#4話 水の都の兄妹
窓の外に見えるのは異都市の広大な眺めだった。
湾を抱く巨大な街。数えきれない大小の建物が並ぶさまは積み木細工のように錯覚するほど。湾の周囲には形のそろった巨大な倉庫と、円形の建物を中心とした市場。その先には海に突き出すいくつもの埠頭で構成される商業港。そこに出入りするのは様々な都市の紋が描かれた帆に風を孕む帆船。
それら帆船の間を波を切って走る小さな輝く船は三艘一組の魔導艇だ。魔導艇は岬の下に向かう。窓からは見えないそこには商業港とは別に軍港があるのだ。
ちなみに俺たちが乗ってきた魔導艇もそこに泊った。そこから崖を貫いて岬の上の城に繋がる移動籠を経て、今この部屋、文官棟の一室で待機している。
文官棟らしく部屋の壁は灰色だが、ところどころに色鮮やかなフレスコ画が描かれていて、全体として明るい印象を受ける。窓からの光景といい、どこか開放的な雰囲気を感じる。
ちなみに、文官棟だけでリューゼリオンの城全体よりも大きい。巨大な市場や港を見れば当然だ。更に、連盟の管理に関する業務もあるのだ。
ここが一都市を超えた巨大な政治経済の中心であることを否が応でも思い知らされる。空を見上げれば、結界に守られた都市という点ではリューゼリオンと同じなのにこの違いよ。
「これが連盟か。ホントとんでもない人と物の出入りだな。すごいよなシフィー」
この膨大な人の中、唯一の同都市人に声を掛けた。選手であるリーディアに先行して下見のために来たという形のシフィーだ。彼女は窓際の俺の正反対の側、ドアの前にいる。
「は、はい。先生」
白い髪の少女の声はどこか固い。せっかくの光景から背を向けてドアの方ばかり見ている。
昔、彼女に会ったばかりの頃、見慣れない騎士街に心細そうだった彼女を思い出す。
「そういえば。この果物オリーブだったか。こちらの名産らしい。おいしい油がとれるらしいぞ」
俺が黒く熟れた果実を手にする。シフィーが慌ててこちらに来て俺の手を抑える。
「あ、あの。もしもお腹に悪いものが入ってたら」
ずいぶん警戒しているようだ。生まれて初めてリューゼリオンから外に出たわけだから当然か。形式上は随員が俺だが、彼女をこんな遠くまで引っ張ってきてしまったのは俺といっていい。
「まあ、そこら辺は招待者を信じるしかないだろう」
俺はあえて気楽な表情を作って、オリーブを口にした。マリネされた果実は独特の風味だ。
ちなみにクリスティーヌは帰還報告の為、本宮に行っている。そういえば、すぐに戻ってくるといっていたのに結構時間がかかっているな。
まさか、今まさに俺たちを捕まえるために……。なんて、一学生とお供の文官をどうこうするメリットがラウリスにはない。
クリスティーヌは「父が懸念するとしたら滞った業務くらいでしょう」といっていたが、王女が遠い土地まで旅に出た挙句、予定日に帰ってこなかったのだ。長引いてもおかしくない。
それに、異都市の人間を連れてきてしまっているのだ。連盟にとって極めて大事なレース大会への飛び入り参加という形でだ。
「お待たせしました。少し手間取りましたが、大会への参加の件は無事押し込めましたよ」
港に出入りする船の紋の違いの数を数えるのも飽き、持ってきた実験用具をチェックしようかと考えていた時、クリスティーヌが戻ってきた。
「早速ですが下に降りましょう。レースのコースと整備用のブースにご案内します」
俺は運搬用の皮の手提げの付いた木箱を二つ、手に持つ。
クリスティーヌに連れられて部屋を出た俺とシフィーは、岬の下へのゴンドラに向かう。網目状の入り口が見えてきたとき、廊下の反対からこちらに歩いてくる若い男が見えた。白い騎士服の男はラウリスの紋を付けたマントを纏っている。明るい栗色の髪を後ろで束ねた気品のある顔立ちだ。歳は俺よりも少し上か。
男は俺たちに気が付くと足を速めた。そしてそのままクリスティーヌの前に立ちはだかる。
