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吹雪のあとの桜

作者: 鳥位名久礼

挿絵(By みてみん)

by.フーフーさま

右:徳一吹雪(艦これより)

左:前田かなで(主人公・オリキャラ)


 一


 今年の桜は遅かった。

 先日は三月だというのに、冬がひとつ忘れ物をしたかのように吹雪が降って、膨らんだ桜のつぼみを風邪引かせたのだ。

 まだ二分咲きくらいの桜のなか、わたしは、まぶしいくらいに白い襟の、真新しくてモダンなセーラー服を着て、通い慣れたけれど様変わりした校門を入った。


 二年間通った母校が、別の学校になってしまうなんて――入学した時には露ほども思わなかった。

「わが東舞鶴高女(こうじょ)は、今年度一杯で閉校します。来春四月からは、海軍さんの女学校とされることとなりました」

 寝耳に水な知らせを担任の馬場崎先生から聞いたのは、十二月、二学期終業式の朝だった。

「予科一年生の募集要項は、今年度で満十四歳・高等小学校卒業または高等女学校二年修了――とのことですから、いま高女二年生の皆さんは、ちょうど一期生として“入学”できますね――もちろん、全国からの並みいる文武両道優等生との入試大合戦に見事打ち勝てば、の話ですが」

 なにそれ、実質無理っていうことじゃない……。

「実はわたくしも一般科目教諭として試験に志願してみるつもりなのですが……望みは薄いでしょう」

 先生はくすっと笑って、続けた。

「晴れて――いえ、桜と雪がいっぺんに降りでもしたら、お互いまたこの学び舎でご一緒しましょうね」

 追い出された東舞(とうまい)高女の生徒は、汽車で一駅離れた西舞鶴高女に統合とのこと。この戦時非常の時代に、高等女学校は「不要不急」とみなされて、両校とも生徒数が三割くらいに減っていた。お役人さんにとっては、ちょうど良かったのかもしれない。

 でも、貧乏庶民の我が家にとっては、一駅分の定期汽車賃も負担が重い。父に何て話せばいいかしら……。それ以前に、通学が徒歩五分から一時間以上になんてなったら、朝早く起きられないし、休み時間に忘れ物も取りに帰れない……と、考えるだに気が重い。


「そうか、それなら駄目で元々と思いきって受けてみたらええが」

 父の反応は意外だった。

「無理!」

 反射的にちゃぶ台を叩いてそう叫んでから、冗談を真に受けてしまった……と赤面した。

 けれど、父は意外や意外、いつもみたいに、ほ~れかかったと大笑いするでもなく、

「かなはこないだも国語の満点を取るくらい優等生やし、トランペットも吹けるけえ、立派な喇叭手になろうで」

 少し微笑んで煙管を吹かしながら目を逸らした。真面目な話をする時の照れ隠しの仕草だ。

「無理無理!!」

 こちらも少し真面目に答えた。正気じゃない。いくら総合点は良くても、理数系は苦手、運動は水泳以外はからっきり駄目……第一、「神武此方前代未聞、東洋随一のとんま級長」という名誉称号を頂戴したわたしだ。

「まあまあ、度胸試しだと思って……」

「無理ったら無理~!」

 もう一度ちゃぶ台を叩き、募集のチラシを取り上げて、自分の勉強机に駆け込んだ。

 息を整えつつ、ふとチラシを見ると……

――学費無料 尚低所得家庭ハ入試費・寮費・給食費・制服費等減免有リ――

という字面が目に止まった。

 父め、一人娘を身売りするつもりか……お父ちゃんのあほ!

 とはいっても、確かにこのご時世で下層庶民が高等女学校に通わせてもらえているのはありがたい。本の虫で、勉強しろと云われなくても好きなものは勝手に覚え、成績も気まぐれにいい点を取ったり取らなかったり……そんなわたしのことを、父も母も評価してくれていた。

 戦況が悪化してから、家業の本屋はあがったり。古書買い取りはあっても売れはしない。今年度はいよよめでたく免税だ、と先日父も算盤を弾きながら溜め息をついていた。仕方なしに、父は海軍鎮守府の書記雑務、母は同じく厨房に、交代で勤めるようになった。

 鰻の寝床式町家の二階の窓辺に頬杖ついて夕暮れの町を眺めながら、わたしも溜め息をついた。


 結局……受けに来てしまった。

 どうしてこうなった。

 海軍女学校を受験して落ちたなんてことが知れたら、学級のみんなからひやかされること請け合い。周りを気にしつつ身を縮こめて校門をくぐるも、浮く……。

 この雪深い港町が、水兵さん以外でこんなにセーラー服のひしめくのはいつぶりだろう。わたしが東舞高女に入学した年の暮れには真珠湾攻撃、世界大戦が始まって、世の中はだんだんカーキー色になっていった。学生服も私服可になり、うちはただでさえ貧乏なので、セーラー服一式は二年生にあがる時に売り払って、よれた着物と少しばかりのお米に換えてしまった。

 それに比べて案の定、周りはいかにも良家かつ優等生、しかも男勝りで性辛(しょうから)げなお嬢様ばかりだった。浮く……こんなお嬢様集団に、まかり間違っても入ってしまった日には、さぞかし浮くこと請け合いだ。

