霧
霧
少年達を追い越して少し進むと、急に霧が立ち込めてきた。
急激に視界が悪くなる中、弘樹は車を徐行させて進んでいた。
スーパーへ急ぐのは諦めて、何処かで方向転換した方が良いかも知れない。
事故でも起こしたらアホらしい。
保険に入っているとはいえ、予想外の出費は痛いものだし、怪我でもしたら職探しも余計に難航してしまう。
林道の幅は狭過ぎる事もないが広くもない。
運転が余り得意ではない弘樹としては、視界も悪いし、ここでUターンとか事故りそうと言う思いもある。
林道の中ほどに広めの脇道があると聞いたことがあったのを思い出す。
と言うよりその脇道の先こそが噂のパワーズ兼心霊スポットなのだが。
奥には入らなければ良いだろう。
脇道で折り返そう。
弘樹はそう決め、ゆっくりと車を走らせていた。
この地域で濃霧が発生した話など聞いたことがなかった。
普段保護樹林に入る事は無くとも、元々この地域の零細企業で働いていたのだ。
出身地ではないもののそれでも噂話やちょっとした情報くらいは耳に入る。
それと同様にこの保護樹林がパワースポットや心霊スポットとして近隣では有名になった理由も、ちょっとした噂として耳にしていた。
数年前、ある噂が女性をターゲットとした地元系サイトを中心に広まったのだ。
林道の半ばにある脇道を少し入った所にある小さな泉、その横に昔からある古い祠へ願い事をするとその願いが叶うとか。
特に願いがなくても、軽く手を合わせてお参りするだけで運気が上がるとか。
陽のある時間帯に森林浴がてら立ち寄られる事も多く、弘樹も駅から保護樹林近くのバス停まで、それなりの人が乗降していたのを見掛けた事がある。
しかしその噂もある事件をきっかけに鳴りを潜め、今度は心霊スポットとして若干相の異なる者たちが立ち入るようになっていた。
一年近く前、この地域出身の女性が祠の前で自殺したのだ。
就職の関係で都市部近くにアパートを借りて生活して数年。
急に会社を辞めて実家へと戻って数日後の事だったらしい。
倒産前に働いていた会社でも、この話題はのぼっていた。
パート社員の一人が自殺した女性の遠縁であったこともあり、詳細までは知らないが、事件が事実であることは噂で広まり知っていた。
かなり濃い霧だ。自転車に乗った高校生たちや、その前にすれ違った少女は大丈夫だろうか?
そんな事を考えつつ、保護樹林の中程まで走らせた弘樹は、ライトに照らされた物が見えた瞬間、「うわっ!」と軽く叫んで急ブレーキをかけた。
「危ねえー!こえー」
弘樹は思わず声に出しつつ、車のライトをつけたまま、スマートフォンのライトもつけて車から降りた。
ホント、スマホって便利だよなー。
若い子だとポケベルとか知らないんだろーなぁ。
ダイヤル式の黒電話とか使えないんじゃね?
携帯電話の類など誰もが持ち歩くより前から生きているのだ。
気付けば自分が若い頃と今を比べ、ちょっとした事で歳を感じる事も増えてきていた。
そんな全く関係ない事を考えつつも、弘樹は車のライトに照らされたそれらを見て首を捻った。
林道を塞ぐように、十本近い木々が倒れていた。
一本なら分かる。
その倒れた木に他の木が巻き込まれ、ニ〜三本倒れる事だってあるだろう。
しかし目の前にある光景は違っていた。
まるで道を塞ぐ、そんな意図を持った誰かが居たかのように、道の左右両側から道に向けて、それなりの太さの木が何本も倒れているのだった。
普通森林の木はこんな風にまとめて倒れるものなのだろうか?
最近は大きな地震も台風や強風もなかったはずだ。
誰かの悪戯にしては倒れた本数がおお過ぎるように思えるし、突発的に小規模な自然現象でも起きたとか?
取り敢えず一番手前の倒木の根本と思える辺りに近付き、スマホのライトで照らしてみた。
「ん?んん?」
幹の直径が4〜50センチはありそうな木の切り株のようになった根本付近が、何かに締め付けられて折れたような、硬い何かで削られたような、そんな状態になっていた。
例えるなら大きな橋を支えるような太いワイヤーケーブル辺りを巻き付けて凄い力で締め付けたような、そんな傷跡だった。
濃霧が邪魔でここからでは他の木々の根本を見辛いが、多分他も同様なのでは?
取り敢えず何かヤバい。
きっとマズい。
ふっと脳裏に木々に大蛇が巻き付き、木を圧し折る姿が過った。
アニメ見過ぎたか?
