#5話:後半 大会レギュレーション
「エンジンを載せる船体はすべて同じものなのですよね。エンジンも基本は同じ型である。となるとレースの順位を決めるのは操縦手の技量なのでしょうか」
俺はさりげなく質問した。リューゼリオンに期待されているのは完走だけのようだが、せっかく目の前にラウリスの魔導艇の総責任者がいるのだ。彼が魔導艇に求めるものは、そのまま連盟にとって大きなニーズのはずだ。
「うむ。操縦手の技量は最も大事だ。魔力結晶と魔力触媒は持ち込みになるが、各都市とも最高のものを用意するゆえさほど差は出ないということもある」
「なるほど。その技量で一番重要なのは直線のスピードなのでしょうか」
俺は長方形のコースを見ながら言った。単純で規則的、そして直線の割合が大きい。
「なるほど。そう見えるか」
出来の悪い生徒を見る目だ。これだから魔力を使えない人間は、というやつだな。ちなみにかなりマイルドな方である。
「まず最高速度はエンジンによってほぼ決まっている。その性能を引き出すには技量は必要ではあるが、差は大きくならぬ。つまり、勝敗を左右するのはその前だ」
王子はブイが密に並んでいる場所、カーブの部分を指さした。
「直線でどれだけタイムを伸ばせるかを決めるのは、その前のカーブからの立ち上がりなのだ。カーブを曲がるためにエンジンは出力を落とす、そして再加速には容量の負担も大きい。それらをいかに最小限に抑えるかは操縦の技量だ」
「なるほど。これは私の浅慮でございました」
直線のスピードの上限はエンジンが決めている、それゆえ他の都市は方向転換を御すための操縦手の技量を重視する、これは重要な情報だ。
「ちなみに、その出力が落ちるというのはどのような……」
「エンジンとはそういうものだ」
首をかしげる王子に、無知を恥じるように頭を下げる。現在の人間が遺産に対して無知であることを忘れていた俺は無知だからな。
小さく見えてもやはり扱いは遺産だな。どう用いるかが問題であって、原理は闇の中。そこに付け込む隙がある、というよりもそこしか隙は無いな。厳しい話だが、こちらにとっては予定通りだ。
「せっかく妹が推薦したのだ。途中で止まるということだけは避けてほしい。先ほど言ったように漂流、遭難とみなされる。リューゼリオンの加盟後の評判にもつながる」
レイアードの表情には頼むから完走してくれ、という願いすら感じられる。俺の質問が微妙にポイントを外しているために、ますます心配になってる感じか。いい感じだ。
俺はちらっと横を見る。すました顔のクリスティーヌだが、その目の端にわずかに険が覗いている。兄上様が無知な文官の質問に我慢して答えているのは妹様の面目も考えてのことだと思うけど……。
というか、シフィーはその頬のふくらみをひっこめてほしい。
ええと、なんだったか。そう、もう一つ聞いておかなければならないことがあったな。
「先ほどから出ている『容量』というのは?」
「ああ、地脈からの充填量だ。練習やエンジンの調整にも必要だな。ついてくるがいい」
レイアードはブースの背後に向かう。岬の根に当たるところから白いラインが出ている。ラインは左右に円筒型の台が並ぶ中央を通っている。そのスペースの周囲には先ほどエンジンを載せていたのと同じような木の車がいくつか止まっている。
王子の指示でマキシムが台の鍵を開けると、中にはエンジンがお尻を下に立てられていた。
ピンときた。白い線は結界器の方から伸びているのだろう。地脈からの魔力が引かれているということだ。
「魔導艇の充填は停泊都市の義務だ。大会ではラウリスが担当する。充填台のカギは後で届けさせよう」
俺は円柱の中を見る。エンジンの乗る台は六角形だ。ただ、結界と違い魔力触媒は一切使われていない。つまり、充填しているというのは間違いなく透明な魔力だろう。
そして、それがエンジンの出力や容量を決める。なるほど、なるほど。
「もういいか」
「あっ、はい。ありがとうございます」
俺は慌ててメモを取り終わる。きわめて興味深いが、後で自分で試せるのだから焦る必要はない。
「では次は参加都市にそれぞれ用意される整備ブースだな」
王子が四角い建物が並ぶ場所に向かおうとする。それをマキシムが止めた。
「そろそろ上に上がっていただかなければ。本日は副提督との会談の予定が。わざわざランデムスから来られたのですから、遅れては……」
「むう。どうせ管理区の調整の話だろう。西岸の名門を名乗るなら応分の負担をしてもらわねば、太湖中央に穴が開くというのに……」
「ごもっともでございます。であればこそ円滑な調整が重要かと」
「兄上。こちらの説明は私にもできますから」