 〽受~かるも落ちるも く~らや~みの~

  身~のほど知らずの し~けん~なり~

 うん。気合入れに腕を振り振り行進してみても、不安しかない。


 筆記試験はまずまずできた。苦手な数学も、難しい数式は少なく、わりとできる幾何や証明の問題がほとんどだった。しかも、店番で手慣れた算盤まで使用可だった。

 小論文の課題は「軍ト平和ニ就テ」。トルストイの『戦争と平和』を思い返しつつ、適当にさらさらと放言を書いた。

(要約)――筆頭極めて僭越ながら、私は戦争が嫌いです。軍というものも、極論では無くて済むのならば無くなってしまうのが善いと思っています。しかし現実から目を逸らさぬならば、少なくともこの現状、郷土を護り平和を維持するために軍事力は不可欠、いわば必要悪です。『戦争と平和』のピエール伯爵のように、私はこの目・この身を以て、戦争というものの現実につぶさに向き合いたいと志願する者です。「戦争はお愛想ぢやなくて、人生に於ける最大な醜悪事だ。吾々は此の点をよく理解して、戦争を弄ばないやうにしなきやならん。」軍人また為政者たるものはあまねく、この至言を心に留め、何よりも先に平和を真摯に希求すべきであろう、さすれば戦争の惨禍も最小限となり、ひいては完全ならざるとも大局においては、世界平和が実現し得るであろう、と愚考する次第であります。――

 面接はさらに緊張したけれど、お愛想で乗り切った。

「まいど……やなくて、失礼いたします!」

 店番で大人と話すのは慣れているけれど、つい商売人じみてしまう。

 面接官の先生は意外にも、若くて優しそうな女の先生だった。

「ご機嫌よう。……出身校とお名前を仰ってください?」

「はわっ……失敬いたしました! 『東舞鶴高等女学校二年一組、前田(まえた)かなで』、であります!」

「あら、この学校の方ですね。このたびはお借りすることとなって、申し訳ありませんねぇ」

「いえいえ! めっそうございません」

 いけない、気を引き締めなきゃ……先生のおっとりしたペースに乗せられて、調子が狂ってしまう。

「さて……あなたが卒業される頃には、この戦争も終わっているかも知れません。そこで、あなたの夢・戦後の展望は何ですか?」

「んと……世界中を巡って、国際大観艦式をすることです。ドイツもイタリアも、アメリカもイギリスも、みんな一緒に……世界平和のために、です!」

 七年前に神戸に観に行った特別大演習観艦式を思い出して、思わず前のめり気味で言った。

「素晴らしい夢です。ぜひ実現されたいですね」

 ちょっとでしゃばりすぎたかな……と心配したけれど、先生は微笑んでそう仰ってくださった。

 さて、最後はきっと、いよいよ苦手な体育実技だ……と覚悟したところ、

「はい、お疲れ様でした。これにて入試は終わりです。お気をつけてお帰りになってください」

と、またまた意外な。

「あれ……体育実技は無いのですか?」

「この雪の中で、雪合戦でもしますか?」

「あっ……」

 先生にくすりと笑われてしまった。確かにそのとおりだ。冬の間は体育館も冷凍マグロ倉庫みたいになっている。

「内申資料はきちんと拝見しますから、大丈夫ですよ」

 やっぱり運動音痴はごまかせないようだ。所見欄にはきっと神武此方云々って書いてある……。

 万事この調子で、つくづくとんまなわたしである。


 この土日、舞鶴の旅館・民宿は親子連れの女学生で満員となった。

 二日後の月曜、合格発表のため東舞高女は午前休だった。

 朝九時。わたしは憂鬱で、こたつにこもって猫と戯れていると、

「かな~! ほれ、かな! 見てきい!」

 父が雪まみれの長靴のままで茶の間に駆け込んできた。

「え! うそ!?」

 わたしも雪のなか裸足に草履一丁で駆け出した。

 角で盛大にずっこけて雪まみれになり、校門をくぐり、壁に張り出された合格者名簿を見ると…

――前田 かなで――

 あった……!

 まかり間違って受かってしまった。えらいことになった。どうしよう……。

 それが正直な感想だった。


 二


「かなちゃん、起きて! ねえ、かなちゃんったら~!」

「う~ん……ミルクキャラメル……」

 まぶしい。意識の遠くで喇叭の音と、わたしを呼ぶ声がするけれど、頭はそれを遠ざけて、静けさとキャラメルの夢を求めている。

 寝ぼけて寝返りを打って布団に顔をうずめてから、はっ……と我に返って起きあがった。

「うわっ! いま何時!?」

「もう六時二十分まわったよ~……早く起きなきゃ!」

 目をこすって時計を三度見した。寮の相部屋の徳一(とくいち)吹雪さんが言うとおりだった。最悪だ……。

「いやぁ! 大変~!!」

 わたしは飛び起きて天井に頭を打ち、三段寝台を転げ落ちると、大慌てで体操服に着替え、壁に掛けてある信号喇叭を持って寝室を飛び出した。

 千鳥足なわたしを心配して、吹雪ちゃんもあとから走ってついてきて、左手を繋いでくれた。出自は知らないけれど庶民的な普通の子で、背が小さい同士もあって真っ先に親友になった。

 寝ぼけてしどろもどろな起床喇叭号令を吹いて、わたしの担当する予科一年生の寮を回る。あちこちで、「うわぁもうこんな時間じゃない!」「喇叭手なにやってんの!」という阿鼻叫喚と怒声が上がる。

「かなちゃん、どんまい……!」

 泣きそうなわたしの手を、吹雪ちゃんはぎゅっと握ってくれた。

「うう、吹雪ちゃんありがとう……一緒に遅刻させちゃってごめんね……」


 わたしたち予科一年生が揃う頃には、朝のラジオ体操はもう始まっていた。最後に合流するわたしと吹雪ちゃん。とても気まずい。

「予科一年生は残るように」

 案の定、体操のあとには居残り令が発せられた。シベリア極東の白系ロシア人の国、アムール・ルーシ大公国の首都ウラヂミロフスク(旧・ウラヂヲストク)から招聘された、長身で鼻筋の通った日系人の女性体育教諭、コヴァレンコ=カミモト先生だ。こってりお説教食らうのかな……お説教で済めばいいけれど……。

