしい! なんで人の目に直接触ってくんの!?
その声の必死さに気がついた他の先生が一体なんの騒ぎだ、と駆け寄ってきたおかげで、騒ぎが他の先生にも知られることになった。
私は角膜に傷がついて、一時期眼帯で過ごさなければいけなくなった。
その先生は昔から髪が茶色かったり、目の色素が薄い生徒に対して、体罰とも取られかねない行動を起こすことで有名だったそうだ。
「加賀谷は顔は日本人顔なのに、目が作り物みたいに青かったので、あれはカラコンだと思った」
事件の後、先生はそんなことを言っていたと聞いた。
作りもの。そうか、あの先生の目には私の目が作り物に見えたのか。
先生は教育委員会から処分を受けて、一度私のいた学校からはいなくなったんだけど、処分明けからまた教職に戻ったらしい。それに対して私は自分のように、悲しい思いをする人がこれからでなければいいな、と思うしかできない。
私はその事件でショックは受けたけど、それ以上にショックだったのは、私の怪我を見たお母さんが涙を流して泣いたことだった。
「ごめんね、紡。あなたにこんな辛い思いをさせるなんて!」
「……大丈夫」
「あんたの目は世界で一番綺麗だからね!」
お母さんがそう言い続けてくれたから、私は『自分はこの見た目のまま生きていていいんだな』と徐々に思えるようになっていった。
でも、お母さんが亡くなって、私は心の拠り所を失ってしまった。
世界の中から数少ない心を通わせられる人が、また一人消え、ひとりぼっちだなと感じる機会が増えたように感じた。
より一層世界とのつながりが薄くなったように感じられ……。まるで、ボラードに繋がれた縄が一本ぶちりと切れ揺れる船みたいに不安定で、どこか遠くへ行ってしまいそうな気分だった。
縄を切られた私はそのまま、海を離れ、遠くに出港してしまいそうなくらい精神を揺らしていた。
だから私は今、こんな常識が違う異世界に一人で迷い込んでしまったのかもしれない。
獣人の少女チャチャに出会った瞬間、あの時に感じた虚無感と切なさが一気に揺り戻されたと同時に、その穴を強引に埋め戻されてしまったような感覚に陥った。
多分、私が埋めたかった部分を、ぴったり埋めるのは同じ経験をした彼女だ、と根拠のない確信が雪崩のように襲ってきてしまったのだ。
私は自分がお母さんに支えてもらっていたように、この子を守るべきなんじゃないかって。
*
それで、あんなことを言ってしまった。
「一緒に暮らさない?」
なんて莫迦なことを。
自分でもこの世界に来たばっかりの分際で、守るべき人を作ってしまうなんて馬鹿なことをしているんだろうという自覚はあった。だって私はまだこの世界にきたばっかりで、定職にだってついていない。そんな状況で誰かと、しかも、庇護すべき子供と住むなんて。そんなの無謀すぎる。
だけど、チャチャの宝石のような潤んだ瞳を目にしたとき、衝動的に言葉が口から出ていた。
彼女を、一人にしちゃいけない。私はあの寂しさを知っているもの。そんな気持ちが心の底から溢れるようにやって来た。
きっとここで、何事もなく別れて、彼女と二度と会えなかったら後悔すると思った。
自分が何か楽しいことを見つけて、それに没頭したとしても、ふとした瞬間に「今、あの花売りの少女は何をしているんだろう」と考え、ああ、あの時あのまま帰さなかったら、と後悔するに違いない。同じ場所を通るたびにあの子は元気にしているだろうか、と気にし、連絡方法を聞いておかなかった自分に嫌気を感じていただろう。
ちょっと話は違うかもしれないけれど、私はチャチャに声をかけて初めて、街で女の子にナンパをする輩の気持ちがわかった気がした。
彼らは刹那的に訪れる運命を探し求めているのかもしれない。それがその瞬間だけ繋がる薄い繋がりであっても、時間を共有したと言うことは彼らにとって何よりも尊いことなのだろう。
我に返って、それに一方的に巻き込まれた、チャチャは可哀想だな、と思い直す。彼女の顔を眉に力を入れて覗くと、彼女もなぜか、私と同じような顔をしていた。
