10 自分の意思で決定しよう
「え、そんなに簡単に店って出せるんですか?」
実は私、新店舗開店準備というものを生まれてこの方体験したことがない。
前の世界にいた頃の店だって、母から受け継いだもので、あって自分で開いた店ではない。
店を作るのは簡単でも店を続けるのは大変な苦労が発生する。
それに前の世界にいたときに、定期的に新規商店街組合に入会する人はいたけれど、その八割以上が三年ももたずに店を閉めていた。私よりも年上で、マーケティングに長けていたり、経験豊富な人もいたのに。それでも、潰れてしまうことがあるのが、商売というものだと私は身にしみて知っていた。
だから、店を開くという未経験な事柄に立ち向かおうという気にはならず、一瞬脳裏にはよぎったが、選択肢からは外していたのだ。
しかも、ここは道理も法も以前とは異なる、異世界なのだ。尻込みしてしまうのも当然だよね。
ポカーンとした、ハニワみたいな顔で尋ねた私に、フリッツさんはなんともなさそうに答える。
「ああ。ある程度資金があれば、この国では店を出すのは簡単なんだ。貴族のご夫人から農民上がりの人間まで、この街にはいろんな人間が店を出している。君が聖女だからってそれをとやかくいう人はいないだろう」
ほんとかな……。
ちょっと信じられないけれど。
「ちなみに、私の母も今は侯爵家の貴族だが、元は一人で織物を取り扱う商会を営んでいた女店主だった」
「そうなんですか⁉︎」
「ああ。今も妹の一人がその商会を受け継いで切り盛りしているな。少し前の時代だったら女性が店を取り仕切るというのは難しかったのかもしれないが、今はそれほどでもない。頭金があれば、王都の中でも店が借りられるだろう」
ははあ……。そういうもんなんだな……。
日本に暮らしていた頃でも、女一人で店を営んでいる人は珍しいって言われていたけど、こっちは日本よりも女性の社会進出が進んでいるのかな?
だったら、そういう女店主がいる店で一度こちらの世界の経営を勉強をさせてもらった方がいいのかな……。それこそフリッツさんの妹さんとか……紹介してもらって……最初はバイトから……。
考え始めると、心の中がものすごくもやもやしてくる。
うう……。なかなか決心がつかない。
物事を決める意思が弱くて、自分の意思とは関係なく『なんとなく周りから見たときに正しそうな選択肢』を選んじゃうのは私の悪いところだなあ……。
でも、よくよく考えたら知らない国で、誰かに頼りながら生きるという選択肢も私にはハードルが高いよね?
ここでフリッツさんに妹さんを紹介してもらったとしても、もし万が一、気が合わなければ、フリッツさんに角が立っちゃうもん。
だったら、今までの経験を信じて自分の店という名の城を更地から建ててしまった方が手っ取り早いんだ……。それはわかっているんだ……。
……そうなると、できる職業はもちろん花屋しかないんだよね。
異世界まで来て、花屋やる? あんなに私、このまま一生花屋だけをする人生でいいのかな? って悩んでいたのに……?
でも実際問題、それ以外のことを、ちゃんとプロフェッショナルとしてやっていける自信なんてないんだよね。
フリッツさんと買い物をしながら、街の人たちを観察して思ったけれど、この世界では結構若いうちから働いている人が多いみたい。
前の世界であれば、小学生くらいかな? っていう背丈の子が、背負い籠もって、行商している姿だって何度も見た。大人からの値切り交渉も商品の利点をきっちりと説明して、その値段である意味を理解させてしまったりする。
そんなふうに長い年月働いて知識と技術を身につけた人たちがいる世界だ。今、私が一から知識と技術を身につけようとしたって、勝負になりっこない。
だったら、得意分野で攻めるのが一番だ。
色々ぐじぐじ悩んでも、これでいいのかなと思って眠れぬ夜を過ごしても。ちゃんと手を動かし続けて来た、私の体には、花に関する技術が染み込んでいる。
あの苦しい日々の中で、色気づかずに、実直に店を守っていた灰色のワーカーホリック暮らしを、がむしゃらにやり続けてきた時間だけが、異世界にきても私を裏切らずにそばにいるってことか……。
なんだかもにゃっとするけど、人生ってきっとこういうことの連続なんだろうな。
少しずつ、私の心は花屋をやる方向に傾き始めていた。
……でも、待てよ? 異世界って花の種類も同じなのかな。
違ったらこの世界の花を勉強することから始めないといけないよね……? うう……。大変だあ……。
まあ、前の知識がまったく役に立たないってことはないんじゃないかな……。と、甘く見積もって、折れそうな心を慰める。
不安は山のようにある。
でも、ちょっとだけ。ドキドキするのは何故だろう。
新しくて不思議な世界に突然放り出された時特有のハイなテンションが私をたぎらせている。
縋るものがない今、頼れるのは自分の腕だけ。
私はこの世界でどれだけ夢を見られるだろう。
真新しくて、なんでもできる世界で私はどれだけ通用するのか、試してみたい気持ちが微かでもあるのかもしれない。
震える声で、私はフリッツさんに尋ねる。
「……私はこの世界で店をやれると思いますか?」
「ああ。俺も、できるだけサポートをしよう。だが、以前に店主としての経験があるのなら、さほど難しくないのではないか?」
その言葉を聞いた私の意思は固まり始めていた。
——この世界で、花屋を私はやりたい。
これは私の選択だ。
私は、誰かにやらされたわけでもなく、仕方なくこうなったのでもなく、自分の意思で私は進むことを決めたのだ。
「私、この世界で花屋をやります!」
夕焼けが背中を照らす中、私は高らかに宣言をした。
次は十二時ごろまたアップします。
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