「遅刻した理由は何ですか」

 みんなの鋭い視線がわたしに集まる。

「えと……こともあろうか喇叭手であるわたしが寝坊しました! 全部わたしの責任です、申し訳ございません!」

 わたしは地面に頭が着くほど勢いよく最敬礼で謝った。

「責任感があるのは宜しいことです。しかし、全部が前田さんの責任ではありません。分かりますか、皆さん」

 怒鳴られることを覚悟していたわたしは、肩すかしを食らって涙目をこすった。

「誰も起こしてあげなかったのですか?」

「いえ、徳一さんが起こしてくれました……けれど、なかなか起きられずに……」

 吹雪ちゃんに目配せを投げつつ、わたしはおずおずと答えた。

「よろしい。徳一さん以外は遅刻・不遅刻にかかわらず一減点、前田さんは二減点、徳一さんは一加点です」

「え……? ひっ!」

 驚く間もなく、さらに殺気を帯びたみんなの視線が、再びわたしに集まる。

「皆さん、前田さんを責めてはなりません。くれぐれも、責め立て苛めたりなどしてはなりません。苛めの処分は最高で退学です。――さて、本校の校訓は何ですか?」

「開明自律、献身護民、世界平和、であります」

 級長の芝小路(しばこうじ)さんがはきはきと答える。予科・尋常科・高等科・専攻科の全てに通ずる校訓だ。

「そう、自律です。他律ではなく、我自らを律することです。自力で起きられなかったのは、前田さんも他の遅刻者も同じです。喇叭手は上官・責任者ではなく、あくまで代表委員。同列の隣人に責任を押しつけてはなりません」

 先生は、生徒一同をぐるりと見渡して、続けた。

「また、自律と相互扶助は矛盾しません。自分で起きられた方は、わたくしの把握する限り、同じ寮室の生徒や前田さんを起こさず、我こそ良けれとすまし顔で先着しました。すなわち、隣人を互助せず見捨てましたね。それが減点理由です。ラジオ体操に遅刻しても死にはしませんが、相互扶助を洋上で怠れば人が死に、世界規模で怠れば人類が滅びます――この裁定に不服はありますか?」

 先生の言葉に、みんな押し黙ってしまった。先生は懐中時計で一分間を計って、言った。

「不服なしと見なします。では、皆さん食堂へ行ってよろしい」

 これがわが校・舞鶴海軍女学校の校風だ。粗相をしても、どやし叱られたり、バケツ廊下のような懲罰を受けることは無い。ただ、生活成績の点数が引かれて、最悪ばっさりと退学処分になる。ただし、申し開きや不服申し立ての機会は必ず与えられる。「自主・自律」とともに「互助・連帯」が徹底された社会だ。

 わたしもしっかりしなきゃ……。


 三


 もともと東舞高女から道を隔てて向かいにあった、海軍の赤煉瓦倉庫。それを改装した寮舎と食堂。海軍女学校は全寮制で、わたしのように元々舞鶴にいた生徒でも、原則全員寮での共同生活になった。給食は、おもに主計科の先生と生徒たちが作っている。

「正直、わたくしもまだ校風に馴染めていませんね……」

と、一緒に朝ごはんを食べながら苦笑しつつ仰る、国語担当兼予科一年生担任の馬場崎先生。そう、東舞鶴高女からのおなじみだ。先生も採用試験に合格されたのだ。わたしにとっては新天地への旅の道連れ、最高の安心材料だ。良かったあ……。

「うちも慣れへんわよ~……“自律”って難しいのね、今までずっと“他律”で育ってきとぉもの」

 吹雪ちゃんと並んでもう一人の仲良し友達、神戸の松蔭高女出身の小倉(おぐら)琴子さんと、三人並んで朝ごはんを食べる。

「琴子ちゃんも巻き込んで遅刻させちゃってごめんね……」

「大丈夫やって。三人で一心同体って云うとぉやん」

 山手北野のお嬢様だけど、お高くとまったところがなくて気さくな子だ。

「あ~うちらも早う白い詰襟着たいわ」

「ほんまやなあ」

 琴子ちゃんと話すと、ついつられて関西弁になってしまう。

 高等科・専攻科の先輩は凛々しくてかっこいい。下はわたしたち予科・尋常科と同じ濃紺色のスカートだけど、上はまぶしいまでに真っ白な詰襟の下士官・士官軍服。予科・尋常科の生徒は軍属扱いだけど、高等科・専攻科は軍人扱いで、洋剣風の外装の短刀を腰に帯びている。原則満十八歳以上だけど、ごく一握りの超優等生である特進生は一~二年前倒し、つまり最低でわたしたちよりたった二学年上の満十六歳、尋常科一年生の歳で高等科に入学した先輩もいる。

 わたしたち予科と尋常科は紺地のセーラー服だけど、普通の学生服と違って白い襟なのがとっても目立って特徴的。機動性を重視してスカート丈も膝上の短さで、わたしみたいな芋っ娘には気恥ずかしいくらいに、なんだかとってもモダンな感じ。京都や神戸のモガみたいだ――実際、そんな生徒が多いのだけど。夏服はさらに、身頃も襟も真っ白で、セーラー襟の紺色の線と紺のスカートがとっても映える。衣替えが楽しみだ。


 そして、何よりの楽しみと誇りは、航海実習と、練習艦吹雪だ!

