#6話 1、エンジンは遺産
事前の根回しはクリスティーヌが、レース後の外交の顔はリーディアが主役だ。俺がやることはエンジンの改良を通じて、リューゼリオンの力を示すことだ。
……ほかに方法がないとはいえ、なんでまたこんな無理難題に挑むことになってるんだか。まるで鉛を黄金に変えろと言われているようなものだ。
「いよいよこれからエンジンの相手をするわけだけど。ええっと、これからまた大変だと思うけど……」
「はい。頑張ります先生」
「大変」のところに力を込めた俺に、シフィーは両手を胸の前で握ってやる気の姿勢だ。三色の魔力を扱う彼女は遺産の実験の為には欠かせない。ただ、俺を見る瞳に何の不安もないのが少し不安だ。
といっても、シフィーは十五歳、騎士学院の二年生だ。しかも、ただでさえ平民出身者として慣れない騎士の世界に四苦八苦していたのに、今回は生まれた都市すら離れこんな遠くまで付いて来てもらった。しかも、現時点での彼女はリューゼリオンの代表のような形である。公的には俺は文官にすぎないのだ。
そうだな、ここは今からリューゼリオンの錬金術工房だ。ここでは俺は『先生』でシフィーは助手だ。俺がしっかりするのは当然だな。俺だって本業である錬金術の方がいい。
「ああ、よろしく頼むなシフィー」
ブースの内壁に枠に入った木の板が付いている。俺は紙をそこに貼り、ペンを執った。まずは基本的な流れを示しておこう。
1、エンジンの魔力構造が結界と同じであることの確認。
2、移動する遺産としてのエンジンを成り立たせる秘密の分析。
3、以上を踏まえてエンジンのスピードアップのための改良。
「まず1だけど。ボートのエンジンの魔力の流れの観測をしっかりやる。何しろ、エンジンの魔力について俺は大きな誤解をしていたからな」
「先生が誤解ですか」
「そうなんだ、俺は三色の魔力の回転がエンジンの回転にそのまま使われていると思っていた。だけど、それは違ったんだ。三色の魔力はあくまでエンジンの力を制御するためで、本体は透明な魔力だ」
リューゼリオンからラウリスまでの航海中、エンジンを魔力測定器で観測していてわかったことだ。エンジンの出力を生み出す主力は透明な魔力の螺旋回転であり、三色の魔力はそれを制御するという副次的なものだということだ。
「つまり、エンジンはリューゼリオンの本宮広間のシャンデリアじゃなくて、地下の結界器と同じなんだ」
旧ダルムオンでエンジンの復旧をした時は、エンジン表面の対処に必死だった。何よりも盲点だったのは、地脈に繋がっていないエンジンが透明な魔力を使っているはずがないという思い込みだ。
だから航海中に詳しく観測して、エンジンの中心部から螺旋状の透明な魔力を観測した時は驚いた。
俺の考えていた魔力に対する理解が間違っていたのかと思ったくらいだ。だが、先ほどみた地脈からの魔力の充填でその疑問は解決した。
三色の魔力と地脈からの透明な魔力の組み合わせ。おそらく透明な魔力の方が主だ。これは現在では完全にブラックボックスだ。連盟艦隊の総責任者にしてラウリス王子であるレイアードすら「エンジンとはそういうものだ」といっていた。
一方、俺たちはこれまで錬金術でまさにそこを解析してきた。エンジンの実際の運用ではかなわないリューゼリオンの唯一にして最大の優位性だ。これを活かすしかない。そのためには結界器との大きな違いを解決しなければならない。それが……。
「2番目だけど。俺の仮説ではエンジンの中に透明な魔力を溜める、何かがある」
エンジンの尻の方を見ていった。地脈からの充填を受け止めるものがいる。厄介なのはそれがおそらくエンジンの内部に在り、しかも透明な魔力そのものは騎士ですら感じることができないことだ。
「この二つを押さえたら3番目、エンジンの実際の改良に取り掛かる」
ペンで書いたばかりの簡単な工程表を指しながらシフィーを見る。彼女は真剣な目で工程表を見て「はい」と頷いた。
「ちなみに透明な螺旋魔力がエンジンから出てるのは、シフィーは気が付いていたんじゃないか?」
「えっと、先生が何も言わなかったから、きっと隠してるんだっておもって。……ごめんなさい」