必要なものを埋められた時の顔。
一人きりの時は自分を守るのは自分だけだから、心がどんな争いにも負けないように梅の種のように硬い外皮を持たなければならない。でも、私について行くと決めた時、チャチャは硬く結ばれた糸が解けるような柔らかさを見せた。
その顔を見たときに、私はやっぱり彼女と一緒にいるべきだったんだ、と思った。
*
気がついたら、私とチャチャは手を握りあっていた。
二人とも、一瞬で意気投合。一緒に暮らす気満々になっていた。
「やれやれ……。初日で面倒ごとを起こすところを見ると、あなたは紛れもなく聖女様だな」
そんな私たちを見たフリッツさんが呆れた声音で言った。
「でも、誰かに危害を加えたりはしていませんから」
「それはそうだが……。危なっかしくて心配だ」
フリッツさんはふう、とため息をつく。
「……とりあえずあなたにこれをお渡ししておく」
そういって手渡されたのは、月桂樹リースのような彫刻が掘られた、500円玉サイズの金色のメダルだった。
「これは……?」
「この世界においての君の身分証明書のようなものだ。同時に君が聖女であることを証明する印でもある。今後、店をやるとしてもこのメダルを見せれば、ある程度融通が利く」
「……無くさないように気をつけます」
「決して君の手から離れないように、魔法がかかっているから、なくす心配はない」
フリッツさんはそういって、もっていたお金が入った布袋を私に手渡す。
「何日か生活できる分の金はこの中に入っている。やりくりして使ってくれ。街の役所で先ほどのメダルを見せれば、残りの報奨金も引き落とせる仕組みになっているからな」
「色々、ありがとうございます……」
「くれぐれもあの子に隙を見せるな。獣人の中には貧しさゆえに盗みを働くものもいる」
嗜めるような言葉を受けて、私は眉間に力を入れた。
「あの子が盗みを働くとでも?」
怪訝な顔のまま、私はチャチャに視線をやる。チャチャは、フリッツさんから代金として支払われた、十エンを光に照らされた湖のような、キラキラとした目で見つめていた。
多分、あの子があんなに嬉しそうなのはあの十エンが自分で稼いだお金だからだろう。きっと彼女は私のお金を盗んだりはしない。そう私は信じたかった。
きっとその純粋さはフリッツにも伝わっているのではないだろうか。
「君は他人をすぐに信用しすぎるところがあるな……。ほいほい引っかかってくれるな。あの獣人の子供にも、俺にも」
「フリッツさんのことも?」
「そうだ。世界にはいい人ぶって近づいてくる悪いやつがいっぱいいる」
どこをどう捉えれば、フリッツさんが悪い人になるんだろう……?
もしかしたら、今は表面的にいい人感を出しているだけで、腹の底では私を利用しようと思っていたりするのかな?
……でも、もしそうだとしてもそれでいいや。
悪いことをされたとして、それは騙された私が悪いんだから。私は頭が良くないから、自分の目で見た情報でしか物事を判断できない。
以前の世界で花を市場で買っていた時、先輩同業者に、あの生産者さんは質の良い花を出すから買っておけ、と言われたことがある。
先輩には今までもお世話になっていたし、間違いはないだろうとその言葉を信じて、花の状態をよく確認せずに買ったら、値段の割に花がついている量が少なく、がっかりした経験が私にはあったのだ。
だから、私はどんな時も、最終的には、自分の目で物事を決めることを信条にしている。
「騙されたら、一人で泣くからいいんです」
キッパリ言い切るとフリッツさんから困惑した様子が感じられた。
「一人で泣くな。私でもなんでも、人を頼れ」
今日、会ったばっかりの女にこういうこと軽く言っちゃうなんて、フリッツさんってほんと根が優しい人なんだなあ……。
フリッツさんは最後の最後まで、私がチャチャと暮らすことを心配していたみたいだけど、最後は押し負けて帰っていった。
このお話はもちろんフィクションです。
でも似たようなことが現実では起こります。
今日は夜多めに更新します。