 元、特Ⅰ型駆逐艦一番艦・吹雪。それまで小間使い程度に扱われていた小型艦である駆逐艦にしては、前代未聞の大型・重火力で、軽巡洋艦にも匹敵する主戦力。その登場は世界を驚かせ、駆逐艦の歴史を塗り替えた名艦だ。南洋方面の海戦で九死に一生を得て、修復されたのちに練習艦としてわが舞鶴海軍女学校にやってきたらしい。

 そういえば、吹雪ちゃんと同じ名前だなあ。「特Ⅰ型」と苗字の「徳一」をかけて付けられたお名前かな……お父さんが軍艦好きだったのかしら。

 舞鶴湾内を二時間ほどだけど、予科生初めての航海実習はとっても晴れがましい。ゆうべはドキドキして眠れなくて、朝また寝坊して吹雪ちゃんに叩き起こされちゃったけど……艦を目にした瞬間に、感動で眠気は一気に吹き飛んだ。

「喇叭手、出港用意信号」

「出港用意、よーそろー! 練習艦吹雪、抜錨!」

 わたしは張りきって敬礼して、高らかに喇叭を吹いた。

 赤煉瓦の並ぶ埠頭で上級生が見送る中、わたしたち予科一・二年生の計八十名は甲板に並んで総員敬礼しつつ出航した。

「洋上は思ったよりも風が強いんだな~……」

 スカートの下には非常水着を兼ねた短パンをはいてきたので大丈夫といえば大丈夫だけど、スカートがひるがえって恥ずかしいし、セーラー帽も紐が取れて吹き飛ばないか心配だ。

 あれ、吹雪ちゃんは?

「吹雪ちゃんなら、艦橋にいとぉわよ」

 きょろきょろしていると、琴子ちゃんが教えてくれた。

「行ってみても大丈夫かなあ?」

「たぶん大丈夫よ」

 わたしは恐る恐る、艦橋への階段を登っていった。

「吹雪ちゃん! あっ……」

 吹雪ちゃんは、艦橋の隅っこにたたずんで、涙を一筋流していた。

「吹雪ちゃん、大丈夫!? 衛生委員呼ぶ?」

「あっ、かなちゃん! ごめんね!」

 わたしに気づくと、吹雪ちゃんはとっさに目をぬぐって微笑んだ。

 甲板で転んで衛生委員のお世話になったのはわたしのほうだ。吹雪ちゃん、どうしたのかなあ……。

「こうして平和に海を行くことができて、とっても嬉しいな……って」

 吹雪ちゃんはそう言って、また艦首の白波と、その向こうに広がる海原を遠い目で眺めた。

 そういえば、吹雪ちゃんは出自や家族の話を少しもしない。もしかして、海難孤児なのかしら……。

 わたしはどうしたらいいか分からなかったけれど、ただ無言のまま隣に並んで、吹雪ちゃんの手をぎゅっと握った。

「吹雪さんをよろしくお願いしますね」

 不意に声をかけられた。士官服の若い女性、えーと、どこかで見覚えが……。

「衛生科講師の稲取です」

 物腰柔らかに、先生は会釈した。わたしもすかさず敬礼する。

「予科一年の前田かなでです!」

「入試ぶりですね、ご機嫌よう」

 あっ、面接試験の時の……!

「失敬いたしました!」

 慌てて再び敬礼する。

「この子は身寄がありませんから……ぜひ、良いお友達になってあげてくださいね」

 やっぱりそうなのだ。わたしは再び左手で吹雪ちゃんの手を握って、力強く敬礼した。

「はい、もちろんです!」


 その夜、夢を見た。遠巻きに活動写真を見るような、妙に印象的、かつ俯瞰的な夢だ。

 激しい夜戦……探照灯や砲火の光が飛び交う中で、巡洋艦や駆逐艦、大小様々な艦が激しく乱れて撃ち合っている。

 一隻の駆逐艦が、艦体中央に直撃弾を受けて炎上した。その後も次々と集中砲火を食らってゆく。

 艦橋に、わたしと同い歳くらいのセーラー服の女の子が一人しゃがみこんでいる。泣いている。

 ついに艦は沈み始め、大勢の軍人さんが海に投げ出されてゆく。

 沈んじゃう……逃げて……!


 吹雪ちゃん!――となぜか叫んで、はっと目が覚めた。

 下の寝台で、すすり泣く声が聞こえる。吹雪ちゃんだ。

 琴子ちゃんを起こさないように梯子を静かに降りて、吹雪ちゃんの寝台に寄り添い、そっと声をかけた。

「吹雪ちゃん……」

 吹雪ちゃんはこちらへ寝返りを打つと、黙って、涙でぬれた手のひらを差し出した。

「大丈夫だよ。もう、大丈夫だから」

 その手のひらを握って、わたしは何度もそうささやいた。


 四


 夏休みも冬休みも、吹雪ちゃんを狭いわが家に泊めて、一緒に過ごした。琴子ちゃんと三人で、海水浴や盆踊り、温泉旅館や初詣にも行った。猫のみーこも、すっかり吹雪ちゃんになついた。最初は吹雪ちゃんのほうが猫を怖がっていたけれど。

 一年が経って、わたしたちは予科二年生。戦況は悪くなってきて、いろんなものが手に入らなくなっていった。予科は新入生募集停止になってしまい、楽しみにしていた後輩はできなかった。当分最下級生だ。高等科の先輩も、優等生は半年前倒しで卒業して、正式に海軍女学特別隊に入営していった。