そう思いつつも大蛇のイメージを振り払えず、弘樹は辺りをグルッとライトで照らしつつ車へと戻ろうとすると、倒木の少し手前に右折可能な脇道を見つけた。
「いや、ちょっ」
心霊スポットの噂と相まってホラー映画で有りがちな、オメーは通さねーよ?ここで死にな!な展開に思えてならず、そこに頭だけでも車を突っ込ませる気は失せてしまっていた。
もうUターンが無理ならバックのみで帰ろうと泣きたい気分で車に戻ると、バックミラーに光が反射するのが見て取れた。
自動車の明かりではなく、自転車に取り付けられた電灯の類だろう。
複数の明かりがこちらに向かってくるのが分かる。
車やスマホなど、自分の持ち物以外の光や人の存在を感じたとき、緊張していた気持ちが徐々に緩んで行くのがわかった。
高校生の集団にしてはやけに静かではあるものの、それは辺りに立ち込めた濃霧と町中ではあり得ない夜の闇に気圧され、口数が減っているからではないかと、弘樹は何となく思った。
実際、近くにやって来たのは先程追い越した六人の若者たちだった。
すでに全員自転車を降り押しながら歩いていた。
自転車のカゴにはリュック等の鞄類がそれぞれ入っていたが、すれ違った時に目が行った竹刀袋の飛び出したリュックを背負った少年と少女の二人だけは未だにそれぞれ背負ったままだった。
竹刀ってあんなに短いっけ?
先程はほんの一瞬目に止まった程度でそこまでは気づかなかったが、近くで見ると明らかに記憶にある竹刀よりも短い。
流石に縦笛を背負ってるとかないよな?
二人を見てそんな事を考えつつ、近付いてくる若者たちを弘樹はぼんやりと見詰めていた。
先頭を歩く少年と少女は、車のライトに気付いてやや手前で立ち止まった。
そもそも大蛇って何だよ。
ジャングルじゃあるまいし、日本の都下だぜ?
こんな小さな森林に木を締め倒せるような生き物が居るはずないやな。
少年少女たちの顔を見て、あり得ない怪獣クラスの生き物をイメージしていた自分が気恥ずかしかった。
どんだけ怖かったんだよ!そう自分に突っ込みたい気分だ。
半分以下の年齢とは言え複数の人間と会うことで心の余裕が生まれていた。
「君たち、ここは倒木が酷くて通れない!何だか様子が変なんだ。引き返したほうがいいと思ぞ!」
窓から顔だけ出して、弘樹は少年たちに声をかける。
その声を聞いた先頭の少年は脇道を指差し、「あ〜、俺たち脇道の方に用事があるんで〜、平気っすよ」と返して来た。
やや勝気と言うか、他人を小馬鹿にするようなニヤけた顔つきの少年はそれだけ言うと、後続の面子へ先へ進むよう促すように、自ら進んで脇道へと逸れて行った。
「誠治君、マリ、なんかここ変だよ。千尋が調子悪そうだし、今日はやめておこうよ」
後続メンバーの大人しそうな女の子が一人、顔面蒼白になっており、それを気遣う様子のショートカットの女の子が先を進む少年に声をかける。
誠治と呼ばれた少年のほぼ隣を進んでいた先頭グループの少女マリは、少し戸惑った表情を浮かべつつもチラリと誠治に目を向ける。
誠治はと言えばショートカットの少女や千尋には軽く目を向けただけで、何事もなかったように先へ進もうとしていた。
少女たちの中で一番大人びた雰囲気を持つ勝気そうな少女マリは、後続の少女たちに頷くと、
「分かったわ。あたしと誠治、それと」
と後続組の男子二人のうちの一人に顔を向け、
「聡の三人でこの先の様子を見てくる。あんたたちはここで少しだけ待っててよ。貴彦は二人をお願いね」と答えるだけ答え、そのまま自転車を押しつつ誠治の後を追っていった。
聡と呼ばれた少年は慌てて二人の後を追い、貴彦と呼ばれた少しほんわかした空気を持つ少年はこくっと頷くと、近くの木に自転車を立て掛け、二人の少女の近くへ歩み寄っていった。
残ったうちの二人、ショートカットの少女と貴彦が竹刀袋を突っ込んだリュックを背負っていた。
貴彦はリュックのサイドポケットからペットボトルの水を取り出し千尋へ勧めるが、千尋は力なく首を左右に振ってそれを断り、太めの木に寄りかかるようにしてしゃがみこんでしまった。
背伸びでもしているのか、母親の真似か、妙に大人びた物言いをする少女マリは、結局一度も振り返ることなく誠治の後を追い、やや気の弱そうな少年、聡は残った三人をチラチラと振り返りつつマリたちの後を追っていった。
弘樹は脇道を進む三人の背中が、何だか存在感が薄まったような、霧に侵食されて行くかのような、何とも言えない感覚を覚えて漠然とした不安を感じていた。