ノルウェーのなんとか
でもやっぱよく考えたら文章が上手くなるんだとしても文章書く勉強なんかしたくないわ、俺。そしたら太宰とか三島とか谷崎とか吉本バナナみたいなスカした文章になっちゃうんだろ? それはどう考えてもくそダサイだろ。いや、そーいうのが「素晴らしい」もんだってのはわかってるよ、頭では。でもさ、ちょっと考えてごらんな。一般人の彼女とかに埴谷雄高の素晴らしさ語れるか? 間違いなく相手は引くぜ。どんな素晴らしくたって、その時点でダメじゃん。一般人に語っていいのは村上春樹までだよ。そしたらさ、「読者が悪い」とか言うんだよな。そんで錦の御旗が「活字離れ」。俺に言わせれば違うね。問題は内容だよ。特に純文学ね。テーマが時代とか精神とか、別にいいけど普通の奴はそんなことばっか考えてる主人公に共感なんかしないぜ。普通の奴もたしかにちょっとはそんなことも考えるけど、小説に出てくる奴はそれがなんつーかディープでサイコ過ぎるんだよな。作家自体は実際にそうなんだろうけど、読者にはリアリティのない話だよ。それでもいいって態度で作品書いてんだとしたら、自分の本売る気あんのかってコトだよな? 俺がそういうこと言うとアンタら商業主義だって非難するけど、純文学だって商業主義とは無縁じゃないぜ。だって作家は本の生産にかかるコストをほとんど負担せずに、報酬だけは受け取るわけだからな。じゃあせめて出版社に損させないぐらいの利益出すような作品を作るってことは、作家にとって当然の義務じゃない? 俺が言ってるのは最低限の儲けの話だから、商業主義っていうよりも採算主義だよ。でも採算に合わないものはどんどん切り捨てろって言ってるわけじゃないよ。純文学とかって最近儲かってないらしいけどさ、それでも必要だってんなら補助金を付けるなりなんなりして保護すりゃいいじゃん? ただ、商業ベースの創作からは撤退しないとな。また復帰できる可能性もあると思うから、俺はそれでいいと思うね。
売れりゃいいってもんじゃないけどね。単に好みの問題になるけどさ、最近売れてる純文学の路線で60年代モノってあるよね。俺は不思議でしょーがねぇんだ、いったい何がいいんだ?あんな時代。俺は70年代の生まれだけど、70年代のビンボー臭い雰囲気だってまっぴらだぜ。ガキのころは金ないからポケットの中には糸クズしか入ってなくて、それでしょうがなくて道でキャッチボールしたり石でガリガリ落書きなんかしてたんだぜ? 今みたいにスーパーファミコンやなんかバンバン買ってもらえんならそっちの方がいいに決まってるじゃねえか。60年代っつったら、それよりもっとヒサンな時代だろ? 月に一回近所のラーメン屋とかに外食に行くのが楽しみだったりしてよ。そういう小説でビートルズとかマルクスとかやたら出てくるのは、そんなビンボ臭い時代でもなんとかハイカラなもんにしがみつこうとしてたって感じで笑っちゃうな。一般的な日本人は、その頃は美空ひばりとクレイジーキャッツだろ。別に「ノルウェーのなんとか」って、ブームの先駆けになった作品が悪いとは思わんがね、雨後の竹の子みたいに類似のやつがどんどん出てきたじゃん。そいつらみんな60年代のロマンを売りにしてたけど、ねえよ!あの時代にロマンなんか。汚ったねぇ時代だったんだぜホントは。俺は親父から60年代の話いろいろ聞いたけど、奴は戦中派だったからいろんな時代を経験してて、奴の視点では60年代も相対化されてて特別なもんじゃなかったと思うね。しかも労働者階級だからね、幻想は見るな現実だけを見ろって親父から叩き込まれたね。そういう目で見れば、60年代になんの付加価値もないね。ビンボーな時代だったって言ったけどさ、その前はもっとビンボーだったんだからあの時代が特別ってこたぁねえよな。とにかく俺は80年代以降、オシャレでリッチでアーバンな生活ができるようになったのは非常に有り難いね。まあいろいろと不満はあるけど現状をなんとかしようと思うだけで、最近の懐古バカみたいに60年代に戻りたいなんて思わないね。