 そんな中で、わが前田書店は繁盛した。鎮守府の軍人さんや、昔から舞鶴にあった海軍機関学校――今では海軍兵学校舞鶴分校――の学生さんが置いていった海軍関係の本が、海軍女学校の生徒に飛ぶように売れた。町は女学生や女子水兵のセーラー服、そして女子士官の真っ白な軍服で賑わった。火の車だった家計も、ようやくなんとかなってきた。

 この年の秋になると、北九州の八幡空襲に始まり、本土が米軍の空襲に晒されるようになった。ラジオ放送は勇ましいことばっかり言っているけれど、海軍の関係者さんたちの話によると、いよいよ戦況は危機的だそうだ。南洋の方では軍艦や輸送船もたくさん沈んだらしい。

 でも十月には、わが舞鶴海女(かいじょ)にとって喜ばしい出来事もあった。給糧艦伊良湖(いらこ)が、二隻目の所属艦としてやってきたのだ。フィリピンで座礁したのち、奇跡的にも救出に成功し、修復を受けてわが校に配属されたそうな。

 主計科の卒業生と、主に関西方面の壮年主婦層――いわゆる大阪のオバチャン――が公募乗員として乗り組んで、練習艦としてではなく正式な舞鶴鎮守府所属の給糧艦として、いわば出前回り的な実務航海を行っている。

 潜水艦乗りさんや、遠い南洋などの戦地では、おいしい日本食や甘味が食べられるのは泣くほど嬉しいだろう。伊良湖到来の報が入ると、みんな万々歳、救世主のように大歓迎されたらしい。

 これまで、参謀や司令官を目指す作戦科の先輩ばっかりに憧れていたけれど、主計科も素敵だなあ……。


「みんな進路希望はもう決めたん~?」

「うん、わたしは技術科かな。かなちゃんは?」

 月日はあっという間で、予科二年も修了が近づいてきた。尋常科に進級すると専門科目は学科別になる。二月中には進路希望調査票を提出しなくてはいけない。

「うーん、主計科がちょっと憧れだけど……料理はいまいち不器用だし、算盤弾き以外は計算も苦手だし……無理かなぁ」

「それなら、主計科でも書記官になったらいいんじゃないかな? 広報委員みたいな仕事。かなちゃん作文上手だし、確かお父さんも鎮守府で書記のお仕事でしょ?」

「あっ、それいいかも!」

 吹雪ちゃんナイス! それならわたしにも務まりそうだ。

「うちは法務科かな~。お父さんが弁護士やし、英語は得意やし。駐在武官になっていろんな国に赴任するのが夢なのよ」

「琴子ちゃんすごいなぁ! うん、きっと向いてる!」

 三人とも専門科目の講義が分かれちゃうのは寂しいけど、同じ学級になったら普通科目は一緒だ。

「でも、主計科も素敵やと思うわよ」

「主計科やっぱり憧れちゃうよね~。衛生科と並んで“献身護民”の最前衛だし!」

 大勢の人の役に立ちたい、こんなわたしでも役に立てることがあるなら――

 それがやっぱり、わたしにとって何よりの夢だ。


 五


 予科修了も間近な三月。ついに戦況は凄まじい局面に入った。十日の東京下町大空襲を皮切りに、十三日に大阪、十七日に神戸など、本土の主要都市が相次いで大空襲を受けたのだ。

 未明に神戸空襲のあった十七日の午後には、大阪と神戸に派遣する救援隊募集の知らせが、予科を含む学校中に回った。

「……うち、行くわ。電話したら実家は危機一髪大丈夫やったみたいやけど、友達の家も焼けた云うとぉし」

 神戸出身の琴子ちゃんは、手を握って戦慄させながらそう云った。わたしと吹雪ちゃんも、もちろん一緒に行くことにした。

 十九日、汽車で神戸に向かう道中には、(くれ)でも軍港を狙った大空襲があり、鎮守府や停泊していた軍艦に被害甚大とのニュースが届いた。吹雪ちゃんの顔がかげる。

「舞鶴まではB29もよう飛んでこおへんから、きっと大丈夫やよ」

「うん……」

 艦が沈んだ報が入るとつらそうな顔になる吹雪ちゃん。海難事故に遭ったらしいことを琴子ちゃんは知らされてないみたいなので、わたしもそっとしておくしかなかった。いつものように、黙って吹雪ちゃんの手を握ることしかできなかった。


 三宮駅を降りて、わたしたちは呆然と立ち尽くした。あんなに華やかで賑やかだった神戸の街は、すっかり見る影もなく、焼け野原と瓦礫だらけになっていた。

 焼け出された人が途方に暮れた顔で往来し、あるいは座り込み、瓦礫の下から掘り起こされた死体が担架で運ばれて行く。上級生や卒業生の先輩も、みんな呆然と言葉を失っている。