「いや、間抜けなのは俺だから。さんざんエンジンは遺産だといっておきながら情けない。ただ、俺には魔力を感じる資質はないから、シフィーが気が付いたことがあれば何でも教えてほしい。ええと、それでだな。まずは1だ。あの小型の魔力の流れを調べる。改良するエンジンはボート用だし、見る限り俺たちが乗ってきた大型魔導艇とかなり動きが違うみたいだからね」
大型魔導艇は航続距離重視のようで、スピードは外のボートよりも大分遅い。しかも、ここまでの航海では河の流れにそった穏やかな方向転換くらいで、急激な進路変更やカーブの旋回はしていない。
「ということは、このエンジンを動かすんですか?」
「最終的にはそうだけど、まずは先達から教えを請おうじゃないか。こっそりと」
俺はブース内の四角いテーブルに置いていた二つの木箱のうちの一つを開いた。中には魔力測定器、環状の三色の魔力用と、球形の透明な魔力用が入っている。この二つだけでリューゼリオンの都市機密のどれくらいを占めるだろうか。
…………
俺とシフィーはブースから学院の訓練池の近くまで移動する。池の上の練習場ではボートが練習中だ。数は十数隻か。ラウリスの騎士がリューゼリオンよりもずっと多いことは学院の規模からも明らかだが、ボートは遺産だ、そこまで数が多くないのだろう。つまり、今池の上にいるのはラウリスの精鋭ということだ。
「シフィー。学生たちの魔力はどうだ?」
「はい。この距離からだとよくわからないですけど、あそこにいる人たちはみんな強いと思います。魔力の色は三色の中の一つですね。どの色の人もいます」
「なるほど……」
シフィーのような特別な力の持ち主はラウリスと言えどもいないか。
何にせよまずは測定だ。池の近くに生えていた木の横に陣取り、紙を広げペンを握る。もちろん、大事なのは書類箱に扮した木箱に置いた測定器だけど。
学生たちは練習に励んでいる。波しぶきを上げてカーブするボートは小さいからこそ迫力がある。瞬間的に船が水上に浮いて見えるほどだ。魔力の出力は大型に比べ弱いが、派手に動いてくれているおかげでこの距離からも測定は出来そうだ。
測定環で三色の魔力のそれぞれの挙動、測定儀で螺旋回転の魔力を観察する。直線の時とカーブを曲がる時と、何が違うかがポイントだ。
直線を走っているときには三色の魔力はすべて同じ回転のスピードだ。この距離だと測定儀の感度は厳しいが、螺旋回転は安定している。
次はカーブだ。カーブに突入する前から三色の内一つ、あるいは二つが大きく回転を落とす。おそらくボートの進路に対応する回転だ。三色の魔力によるかじ取りというわけだ。
問題の螺旋回転だが……。これは面白い。俺は三色の環と球の回転を記録した。
「シフィーはどう見える?」
「はい。あの、どれかの色が弱くなった時、全体の白い魔力がすごく弱くなる気がします」
「やっぱりか。測定でも、減少する色の種類や数に螺旋回転の魔力の減少は依存しない。そして、そのタイミングでスピードも大きく落ちる。カーブが終わると三色の魔力はすべて同じ値にもどり、螺旋回転も復活する」
俺は数字を確認する。回転数という客観的な測定ができるのがこれのいいところだ。
「測定器の数字で計算すると……。『最小律』の考え方かな」
「最小律、ですか?」
「ああ。まあ、当たり前といえば当たり前なんだけど、こんな感じの考え方なんだ」
俺は地面に木の枝で簡単な図を描いて見せた。
赤、青、緑の三色の板で作った桶を考えればよくわかる。桶に入る水の量が螺旋魔力の出力だとすると、その量はもっとも低い板の高さに制限される。例えば、赤の板が低ければ、青と緑の板の高さがどれだけ高かろうと、一番低い赤の板に限定される。
仮に透明な螺旋回転魔力、の出力が100とした時、それを引き出す三色の魔力が10、10、10とする。カーブを曲がる時に赤の魔力だけ半分の5に落としたとすると、エンジンの主力である螺旋回転する魔力の出力は50になる。つまり、エンジンの出力はあくまで三色の魔力がすべてそろう最低値になるということだ。
これは螺旋回転の魔力の俺達の知識に合致する。そして、エンジンのスピードにとって重要なのはこの螺旋回転の魔力の強さだ。
「よし。大体のところは分かった。今回は引き上げよう」
こちらを見る学生が出てきた。どうやら休憩に入るらしい。俺は地面の図を足で消すと、シフィーとブースにもどった。