「クリスティーヌ。お前は全く無茶をしおって」
「レイアード兄上……」
どうやらクリスティーヌの兄らしい。つまりラウリスの王子ということだ。そういえば、リューゼリオンに魔導艇を出す件では、兄の世話になったと航海中に聞いた。彼の隣に操縦手だったマキシムもいる。
「兄上には魔導艇のことでご配慮いただいたのに、ご心配をかけて申し訳ないと思っています。ですが、私なりに連盟の将来に必要と判断してのことです」
「必要というが、そもそもあのような辺境の……。そうだ、連盟に参加してもいない都市をいきなり大会にというのも無理が過ぎるぞ」
「そのことでしたらお父様にご許可をいただきました。兄上のお役目からもグンバルドの旧ダルムオンに対する宣言はきいているはずです」
「確かにあのような一方的な宣言は認められぬ。トランなどは圧迫を感じるだろう。だが、だからといってあのような条件をのんでまで……。私としてはいかに有力とはいえ年の離れた……」
やはりグンバルドの旧ダルムオン領有宣言は波紋を引き起こしている。先ほど出てきたトランはラウリス連盟の一番西、つまり旧ダルムオンに近い。それにしても、条件とは……。
「兄上。そのことはまだ内々の話です」
クリスティーヌは兄の話を止めた。
「しかしだな……」
そこまで言ったところで、男はやっと妹の後ろにいる異国人二人に気が付いた。
「もしかして君がリューゼリオンの学生かな」
一瞬で改めて見せた表情は妹と同じ人当たりのよさそうな笑顔だ。シフィーはぎこちなく頭を下げる。王子はシフィーのことを気づかわしげに見る。そして、妹に向けて声を潜めた。
「レース参加は精鋭ぞろいだぞ。ただでさえ……」
「お二人はリューゼリオン王女リーディア殿下の下見として来ていただいたのです。私の客人なのですから失礼なことは言わないでください」
「……そういえば、そちらの文官は?」
王子はもう一度シフィーのことを見てから、その隣というよりもシフィーが前に立ちはだかっているように見える不自然な男に目を向けた。
「リューゼリオン王女リーディア様の右筆、レキウス殿です」
「リーディア王女……お前を助けたというリューゼリオンの姫か」
「兄上。レキウス殿は私が危険な場所へ向かったことに気が付き、救出を進言してくださったのです。レキウス殿が居なければ私は再び兄上の顔を見ることはかなわなかったでしょう」
「ほう、それは礼を言わねばならぬな」
「とんでもございません。たまたま狩猟記録の整理をしており気が付いたことにございますれば」
俺は恐縮した態度をとる。あの時リューゼリオンにとって危険だと思った対象はクリスティーヌ自身だったけど……。
「いや、妹の恩人とあらば捨て置けん。ラウリス滞在中、なにか不自由があれば遠慮なく私に言うがいい。……しかし、リューゼリオンでは文官の発言力が高いのだな」
「ありがとうございます」
しかし、妹の恩人というだけでずいぶんな態度の違いだ。
「それだけではありません。レキウス殿は旧時代のことに詳しいのです」
「また例の道楽か」
クリスティーヌの言葉に兄はむうっとわずかに顔をゆがめた。
「麦のことは道楽ではありません。実際兄上にも……」
「それで客人を連れてどこへいくのだ?」
「……レースの為の整備場とコースを見ていただきたいと思って」
「…………ふむ。よし、私も一緒に行こう」
「兄上……」
「ちょうど提督室に用事もあるのだ。そうだな、マキシム」
「そうですね、裁可いただかなければならない件が一つ、くらいはあるかもしれません」
「そういうことだ」
「ただ殿下。その前に王宮で処理していただかなければならない件が五件ございます。殿下の右筆が探しておりました」
まるで用意していたような切り返しをする部下。レイアード王子はマキシムに連れられ、来た道を引き返していった。