妹とマキシムの言葉に王子は少し嫌な顔をするが、しぶしぶといった感じで引き揚げることに同意した。ランデムスか、先ほど出た有力都市の一つだろうな。
「では整備ブースに参りましょう」
兄が去ると、クリスティーヌは軍港と学院の中間にある、四角い小さな建物の並びを指さした。
湖の岸に接して並ぶ部屋。入り口の横には筒のような物が付いている。一番端で先ほどの練習池が見える場所にあるのがリューゼリオン用のようだ。
「大会終了までブースは基本的に使用都市の大使館の一部として扱われます。つまり、この中はリューゼリオンの猟地ということです。これ以降はラウリスの人間でも許可なしには入ることは出来ません」
「なるほど、それはありがたいですね」
クリスティーヌから受け取った鍵でドアを開き中に入る。入り口の筒にリューゼリオンの旗を入れないといけないな。とはいえ、周囲のブースに人の気配はない。
中には先ほどの少しずんぐりとしたエンジンが台に設置されていた。湖岸側には水を引き込んだ小さなドックまである。部屋の周囲には縄や桶、木づちといった道具が立てかけられている。
「足りないものがあれば私にご要望ください。私はそろそろ城にもどらなければならないのです。レース後のことについて準備するためにも、溜まっていた書類の処理を終わらせねばなりません。この調子ではいつになったらパンに……。コホン。レキウス殿のお力は存じておりますが、今後のことについて基本的なことだけでもお聞きしておいたほうがいいでしょう」
クリスティーヌが聞いてくる。瞳に心配の色がないのが心配だ。ただ、ここまでの航海でのエンジンの観察と先ほどの丁寧な説明のおかげで大まかな絵は見えてきた。それを説明しておくことは重要だな。
「先ほどのお話を聞く限り、我々が最も重視すべきは……直線でのスピードですね」
「兄と反対の方針ですね」
クリスティーヌの瞳が興味深げに瞬いた。
「提督殿下のお話は騎士以外で差が出ないという条件、つまり遺産はブラックボックスという前提です。エンジンの性能差で戦うつもりの我々には当てはまりません。そして、スピードに焦点を当てる理由ですが、二つあります」
俺は指を二つ立てる。
「一つ目はエンジンそのものの観点からです。小なりとはいえ遺産です。最もシンプルな形の改良を目指すべきです。また、コースも直線が多いようですから効果も大きいでしょう。二つ目は操縦手である騎士の都合です。リューゼリオンは今回が初参加。仮に複雑な改良が出来たとしても、扱いに苦労するようでは本番で効果を発揮するのは難しいでしょう」
リーディアは間違いなく優秀な騎士だが、ボートの操縦は初心者だ。先ほどの提督様の、完走だけはしてくれという願いは、おそらくそんなに大げさな話ではないだろう。
「レキウス殿らしいわかりやすい分析ですね。それで、実際にレシピ……ではなくてエンジンをどのように強化するのでしょうか?」
クリスティーヌが好奇心をあらわにしている。その瞳の光がプレッシャーだ。何しろ……。
「それはこれから考えます。実験しながら」
「これから……ですか? その、古の知識ですでに手段が用意されているのでは?」
彼女は俺が持つ木箱を見る。まるで中に古代から伝わるスーパーエンジンの設計図でもあるのではないかという視線だ。そんなものはもちろんない。あったら錬金術士の出番などないじゃないか。
「基本的に私たちの知識は魔力の原理のレベルの話ですね、それをエンジンに応用するには、調べなければいけないこと、試さなければならないことが多くあります。そうですねパンケーキなら「麦を挽き作った粉が主原料だ」という記述を知っている程度でしょうか」
「そ、それは本当に基本的ないいえ、それ以前なのでは?」
「私がクッキーの記述を見つけてから再現するまでどれだけかかったか」といっている。心なしか顔が青ざめている。
「ええ、まさしく。殿下が言っておられたように時間が全くありません」
俺がそう言うと、クリスティーヌは何も書かれていないエンジンを見てごくりとつばを飲み込んだ。そして、俺とそして俺の錬金術助手を心配そうに見た。ようやく彼女と俺との間の認識が一致し始めたようだ。
「わかりました。私も万全の体制でサポートできるよう、上の書類を一刻も早く片付けます」
クリスティーヌは急ぎ足でドアを出た。窓の外で、ちょうど主を探しに来たらしい侍女と鉢合ったようだ。両手を広げて溜まった書類の厚さを示す侍女を、逆にせかすようにゴンドラに向かう。危機感を共有できて何よりだ。
ブース内にはリューゼリオン人だけが残った。いよいよ作業開始だ。頼もしい助手が居るとはいえ、条件は厳しい。そう思って助手を見ると。
「先生なら絶対大丈夫なのに」
ドアの方を見ていたシフィーがつぶやいた。なぜ助手とは危機感が共有できないのだろうか。