 吹雪ちゃんが心配になって、声をかけようとしたその時。吹雪ちゃんは、うつむき気味だった顔を上げ、力強くこぶしを握って言った。

「……わたしたちが――人々を元気づけるために派遣されたわたしたちが、そんな暗い顔をしてちゃダメだと思います!」

 吹雪ちゃん……誰よりもつらいだろうに……

 “舞鶴海軍女学校予科”と書かれた腕章を腕まくりするようにぐっと握り上げ、雪の結晶印に錨印の校旗を取って、神戸派遣隊の先頭に立った。

「わたしたちは――舞鶴吹雪隊は――吹雪のあとに桜のように輝く樹雪です。人々の希望の光となる使命を果たすために結成されたんです。その使命を果たしましょう……っ!」

 何事かとわたしたちを眺めていた公衆や駅員さんから、一人、また一人と、拍手が上がった。

「徳一さんの仰るとおりですわ。予科隊、抜錨ですわよ! ばってん、出港用意は良かたい!?」

「おーっ!!」

 名前に似合わず熊本出身の級長芝小路さんが、校旗を取り上げて叫んだ。

「尋常科隊も出航ですわ!」「尋常科一年、抜錨!」「尋常科二年も抜錨!」

「高等科・卒業生隊、先陣を切りますわよ! 下級生諸君、しっかり付いて来なさい!」

 次々に、勇ましい声が上がる。

「ほら、喇叭手! 何をぼおっとしてるのですの!?」

「あっ……はい! 吹雪隊、全隊抜錨です!」

 芝小路さんに背中を叩かれて、わたしもはっと我に返って、出港用意の喇叭譜を二度鳴らした。続いて、各学級から喇叭が高らかに響く。

 鼓笛隊はマーチング用の楽器を取り出すと、高らかに「軍艦行進曲」を奏で始めた。……いけない、わたしも鼓笛隊のトランペット奏者だった! 信号喇叭からトランペットに持ち替えると、わたしも急いで列に加わった。

 〽ふ~ぶきのあとにぞ は~るき~たり~

  さ~くらふぶきこそ ま~ぶし~けれ~

  ま~しろきそのはな よ~にみちて~

  せ~ぇかいへ~いわの しるべたれ

 「軍艦行進曲」の替え歌である校歌の歌声が、吹雪ちゃんを最初に、波のように全隊に広がり、一斉唱になる。

 〽か~いめ~い~じ~りつ~の~ こ~ころ~も~ぉて~

  け~んしんご~み~んに~ つ~ぅく~す~べし~

 衛生科生は応急治療、主計科生は炊き出し、めいめい救援活動に励んでゆく。

 わたしたち鼓笛隊は、救援のかたわら、奏楽をおこなって人々を慰める。

 打ちひしがれた人々も、顔の光が取り戻ってゆく――。

 これだ。わたしが望んでいた使命・夢は、これなのだ。

 舞鶴海軍女学校に入って良かった――と心底実感した瞬間だった。

 焼夷弾の吹雪が、来月とはいかなくても、どうか来年の春には、真っ白な桜の花吹雪に変わりますように――そう強く願って、わたしは力一杯トランペットを吹いた。


 六


 絶望的戦況の真っ只中で、わたしたち予科一期生は尋常科に進級した。三人で頑張って補い合うように勉強した甲斐があって、晴れて三人揃って、優等生組である一組に入ることができた。

 授業はまともに行えず、空襲を受けた各地に救援で出張したり、農作業を手伝ったり、掃海訓練を兼ねた「F作業」で魚を捕ったり。

 でも、おかげで舞鶴海軍女学校の名は日本中に知れ渡り、国民的アイドルになった。救援隊が赴くと、あちこち行く先々で大歓迎を受けた。真っ暗闇な世の中に、少しばかり希望の光を届けることができた。わたしはそれだけで充分嬉しく、誇らしかった。

 五月十日。ついに戦争が終わった。ラジオや新聞は「講和に向けた停戦」と報道するけれど、どう考えても日本の敗戦だ。ちょうど数日前に、同盟国のドイツではベルリンがロシア軍によって陥落し、イタリアではファシスタ政権の残党が壊滅したそうだ。明らかに、日・独・伊を中心とする枢軸国の大敗北だ。

 その事情をよく知っている海軍の軍人さんたちは、涙ぐんだ目で肩を打ち振るわせていた。

 各地たくさんの街が空襲で焼かれ、大勢の一般市民が亡くなった。海軍も壊滅的な打撃を受け、動ける状態で残った艦は二十数隻ばかり。陸海軍、大勢の軍人さんも亡くなっていった。

 アムール・ルーシ大公国の仲裁が入って停戦が実現し、ウラヂミロフスク講和会議が始まった。この「講和」で、恐らく日本は、占領地はもちろん、内地以外の領土を全て失って、明治前期の領域にまで五十年分戻るだろう――と父は言った。それでも、本当にこれで世界平和が取り戻るならそれでいい――敵も味方もこれだけ多くの血が流れたのだから、懲りてもう二度と戦争なんかしないでほしい――と、わたしはただ素朴に、そう願った。

 停戦してからも、吹雪隊の派遣はおしまいではない。戦災復興のための援助隊として、あちこちに派遣された。入試でも「戦後の展望」という質問があったとおり、わたしたちの使命はむしろこれからだ。最初は近畿を中心に活動していたけれど、やがて噂が広まると、日本全国から我先にと派遣の要望が届いた。


 そして、梅雨明けの近づいたある日。

「前田さんはいるかしら。一緒に校長室に来て、急いで!」

「えっ、わたし……?」

 芝小路さんがわたしを呼びに来た。また何か粗相やらかしたかしら……とすくみあがった。それにしても、校長室に呼ばれるなんて初めてだ。

「失礼します……」

「おお、すまんのう。早速だが、これを見てくれ。ウラヂミロフスクの稲取先生からだ。ぜひとも前田君に見てほしい、とあった」

 八角(やすみ)校長先生と工藤副校長先生が待っていらして、一通の手紙が机に置かれていた。稲取先生は、講和会議の全権団の通訳官として、ウラヂミロフスクに赴任していらっしゃるはずだ。

 わたしは恐る恐る、手紙をひもといた。

――講和の条件はおおよそまとまり、八月中頃には講和条約が締結される運びです。そこで、講和を記念した国際観艦式と、世界一周航海が行われることになりました。ドイツもイタリアも、アメリカもイギリスも、みんな一緒に……世界平和のために、です。前田さんの夢が叶いましたね!――

 うそ……ほんとに……!?

