見習い魔女と輝く街
「お、今日は一段と濁ってるわね。何か大きな天災でもあったのかしら」
アレクシスの言葉を聞きビアンカは辺りを見回す。見る限りこれといった異変はないが、どこか空気が淀んでいるような気配がした。
「アレクシスさんは見えるんですか?」
「もちろん。私を誰だと思ってるの、ビアンカ?」
ビアンカの師匠であるアレクシスはふふんと笑うと荷物を地面に置き始める。
新月の夜、魔女は邪気で溢れた街を浄化する作業をしている。それが職業という訳ではなく、一部の魔女に与えられた役割みたいなものだ。
邪気は人々の負の感情から発生するもので、これを放置していると世界が歪み人間界にも魔法界にも甚大な被害を及ぼすと言われている。
アレクシスのような力の強い魔女は邪気を目で認識することが出来るが、ビアンカレベルの魔力では気配として感じることくらいしかできない。そのため、この浄化作業には必ず一定レベルの魔女と共に任務に当たることを義務付けられていた。
「この辺りなら問題なさそうね。さっさと浄化終わらせちゃうから、ビアンカも手伝って」
そう言われると、ビアンカはアレクシスが置いたカバンの中からキャンドルを取り出す。その横でアレクシスは慣れた手つきで魔法陣を書き始めた。
アレクシスは力の強い魔女として、魔法界でも名の通った魔女である。名門魔法学校を首席で卒業しており、魔女になるための試験も当然のごとく一発合格。いわゆるエリート魔女というやつだ。しかし彼女はエリートコースには全く興味がないらしく、首都の繁華街で小さな飲み屋を経営していた。経営というと聞こえは良いが、大酒呑みとして知られる彼女は昼過ぎから店の酒を飲み始め、実際の業務の7割は彼女の友人であるフェリシアがこなしているのであった。
そんな彼女は時に大酒呑みの落ちぶれエリートなどと呼ばれていたが、こちらに関しても本人は全く興味がないようであった。
ビアンカはアレクシスの描く魔法陣の外側にキャンドルを並べ始める。
今まで見たことのない魔法陣だ、とビアンカは思う。魔法学校でも習ったことのない、複雑な魔法陣だ。
するとビアンカの視線に気がついたのか、アレクシスは長いグレーの髪をかきあげるとビアンカに声をかけた。
「想像以上に邪気が多いから、上級の魔法陣に更にアレンジを加えてるの。まあビアンカにはまだ早いけど、覚えておいて損はないわよ。あ、キャンドルは通常通りの配置で構わないから」
そういうと再び魔法陣を描き始める。さすがに今日は酒を飲んでいないのか、アレクシスはしっかりとした手つきで魔法陣を描いていく。
10分ほどして、無事魔法陣は完成した。
どうやらアレクシスは肩が凝ったらしく、しばらく肩をぐるぐると回している。ここまで細かな魔法陣を描き上げたのであれば当然と言えるだろう。
「さてと。始めるわよ」
そういうとアレクシスは魔法陣の中央に立つ。
それを見たビアンカは先ほど置いたキャンドルに魔法で一気に火をつける。
アレクシスが静かに呪文を唱え始めると、魔法陣がうっすらと光を放ち始めた。最初は弱々しい光だったものの、その光は徐々に明確なものとなり、アレクシスに覆いかぶさるように大きな光となっていく。
魔法陣から放たれる光はその魔女自身の心の色を表すといわれている。古くからの言い伝えでありその信憑性は不確かなものであるが、ビアンカは昔からその言い伝えが好きだった。
アレクシスを包む光は淡く澄んだブルーで、普段の彼女からは想像ができないほど繊細で美しいものであった。
まるで邪気払いをしていることなど忘れてしまいそうなほど、暗闇の中で輝くその光は幻想的なものだった。
アレクシスの魔力が増す。
光に見とれていたビアンカはその魔力の強さに一瞬ふらついたが、なんとか持ちこたえ体勢を整える。
想像以上の魔力の強さだ。魔力の弱いビアンカにとっては集中しなければ立っていることすら危うい。
今日は一段と濁っている、とは言っていたが、まさかここまで彼女が力を出す必要があるとはビアンカは思ってもいなかった。
アレクシスは目を見開き、空に向かって短い呪文を呟く。
するとアレクシスを覆っていた光は空に放たれ、その場は再び暗闇となった。
「終わったわ。よく倒れなかったわね」
「はい、なんとか⋯⋯」
「じゃ、帰るわよ。大仕事が終わったからたっぷりお酒を呑まなきゃね」
その言葉にビアンカは苦笑いをすると地面に置いたキャンドルを回収する。
アレクシスはよほど早く帰りたいのか、すでに箒に乗りふわふわと浮いている。
「片付け完了です!」
ビアンカの言葉にアレクシスはうん、と頷くと箒を急上昇させた。ビアンカも急いで自分の箒に乗り、アレクシスの後を追いかける。
天空から見る人間界は綺麗なものだ。至る所でキラキラとした光が溢れている。
「どうして邪気は発生するのでしょうか」
「まあ私たちみたいに魔力で自分の心を浄化できないからね、彼らは。もちろん私たちだって完全にそれが出来るわけではないけれど」
ふうっとアレクシスはため息をつく。
「でも、浄化をしないと世界が歪むほどの影響が出るなんて、そんな邪悪なものを彼らが発しているとは思えないです」
人間のことはよく知らないですけど、とビアンカは付け加える。
人間界にはまだ数回しか来たことのないビアンカには、人間に対しての知識もほとんどなかったが、今までに見た人間は皆穏やかそうに見えていた。
「うーん、そうね。でも悲しみだったり、憎しみだったり、絶望感だったり。そういう負の感情って外側からはなかなか見えないものなのよ」
「アレクシスさんがお酒切れてイライラしてる時はわかりやすいのに」
「あら、失礼なこと言うわね」
アレクシスはジロリとビアンカを睨む。
「えへへ、ごめんなさい」
「まったく。でもあたしみたいにわかりやすい人種もいれば、そうじゃないのもいるってことよ。特に人間はね。ニコニコしてたって、負の感情で心が飽和寸前の人もいる。だからと言ってそんな人たち全員を救うことは出来ないけれど」
アレクシスは遠くを見つめている。その横顔はどこか悲しみを帯びているようにも見えた。
「⋯⋯だけど彼らが邪気に飲み込まれないように、少しでも綺麗な明日を迎えられるように、些細なことかもしれないけど、あたしたちみたいな力のある者は手を差し伸べる必要があるの。例え世界が歪むことはなくてもね。些細なことが誰かを救うきっかけになるかもしれないから。ーー少し話が逸れたわ。さっ、急ぐわよ」
そう言うとアレクシスは急に箒のスピードを上げる。ビアンカはアレクシスに追いつこうとするものの、なかなか追いつけない。
相当な集中力で箒を操っていたものの、アレクシスに追いつくのは難しそうだと判断し、ビアンカはスピードを落とした。
ビアンカはゆっくりとしたスピードで箒に乗りながら、下を見下ろす。
やはり街はキラキラとしていて、さっきまで邪気が渦巻いていたのが嘘のようだ。
自分とはほとんど関わりのない世界。
だけどいつか、一人前になったら自分も見知らぬ誰かを救うことが出来るのだろうか。
ビアンカは輝く街を見下ろしながらそんなことを考えていた。