異教の魔女
異教の魔女
貴彦や小春も少女の存在感に気付いたのか、千尋の変貌から意識が逸れてポカンとしてしまった。
そしてその存在感に最も反応したのは、千尋だった。
「異教の魔女がぁっ!」
無機質なまでに無表情だった顔を怒りに染め、四つん這いになると少女に掴みかかるように跳躍した。
「ちょっ?!」
野生の獣のように数メートルの距離を一瞬で縮めた千尋を見て、弘樹はスマホを持たない左手を突き出し、貴彦と小春は千尋を追おうと足を踏み出した。
少女は慌てる素振りも見せず獣のように襲い掛かる千尋を一瞥すると、右手の指を握り締め、その後中指と人差し指を立て左下から右上へと素早く薙ぐような仕草をした。
弘樹の目には少女の指の軌跡から、白い光が走ったような気がした。
「きゃいん!」
見えざる光を正面から受けた千尋は、まるで車に跳ねられたかのように森林の中に吹き飛ばされ、負け犬のような悲鳴をあげる。
森林の闇からドサッという音が辺りに響いた。
「千尋?!」
「千尋ちゃん!」
貴彦と小春は慌てた様に千尋が落ちた辺りへ走った。
ザザザザ…ガサガサガサ…
木立と雑草、濃霧の立ち込める中、何かが、多分千尋が立てたと思われる音が脇道方面へかなりの早さで遠ざかって行く。
弘樹はそんな二人の事など眼中になく、ただただ指先だけで千尋を撃退した少女を見つめていた。
異教の魔女…
千尋が叫んだ声が脳裏にこだまする。
「君は、今何を…?」
うまい言葉が見付からず、小さな声で少女に問い掛ける。
少女はそれに答える素振りも、貴彦や小春を気に掛ける様子もなく、唐突にハッとした表情を浮かべて林道の脇道へと顔を向けた。
「…間に合わなかった」
そんな少女のつぶやき声が弘樹の耳に届いた直後、脇道の奥、濃霧の向こう側から、「ぎゃぁ〜!ごふっ!」「聡っ?!」「何?何なの?!いやぁぁー!!」と男女の叫び声が聞こえてきた。
脇道の奥、今話題の泉と祠へと向かった三人のものだろう。
千尋を追おうとしていた貴彦と小春にも悲鳴は聞こえ、二人は森林から脇道へと進路を変えた。
「やめておきなさい?その先へ行けばアナタたち、死ぬわよ?」
「でも、助けに行かないと!」
「そうだね。きっと僕等でも出来る事があるはずだよ」
感情の殆どこもらない怜悧な声音で魔女と呼ばれた少女は二人を止めるが、二人はそう答えつつ走り出した。
一人佇む少女を気にしつつ、弘樹も二人の後を追っていた。
特に知り合いと言う訳でもなく、義理も何もないのだが、一番年長者の自分だけが逃げるのは違うだろうと、そんな風に思い走っていた。
あ、警察か救急車呼んだ方が良いんじゃね?と気付き、ふと手元のスマホに目をやるも、インドア中年の体力的に電話しつつ走るのは無理だった。
すでに前を行く二人からは軽く引き離されてはじめている。
このまま立ち止まって電話をするのは正直怖かった。
暗闇と濃霧の中、スマホの灯りを頼りに一人とか絶対避けたい。
もう後でいっかなー?と少し投げやりな気分で走り続けた。