「世界一周航洋隊は、巡洋艦酒匂(さかわ)を旗艦に、駆逐艦雪風と、吹雪だ。吹雪艦長兼海軍女子特別隊司令は、工藤先生が務めてくださることとなった。そこで尋常科一年一組諸君、吹雪に乗って行ってくれるかね?」

「おう、そういうわけだ。よろしくな!」

――わたしは頭が真っ白になった。ふと気が付いたら、あとから来てくれたらしい吹雪ちゃんと琴子ちゃん、そして芝小路さんに支えられて、ぼろぼろ涙を流して立っていた。

「かなちゃん、おめでとう……ずっとずっと、夢だったもんね……!」

 入学したての頃は、わたしがこうして吹雪ちゃんの手を握って、時に抱きしめて、慰めていたっけな……わたしったら、どうしちゃったのかな………。

「――ありがとう」

 泣きじゃくりながら、やっとのこと言葉を紡ぎ出せた。

「ありがとう……みんな、ありがとう……!」

 いつのまにか校長室の扉の前に押し合いへし合いで集まった、一年一組のみんな。

 人目をはばかる心の余裕もなく、わたしは吹雪ちゃんを強く抱きしめて泣いた。


 七


「これより講和記念国際観艦式予行、兼・世界一周航海出港式を始める! 総員、出港用意!」

 とっても大柄だけどおおらかな気質で「大仏様」の異名を持つ工藤先生――否、工藤司令の、大きな雄々しい声の号令が、艦上に響く。

「出港用意、よーそろー! 練習艦吹雪、抜錨!」

 わたしは張りきって敬礼して、高らかに喇叭を吹いた。そして、すかさず艦首から下がって鼓笛隊の列に加わり、トランペットに持ち替えた。

 赤煉瓦の並ぶ埠頭で、舞鶴海軍女学校の先生と生徒、そして舞鶴市民の人々――うちの父母と、鳥取の祖父母もいる。とっても気恥ずかしいけれど、面映ゆい――が見送る中、わたしたち尋常科一・二年一組の学生と卒業生の水兵、計百名は甲板に並び、高等科の先輩と卒業生の士官四十名は艦橋のデッキや外階段に並んで総員敬礼しつつ、満艦旗に彩られた吹雪は紙吹雪を浴び、無数のカラーテープを切って出航した。

「主砲最大仰角! 撃ち方始め!」

 十サンチ連装高角砲に、三河岡崎の花火職人特製の着色弾を装填して――

「撃て~!」

 発砲と爆発の轟音が二度鳴ると、大輪の花火がぱっと咲いて水面(みなも)を彩った。

 日本の誇る花火技術を、これから世界中の人たちに観てもらいに行くのだ。世界平和のために!

 焼夷弾の吹雪が、きっと来年の春には、まばゆいばかりに白い一面の桜の花吹雪に変わるのだ。


 結


挿絵(By みてみん)

by.フーフーさま

左から:前田かなで/小倉琴子/稲取先生/徳一吹雪

◆世界観

 現実の昭和戦中期(1942年12月~1945年8月)がモデルの舞台。但し、舞鶴海軍女学校・海軍女子特別隊という架空の組織があるほか、太平洋戦争終戦が1945年5月と早期である、ロシア極東地域にアムール・ルーシ大公国という国があるなど、架空歴史(IFもの)である。


◆登場人物

前田(まえた)かなで 1928年生まれ、14歳(中学2年生相当)~17歳(高校2年生相当) 舞鶴軍港に程近いところにある、貧しい小さな書店の一人娘。おっちょこちょいで抜けたところがあるが、無邪気な少女。家業柄幼い頃から本の虫で、文系科目には天性の素質と勝手に身に付いた教養力を発揮する。本人の自覚や周囲の理解は乏しいが、「才女の原石」の器である。博愛的で、平和な世界を望んでいる。

徳一(とくいち)吹雪 かなでの同級生。身寄りがなく、海難の報を聞くと精神不安定になりがちな、少し陰を帯びた面もあるが、普段はまっすぐな性格で健気な少女。かなでとは寮の同室で、入学直後からの親友。

【裏設定】海難事故で家族を失った――とかなでは思いこんでいるが、実際は「身寄がない」という情報しか得ていない。作中では明かされないが、その正体は駆逐艦吹雪の「船魂(ふなだま)」の権現(ごんげん)である。1942年10月11日の南洋サボ島沖海戦で轟沈したが、「船魂」の()(しろ)である木札は戦火を免れ、それを握りしめて人間の少女の姿を取って漂流しているところを駆逐艦朝雲乗員によって救助された。京都帝国大学大学院に在籍していた稲取軍医中尉(階級は当時)に託され、その研究の結果、「船魂」(艦これにおける艦娘(かんむす))であると判明した。この世界での艦娘第一号。

小倉(おぐら)琴子 かなでの同級生。神戸の山手・北野地区の出身で、名門ミッションスクールから編入してきた「お嬢様」ながら、お高くとまったところがなく、関西弁の似合う、飾らないさっぱりとした少女。父は弁護士で、本人も法務科に進学する。かなで、吹雪と「一心同体」の仲良し。

・芝小路さん かなでの同級生、予科級長。気丈でいかにもお嬢様然とした少女だが、実は熊本出身で、方言で洒落を飛ばすこともある。

・かなでの父 書店・古書店・貸本屋を兼ねた「前田書店」の店長。かなでの他に、妻、猫のみーことともに住み、家業で書店を営んでいる。鳥取県出身。実は神戸高等商業学校(神戸大学の前身)卒の結構なインテリ。

・稲取先生 開校時の入試の面接官、のち衛生科の講師。若いがおっとりした物腰柔らかな気品を漂わせた女性。講和会議では日本全権団の通訳官を務めている。

【裏設定】20代中盤の若さながら医学博士・海軍軍医大尉(開校時)~少佐(終戦時)という天才。海軍女学校設立の仕掛人張本人。開校までの間、吹雪を保護していた。

八角(やすみ)校長 第二水雷戦隊司令、海軍水雷学校校長、衆議院議員などを歴任した、八角三郎中将(終戦時64歳)がモデル。

・工藤副校長 駆逐艦雷艦長として、英国駆逐艦の乗員を挺身的に救助したエピソードが有名な工藤俊作中佐(終戦時44歳)がモデル(本作では開校時大佐)。

・コヴァレンコ=カミモト先生 アムール・ルーシ大公国の首都ウラヂミロフスク(旧・ウラヂヲストク)から招聘された、日系人の女性体育教諭(武官)。「自律」と「互助」の精神をかなでたちに叩き込む。厳しくも公平公正な人物。

・馬場崎先生 東舞鶴高等女学校から、かなでと同期で舞鶴海軍女学校の予科担任として転職してきた中年女性教諭。


◆組織等

・高等女学校 現代の中学~高校2年生までの5年制の旧制学校。通称「高女」。庶民はなかなか入れない優等生の世界。

・舞鶴海軍女学校【架空】 旧制東舞鶴高等女学校の敷地・校舎と海軍赤煉瓦倉庫を転用して、1943年4月に開学した、「海軍女子特別隊」の養成学校。予科2年度(中学3年~高校1年相当)、尋常科2年度(高校2年~3年相当)、高等科1年度(大学1年相当)、専攻科1年度(大学2年相当)からなる。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11832220

・練習艦吹雪 特Ⅰ型駆逐艦「吹雪」を転用した、ということにされているが、実は実艦は轟沈し、「船魂」のみが回収された。その後、吹雪と同設計のライセンス生産であるアムール・ルーシ大公国駆逐艦「Снйеґъスニェーグ」(「雪」の意)の寄贈を受けて改称したのが、練習艦としての「吹雪」である。

・給糧艦伊良湖 こちらも実は実艦は大破着底したが、「船魂」の回収によって霊的な力で修復再生した。稲取博士の研究で、船魂から艦を復元に成功した最初の例である。

・アムール・ルーシ大公国【架空】 ロシア極東部を領有する立憲君主国。首都ウラヂミロフスク/ヴラディミロフスク(ウラジオストクを改称したという設定)、公用語はノヴァルーシ語(ウクライナ語・ロシア語・古ルーシ語の折衷言語)。ロシア革命の際に、反革命・反ボリシェヴィキ派勢力(いわゆる白軍・緑軍)とウクライナ系を中心とした住民の蜂起によって、1919年に建国された。史実の「極東ウクライナ共和国」(緑ウクライナ)がモデル。日本軍のシベリア出兵が建国に貢献し、以来最も深い絆の同盟国。女性軍人が活躍するなど自由闊達・開明的な気風の国。海軍女学校設立の際は、艦の寄贈、女性武官教員派遣など、恩返しとして大きく貢献した。また、終戦講和の仲裁としても貢献した。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11819033


◆あとがき

 ご清覧ありがとうございます。普段は主にボカロPとして活動しております、鳥位名 久礼(Triona Klee)と申します。何を隠そう、実は「艦これ」ネタの発刊は今回が初。またこれまで、合作として発刊した過去作を単行本として出すなどは時々ありましたが、完全書き下ろしの単行本を発刊することも初の挑戦です。

 今回、本作の小説本と、電・響による艦娘に捧ぐレクイエム「Fiat Pax」のCD を、様々な方々のおかげあって世に送り出すことが叶いました。

(https://youtu.be/kxD8i3seSis)

 両者とも、「戦争と平和」をテーマにした作品。それらを執筆・制作するにあたっては、駆逐艦吹雪・電・響の乗員、また神戸大空襲の戦没者の方をはじめとして、交戦国・民間人を含めたあらゆる戦没者の方々を思わずにはいられません。彼らにとこしえの平安がありますよう、謹んで心からお祈りいたします。

 従軍した亡き祖父・高等女学校で戦中を過ごした祖母の話などを思い返して、しかと史実に向き合い、「艦これ」という「器」に頼りきらず、それを抜きにしても成り立つような作品を――という点を意識して制作しました。

 1942年12月からのスタートというのは、駆逐艦「吹雪」(1928年8月1日命名)の命名を誕生日とすると、実際に轟沈したのがちょうど14の歳の11月……というところが着想の原点です。史実を調べると乗組員大半死亡という悲惨な戦没で、到底明るいだけのキャラにはできないな……という発想が、本作における「徳一吹雪」のキャラ性格の根拠です。「艦これ」世界に馴染まれた方には、「吹雪」の、アニメ等とは一風変わった少し陰のあるキャラクター付けを印象に残していただけましたなら幸いです。

 本作制作にあたっては、色々なわがままを聞いてくださり、素晴らしい絵を描き下ろしてくださったフーフー様、そして素晴らしい絵師様をご紹介くださり、頒布元として蔭に日向に応援・ご協力くださった山百合文庫の美樹まりあ様には、本当に格別のご厚誼を賜りました。心から感謝申し上げます。


 2018年8月 終戦73年に寄せて

 鳥位名久礼

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